当wikiは年齢制限のあるページです。未成年の方は閲覧をご遠慮下さい。

「ねえ千早、お願いだから機嫌直してよ」
「ちゃんと説明してくれたら直してもいいわ」
「うぐっ……」

最悪だ。ラブホテルで喧嘩なんて。

  ※ ※ ※

真と付き合うようになって一ヶ月と少し。
初めは手をつなぐのも照れくさかったけれど、キスもするようになったし、
日毎に真を好きになっていく実感があったから、もし求められたらOKするつもりだった。
最近は二人きりになると、言葉には出せなくてももっと愛し合いたいという熱のようなものが
お互いに感じられて、たぶん次のデートにはそうなるのではという予感があった。

予感は当たった。
今日は真が午後に仕事が入っているもののそれまでは二人ともオフを取ることができ、
少しでも一緒に過ごしたかった私たちは朝一番の映画を見に行った。
真が用意してくれた座席はペアシートになっていて、朝早い時間のせいか観客もまばらで、
私たちの周囲は空席。注目されることはなさそうだった。

映画が中盤に差しかかった頃、私の右手に真の左手がそっと重ねられた。
振り向くと、優しい瞳が私を見ている。
そのまま、どちらからともなく吸い寄せられるように唇を重ねる。
キスはやがて深いものなっていき、真は私の肩と腰に腕を回してきつく抱きしめると、
『千早が、欲しい』と耳元で囁いた。
私は真の服をぎゅっとつかんで、『私も』と言うのが精一杯だった。

もう映画などどうでもよくなって、私たちは途中で映画館を出てしまった。
外に出ると、真は私の手を握って『ついてきて』と言う。
どこに行くのだろう。
今からどちらかの家に行っていては、仕事に間に合わない。
その、今からしようとしていることは、一時間とか二時間はかかるものらしいし。

疑問はあるのだがムード的にあまり喋るのもためらわれて、私は黙って真について行く。
真も心なしか緊張しているように見え、無言でどんどん歩いて行く。

やがてとあるビルの中へ入って行く。
エレベーターに乗り、見る余裕がなかったので何階だか分からないフロアに降りる。
真は財布から一枚のカードを取り出すと、正面のドアの横にある装置のスリットに通す。
すると、ドアのロックが外れる音がした。
中は更にいくつかドアが並んでおり、そのうちの一つを開けて入ると、そこはどう見てもホテルの一室だった。

『ねえ、ここはどこなの?』
『ラブホテルだよ』
『そうなの?でも外には看板も何もなかったけど……。
 それに、その、ラブホテルなんかに入って大丈夫なの?私たちは顔が知られているのだし』

戸惑う私に、真は言った。

『ここは芸能人御用達のホテルなんだ。
 会員制で秘密厳守が売りだし、入口と出口は別になっていて他のお客さんに会うこともないから、安心していいよ』

そう言われて、また別の疑問が沸いてしまう。
それを聞いてはいけないのかもしれない。
でも、キスしようとした真を制して、私はつい口に出してしまった。

『どうして、こんな場所を知っているの?』
『えっ……』

真の瞳に動揺の色が浮かぶ。
いけない。そんなこと、今聞いてどうするの?
分かっているのに。

『誰かと、来たの?』
『いや、あの……』

だったらどうだと言うのだろう。
真に以前付き合っていた人がいたとしても、今は私だけをを愛してくれているのなら、何も問題はない。
私と違って優しくて人懐っこくて格好いい真はモテるし、恋人の一人や二人、
過去にいたとしても不思議ではない。
理屈ではそう分かっているのに、私は自分を抑えることができなかった。

『来たのね?』
『いや、来たというか、そうなんだけどそうじゃなくて。
 千早が想像してるようなことはないから気にしないでくれるとありがたいんだけど』
『やましいことがないなら、何故はっきり言えないの!?』

真が言葉を濁したせいで、余計に感情が高ぶってしまう。
もしかすると他の誰かと一時を過ごしたのと同じかもしれない部屋で、
私を抱こうとしていたのかという悔しさと嫉妬もある。
様々な気持ちがない交ぜになって、私はもう後に引くことができなくなってしまった。

  ※ ※ ※

という訳で今に至っている。
背中を向けているから見えないけれど、きっと真はこれ以上ないくらい困った顔をしているのだろう。
好きなのに。こんなに好きなのに。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
俯いたら涙がぽたぽたと、強く握りしめた手の上に落ちた。

しばらく無言の気まずい時間が過ぎた後、真が諦めたように言った。

「うん……ごめんね。ちゃんと話すよ。そのままでいいから、聞いてくれる?」
「……」
「確かに、ボクは以前このホテルに来たことがある」
「……」
「でも、誰かと付き合っていたわけじゃないし、ここでその、エッチなことしたわけじゃないんだ」
「え……?」

どういうことだろう?
ここはラブホテルだと真は言った。つまり、そういう目的のための場所な訳で。
純粋な疑問が沸いたせいで、少し冷静さが戻ってくる。

「あまり愉快な話じゃないかもしれないから内緒にしておきたかったんだけど……。
 実は、連れ込まれて」
「誰に!?」

驚きのあまり、思わず振り向いてしまった。
真の身にそんなことが起こっていたとは全く知らなかった。

「○○さん」
「ええええっ!?」

真が挙げた名前は、とある女性アーティストだった。
作詞作曲も自分でする上にいい曲を作るし、歌唱力もあり、しかも気さくな人柄らしく安定した人気がある。
私も何枚かCDを持っている。
しかし見た感じ音無さんと同年代くらい、つまり真とは一回りは離れているようだけど……。

「前に、○○さんのラジオにゲストで呼んでもらって。
 収録終わった後に焼き肉おごってくれるっていうからホイホイついてっちゃったんだ」
「や、焼き肉……?」
「うん。実際おごってもらったんだけど。すごく高そうな店でおいしかった。いや、それはどうでもいいな。
 とにかく食べ終わった後、『まだ時間いい?よかったらもう少し付き合って』って言われて。
 まだそんなに遅い時間じゃなかったから『いいですよ』って言ったら、車でこのホテルに入っちゃって」
「そ、それで?」
「それで、何がなんだかよく分からないうちに押し倒されて」
「抵抗しなさいよ!そこは!」
「いや、したよ。ボクは好きな子がいるからできません、って言ったよ。
 その時はもう、千早のこと好きだったから」
「そ、そう……」
「そしたら、あっさり諦めてくれて。で、
 『何、彼女いるの?片思い?じゃあその子とめでたく結ばれる日が来たらここ使いなよ。
 会員制だけど話通しといてあげるからさ。頑張れよ!』
 ってなんか励まされちゃって。結局何もせずに家まで車で送ってくれた。
 それからしばらくしたら、事務所にいる時に○○さんから電話があって、
 ここの会員証を事務所宛で送ったからって言われて。
 それで今日、初めて予約したんだ」

聞いてみれば、真に全く非はなかった。かなり驚いたけど。
なのに。
勝手に勘違いして怒って真を困らせた上に、言いたくなかった話までさせてしまって、
私はなんて面倒くさい女なんだろう。
事の真相を知って安心するのと同時に、申し訳なさと自己嫌悪が沸いてくる。

「あ、あの、真」
「うん?」
「ごめんなさい……。私、よく話聞かずに怒ってしまって」
「いや、ボクも悪かったよ。そりゃいきなりこんなとこに連れてこられたらびっくりするよね。
 前もって話しておくべきだったけど、ボクもその、テンパっちゃってたから。
 だって初めてだし、いよいよ千早と一線越えるんだって思ったら……。はは、カッコ悪いね」

照れてガシガシと頭をかいている。
私の独り相撲でムードぶち壊しにしてしまったのに、怒りもせず困ったように笑っている。
全く、お人好しなんだから。

「本当にごめんなさい」
「ボクもごめんね」

この人はどこまでも素直で真っ直ぐだから時に危なっかしいけれど、だからこそ私は好きになってしまったのだろう。

「でも、もう他の人についてっちゃ駄目よ」
「うん、もうこりごりだよ。それに、ボクは千早でいっぱいで他の人が入る隙間なんかないよ」
「もう、そんなくさい台詞言ってるとまたどこかのお姉さんに狙われるわよ」
「そんなつもりないんだけどなあ」

やっと二人とも笑顔になって見つめ合う。
それからキスをする。深く深く。

「好きよ」
「ボクも好きだよ、千早。大好きだ」

そして私たちはベッドに沈んでいった。

  ※ ※ ※

真と無事結ばれた数日後、私は歌番組の収録でテレビ局に来ていた。
事前に聞かされていた出演者の中に、あの女性アーティストがいたので、私は少し緊張していた。

リハーサルが一通り終わり、本番まで空き時間があったので一旦楽屋に戻ろうと廊下を歩いていたら、
間の悪いことに反対側から件の彼女が一人で歩いてきた。

なんとなく目が合い会釈をすると、彼女は人懐っこい笑顔で話しかけてきた。

「765の如月さんだよね?」
「はい」
「ちょっとだけ、いい?」
「はい、構いませんが……」
「おいでおいで」

なんだか妙なことになってきた。
未遂とは言え恋人をホテルに連れ込んだ相手から呼び出し、となると昼ドラ的な展開を想像してしまいそうだが、
彼女の様子はどう見てもそんな感じではない。
鼻歌交じりで私の前を歩き、彼女の楽屋に招き入れられてしまった。

「あのねー、さっきスポンサーさんからお菓子大量にもらっちゃってね。
 765さんは若い子沢山いるでしょ?よかったらもらってくれない?」

テーブルに積まれていたクッキーやチョコレートの詰め合わせと思われる箱を、
次々と大きな紙袋に詰め始める。

「あの、そんなに頂いてしまっていいのでしょうか」
「いいのいいの。年取ると甘いもの沢山はきつくってさー。
 あ、あたしはまだまだ若いけどね。まあ年々嗜好も変わるってことで」
「これはどうも、ありがとうございます。事務所のみんなで頂きます」
「いやー若いのに礼儀正しいねー。うんうん。765さんとこはみんないい子だね。
 こないだ菊地真ちゃんにあたしのラジオ出てもらったんだけど、あの子もいい子だねー可愛いし」
真の名前が出て思わずぎくっとする。
しかし彼女はそんな私を気にする風でもなく、話を続ける。

「あたしすっごく気に入っちゃってアタックしたんだけど、好きな子がいるって振られちゃったのよー残念」
「はあ。そうですか……」

この人、さばけすぎじゃないかしら。
それとも、人間経験を重ねるとこうなるものなのだろうか。

「そうそう、リハであなたの歌聴かせてもらったけど、いいねー。
 あなたはまだまだ上手くなるよ。あたしが保証する。
 もしよかったら、いつか、あたしの曲歌ってよ。あなたにぴったりの歌、書けそうな気がするんだ」
「あ、ありがとうございます。その時は、是非」

もう一度お礼を言って、彼女の楽屋を辞した。
大量のお菓子を持って自分の楽屋に戻ると、一気に緊張がゆるんで大きな溜息が出た。

いい人だった。掛け値なしに。
あれは真ならホイホイついていってしまうのも無理はないかもしれない。

真はああ言っていたけど、もしかすると彼女の方ではまだ諦めてないのでは、
という疑惑も少しあったのだけど、そういう心配はなさそうだ。
でも、今回はたまたまあんな人が相手だったから良かったようなものの、ここは芸能界。
いつまた私の大切な恋人を狙う輩が現れないとも限らない。
それに真はあの通り、ちょっと素直でお人好し過ぎるし。

とは言え私だって、そう簡単に奪われるつもりはないけれど。
やっぱり、時々は私からも積極的になった方がいいかしら。
とりあえず無性に会いたくなったから、メールしてみよう。
またあのホテルに行かない?と誘ってみたら、驚かれるだろうか。

私は愛しい人の顔を思い浮かべながら、携帯を手に取った。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

どなたでも編集できます

メンバー募集!