【定義】
江戸深川増林寺に住持していた寂堂呑空(生没年不詳)が、『永平清規』の『弁道法』及び『赴粥飯法』に拠って、叢林に於ける日分行持の弁道の規矩・規縄を記したもの。享保18年(1733)に刊行された。跋文は、信濃正安寺に住持していた圭立法セン(1682〜1757)が著した。この圭立は、持律?堅固の僧侶で、真言宗の慈雲尊者飲光も、一時その門下であったという。
【内容】
本書の内容は、『弁道法』によって、黄昏と後夜の坐禅を挙げて、次いで『赴粥飯法』によって、叢林の二時の粥飯の行法を示し、また『弁道法』によって、早晨と晡時の坐禅を示す。四時坐禅を基本とし、それに粥飯を追加したような内容ではあるが、更に三時諷経も掲載されている(これは、『瑩山清規』の影響が指摘されている)。
現在では、『曹洞宗全書』「清規」巻にて見ることが出来る。
江戸深川増林寺に住持していた寂堂呑空(生没年不詳)が、『永平清規』の『弁道法』及び『赴粥飯法』に拠って、叢林に於ける日分行持の弁道の規矩・規縄を記したもの。享保18年(1733)に刊行された。跋文は、信濃正安寺に住持していた圭立法セン(1682〜1757)が著した。この圭立は、持律?堅固の僧侶で、真言宗の慈雲尊者飲光も、一時その門下であったという。
【内容】
本書の内容は、『弁道法』によって、黄昏と後夜の坐禅を挙げて、次いで『赴粥飯法』によって、叢林の二時の粥飯の行法を示し、また『弁道法』によって、早晨と晡時の坐禅を示す。四時坐禅を基本とし、それに粥飯を追加したような内容ではあるが、更に三時諷経も掲載されている(これは、『瑩山清規』の影響が指摘されている)。
現在では、『曹洞宗全書』「清規」巻にて見ることが出来る。
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