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【定義】

懐奘禅師に師事し法嗣となった、初期永平寺僧団に所属した僧侶。美濃の西願寺に住し、また同国衆林寺の開山になる。

生没年:?〜正応2年(1289)
出身地:不明

【内容】

道荐禅師の名前は、『三祖行業記』「懐奘禅師章」で、懐奘禅師の伝戒弟子に見えるが、詳細は『日本洞上聯灯録』巻1「道荐禅師章」に見られる。その内容は、高野山にて出家した道荐禅師は、秘儀の潅頂法を習い、阿字観を修めていた。遊行していた義介禅師が高野山に登ってくると、道荐禅師が自坊にて宴坐するのを見て、問答になった。

義介「ここで何をしているのか」。
道荐「ここで観法をしている」。
義介「観じたこれは何ものぞ。法は何によって起こる」。
道荐「私は、その理由を決定してはいない」。
義介禅師はその返答を聞くと激して「宗師に見えて、法要を勤求すべきだ」と説いた。
道荐はその言葉に信服して、衣を更えた。

この問答の後、道荐禅師は義介禅師と一緒に永平寺に入り、懐奘禅師に謁した。懐奘禅師は遠くから来たことをねぎらい、そして法要を垂示した。それを聞くと、道荐禅師は直ちに契悟し、遂にその法を嗣いだ。左右に侍ること十数年すると、後には美濃の西願寺にて四衆接化し、更に檀信徒が衆林寺を建てて、道荐に開山になるように請うた。正応2年(1289)の7月に遷化したという。

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