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「やばっ…後一分もないし!」
天海春香は左腕の時計を確認しながら、慌ただしく足を動かしていた。
景色が矢のように過ぎ去っていく。
時刻は間もなく8時30分。
さすがに2日連続の遅刻はまずい。
校庭のど真ん中を突っ走り、階段を1段飛ばしで駆け上がっていく。
後30秒…20秒…
心の中のカウントがゼロになったと同時に、2年B組の教室目がけて飛び込んだ。
「(間に合って!)」
ガラッ!
教室のドアを開け足を踏み出した瞬間

キーンコーンカーンコーン…

始業のベルが鳴った。
「やった!セー……フッ!?」
どんがらがっしゃーん!
教室にそれはそれは盛大な音が鳴り響いた。
安心して気を抜いたのが悪かった。
春香は電気コードに足を引っ掛けて転んでしまった。
クラスメートが一斉に笑い声を上げる。
春香のこんな姿は見慣れているはずだが、飽きないらしい。
「(うう…せっかく間に合ったのに恥かいちゃった…しかも先生まだ来てないしぃ…)」
羞恥と情けなさで涙が出そうになる。
そこに、すっと細い手が差し伸べられた。
「春香、大丈夫?」
顔を上げると、優しい中性的な顔立ちの友人がいた。
「あ、ありがとう、真」
彼女の名前は菊地真。
春香が思いを寄せる相手だ。
屈託のない瞳
一点の濁りもない笑顔
意図せず見惚れてしまう。


「おーいお前ら、何騒いでるんだ。さっさと席につけー」
引き戸を開ける音と同時に太い声が聞こえた。
春香の意識が急速に現実へと引き戻される。
担任教師の登場に、生徒たちは緩やかに席に戻りだす。
真はそれを見て、春香に耳打ちするように聞く。
「先生来ちゃったね。席まで行ける?怪我とかしてない?」
「ああ、ううん、平気平気」
春香は真の手を借りて立ち上がりスカートについたゴミを払った。
「ん、どうした菊地?」
「いえ、春香が転んじゃって」
「なんだまたか。天海の転び癖はどうにかしないとなあ」
担任の言葉に再び笑い声が上がる。
だいぶ前に気付いたのだが、このクラスは春香をいじるのが好きらしい。
それだけ彼女が人気者だということでもあるが。
分かっていても恥ずかしいものである。
顔を赤くしながら席に着きノートと教科書と筆記用具を取り出す。
ちらりと斜め前を見ると、真が淡々と教科書のページをめくっていた。
斜め後ろの横顔も何だか凛々しくて、春香はさっきまでとは違う意味で顔を赤く染めた。
右手にはまだ真の手の感触が残っている。
その感触をなくさないように、そっと左手で包んだ。



―――――――――――



真を好きになりだしたのはいつ頃からだろう。
初めて会ったのは入学式の時。
家から学校まで遠いこともあり、土地勘が掴めず駅の辺りで右往左往していたところに声をかけてくれたのが真だった。
『君もあの学校の一年生?じゃあ一緒に行こうよ』
ぎゅっと繋いでくれた手が心強かった。
偶然同じクラスに割り振られていて二人で喜んだ。
それからは他の友達も交えてくだらない話をしたり、放課後にショッピングに行ったりと忙しかった。
その忙しい中で
春香はいつの間にか、真に恋をしたのだ。
恋愛感情を自覚した時、春香は自分自身が信じられなかった。
どうして真を好きになるのだろうと。
しかし日に日に膨らんでいく感情は嘘ではない。
だからその気持ちに正直になろうと思った。



――――――――――――



その日の放課後。
帰る支度をしていた春香のところへ、真がやって来た。
バッグを床に置いて
「春香、一緒に帰ろうよ」
机に肘をついて顔を近づける。
琥珀色の目が間近に迫る。
「(ち、近い!真近いって!)」
内心の動揺を悟られないよう、春香は必死だ。
「うんいいよー。どっかのお店に寄る?」
「へへっ、ボクこの前凄くいいアクセサリー屋さん見つけちゃってさー。春香に選んでほしいんだ」
「えっ私のセンスでいいの?」
「だって春香のつけるアクセ、センスいいじゃん」
真の何の気なしの言葉でも、春香の胸は急速に鼓動を早くする。
心中とは反対に笑顔で真に尋ねる。
「雪歩は誘わないの?」
「今日は図書委員の会議があるんだって。だから久しぶりに二人だけだね」
「…そうなの?」
真がうん、と頷く。
二人だけ。
ああ、何ていい響きなんだろう。
不謹慎だが雪歩に感謝してしまう。
今度雪歩にアイスを奢ってあげようと春香は決心した。
「うん、じゃあ行こうよ」
バッグを持って立ち上がる。
真もバッグを肩にかけ歩き出した。
「そのアクセ屋さんってどこら辺にあるの?」
「結構近くだよ。正門を出て右の角を――」
嬉しそうに言葉を紡ぐ真。
前を行くその手をさり気なく掴んでみる。
初めて会った時のように、強く握り返してくれる。
でもその思いに込められている想いは、春香のものとは異質で。
それを分かってほしい。
でも分かってほしくない。
今好きと言ったらどうなる?
絶対にこの関係は崩れ去る。
春香の恐れていることだ。
そんなことになりたくない。
でも、でも
心でくすぶっている『好き』が痛くて
この手から伝わる温かさに縋りつきたくなる。


「(もう少しこのままでも…いい、よね…)」


春香が勇気を出すのは、もう少し後のことになりそうだ。

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