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「トリックオアトリート!」
「……え?」
寒さが増してきた十月末。事務所に入った私を迎えたのは、満面の笑みの真美ちゃんだった。 
ワンテンポ遅れて辛うじて反応は返せたけれど、それでもちゃんとした言葉にはならなくて。
そんな私を見て真美ちゃんはちょっと不満そうに頬を膨らませている。
「ゆきぴょん、聞いてるーっ? トリックオア、トリート! だよ!」
「あ、あぁそっか、ハロウィン、だもんね」 
もう一度言葉にしてもらってやっと理解が追いついた。今日は十月三十一日。所謂ハロウィンだ。 
トリックオアトリート。有名な言葉で、確か甘いものをあげないといけない……んだったかな? 
そこまで思い至って、何か飴でもないかなと鞄を探ってみるけれど、生憎お菓子の類は見つからなかった。
「ええと……真美ちゃん、その……お茶なら、あるんだけど……」
「お菓子は?」
「……ない、です」
恐る恐る切り出してみると、私の返答を聞いた真美ちゃんは心底嬉しそうに笑った。
「んっふっふー、じゃあそんなゆきぴょんには……」
その笑顔は流石アイドル、と言えるとても輝いた笑顔だったけれど。同時に何とも嫌な予感しか感じない。
そして真美ちゃんはゆっくりと両手を掲げて――その指をわきわきと動かした。
「くすぐりの刑だーっ!」
「ひゃああああ!? ま、真美ちゃん、勘弁してぇっ!?」
「やーだっ! 諦めるのだゆきぴょーんっ!」

   ◇

「……っひ、ひどい、よ……まみ、ちゃん……っ」
――結局あれから、事務所内をちょこまかと逃げ回ったけれどそれで回避しきれるわけもなく。
うっかりソファに追い詰められてからは、くすぐり地獄が待っていた。
……かなり容赦なくくすぐられて、すっかり息があがってしまった。
「えへへー、ごめんごめん」
イタズラをしてきた真美ちゃんはそうは言うものの、反省してるようには見えない。
それどころか、くすぐられてぐったりとソファにうつ伏せで寝転んでいる私の上に、
くすぐっていた時のままべったりと張り付いていた。
「しかしゆきぴょんはいい反応してくれるねえ。イタズラしがいがあるってものだよ」
「うう……それって私、馬鹿にされてる……?」
えへへ、と真美ちゃんが嬉しそうに笑ってくれているのは私としても嬉しいけれど、
イタズラしがいがある……って絶対褒められてはない。
何だかかなり年下のはずの真美ちゃんに頼りないって思われてるみたいで、
そんな自分が少しだけ情けないって、そう思った時だった。
「……っそ、そうじゃなくて!」
真美ちゃんは慌てて、まだ少しだけ息が乱れてる私の背中を、落ち着かせようと撫でてくれる。
それからちょっと頬を染めて、照れ臭そうにしながら。
「こういうイタズラにもちゃーんと付き合ってくれるでしょ!
だから嬉しいなーって、そういうことだよ!」 って、言ってくれた。
恥ずかしそうに、でも勇気を出して言ってくれたその言葉と、
ゆっくり背中を撫でてくれる真美ちゃんの手の温もりが嬉しくて。
「……うん。ありがとう、真美ちゃん」
「……ん」
自然と笑顔になれてしまう。
体勢を何とか仰向けに変えて真美ちゃんと向かい合わせになった私は、そっと目の前のさらさらの髪の毛を撫でた。
真美ちゃんも恥ずかしそうにしながらも、頭を私の首元に寄せてきてくれる。
出会ってから一年経って、すぐに私を追い越してしまった真美ちゃんは、
こうしてぴたっとくっついているととても四歳も年下とは思えない。
けれど、間違いなく真美ちゃんは年下の、可愛い女の子だ。

私だって、ちゃんと分かってる。
真美ちゃんがこういう風にイタズラしたり、ちょっとしたことで構ってくるのは真美ちゃん流の甘え方だ。
子供扱いされるのは嫌がるけれど何だかんだで甘えん坊な真美ちゃんは、ダイレクトに甘えるんじゃなくて、
構ってほしくていろんな方法でこちらの気を引こうとする。
そして、今さっきみたいに、イタズラの流れでぺったりくっついて、そのまま甘えてくることは実は結構多いのだ。
いつも真美ちゃんのイタズラに振り回されている私だけど、甘えてきてくれているんだって分かっているから、
いつもどんなイタズラをされてもしょうがないなぁって許してしまう。
だって仕方がないと思う。甘えてくれる真美ちゃんは、すごく可愛いんだから。
「真美ちゃんは、可愛いなぁ」「……っ、ゆきぴょんだって、可愛いよ!」
不意に漏らしてしまった言葉に、真美ちゃんはおんなじ言葉を返してくれる。
やっぱり、真美ちゃんは可愛くって、優しい女の子だ。
「えへへ、ありがとう。でもやっぱり、真美ちゃんの方が可愛いよ」
「……そんなことない。ゆきぴょんの方が可愛い!」
「真美ちゃんの方が可愛いよっ」「ゆきぴょんの方がっぜーったい、可愛い!!」「真美ちゃんの方が、可愛い、よ」
一生懸命に可愛い、と言ってくれる真美ちゃんはとても可愛くて、思わず頬が緩んでしまう。
けれど反対に真美ちゃんの表情はどんどん不満げになっていく。
「……ゆきぴょんの分からず屋」
「真美ちゃんだって」
可愛い可愛いって言い合って、何だかやり取りがおかしくなってしまって、くすくすと笑ってしまう。
真美ちゃんはやっぱり不満そうだけれど。
だけど不意に、その表情が真面目にものに変わった。
「……分かってくれないなら、また」
そして耳元に口を寄せてきて。

「イタズラ、しちゃうよ?」

――いつもよりもちょっと低くて、真剣味を帯びた声だった。
なんでなのか理由は分からないけれど、心臓が大きく跳ねて苦しくなって。
もしかして、耳元で喋られてくすぐったかったの、かな。
自分の体の変調の理由がよく分からなくて、どうしていいのか分からなくなる。
でも、私を見つめてくる真美ちゃんの瞳は、すごく一生懸命で、真剣だった。それだけは分かって。
「……ゆきぴょんは、可愛い」
頬を染めた真美ちゃんが、またその言葉を口にする。
「可愛いよ」
間近に迫った真美ちゃんの唇が、さっきと同じ形に動いて、私と真美ちゃんの距離が段々となくなっていく。
どうしていいか分からずに、思わず目を閉じて――その直後、おでこに温かいものが触れた。
それから、おでこには真美ちゃんの息がかかって。次はこめかみにも先程と同じ温もりが降ってくる。
間をおかずに更に次には右のほっぺに、何度も何度もされて。それは段々と私の唇に近づいていることに気付いた。
思わず目を開ける。と、目の前には、真美ちゃんの瞳があった。
目が合ったら、囚われてしまって、もう逸らせない。
「……真美、ちゃん」
「ゆきぴょん……」
――そして私たちは、そのまま――。


「おはようございまーす!」
「「っ!?」」
事務所内に響く元気な声。これは、春香ちゃんの声だ!
すごい勢いで離れた私たちは、お互いの顔を見て――ぼんっ!と顔を真っ赤にしてしまう。
さっきまでのがまるで夢を見ていたみたいで、でも夢というには真美ちゃんの温もりは、あまりにも現実的で。
(――キス、されたんだよね)
何か言わないと、とは思うけれど、真美ちゃんを見ていると先程までのことで頭が真っ白になって、何も浮かばない。
それは真美ちゃんも同じみたいで、顔を真っ赤にして固まっていた。
そうして何を言っていいか、お互いに口をぱくぱくさせていると。
「あれ?何してるの、二人とも」
「「――っ!?」」
ついたての向こうから、春香ちゃんが顔を出していた。
「な、なんでもない、なんでもないよっ!?」
「そ、そうそう! それより、はるるん、その手にある箱はなにっ!?」
「い、いや、ハロウィンだから簡単にだけど、ケーキ作ってきたんだけど……」
そう言って春香ちゃんが掲げた箱からは、確かに甘い匂いがしていた。
まだ皆来てないけど食べちゃおう、と春香ちゃんは屈託なく笑いかけてくれるのだけど、
さっきまでの空気が空気だったので居たたまれない。
真美ちゃんもまだ頬を染めていて何処かそわそわしているし、私も自分の頬が熱いことは自覚していたので、
お茶入れてくるね、と一言断ってその場から逃げ出してしまった。

「……はぁ」
給湯室で一人。いつものように水を入れたやかんに火をかけて、もうすっかり慣れた手つきでお茶の準備をする。
ぼんやりと準備をしている間にも考えてしまうのは、真美ちゃんのことだった。
あんな声も、視線も。初めて見たかもしれない、真美ちゃんの一面。
今まで甘えてきてくれる時に抱きついてきたり、そんなスキンシップは多々あったけれど。
あんなのは――キスなんて、初めてで。
「――っ」
触れた温もりを思い出すだけで、落ち着いてきたと思っていた頬が再び熱くなってしまう。
……なんで、こんなに慌ててるんだろう、私。真美ちゃんも言っていたじゃないか。だって、あれは。

「――イタズラ、だよね……?」

 そんな私の呟きは、やかんの水の沸騰音にかき消されてしまう程に弱々しいものにしか、ならなかった。

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