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「おっはよー……おっ、たかねー!」
「響。久しいですね」
事務所のドアが元気よく開いた時、貴音は室内に一人でいた。
「なん日かぶりだな」
「互いにスケジュールが合いませんでしたからね。変わりありませんか」
「ん、元気元気!貴音は?」
「ええ、わたくしも。これから仕事ですか?」
「そうだぞ、まだ時間あるけどね」
 聞けば番組収録のためテレビ局へ向かうのは午後のことで、事務所に顔を出した後、腹ごしらえを
してから行動開始の心積もりだったという。これを聞いて貴音は、今日の邂逅を天佑と捉えた。
「わたくしは先ほど午前中の予定が完了して、これから食事でもと思っていたのです。……あの、響」
「うん?」
「実はここしばらく、弁当を持参しているのです。二人分には不足かも知れませんが、もし不都合が
ないなら、その、一緒に──」
 おずおずとした申し出は途中で遮られてしまった。拒絶されたのではない、話の相手が一瞬で
詰め寄って来たのだ。
「食べる!って、ええっ?貴音のおべんと?貴音の料理?食べていいの?自分、食べていいのか?」
「──口に合えば良いのですが」
 ともあれ、異論がないのであれば長広舌は不要だ。貴音は響に笑み、今日は暖かいし屋上へ
行かないかと誘った。

****

「ごちそーさま貴音。おいしかった」
「お粗末様でした」
 貴音の持ってきた小ぶりの二段重はほどなく底を見せた。不足したら申し訳ないからと言い募る
響を引き止め、それでもと食い下がるので階下の自販機で購入してもらったペットボトルの茶を
飲みながら談笑する。
「正直言うとさ、貴音がお料理するなんてなんかイメージ違ってた」
「そう言われるのではないかと思っていました」
「あは、ゴメン」
「かまいません。本格的に手をかけ始めたのはまだひと月と経っておりませんゆえ」
「え?1ヶ月?ホント?」
 もともと基礎は心得ていたが、トップアイドルを目標として修練に集中するには専門的な献立を購入
する方が効率がよかったし、アイドルランクが上がるにつれ金銭的な問題も薄れていった。番組や
インタビューの兼ね合いで調理が出来ると言うためなら時折、技術の点検程度に煮物などを仕立てれば
足りていた。
「すごいな貴音、自分なんか結構自炊するけどいまだに魚焦がしたりするぞ?」
「わたくしの調理なぞ基礎を組み合わせただけです。引き出しの数は響、あなたの方が多いはずです」
「でもすごいよ。なんで急におべんと派になったの?」
「……」
 すぐには答えず、空を見上げる。太陽はビルの影だろうか、雲が僅か浮かぶ真っ青な中天に、真白い
月が細く見下ろしていた。
「あ、月」
 今気づいたかの声音は釣られて視線を上げたのだろう。響がそれに見入る隙に、悟られぬように
呼吸を整える。
「……最近」
「うん?」
「このひと月ほど、余暇があると昼夜を問わず外出する習慣ができたのです」
「散歩かー。自分もいつもしてるよ、イヌ美やオウ助なんかは散歩大好きだしな」
「あなたのおかげなのですよ、響」
「へ?」
 自分が何かしたのだろうか、と訊ねたそうな表情の彼女に、持参した鞄から肝心のものを取り出して
見せる。
「これのおかげで」
「あ、自分があげたマフラー?」
 先日迎えた誕生の記念にと、事務所の皆で手作りの祝宴を催してもらった。その席上で皆からの
ものとは別に、響から襟巻きを贈られた。彼女の手編みだというそれはちょうど新調した外套にも
似合いで、何より貴音の身も心も暖めてくれた。
「たいそう肌触りがよく、帰宅した後などもなお手放し難い魅力を持っているのです。ついまた外出
してしまい、とは言え何もせず帰るのも勿体無く」
「……貴音んちの近くって、おっきいスーパーがあるよね?そういえば」
 スーパーマーケットについては以前も話したことがあった。あるいは、響もコンビニエンスストアなど
での買い食いを思い起こしたのかも知れない。
「初めは雑誌や商品を物色するだけだったのですが、配られている献立カードなどを読むうちに」
「あ、それわかる。自分でも作れるかも、ってね」
「こちらの献立はよく考えられているものも多く、いくつかの知恵には感心してしまいました」
 もともとある程度の技量は持ち合わせていた。いざ作ってみるとなるほど、彩りも美しく味も相応に
まとまる、しかも外食よりはよほど安価である。
 その上、食材も調味料も丁度使い切るということがなく、鶏肉を買っては片栗粉を買い足し、味醂を
揃えては魚を煮てみたくなりといういたちごっこが始まった。
「以前は料理など時間の無駄と思っていたのですが、はじめてみるとこれがなかなか」
「面白いよな。少しできるようになると自分のオリジナルなアイデア湧いたり、料理雑誌読み始めたり
……あ、それそれ!あはは」
 鞄の口をもう少し開いて見せると、中に料理雑誌の最新号を見つけて響が破顔した。貴音も共に
口元を緩める。
「今では三食自炊していますよ。その先は、この料理を自分以外に味わってみてもらいたく」
「うんうん!それで自分?」
 小さくうなずけば、光を放つような笑顔はますます輝きを増した。
 今なら言えるだろうか。
「……誰でもよかったわけではありませんよ?」
「あはは、まあ自分ならどんなデキでも美味しいって食べるしな!でも貴音、そんな心配いらないぞ」
「そうではありません!」
 推量の範囲内の受け答えであったが、つい声が大きくなってしまった。相手方にははぐらかす意図など
なかろうに、却って頬が熱くなる。
「ほえ?」
「そうではないのです。わたくしに、このような素晴らしい経験を得る機会を与えてくれた響、あなたに、まず
箸をつけて欲しかったのです」
 かつてのユニット仲間、見当違いであったとはいえ同じ目標に向かって切磋琢磨した友。その相手から
今になってまた祝いを受けることは、貴音にとって格別の意味を持っていた。
 いつの頃からか、響はまるで太陽のようだと思うようになった。どんな時でも明るい笑顔を振りまくその
暖かい心根が、目標を真っ直ぐ見据える視線の強さが、些かの翳りにも動じぬ強靭な覚悟が、陽光を
発する天の星とよく似通っていた。
 自分が夜光る月であるなら、彼女は昼の地上に恵みをもたらす太陽だと思った。月は太陽の光を
受けて輝くのだ。貴音は、月が太陽に惹かれるように響に惹かれていたのだ。
 その響から授けられた温もり。貴音にとってそれはさながら、夜の住人たる自分に昼のあるじから
届けられた招待状だった。
 響の行為は彼女にしてみれば些細なことがらであったかも知れぬが、貴音は受け取った想いを
なんとしても返したかった。このことすらただの独りよがりであろうが、それでも、なお。
「……ふうん」
 しばし、言葉を反芻していたかのような間をおき、響は言った。
「そんなふうに言ってくれるなら、嬉しいな、自分は」
 普段しつけない立ち位置が面映いのか、心なし上気した表情で笑う。
「貴音とは前から一緒だったし、色々わかんないことあったけどずっとやってきたじゃない。だから、自分に
とっては貴音って、たぶん、けっこう大事なんだぞ」
「わたくしもですよ。響」
「あは、一緒だな」
「そうですね」
 そう高くない雑居ビルの屋上を、小春日和の風が吹く。天を仰ぐと白昼の月は、雲に遮られることもなく
貴音と響を見守っている。
「でも、貴音って、前とちょっと変わったな」
 不意に響が言う。
「変わった?」
「うん。前は……そうだな、夜の月みたいにキレイだけどちょっと冷たい感じだった。寂しそうなのに、人を
寄せ付けない感じだった」
 心当たりはある。あえて悪役に徹していた部分もないではない。使命を持つ者に馴れ合いは不必要だ、
そう考えていたしそう努めていた。響の、我が身とは違った孤独を知ってからはなおのこと、情に流されて
しまわぬよう振舞ってもいた。
 人にすがってはならぬのだと、己に言い聞かせて生きていた。
「最近になってかな、いろんな話するようになったし、ラーメン好きなトコとか、んーと、そーだな、ほら、アレ」
 すっ、と真上を指差す。二人が今、眺めている月を。
「『月って昼間も出てるんだなぁ』って、そんな感じ」
「昼間の月、ですか」
「夜の月は少しよそよそしい気がするけどほら、あそこの月はなんとなく、白くてふわふわやわらかくて、
あったかそうだよ」
 冴えた青空、雲の切れ間に浮かぶ月は、確かに夜の顔とは幾分面持ちが違うようだ。冬とは言え
ほの暖かい今日の陽気がそう思わせているのであろうが。だが、とは言え。
「……そうですね」
 かつて、響と出会ったのが天の配剤なら。
 今日、誕生日の礼を返せたのが運命であるなら。
 今、月が昼空に浮かんでいるのもそうに違いないだろう。
「そうですね。確かに」
「?」
 だから貴音はこう口を開いた。

「月も、たまには明るいところに出てみたいものなのですよ、響」
 なるほどねと笑う顔に貴音は、もう少し雑談を続けるための話題を頭の中で探し始めた。





おわり

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