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【定義】

いわゆる「本来の面目」ということ。別に、本分事本分田地?本地風光などともいわれ、各人が本来具えている真実の姿のことをいう。
もし人、一時なりといふとも、三業仏印を標し、三昧端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。ゆえに、諸仏如来をしては、本地の法楽をまし、覚道?荘厳をあらたにす。および十方法界三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄?にして、大解脱地?を証し、本来面目現ずるとき、諸法みな正覚を証会し、万物ともに仏身を使用して、すみやかに証会の辺際を一超して、覚樹王に端坐し、一時に無等等の大法輪を転じ、究竟無為の深般若?を開演す。 『弁道話

道元禅師はこのように、坐禅によってあらゆる存在が本来面目を現ずるとしている。また、この語を題材に道歌も詠まれている。
本来面目  春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり 『傘松道詠

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