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【定義】

道元禅師が著された『正法眼蔵』に対する註釈書で最古のもの。『正法眼蔵抄』が正式な名前だが、敬意を表して『御抄』と略されたり、泉福寺?影室に伝わったことから『影室抄?』ともいい、長く秘せられていたため『秘鈔』とも呼ばれた。もし、『正法眼蔵』を参究したいならば、参照すべき第一級資料である。

【内容】

道元禅師の直弟子・京都永興寺開山詮慧禅師は、道元禅師の説法を聞いて、それによって諸宗への批判を行い、その上に達意的に曹洞宗の立場を構築しようとした。それを『正法眼蔵御聴書』といい、成立時期や成立方法については「諸悪莫作聴書」の巻尾に「弘長三年二月日 寂光と我と聴書の上、予が聞書の詞を加うる也。取捨すべき者也。」(原漢文)とあるため、弘長3年(1263)には成立し、それも寂光という僧と、詮慧が聞いた言葉を合わせて作られたことが分かる。

さらに、この『御聴書』は、自ら道元禅師の直弟子であったとされ、かつその後詮慧の法嗣となった経豪禅師によって「傍らに、本願の御聞書の詞を書戴す、仰せの所の証明なり。合点則ち是なり。」とされているように、経豪が行った註釈の証明として、『御聴書』が使われたとされる。いわば、詮慧と経豪が実質的な共著として『御抄』を作ったのである。時期は、「出家抄」の巻尾に「延慶元年戊申十二月乙丑廿二日抄し畢んぬ。此の抄物は始め、去し乾元二年癸卯四月十五日より、首尾六カ年の間功を終え畢んぬ」とされているため、1303〜1308年までに書かれたものであろう。また、書写本も古いものは、経豪の註釈を本文とし巻尾に、詮慧の註釈が合わせて載る形になっているが、このことから、詳しくは『正法眼蔵御聴書抄』と呼ばれるべきともされている。

ただ、『御抄』中には「永興寺五世和尚の詞」(「画餅御抄」)というのも見え、詮慧・経豪の後にも註釈作業が進められていたことが知られ、また「宝福開山のたまはく」(「諸悪莫作御抄」)の語から、更に他の註釈者の存在を窺わせる。

『御抄』は、基本的に天台宗の教学にしたがった面があるが、それを道元禅師の見解によって超えようとする意図が見られる。

また、近年の曹洞宗学による『正法眼蔵』解釈はこの『御抄』を用いたものが主流となっており、伝統的解釈にしたがったことから「伝統宗学」と呼ばれていた。最近では、様々な面で、その乗り越えが図られてもいるが、『正法眼蔵』本文の難解さなどもあり、未だに『御抄』の影響は大きい。また、『御抄』に関する研究論文も多い。

【テキスト】

・『正法眼蔵抄』(上下巻)鴻盟社・明治36年
・『正法眼蔵註解全書?』(全10巻)
・『永平正法眼蔵蒐書大成?』(第11〜14巻)
・『曹洞宗全書』「注解?一・二」巻

【研究論文】

・鏡島元隆「正法眼蔵抄の成立とその性格」駒澤大学仏教学部研究紀要22・S39
・鏡島元隆「『正法眼蔵抄』をめぐる諸問題」岡本素光喜寿記念論集『禅思想とその背景』所収・春秋社・S50
・河村孝道「泉福寺本『正法眼蔵聴書抄』について」(『蒐書大成』総目録、所収)
・東隆眞「正法眼蔵抄の成立に関する一考察・宗学思想史研究序説・その3」『宗学研究8』S41
・菊地良一「「正法眼蔵抄」「諸悪莫作」の帖について」『宗学研究10』S43
・峰岸孝哉「『正法眼蔵抄』について・特にその成立に関する問題点について」『宗学研究6』S39
・池田魯参「正法眼蔵抄の問題」『駒澤大学仏教学部論集1』S46
他多数

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