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少し伸びた髪が汗ばんだ首筋にへばりつく気持ちの悪さで目が覚めた。


こち、こちと枕元におかれたアナログ式時計が時間を刻む。
綺麗に片づけられた寝室には女性らしい家具や小物が並べられている。
カーテンのすき間からは朝日。そして裸のボクの隣には自分以外の裸の体温。

(なんでここに居るんだっけ…。)
見覚えのある風景から何が起こったのかは分かるはずなのにいまいち記憶がはっきりとしない。
覚醒して間もないぼんやりとした意識の中、昨日何があったのかを思い出していた。


昨日、社長のおごりで事務所の皆とともに食事に行った。
小鳥さんにお酒を半ば強引に勧められ、酔わされたこの人が独りで帰れないと言うからボクがマンションへ送り、シャワーを浴びて−−−−酔った勢いでベッドになだれ込んだ。


"こういうこと"をするたびに不安が付きまとう。
ふたりともアイドルという仕事をしている以上、事務所の皆やファンにこの関係がばれたら大変なことになるだろう。

それにこの人にとってボクを恋人に選ぶのは数ある選択肢の中のひとつなのかもしれない。
『突然現れた運命の人の手をとり、こちらが申し訳なくなるくらい悲しい顔で別れを告げる。ボクはただ一人取り残される。』
−−−−−そんなドラマのようなシーンが何度も何度も頭の中で再生されている。



「ん〜…。まこと、ちゃん?」
間の抜けた隣人の声で現実に引き戻された。

「おはようございます。−−−−−−あずささん。」
「うーん、寝坊しちゃったかしら…?プロデューサーさん、きっと怒ってらっしゃるわね。」
そういいながらあずささんはボクの腰を撫でる。
「反省して無いじゃないですか!や、やめてくださいって…。そもそも、今日はオフですよ。」
「あらあら、そうだったかしら。だったら〜、今日は一日中…」
あずささんが体を起こしてボクの上に覆いかぶさろうとすると、ぎっ、とベッドが音を立てた。
「あ、あの、ちょっとボク、言わなくちゃって思ってたことがあるんです。すごく、大事なことなんですけど」
あずささんのむき出しの薄い背中に腕を回した。
彼女の長い髪がボクの肌にさらさらと触れていたころも、今の短い髪も大好きだ。
なのにきっといつか他の人の物になってしまう。
この恐怖を無くすためにこちらからさよならしなければ、という考えが頭の中を支配していた。

「もうこういうの、やめたほうがいいんじゃないかって思うんです。」

「どういう、ことかしら?どうしてなの?」
疑問と悲しみが混ざり合った、彼女の顔。
「嫌いとか、そういうことじゃないんです。だけどいろんな人に迷惑がかかってしまうんじゃないかって。
仕方がないけど、こんなのボクらにも事務所の皆にも、いいことなんて何もないって思い始めて。」

−−−迷惑がかかるだなんてもっともらしい理由をつけてるけど、ボクは捨てられるのが怖いだけだ。

「つまり真ちゃんがいいたいことって…さよなら、なの?」

「仕方がないじゃないですか…!皆の為にも、あずささんの為にもボクの為にも、おしまいにしなきゃいけないんだ。」
ボクがそう言った途端、あずささんの顔からふっと表情が抜けた。

「そうね…。皆の為ですものね。…我慢、するわ」
その言葉には何の感情もこもっていなかった。


無言のままふたりで朝食を食べてすぐにあずささんの部屋を出た。
その時の表情は分からない。見るのも怖かったから。



『真ちゃんはちょっぴり虐めたくなるの。好きな子ほど、というものなのかしら。』

あずささんの甘い声が頭の中に響く。時折あずささんの赤い目は冷たくボクを刺して、不安も後悔も麻痺させる。
それを自ら捨てたボクが痛みから逃げる術はなくなってしまった。

マンションから一歩一歩遠ざかるたびにあずささんへの恋しさが募ってゆく。
大好きだよあずささん。一時の不安にかられてさよならするなんてボクはとんでもないバカ野郎だ。
取り返しのつかないことをしてしまったという後悔で涙があふれて止まらなかった。






オフが明け、後悔で体中がずしりと重かったけどテレビ局へ行くことにした。

打ち合わせで会議室へ向かう際、あずささんと知らない女の子が向かい合って何やら話しているのが見えた。
女の子はボクに背を向ける格好になっていたので顔は分からなかったけど、どうやら他の事務所の新人アイドルのようだ。
ボクは意地汚いと思いつつも話を盗み聞きしてしまった。
戸惑いをすりつぶすような甘い声。女の子を罠に誘っている。

この声を聞けるのはボクだけだと思っていたのに。
"嫉妬"、という文字が頭に浮かんだ。

『我慢しましょう』
『"仕方がない"、って言ったのは真ちゃんよ?"仕方がない"から私は他の女の子で我慢してるの。』

うつむいた顔を上げると、あずささんと目があった。赤い目が薄く弧を描き意地悪く笑う。背中がぞくりと震えた。

『ほら、真ちゃんはそんなの我慢できないでしょう?』
『こうされるのは自分じゃなきゃいやでしょう?』

ボクの中を無神経にぐずぐずと掻き回す痛みも、あずささんからの"好き"という想いのようで嬉しかった。




女の子があずささんの前を去り、足音がこちらに向かってくる。

「聞いてたわね〜?ダメよ、盗み聞きしちゃ。」

「最初から気付いてたんですね…。会議室に行こうとしてたんですけど出ていきづらくて。」
「回り道すればいいじゃない。でも、真ちゃんに聞こえるように…わざとあんなこと話してたからいいけれど。」
あずささんは意地悪い笑みを浮かべたまま言った。
「わざとって…。あの女の子は、」「冗談よ〜。ちょっとからかってただけ。」
背を向けたボクにあずささんの気配が近づく。

「ヤキモチ妬いちゃったでしょ?真ちゃんはこういうの嫌ですものね。
…ふふっ、真ちゃんの怖いこと知ってるから虐めたくなっちゃう。」
「…どういうことですか。」

ボクも本当は気づき始めている。
不安も嫉妬も後悔もボクのあらゆる感情が、すべてこの人の罠だと。
…捨てられる恐怖すらも。


あずささんは後ろからボクを抱きしめて、彼女の為に伸ばし始めた髪を指先で弄ぶ。

「うふふ、大丈夫よ。真ちゃんを捨てちゃったりなんかしないわ。私は真ちゃんしか知らないもの。」


震える声、震える指。


「私の中の"好き"っていう気持ちがね、真ちゃん以外の人には知らんぷりしてるの。」

「こんなの初めてで、どうしたらいいかわからなくて、怖くて怖くてたまらないの。」


あずささんの棘がボクの中にずぶずぶと突き刺さって溶けていく。

「真ちゃんがいなくなったら、私−−−−−−−…」



「だからお願い、逃げないで、行かないで。さよならだなんていわないで。」



長い棘がボクとあずささんを一緒に貫いて、ボクらはひとつになれたような気がした。




重くて痛々しい、あずささんの愛に押し潰されそうなのに、ボクの心は今までにない程の穏やかさで満たされている。
声を出したら涙が零れそうな気がしたから、答えの代わりにあずささんの手を握り−−−−−−−−自分自身を罠にかけた。





おしまい

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