【定義】
瑩山禅師によって開かれた徳島県海部郡海陽町(旧・海部町)にある日本曹洞宗の寺院、現在では城満寺と書く。山号は真光山。開基は加賀富樫氏の一族とされるが、詳細は不明。
【歴史】
『洞谷記』の記述によると、「廿八(歳)阿州海部・城万寺の住持に充す」とあるため、瑩山禅師28歳(1264年生まれ説だと正応4年[1291])の時に開創されており、開基は加賀富樫氏の一族の海部郡の郡司だったとされているが、それは加賀大乗寺との関係が深かったはずという前提の話であり、近年ではむしろ、海を隔てた紀州側にある臨済宗法灯派・由良興国寺との関連も指摘されている。
ただし、開創後、約100年程度(一説に戦国期における長宗我部氏の阿波侵攻時であるともいう)で廃寺になったということで、大正15年(1926)に戸田吾雄氏が再建をはかったものの完成しなかった。そこで、小笹文蔵氏が私財を寄進して本堂を建立し、伽藍整備が進んだ。
なお、同寺にて、瑩山禅師は自らの僧団で重きをなした鉄鏡眼可などを出家させた。
【住所・連絡先】
住所:〒775-0308 徳島県海部郡海陽町吉田字西沢51
電話:0884−73−2093
アクセス:JR牟岐線・海部駅から徒歩で1時間弱
瑩山禅師によって開かれた徳島県海部郡海陽町(旧・海部町)にある日本曹洞宗の寺院、現在では城満寺と書く。山号は真光山。開基は加賀富樫氏の一族とされるが、詳細は不明。
【歴史】
『洞谷記』の記述によると、「廿八(歳)阿州海部・城万寺の住持に充す」とあるため、瑩山禅師28歳(1264年生まれ説だと正応4年[1291])の時に開創されており、開基は加賀富樫氏の一族の海部郡の郡司だったとされているが、それは加賀大乗寺との関係が深かったはずという前提の話であり、近年ではむしろ、海を隔てた紀州側にある臨済宗法灯派・由良興国寺との関連も指摘されている。
ただし、開創後、約100年程度(一説に戦国期における長宗我部氏の阿波侵攻時であるともいう)で廃寺になったということで、大正15年(1926)に戸田吾雄氏が再建をはかったものの完成しなかった。そこで、小笹文蔵氏が私財を寄進して本堂を建立し、伽藍整備が進んだ。
なお、同寺にて、瑩山禅師は自らの僧団で重きをなした鉄鏡眼可などを出家させた。
【住所・連絡先】
住所:〒775-0308 徳島県海部郡海陽町吉田字西沢51
電話:0884−73−2093
アクセス:JR牟岐線・海部駅から徒歩で1時間弱
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