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【定義】

第一義諦が言説を離れていることから、更にその実相に即した形で表現された語が第一無諦である。なお、道元禅師はこの語によって、釈尊が弟子達に説法しなかったことを肯定的に示そうとされた。
おほよそ而今の一段の仏儀、これ説法転法第一義諦、第一無諦なり、さらに無言説の証拠とすべからず。もしこれを無言説とせば、可憐三尺龍泉剣、徒掛陶家壁上梭ならん。 『正法眼蔵』「安居」巻

なお、道元禅師が「而今の仏儀」とされるのは、同巻中に示された以下の公案である。
世尊摩竭陀国に在して、衆の為に説法す。是の時、将に白夏せんと欲して、乃ち阿難に謂って曰く、諸大弟子・人天四衆、我常に説法すれば敬仰を生ぜず。我、今、因沙臼室中に入って、坐夏九旬せん。忽ちに人有り来って問法するの時、汝、代わって我が為に説け、「一切法不生、一切法不滅」と。言い訖って室を掩って坐す。 「安居」巻

このように、釈尊自身は説法をされず、しかし法が表現されている。また、この公案の典拠は『嘉泰普灯録』巻10「楚州勝因咸静禅師章」である。

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