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 title: ニワトリとベーコンエッグ

━ Scene.1

 今日も、一日が始まる。
 濃紺の宵はやがて赤紫に変わり、次第に青の空へと戻ってゆく。
 街はようやく眠りから覚めたばかり。
 人が起きだすまでの束の間の静寂。
 そのすみっこでスズメたちが鳴き、新聞配達のバイクが蜂のようにあちらこちらを
せわしなく飛び回っている。
 きっと、この街は低血圧なのだろう。
 季節はもう春だというのに、朝の澄んだ空気はまだ肌寒い。
「んっ……」
 カーテンの隙間からこぼれる淡く、まぶしい朝陽。
 ボクは目をしばたかせ、ベッドの中から窓のほうへ顔を向けた。
「ふあぁっ……、もう朝か……」
 そうぼやいて目をこすりこすり。
 布団を剥ごうとして、ボクは思い直した。
 しんと静まり返った部屋の空気はまだ暖まっていない。
 布団のぬくぬくから抜け出すには、かなりの勇気と思い切りが必要だった。
「どうしよう……?」
 スリープモードから抜け出せない頭は妙に重たく感じる。
 こんな状態でいくら思案してみても、ろくな答えなんて出せるはずもない。
 目覚し時計も今のところまだ鳴っていない。
 少し考えて。
(もうちょっとだけ、寝ててもいいよね……)
 大丈夫。時間にはまだ余裕があるし。
 自分に言い訳をして、もう一度布団にもぐろうとしたときだった。

「うふふっ。朝ですよ〜、起きてくださ〜い」

 間延びした、なんとものんきそうな声がかかった。
 ベッド脇の卓上で声の主が愉快に騒いでいる。
 まん丸な形をした可愛いニワトリ。
 そのお腹にはアナログ時計を抱きかかえている。
 時計の針は、ちょうど6時を指していた。
「こけこっこ〜、朝ですよ〜、起きないと遅刻しちゃいますよ〜」
 ボクは黙ってそれを見ていた。
 なんていうか……、
「朝ですよ〜、さあ、まぶたを開けて、さわやかお目覚めですよ〜」
 つくづく思うのだけれど、
「朝ですよ〜、キラキラ朝陽〜、あなたにおはよう〜♪」
 このニワトリは本気でボクたちを起こそうとする気はあるのだろうか。
 急かすわりにはやけにのんびりしていて、声音も優しくて耳に心地良い。
 優雅なクラッシック音楽を朝から聴かされているみたいだ。
 人選ミスも甚だしい。
 彼女ほど朝の番に不向きなニワトリをボクは知らない。
「はいはい、おはようございます……」
 スイッチのトサカを軽くたたくと、
「おはようございます。今日も一日がんばってくださいね。うふふっ」
 のんきなニワトリはのんきに挨拶をしてよこした。
 そして、彼女はそれっきり口を閉ざした。
「ふあぁ…、頑張りますよ……」
 大きなあくびをすると涙が出てきた。
 目覚し時計のけたたましい電子音やベルはあまり好きじゃない。
 あんな音で起こされたんじゃどうしたって不快で、疲れてしまう。
 でも、今のニワトリもニワトリで問題だ。
 あの起こしかたで起きられる人は、そもそも目覚し時計なんかに頼らずとも自分で
ちゃんと起きられる人なんじゃないだろうか。
 その証拠に、隣を見ると……
「スー……、スー……」
 ニワトリに声を吹き込んだ当の本人が、相変わらず静かな寝息をたてていた。
 それはさながら、こんもりとした大きな山。
 アルプス山脈もかくやと思わせる、なだらかで雄大な尾根。
 布団越しにも彼女のボディーラインの美しさがわかる。
 彼女は耳のあたりまですっぽりと布団をかぶっていて、生憎こちらには顔を背けて
いるためどんな寝顔をしているのかはわからないけれど、トレードマークである長い
アホ毛は向こう側で虹のアーチを描いていた。
 時折、寝息にあわせてアホ毛が揺れるのが面白い。
「さてと……」
 静かにベッドから下りると、ボクは寝室をあとにした。
 本来なら家主である彼女にも声をかけて起こすべきなのだろうけど、彼女の家に
何度も寝泊りするうちに、それがとても無駄な行為であることを悟った。
 意外なことに、彼女は寝起きが悪い。
 彼女とこんな仲になる前までは、ボクはなんとなく朝に強い人かと思っていた。
 ところが、そうではなかった。
 声をかけたり体を軽く揺する程度ではまったく動じないのだ。
 さっきだって彼女はニワトリの声に1ミリも反応していなかった。
 あのニワトリが世界一の起こし下手であることを差し引いても、完全にスルーする
のはなかなかできることじゃない。
 ムリヤリでも起こそうとするなら、それなりに荒っぽい手段をとらないといけない。
 少なくともボクには彼女を起こすことはできなかった。
 だから、ボクにできることはといえば、自然に彼女が起きてくる時間まで朝の支度
をしてのんびり待つことだけだった。

━ Scene.2

 そんなわけで。
 洗面所で簡単な身支度を済ませると、ボクはキッチンに立った。
 二人分の朝食作り。
 彼女の家に泊まった翌朝の、ボクの日課だ。
「今日は、え〜っと、ベーコンエッグとサラダでいいかな」
 冷蔵庫を確認してメニューを決める。
 得意というほどでもないけど、ボクだってそれなりにお料理はできる。
 以前、同じ事務所の伊織にそのことを話したときには、案の定、伊織は大袈裟に
驚いて、いつまでも疑いの目でボクを見ていた。
 ここのキッチンに立つのは、これでもう何度目だろう。
 両手では数え切れないくらいにはなっていると思う。
 フライパンや包丁がどこにしまってあるのか彼女に聞かなくてもわかった。
 ボクはそれらを駆使して、野菜や卵たちをやっつけていく。
「忘れずに食べよ〜♪ 今日の朝ご飯〜♪」
 自然と口ずさむこの歌。
 これも、彼女のキッチンに立つようになってから付いてしまった癖だ。
 初めて彼女と一緒に朝食を作ったとき、「この歌を口ずさみながらご飯を作るとね、
と〜っても美味しくなるのよ」と、彼女に教えてもらった。
 彼女はあのときも楽しそうに歌いながら朝食を作っていた。
 そんな彼女の姿を見てるとなんだかボクも幸せな気持ちになって、そのあと二人で
食べたご飯がとても美味しかったのをよく覚えている。
「さあいっぱい食べようよ〜♪ 早起きできたごほうび〜♪」
 ベーコンと卵が焼ける香ばしい匂い。
 きゅうりやトマトの零れるようなみずみずしさ。
 トーストのふんわりと甘い香り。
 ボクの歌に乗って、朝食の歌たちがキッチンをステージに踊っている。
 ボクはウキウキする心を押さえられなかった。
「もう、早く起きてこないかなぁ〜」
 朝食は全部できた。
 あとは、起きてきた彼女と一緒にご飯を食べて、楽しいお話をして。
 どんなお話をしよう?
 今日営業で行く予定のケーキ屋さんの話とか?
 こうしてフリフリのエプロンをしてワクワクしながら待っていると……
「ちょっと、新婚さん……みたいだよね?」
 ボクは旦那さんにラブラブの可愛いお嫁さんで。
 彼女はそんなボクにメロメロなかっこいい旦那さんで。

 カァーッ…

「うわー! ボクってばボクってば! なんか恥ずかしすぎるよ!」
 自分で言って自分でダメ出ししつつも。
 困ったことに、ボクの顔は照れてにやけてしまう。
 そうこうしているうちに、
「今日の占い、カウントダウーン☆」
 つけっぱなしにしていたテレビはいつもの朝の占いコーナーをやっていた。
 テレビの時計を見ると、もうすぐ7時になろうとしていた。
「それにしても遅いなぁ……」
 普段ならそろそろ起きてきてもいい時間だった。
 昨夜のダンスレッスンがきつすぎたのかな。
 これ以上遅くなると仕事にも遅れてしまう。
「しょうがないなぁ、もうっ!」
 ボクはテレビを消して寝室に向かった。
 眠れる森の王子様をキスで起こしてあげるために、……なーんちゃって♪

━ Scene.3

「やっぱり……」
 ベッドの中の王子様は、予想通り幸せそうな寝顔をしていた。
 普段から温和な人だけど、こうして安らかな表情をしていると女神様のよう。
(もうちょっと見てたいな……)
 彼女のこんな無防備な顔を見られるのは世界中でボクだけなのかと思うと、つい、
そんな気持ちに駆られてしまう。
 しかし、ボクはあえて心を鬼にして窓のカーテンを開け放った。
 すがすがしい朝陽がさっと部屋を明るくする。
 王子様はというと、それから逃れるように頭の先まで布団をかぶった。
「あずささーん! 朝ですよー! 起きてくださーい!」
「…………」
 何やら布団の中でごにゃごにゃとあずささんがつぶやく。
「何て言ったんですか? 小さくて聞こえませんでした」
 ボクが聞き返すと、また小さな声でつぶやいた。
「……、ムリよぅ〜…………スー…」
 平和そうな寝息。
 この人は……。
「何がムリなんですか! いい加減起きないと遅刻しちゃいますよ!」
「うぅ、真ちゃん、ムリはムリなのよ〜。あと一時間でいいですから〜」
「長すぎますよ! 完全に遅刻しちゃうじゃないですか!」
「遅刻したっていいじゃない。だって人間ですもの」
「よくありませんよ! 今日は営業の日なんですから!」
「…………」
「あずささん!? 聞いてますか!」
「…………」
 ほんのちょっとの沈黙。
「まさか、また寝たんじゃないですよね!? あずささん!」
 布団をつかもうとすると、頭の先っぽが布団から顔を出した。
 そして、アホ毛がケータイのアンテナのようにひょっこりと立った。
「おかけになった電話は只今電源が切れているか、電波が届かない場所にいます」
 ボクは布団を剥ぎ取るのを我慢して聞き返してみることにした。
「……原因は、どっちですか?」
「電波が届いておりません〜」
「そうですか……」
 声のトーンを落としてボクは続けた。
「ボクのフェロモンが足りてませんか。フリフリのエプロンだって着てるのに」
 すると。
 目の下まで布団を下げて、あずささんはボクの格好を確認した。
 薄いピンクのフリルがたくさんついた女の子っぽいエプロン。
 この前、あずささん家に泊まったときに二人で買いに行ったエプロンだった。
 これを着たのはまだ二、三回。
 こういう可愛いエプロンを着けるのには憧れていたから、もちろんボクも嬉しい。
 けど、ボク以上にあずささんが喜んでくれて、それがなんだか憧れが叶った以上に
嬉しかった。
 あずささんはまじまじとボクのエプロン姿を見ると、というか鑑賞すると、また布団
を目上までかぶった。
 そして、アホ毛をいじって方角を修正すると、
「こちらの受信機が故障していたようです。フェロモンばりばりでした〜♪」
 と、嬉しそうな声が返ってきた。
「じゃあ、今ならちゃんと電話はつながりますよね?」
「え〜〜〜っとぉ……」
「つながるんですよね? ボクはあずささんにモーニングコールしたいんですが」
「えーっと、それがですねぇ……」
 困ったような声。
 布団の下で言い訳を考えながら、いつものように困ったような笑顔を浮かべている
のかと思うと、とてもおかしかった。
「あっ」
 何か名案が閃いたらしい。
 アホ毛がピンと立った。
「残念ですが、どうやら電池が切れてるみたいで、充電しないと電源が〜」
「それなら、どうすれば充電できるんですか?」
「そうね〜」
 あずささんは起き上がるとボクを手招きした。
「なんですか?」
「うふふっ」
 微笑を浮かべるあずささん。
「充電をする方法なのですが〜……えいっ♪」
 ボクが「あっ」と声を上げる間もなく、あずささんはボクの首と腰に腕をからめると、
ボクを抱きかかえてベッドに押し倒した。
 あまりの早業に抵抗することも忘れてしまった。
「ちょっ、あずささんっ!?」
「真ちゃん、静かに。充電中よ」
 そう言うと、ボクの額に口づけした。
 それがボクの中にある何かのスイッチに触れてしまったみたいで、ボクの口からは
言葉が出なくなってしまった。
 あずささんは両腕で包み込むようにボクを抱きしめる。
 ぎゅっと、優しく。
 あずささんの暖かなぬくもりと、言葉にはできないあずささんの心を落ち着かせる
匂いが、ボクの全身を柔らかく包んでくれる。
 目を閉じると、それをもっと感じる。
(天使の翼に包まれてるみたい……)
 無条件の安心があるとしたら、きっとこういうものなんだと思う。
 ボクはすっかり目的を忘れて、あずささんに抱かれていた。

━ Scene.4

「ベーコンエッグ」
 ふと、あずささんが口にした。
「?」
「朝ご飯、ベーコンエッグでしょう?」
「え、そうですけど、なんで……?」
「真ちゃんからそんな匂いがしたから。うふふ」
 いたずらっぽく笑う。
 耳元で笑うものだからくすぐったくて、ついボクも笑ってしまった。
「当たりです。ベーコンエッグですよ。ご飯ができたからあずささんを呼びに来たのに、
あずささんがこんなことをするから」
 頬をふくらませて批難してみせる。
 あずささんは「あらあら」と苦笑して誤魔化した。
「さ、起きてご飯食べましょうよ。早くしないと冷めちゃいますよ」
「うーん〜……」
 まだ布団に未練があるのか、あずささんは唸った。
 起き上がろうとするボクをやんわりと捕まえて逃がさないようする。
「あずささん……」
「ベーコンエッグもいいのだけれど〜」
 ボクに顔を近づけ、額と額をぴったりくっつける。
 そして、
「今は、真ちゃんを味わっていたいわ」
 ま、真顔で。
 あずささんはときどき卑怯な手を使う。
 いつもはフワフワしていて、どこかつかみどころがない人なのに、ここぞというとき
にはキリッとした表情でボクをやり込めてしまう。
 最近あったPVのお仕事でも、男装したスーツ姿のあずささんはすっごく格好よくて、
仕事中だというのにボクはドキドキしちゃって、まともにあずささんの顔が見られなく
て、一人で苦労していた。
 あずささんはずるい。
「ね。だからいいでしょう。もう少しこうしていましょう」
 ボクが反対できないことを知ってて言ってる。
 あずささんは本当にずるい。
 だから、ボクは――
「寝言は寝てからいいましょうね、あずささん」
「もふっ!?」
 ボクは手近にあった枕をあずささんの顔に押し付けた。
 あずささんの腕が緩んだすきにベッドから脱出する。
「うぅー、真ちゃーん」
 恨みがましい目でボクを見てるけど無視無視。
「のんびりしてると本当に遅刻しちゃいますよ。ボク、先に行ってますからね」
 乱れた服を直してからボクは部屋を出た。
 ドアの向こうから「真ちゃんのいじわる〜」とブーたれる声が聞こえる。
 あれだけ元気なら、もう二度寝することもないだろう。
 ボクは朝食を並べた食卓に戻り、あずささんを待つことにした。
 あずささんと一緒なら、今日のご飯もきっと美味しいはず。
 待ってますからね、あずささん。へへっ。



 余談。
 家を出るときにも、行ってきますのチューをめぐって一悶着ありました。
 遅刻ギリギリでした。



作者:百合13スレ362

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