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※これは無題(千早×雪歩 百合18スレ672)の番外編的なお話です。


2月半ばのこと。

天海春香は、珍しく沈んでいた。
なぜかと言うと、先日受けた第一志望の大学入試の感触が、実に微妙だったからである。
今は合格発表を待つ身だが、日に日に悲観的な考えが強くなってきていた。

(努力はしたんだけどな……)

現在は入試期間のため3年生は自由登校になっている。
気分転換のつもりで今日は学校に来てみたのだが、
担任に愚痴った後はすることもなくなってしまい、トボトボと帰宅の途につこうとしていた。

受けたのは、東京のとある私大。
東京はその一校のみで、他は県内や近隣県の大学のみだ。
それらより、東京の大学の方がランクが上であり、全国的に名前が知られてもいた。
遠く離れた地での一人暮らしを心配して渋っていた両親も、もしそんないい大学に入れるならと、
受験を許してくれた。
滑り止めにしていたところは受かったので、差し当たって浪人の心配はないのだが、
春香にはどうしてもそこに行きたい理由があった。

校門を出ると正面は通りに出る長い坂道で、左手は藪をの向こうに住宅が並び、
右手には学校のグラウンドがある。
見下ろすと、そのトラックを一人で黙々と走る、陸上部のジャージ姿があった。
決して大柄ではないが均整の取れた体つきに、後頭部がギザギザのショートヘア。
走るリズムに合わせて頭のてっぺんでヒョコヒョコと、二本のアホ毛が揺れている。

(やっぱり走ってるんだ)

立ち止まって、その友人、菊地真の姿を見つめる。

真は、東京にある体育大学の推薦入試を受け、昨年のうちに合格を決めていた。
今は親戚がやっている喫茶店でアルバイトをしながら、
体がなまらないように空き時間は学校に来てトレーニングをしているという話だった。

2年次と3年次、真はインターハイの陸上400メートルで入賞するという快挙を成し遂げた。
部活にはさほど熱心ではないこの学校で、全国レベルの選手が出ることなど何年に一度のことだ。
だから校内では有名人で、加えて少年風の美形の上に素直で明るい性格も相まって、
下級生にも絶大な人気がある。
春香は3年間真と同じクラスだったが、休み時間に訪ねてくる下級生を、何回取次いだか分からない。
その度に真は面倒がりもせず、にこやかに応対していた。

(でもでも、いいとこばっかじゃないんだから。
 結構短気だし騙されやすいしバカだし、肝心なとこ抜けてるし鈍いし、
 自分で乙女とか言う割にガニ股で座ったりするし)

春香が東京に行けるかどうかで頭を悩ませている根本原因は、この真であると言っていい。

(大体、体育大ならもっと近くにもあるのに、『勉強するのイヤだから推薦で入れるとこにする』
 って一番面接早いとこにさっさと決めちゃって。考えなしにもほどがあるよ!
 人の気も知らないで……)

知らないんだからしょうがないよ、と真なら答えるかもしれない。

春香の姿に気づいた元凶は、呑気に満面の笑みで「おーい!」と手を振った。

  ※ ※ ※

「雪歩は今日行ってるんだよね」
「うん。まあ雪歩なら大丈夫だろうね」

制服に着替えて自転車を押す真と、坂道を下る。
真の幼馴染でもう一人の仲良しメンバーである萩原雪歩は、今日が本命の受験日で、
これまた泊まりがけで東京に行っている。

「雪歩真面目だもんね。はぁ、一年の時からしっかり勉強しておくんだった。
 後悔先に立たずとはこのことだよ……」
「ちょっと、まだ決まってないんでしょ?後悔するの早いよ」
「いや、でもかなりアレな感じだったもん……」
「ああ〜もう!結果出る前に悩んだってしょうがないって。気分変えよう。
 今日は時間あるんだよね?ボクのバイトしてる店でご飯食べていこうよ」

いつもの駅までの道をそれて、市街中心地から住宅街に差し掛かる辺りにある、
一件の喫茶店の前で自転車を止める。

「ここ?」
「そう」

『喫茶 秋月』と看板が出ているその店のドアを開けると、カランコロンとベルが鳴る。
中はカウンターやテーブル、床や柱に至るまでかなり年代物のしっかりした木材で作られ、
綺麗に磨きぬかれた光沢を放っている、落ち着いた空間だった。

「いらっしゃいませ……って真?今日は休みじゃなかったっけ?」
「そうだけど、ご飯食べにきたんだ」
「あらそう。真の友達?いらっしゃい。奥のテーブルどうぞ」

髪をお下げにして眼鏡をかけた、若いウェイトレスに勧められたテーブルに着く。

「ご注文は?」
「ボクはオムライス大盛りで。春香、ここのオムライスはすごくおいしいよマジで」
「そうなの?じゃあ私もオムライス、大盛りいっちゃおうかな」
「オムライス大盛り二つね」

「あの人は?」
「マスターの娘で、ボクの従姉妹の律子。大学生で、時々ここを手伝ってるんだ」
「へえー」

振り返って見ると、カウンターに座っている金髪の少女と話している。

「律子ー。ミキ、キャラメルマキアートがいいな」
「ウチにそんなややこしいものはありません」
「じゃあカフェオレでいいの」
「てゆーかあんた、試験中でしょうが。さっさと帰りなさいよ」

「ねえねえ、あの子って中学の制服だよね?中学で金髪!?」
「ああ、あの子は律子が家庭教師してる子で、妙に懐かれてるらしいよ。
 あんな見た目だけど結構頭はいいんだって。
 でもグータラでやる気出させるのが一苦労だって、前にぼやいてたな」
「ほえー。やっぱり都会はすごいわ」
「いやそりゃ、春香の島に比べたら都会だけどさ」

もう一度振り返ると、金髪の少女はカウンター越しに律子に頭をはたかれていた。

  ※ ※ ※

「オムライス、おいしかったね」
「でしょ?ボクのおすすめなんだ」

昼食を食べ終わって、店を出る。まだ午後2時を回ったくらいだ。
暇なのでぶらぶら散歩することになった。

住宅街を抜けてしばらく行くと、幅10m弱ほどの小さな川に出た。
川沿いの狭い道を並んで歩く。
ここは裏通りといった雰囲気で、昼過ぎの中途半端なこの時間帯では、他に通る人もいない。

「もう引越しの準備とかしてるの?」
「うーん、まだそんなには。たまに部屋の整理していらないもの捨てたりとかぐらいかな」

大学の寮に入ることが決まっている真は、大した準備も必要ないらしい。

(来月には、東京に行っちゃうんだよね……)

真が東京の大学に行くことは、もう確定している。
自分は、まだ分からない。もし不合格だったら、春からは離ればなれになる。
もしかすると、今日のように二人きりなることすら、もうないかもしれない。

意識しだしたのがいつ頃だったか、自分でもはっきりとは分からない。

入学式の後初めて話して気が合って、すぐに言いたいことをポンポン言える仲になった。

体育の時間や陸上の大会での真は、格好良くて正直見惚れた。
でもそれだけなら、こんな気持にはならなかっただろう。

1年のある英語の時間、宿題を忘れた春香がその日中に書写100回の刑を命じられた。
放課後、帰りの船に間に合いそうもないと絶望しながら一人書いていると、
部活の短パン姿のままの真がふらっと現れ、後は自分がやるからと言って春香を無理やり帰した。
後日、筆跡が全く違うため簡単にバレてしまったのだが、
『ボクが春香を殴り倒して無理やり書きました!』
という無茶苦茶な言い訳には、周りは笑っていたが春香は密かに胸が熱くなった。

調理実習の時には、オムレツがぐちゃぐちゃになって泣きそうになっている真を見て、
思わず教卓にあった余りの卵を失敬して作り直してあげた。
スクランブルエッグ状の失敗オムレツを、教師が見回りに来る前に慌てて二人で食べ、
喉を詰まらせながら笑い合った。

2年の秋の陸上記録会で、真がトラック半ばで肉離れを起こして倒れた時は、
もしや選手生命の危機かと気が動転して応援席を飛び出し、
かといって医務室も控え室も場所が分からずオロオロと走り回り、
ケロッとした真が通路を歩いてくるのを見つけた時には大泣きしてしまった。

優しくて、熱血な癖にどこか抜けていて、放っておけない。
3年間色々な出来事を積み重ねるうちに、いつの間にか真のことを特別に思うようになっていた。

(大体、いつも授業中に居眠りしてると起こしてあげてるのは私だし。
 エイプリルフールなんか会う人みんなに騙されてたし。
 こんなバカ東京なんか行ったら、速攻悪い人に連れてかれちゃうよ。
 ……でも離れちゃったら、別の誰かが代わりになるのかな……)

もし春香も東京に行ったとしても、一緒に住むわけでもなし、
それぞれ新しい環境で新しい出会いがあるに違いない。
それでも、やはり物理的な距離の遠さはそのまま心の遠さになるような気がした。

「春香?どうしたの?」

真が気に掛けるようにこちらを伺っていた。

「あー、うん、ちょっと考え事してた」
「結果、やっぱり気になる?」
「うん……正直、6:4くらいでダメな方が大きい気がするし、元々最高でもB判定しか出てなかったし」
「うーん、でもたぶん、受かってるよ」
「なんで?」
「根拠はないけど。直感で」
「はぁ……」
「大丈夫だって。信じないと、運も逃げちゃうよ?」
「いやー、でも。現実は厳しいからさ」

もし不合格だったら、自分の思いもそこで終わるという、嫌な確信があった。
その時が来るのが怖くて、あらかじめ駄目な方に考えようとしているのかもしれない。
そんな気がしなくもないが、楽観できる材料がないのも確かだった。

「春香」
「ん?」
「賭けを、しようか」

しばらく黙り込んでいたら、真がそんなことを言い出した。

「賭け?」
「うん。あそこに、水道管があるよね」

自転車を止めて、川の方を指差す。
正確には導水管とか送水管とか言うのであろう、直径50センチほどの水を送るパイプが、
川をまたいで通されている。
遠目には橋のようにも見えるが、本当の橋はその水道管の数メートル先にある。

「ボクがあの上を、落ちずに向こう岸まで渡れたら、春香は合格してる。いいね?」
「え?ちょっと、何それ?意味が」
「見ててよ?」

そう言い残すと、真は水道管に向かって走り出す。

「ちょっと真!」

進入防止用に水道管に付けられている柵をひらりと乗り越える。

もし落ちたら。
川の水位はそこそこあるが、無傷では済まないだろう。
まして、体が資本の体育大生になるはずの真が、致命的な怪我でもしたら。

「真!やめてってば!!」

真は構わず、両手でバランスを取りながらスタスタと進んで行く。
春香の心臓は飛び出しそうなくらい強く脈打ち、息をするのも苦しい。

順調に渡っていた真だったが、あと1、2歩というところで何かにつまづいたのか、
「うおっ!?」という声とともに大きくバランスを崩しそうになる。

「真!!」

春香が叫ぶのと同時に、真が辛うじて対岸側の柵につかまる。
体制を崩したまま無理やり柵を乗り越えたが、更に着地でも滑ったのか「うわわわっ」と声を上げて、
雑草の生える土手をズルズルと滑り落ち、あと少しで川に落ちるというところでようやく止まった。

そこでやっと春香は我に返って走り出す。
水道管を通り過ぎ、橋を一気に渡って落ちた辺りに着くのと、真が土手をよじ登って来たのがほぼ同時だった。

「へへ……。一応、セーフだよね?」

泥だらけで苦笑いしている顔が、涙で歪んで見えた。

「バカ!!」
「ちょっ、おわっ!?」

もう限界だった。
思い切り真に抱きつく。勢いで少し後退して、側にあった電柱にもたれる形になった。

「真のバカ!なんであんな、危ないこと……。大事な体なのに……」
「大事なもの賭けなきゃ、意味がないと思って」
「バカバカバカ!!大バカだよ!どんだけ心配したと思ってるの!」
「うん、ごめん」
「ほんとに、バカなんだから……」
「ごめん」

真の手が、春香の背中をポンポンと、子どもをあやすように優しく叩いた。
春香は、真の首筋に顔を押し付ける。

(散々心配かけて、こんなに、私の心めちゃくちゃにしておいて、
 何余裕かましてるのよ……)

そんな真が憎たらしく、そしてたまらなくいとおしかった。

  ※ ※ ※

とりあえず泥だらけのまま人通りのある場所に出るのは憚られたので、
近くにある小さな公園に入った。
まだ小学校も終わってない時間でもあり、大した遊具もないのもあってか、誰もいない。

制服についた汚れを大まかに手で払った後、水飲み場で手と顔を洗う。

「うー冷たい。あ、春香、鞄にタオル入ってるから取って」
「なんで先に用意しないの、バカ」

真が顔をタオルで拭いている間に、春香が髪についた泥やら草を取り除く。

「あ、目の下まだ泥ついてる……ていうかちょっと擦りむいてるよ」
「あーどうりで沁みると思った」
「手でこすらない!ちょっと待ってて。じっとしててよ?」

水飲み場で自分のハンカチを濡らしてきて、傷のある辺りをそっと拭く。

「イテッ。乙女の柔肌が」
「うるさい!……ちょっと、目つぶってて」
「なんで?」
「いいから」

顔が近いとドキドキするから、とは言えなかった。
真は素直に目を閉じる。

「ねえ春香」
「何?」
「怒ってる?」

確かに怒っている。
この無鉄砲ないたずら小僧には、お仕置きをしてやらないといけない。
そんな考えが浮かんだ。

黙ったまま顔の泥を落とし、血を拭き取る。
大体取れて手が止まっても、何も言わない。

「ねえ、もう目開けても」

次の瞬間、真の顔を両手で挟んで、唇に自分のそれを押し付けていた。
真が目を開いた時には、もう背中を向けていた。

「春香……」

無言で、制服のポケットを探り絆創膏を見つけると、後ろ手に差し出す。
真がそれを受け取り、貼っている気配がする。

「人の言うこと簡単に信じたら、こういう目に遭うんだから。
 東京行ったら気をつけなきゃ、ダメだよ」
「春香の言うことだから、信じるんだよ。それに春香も一緒に行くんだから、大丈夫だ」
「バカ……」

振り向いて抱きついて、また泣いた。
真がまた、背中をポンポンと、優しく叩く。

「何回泣かせるのよ……」
「ごめん」

賭けは、本当に実現するかもしれない。
いや、こんなにも純粋な願いが叶わなければ嘘だ。そう思えた。

  ※ ※ ※

「ああ、あそこね。通称『銀橋(ぎんばし)』って言ってね、あそこ渡るの真ちゃんの得意技なんだ」
「へ?得意技?」

卒業式の日。
真が来る前に、雪歩に件の水道管のことをさりげなく聞いてみたら、返ってきたのがこの答え。

「うん。禁止されてるんだけどね。小学校の頃からしょっちゅう渡ってたよ。
 私は怖いから一度もないけど。
 前はあの橋がなくて、川を渡るのはもっと遠回りだったから、銀橋通ると中学への近道だったんだ。
 真ちゃん、中学の時は毎日のように渡ってたよ」
「常習犯……だと……?」
「まあ年に2、3回は落ちてたけど……。
 はぅ、そういえば小学校の時、真ちゃんが『今日は二人羽織で行くから』って言い出して」
「はあ……なんてバカなの……」
「無理やり私をおんぶして渡って……。
 あまりにも怖くて、真ちゃんの背中で、お、おもら、しを……」

脱力して後半を聞いてなかったのは、雪歩の名誉のためには良かったのかもしれない。
ほどなくして、にこやかに登校してきた真は訳が分からないまま春香に頭をはたかれ、
その横ではトラウマを発動した雪歩が穴を掘っていた。

卒業式はつつがなく終り、玄関前や中庭などに集まって写真を撮ったり、
挨拶をしたりも一段落したが、真は未だに下級生に囲まれていた。
行列を作らんばかりに次から次へとやってくる後輩たちと一緒に写真に収まったり、
プレゼントをもらったり、感極まって泣き出す子を宥めたりするのを、
春香と雪歩は少し離れた場所から眺めていた。

「やっぱ真は人気者だねー」
「妬ける?」
「へ!?」

雪歩の意外な言葉に、心臓が跳ね上がる。

「ふふっ。気づいてたよ」
「い、いつから?」
「うーん、結構前かなあ。2年の時には、もう意識してたよね?」
「ば、バレバレっすか」
「そこまでじゃないと思うけど、やっぱりいつも一緒にいたから、なんとなくそうかなって」
「雪歩、侮りがたし……」

まあ恐らく、雪歩以外には気づかれていないだろう。
真本人ですら、分かってるのかどうなのか、怪しいと春香は思う。
あの日、勢いに任せてキスしてしまったが、それで付き合うとかいう話になった訳でもない。
ただ心の繋がりは、確認できた。今はそれで良しとしよう。

「東京に行っても、真ちゃんのことよろしくね」
「雪歩だって来るんじゃん」
「そうだけど、これからは春香ちゃんの役割かなって」

本命の東京の大学には、無事に合格していた。
そして雪歩も、少し遅れて東京の第一志望に受かった。
来月には、三人とも新生活をスタートすることになる。

「どうだかねー。バカだし鈍いし危なっかしいし、手に余るかも」
「楽しみにしてるよ……って、ああっ!」

真を囲む人垣から黄色い歓声が上がったので目を遣ると、
どうも暴走した一人の下級生が真の頬にキスしたらしく、
それをきっかけに、勢いづいた下級生が次々と群がってキスの嵐になっていた。

「ぐぬぬぬぬぬ!!」
「は、春香ちゃん、落ち着いて」

しばらくして騒ぎが収まり、ようやく解放された真が、
リップまみれの顔で呑気に笑いながらこちらに走ってくるのを見ながら、
もう一度お仕置きした方がいいだろうか、と春香は考えていた。

<了>

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