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「あ……」

ダンスレッスンが終わってシャワーも浴びて、さて帰ろうとロッカーを開けた時、通学鞄の隣にある紙袋を見つけて、ボクは一気に憂鬱になった。

「どうしよう……」

机の上に紙袋を置いて、その中身の一つを手にとって見る。
それは木綿の布。紺色の地に白と水色で朝顔が染め抜かれた浴衣の生地だ。
というか、浴衣になるはずなんだけど、ボクの手にかかった結果、今はややくたびれた布切れにしか見えない。

今学期の家庭科は被服実習で、生徒の希望多数により課題は浴衣になった。
でも、学校で共同購入する生地は安いだけあって野暮ったい柄ばかりで、しかも三種類からしか選べなかった。
ボクはその中で、一番地味だけどダサさも控えめな朝顔柄のを申し込んだ。

そして、いざ実習に取りかかったんだけど……。
先生すいません。正直和裁舐めてました。
元々ボクは細かい手作業が苦手な上に、身丈?着丈?裄?まず用語からして聞いた端から忘れるし、縫い目は不揃い、折り目はどれが本物か分からないくらいシワシワ、先生に何度も駄目出しされてやり直してるうちに布はよれよれ。
そんなこんなでボクの浴衣は、「縫いかけの雑巾です」と言っても信じてもらえそうな、無残な状態のまま提出日が明日に迫っていた。
もう、徹夜したって無理だろう。先生に怒られるだろうな。ああ。

「おつかれさま……真ちゃん、それ何?」

肩を落とすボクに、シャワーを終えて更衣室に入って来た雪歩が尋ねてきた。

「ああ、うん、家庭科の課題なんだけど」
「へえ。浴衣だよね?見せてもらっていいかな?」
「うう、浴衣になる日が来るのかなこれ……」

まあ隠すことでもないので、布切れの一つを雪歩に手渡したけど、あまりにも出来がひどすぎて見せるのはすごく恥ずかしい。
雪歩は渡された布切れをじっと見て、指先で撫でてみたりしている。

「明日提出日なんだよね。ボク裁縫下手だし、もう絶対間に合わないよ。 はあ、先生に叱られる覚悟しておかないと」

ぼやいていたら、雪歩が口を開いた。

「ね、真ちゃん」
「うん?」
「あの、あのね、もし良かったらだけど、少し手伝おうか」
「ええっ!?」

出てきたのは意外な言葉。

「そりゃ少しでも進んだらうれしいけど、雪歩、できるの?」
「多分、だけど……。教科書とか、ある?」
「ああ、先生のプリントなら」

手順は全部先生が作ったプリントに書いてあるので、紙袋から出して渡した。
雪歩はパラパラ、とプリントをめくって流し読みした後、

「できる、と思う」
「本当に!?でも時間とか、大丈夫?」
「うん、今日はレッスン早めに終わったし、もうしばらくいても大丈夫だよ」
「じゃ、じゃあお願いしますマジで。実はボク何がなんだかさっぱり分からなくて、もう先生に叱られても完成しなくていいや、と思ってたんだ」
「でも、いい柄だよ。きっと真ちゃん、似合うと思う」

雪歩はそう言って微笑んで、また布を指で撫でた。

布に折り目がついたりよれたりしてるから、少しアイロンをかけた方がいいかも、という雪歩の言葉に、ボクは慌ててアイロンを用意する。
衣装の手入れをしたりすることもあるから、更衣室にはアイロンもアイロン台もある。

軽く霧吹きをして、歪んだ布目を正すようにアイロンが滑る。
その仕草だけでやり慣れてるな、というのが分かる。

「これくらいで、いいかな」

今度はプリントと布を見比べて、パーツを確認した後、ボクの裁縫道具セットから針山を取り出し、待ち針で布を合わせていく。
そして縫い針に糸を通して、縫い始めたんだけど。

「すごい……」

ボクは思わず感嘆してしまった。
雪歩の指はなめらかに動いて、みるみるうちにきれいに揃った縫い目を作っていく。

「雪歩、すごい上手なんだね。和裁習ってたの?」
「そんな、全然だよぅ」

ちょっとだけ慌てて、でもすぐに柔らかい微笑みを浮かべて、言葉を続ける。

「お母さんは昔やってたみたいで、小さい頃お祭に着ていく浴衣とか縫ってくれたけど。 私はちゃんと習ったことなんかないし、全然だよ」

『全然』を繰り返す割には、ボクと次元が違いすぎるんですけど。

「でも、お裁縫は好きかな」
「そうなんだ」
「うん。お母さんの真似して、お人形の服とかお布団とか、よく縫ってた」

その頃ボクは父さんにサーキットに連れて行かれたり、空手道場に通ったりしてたんだよな。
やっぱり雪歩の女の子らしさは年季が違うんだ。

何かする時はオドオドしてることが多い雪歩だけど、今はなんていうか、気負いも緊張もなくて、穏やかな微笑みのまま針を進めている。
そのうち会話が途切れて、ボクは黙ったまま雪歩の白い指先をじっと見ていた。
不思議と退屈しない。それどころか、なんだかとても心地いい。
この感覚は、覚えがある。なんだろう?

ああ、思い出した。子供の頃のことだ。
幼稚園のスモックにくまさんのアップリケをつけてくれた時。
大好きなオムライスを作ってくれた時。
ボクはこんな風に母さんの手元を見ていた。
そんなに昔のことでもないのに、胸に懐かしい思いが広がる。

「雪歩って、お母さんみたいだ」

思わずそんな言葉が出た。

「ふえ!?わ、私、おばさんくさいかな?」
「いやいや、そんなんじゃないよ。きっと――」

『きっと、いいお嫁さんになるよ』
そう言おうとしたのに、何故か言葉が出なかった。

「いいお母さんになるよ」

少し変えて、誤魔化す。

いつか、雪歩も誰かのお嫁さんになるんだろうか。なるんだろうな。
こんなに可愛くて、優しくて、でも芯が強くて、裁縫も上手で。
あと数年もしたら、雪歩のお婿さんに立候補する男性は沢山現れるだろう。
その中で一番素敵な人と結婚して、可愛い子供が生まれて。
そして今この時みたいに、子供のために何かを作ってあげる日が、そう遠くないうちに来るんだろう。
それは雪歩にとって、とても幸せな日々のはずだ。
ボクは雪歩に幸せになってほしいと思う。
なのに、なぜボクは胸の奥に、石がつかえているような気持ちになるんだろう?

「お母さんかあ」

ふふ、と微かに雪歩が笑う。

「雪歩は、子供ほしい?」

なんとなく、この質問は胸の奥の石をもっと大きくしそうだけど、でも、聞かずにいられなかった。

「うーん、そうだなあ」

雪歩は針から目を離さないで答える。

「真ちゃんが子供だったら、ほしいかな」
「えっ。それってボクみたいに男っぽい女の子ってこと?」
「違うよ」

今度はボクの方を見て、にっこり笑う。

「真ちゃんみたいな子、じゃなくて、真ちゃんが子供だったらいいな、って思う。 きっと可愛くて可愛くて、うんと甘やかしちゃうかも」
「いや、でも、生まれ変わるとしてもまだ大分先だよ。ボクだって長生きしたいし」

我ながら変なことを言ってる気がする。それになんだか恥ずかしい。

「じゃあ、」

縫い目は布の端に届き、雪歩は針にするすると糸を巻きつけ、玉止めを作る。

「私も、生まれ変わるまで待とうかな」

そう言って、はさみで糸を切り、蛍光灯の明かりにかざして縫い目を確かめる。
顔を上げたために、雪歩の少し明るい色のサラサラした髪や、透き通るような白い首筋が明かりの中に浮き上がる。
きれいだな。触れてみたいな。――え?

今、何かいけないことを考えたような気がする。
ええと、雪歩はアイドルで、ボクの仕事仲間で友達で、女の子で。
なのに、なんでボクはドキドキしているんだろう?

「あ、あの」
「?」
「何か、飲み物買ってくるよ。お礼に奢るから。何がいい?」
「え?……えっと、じゃあミルクティーで。ありがとう」
「ミルクティーね。じゃあ、待ってて」

このまま雪歩と二人きりでいたらドキドキが収まりそうになかったから、ボクは無理やり口実を作って更衣室を出た。

  ※ ※ ※

真ちゃんが出ていって、私は一人で針を動かす。

こうして、黙々と手を動かすのは好き。
単調な手作業が、私はあまり苦ではない。穴掘りもそうだけど。
それに、せっせと手を動かしていると心も活発になるのか、色んなことを考えたり想像したりできる。

さっき、この浴衣の生地を見せてもらった時。
所々しわしわになってたり、何度も縫い直した跡に、苦手なお裁縫と半べそで格闘している真ちゃんを想像したら、すごく可愛くて、愛しく思えた。
こういうのって、母性本能なのかな?

ううん。それもあるけど、それだけじゃない。
ずっと前から、自覚してた。真ちゃんへの、友達以上の気持ち。

格好良くて頼もしい真ちゃんしか知らなかった頃は、憧れだけだった。
一緒にレッスンやお仕事をするようになって、真ちゃんだって弱かったり、苦手なことがあったりするんだって知って、距離が近づいたような気がした。
色んな話をするようになって、色んな真ちゃんを知って、私もちょっとだけ成長して、時には守ってあげたいとすら思うようになった頃、私の気持ちは恋に変わっていた。

でも。
この想いを伝える時は、多分来ないだろう。

真ちゃんは、日頃から女の子らしくなりたいと言っている。
それは、自分を変えたいというだけでなく、男の子の目に留まりたいという願望もあるはずだ。
それは私たちの年頃の女の子なら、普通に抱く感情。それが普通。真ちゃんもきっとそう。
さっきも、私がお母さんみたいなんて言ってたけど、真ちゃんの中では素敵な男性と結婚して子供をもうけて幸せな家庭を築くことが、当たり前のように将来像としてあるんだろう。

でも私は、自分のそんな将来を考えることができない。
真ちゃんに出会って、好きになってしまったから。
真ちゃんには、夢が全部かなって、幸せになってほしい。
だから、私の恋は永遠に封印。
真ちゃんの隣に誰かがいる近い将来を想像すると胸が痛むけど、こんな悲しみにも慣れなきゃ。
ちゃんと、祝福できるように。

今日は、珍しく私の得意なことで真ちゃんの役に立てたから、嬉しい。
それで満足。結ばれたいなんて、考えちゃ駄目。
神様、どうか真ちゃんがずっと幸せで、そして私は遠くからでいいので、ずっと見守っていられますように。

  ※ ※ ※

ガタン。ゴロン。

事務所前の自動販売機でミルクティーを二本買って、それからどうしたらいいか分からず、ボクはただその場に立っていた。

ボクの課題をやってくれてるんだから、あまり放っておくわけにはいかない。
だけど気持の整理がつかなくて、戻っても自然に振る舞える自信がない。

雪歩。雪歩。
更衣室に行けば本人がいるのに、わざわざこんな離れた場所で、ボクは雪歩の顔を、姿を思い浮かべる。
スタジオの隅で涙ぐんで落ち込んでいた雪歩。
土壇場で驚く程の頑張りを見せた雪歩。
お茶をいれている時の穏やかで落ち着いた雪歩。

今、ボクの中で何かが動き出してしまった気がする。
ボクは、どうすればいいんだろう。
ボクたちは、どうなってしまうんだろう――。

  ※ ※ ※

  ※ ※ ※

「と、こんな感じでラフを起こしてみたんだけど、どう?」
「どう?じゃありませんよ!最近妙に根掘り葉掘り聞いてくると思ったら、
 何やってるんですか小鳥さん」
「嗚呼、同じ想いなのに近づけない、もどかしい二人っていいわよね〜」
「もう。律子も何とか言ってやってよ」
「要するに家庭的な一面を見せられてコロッと惚れてしまったと」
「そこに食いつくのかよ!ていうか身も蓋もない言い方しないでよ」
「雪歩も雪歩よね。何もしないうちから身を引くつもりだったなんて、
 らしいっちゃらしいけど、私には分かんないわね」
「伊織いつのまに!?」
「でもでも、真さんの幸せを一番に考えてる雪歩さんは素敵かなーって」
「あ、ありがとう、やよいちゃん……」
「で、この後二人はどうなって今に至ったのよ?」
「それが真ちゃん、なかなか口を割ってくれないのよねえ。
 雪歩ちゃんも言ったら真ちゃんに叱られるからって話してくれないし」
「はうぅ、ごめんなさいごめんなさい……」
「いや雪歩、そこは謝らなくていいから。
 小鳥さん、頼みますから同人誌にして売ったりしないで下さいよ」
「安心して。これは社内回覧用だから。だから是非核心の取材を」
「だーめーでーす。これ以上は絶対喋りませんよ。ていうか社内回覧用って、勘弁して下さいよ。
 ……あ、もうこんな時間だ。雪歩、帰ろうか」
「うん。じゃ、じゃあ皆さん、お先に失礼します」
「はーいお疲れ」

「……なんだかんだ言って、今じゃすっかりラブラブよね、あの二人」
「実はちょっと羨ましかったりするんじゃないの?伊織」
「なっ!?どういう意味よ!」
「さあーて、どういう意味かしらね」
「全くムカつくわね……。私たちも帰りましょうか、やよい。もうすぐ新堂が迎えに来るから、送ってってあげるわ」
「あ、今日は特売があるから、スーパーの前で降ろしてもらっていいかな?」
「はいはい、分かったわ。一緒に並んだ方がいい?」
「えへへ、卵がお一人様2パックまでなんだ」
「じゃあスーパーに寄って買い物してから家まで行けばいいわね。それじゃ律子、小鳥、お先に失礼するわ」
「失礼しまーす!」
「お疲れー」

「ところで小鳥さん。あるんでしょ?社内回覧用の他に、極秘裏バージョンが(ニヤリ」
「さすが律子さん。分かります?」
「『ネタがなければ妄想すればいいじゃない』が信条の小鳥さんですからね」
「伊達に腐女子界のマリー・アントワネットと呼ばれてないわ! あることないことガッツリ捏造版もちゃんと用意していてよ。
 さすがに人目に触れるとまずいから持って来てないけど、家に見に来ます?」
「是非拝見させて頂きます」
「律子さんも好きねえ。それじゃ、ちゃっちゃと仕事片付けて帰りますか」

今日も765プロは平和でした(笑)。

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