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今回のライブは、世界中を巡る大規模なツアーのスタートとなる。気合を入れて、飛行機の中では最終チェックを…と思っていたのだけれど。
あまり乗り慣れていない飛行機は思いの外集中出来なくて、正直なところ、暇を持て余していた。
ふと、スタートの思い出が過ぎる。正真正銘、私と伊織のスタートの思い出が。

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Bランクに上がって、大分テレビの出演も増えてきて。その一方で、BランクとAランクの壁に苦しんでいた時期だった。
テレビや雑誌の取材で、思うようにレッスンが出来ず、結果、オーディションでも敗退という嫌な流れの中。
急なスケジュール変更の影響でオフになってしまった私は、結局午前中から事務所に来てはいたものの、一人時間を持て余していた。
プロデューサーは他の娘に付いて出ていった。せっかく来たのに何もせずに帰るのはなんとなく口惜しく、かと言ってやりたいことを見つけることも出来ず。
不思議と自主トレに励む気にもなれなかった私は、冷えた両手をゆるゆると擦りあわせながら、事務所のソファーに腰掛けて、ぼーっとしていた。
ふと、視線を下に遣る。応接用のソファとセットになった、低いガラステーブルの上、乱雑に置かれた数枚の紙が目に入った。

…水瀬さんの記事だった。誰かが作った切り抜きが、机の上に放置されていた。

なんとはなしに手に取って眺めてみる。とはいっても、同じ事務所のアイドルだ、大して目新しいことは書かれていなかった。ごくごく普通のインタビュー記事。
積極的に話をする仲ではない。なんとはなしに読み耽る。

――――水瀬、伊織。水瀬さん。水瀬産業の社長を父に持つ、いわゆるお嬢様。

同じ事務所のアイドルについて、たったそれだけの情報しか持ちあわせていないことに、少々戸惑う。
どんな歌を、どんな声で、どんな風に踊っていただろうか。確実に見ているはずの、彼女のパフォーマンスが思い出せない。
ただ、一つだけ、一つだけ覚えているのは、とても可愛らしかったこと。自分にはない、女の子らしい可愛さ。彼女のステージが、ようやく途切れ途切れに浮かんできていた。
自惚れと言われるかもしれないが、自分だってBランクアイドルだ。それなりに人気はある。彼女とはいわゆる"ジャンル"が違うのだろう。
そういえば、もっと輝いていた場所があったような…。美希がからかっていた場所、彼女のチャームポイント。

――――ああ、おでこだ。

思わず笑いが溢れる。確かに見事なおでこだ。成程確かに、

「でこちゃん…」

「何よ?」

「えっ?」

「まさか美希以外に私をその名で呼ぶやつがいるとはね…。しかも千早、あんたは一番ないと思ってたんだけど。見込み違いだったかしら?」

いつの間にか見込まれていたようだ。というよりも、いつの間に現れたのだろうか。確かにこの記事を読むまでは一人だったと思ったけれど。

「あ、あぁ、ごめんなさい。水瀬さん。ただちょっとあなたのことを考えていたものだから…。
 ところで、いつ事務所に?さっきまでは私一人だったと思ったんだけれど」

「そ、そんなことどうでもいいじゃない!…ゴホン。まぁいいわ。それよりも、あんたに話があるの。
 そのためにわざわざ伊織ちゃん自らここまで来てあげたんだからね!」

「あ、ありがとう…」
あまりにも急な会話の流れに、頭がついていかない。

「何のお礼よ、全くもう。…いい、如月千早、単刀直入に言わせてもらうわ。

 ――――私と、組まない?」

きらり、輝いて。挑戦的な笑顔に思わず見とれた。

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今思い返してみれば、いかにもせっかちな伊織らしい。伊織も伊織で焦っていたのかしら。
…それにしても見事なおでこだった。どんな手入れをしているのか聞いたら怒られたっけ。磨いたりしてるのかしら…。
というか、アレは絶対隠れて待ってたわよね。随分と寒そうだったし。素直な伊織は伊織で可愛いのだけれど、普段の伊織も可愛い。
…困ったわね、伊織が2人にならないかしら。ツンな伊織とデレな伊織、とってもいいと思うわ。
なんだかこんなこと考えてるのがバレたら怒られそうね。隣で寝ているのだし。彼女は妙に勘が鋭くて、その、時々困る。
ええっと、それからしばらくして…

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水瀬さん曰く。「利害が一致する」らしい。基本的に能力が高く、目立ちたがりな彼女と、伸び悩んではいるものの、歌以外の仕事には乗り気になれない私。
最初は半信半疑だったが、組んでみて驚いた。まるで今までが間違いだったかのように。そう思うほどに私達は順調に動き出した。
そうして、あんなに厳しいと思っていたAランクの壁をあまりにもあっさりと乗り越えて。

オーディション会場を出て、興奮した身体に夜風が心地よかった。春の夜風に誘われて…何処かの歌詞にありそう。
「祝勝パーティをしましょう!せっかくAランクになったんだもの、お祝いをするべきよ!」

さっきから二人とも浮かれっぱなしだ。散々余裕だなんだと言っていたが、やはり受かると安心する。
かくいう私も、頬の緩みを抑える気にはとてもなれそうになかった。

「それもそうね。プロデューサー、明日は何か予定が入っていますか?」
仕事が入っていなければいい、なんて思ったのはきっとこの時が初めて。水瀬さんと一緒に今までの苦労をのんびりと癒したかった。

「えぇーっと、ちょっと待ってろよ…。おお、明日は二人ともオフだ。今日と明日はのんびり休んで、明後日からAランクアイドルとして、また頑張ってくれ」

「はい!」「もちろんよ!」

いきなりだったにも関わらず、パーティはとても豪勢なものになった。見たことのない料理や飲み物がたくさんあって、水瀬さんにマナーを教えてもらいながらの食事。
プロデューサー自身は、明日も朝から別の娘につかなきゃいけないとかで、早々に帰っていった。

「ねえ、水瀬さん。随分と色んなものが出てくるけれど、いきなりこんなに凄いパーティを開いて大丈夫なのかしら」

「あったりまえじゃない。結構前から準備してたのよ?」

「え?パーティをやるって、今日決めたんじゃなかったの?」

「そんなのずーっと前から決めてたわよ。だって、千早と私が組んでるのよ?たかだかAランクくらいでしくじる訳ないじゃない!」

自信満々に微笑む笑顔が焼き付いて。思わず言葉が詰まってしまって。心の底から、彼女と組めて良かったと思った。
言うなら今だ。前々から思っていたこと、彼女との距離を一気に詰めてしまいたい。
――――彼女を、名前で、呼ぶ。

「ねえ、水瀬さん。…伊織、って呼んでも、いい?」

「もちろんよ、千早!っていうかむしろ、どうして今まで水瀬さん、だったのかしら?」

「そ、それは…その…恥ずかしくて…」
つい顔が赤くなってうつむいてしまう。いつも自信満々な彼女を少し羨ましく思った。

「にひひっ。…これからもよろしくね、千早。私達はまだまだ立ち止まったりなんかしないわよ。
 アイドルの頂点に立って、全世界にこの伊織ちゃんの可愛さを知らしめてやるんだから!
 …ま、まぁ、千早も少しくらいだったら一緒にテレビに映らせてあげるけど?」

「ありがとう、伊織。なら私は、私たちの歌を全世界に届けてみせるわ」
本心からそう思う。彼女と組んだからこそ、私はここまで来ることが出来た。
いつか彼女と見る頂点からの景色はどんなだろう。今以上に輝く伊織がみたい。笑顔がみたい。彼女の隣にいたい。
きっと頂点に一人は寂しいから。私が隣に。

「ふ、ふんっ。ここまで来られたのも、この伊織ちゃんあってのことなんだからね!感謝しなさいよ!」

「ふふふ、ありがとう、伊織。本当に感謝してるわ」
確信があった。私と伊織は、いつか必ず頂点に立つ。

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結局あの日の夜は伊織の家にお泊りして。あんまりにも広かったから、ずっと伊織についててもらったのよね。
次の日がオフだったとはいえ、朝まで話し込んだりして。とっても楽しかった。

並々ならぬ覚悟で挑んだつもりだったけど、今にして思えばあんまり大したことじゃないわよね…。
というか、名前で呼ぶだけであそこまで意気込むなんて。私にも初心な頃があった、なんて。

それに、今だって頂上を目指す道のりの途中だ。いつか、伊織と歌う歌を世界中の人に歌を届けたい。
そうして、伊織の可愛さを全世界に知らしめてやろう。私の相棒はこんなに可愛いんだって。そんな彼女の隣に立てる私の幸せっぷりを、見せつけてやるんだ。

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「んぅ…。ちはや…?」

「ごめんなさい、起こしてしまったかしら?」

「大丈夫よ。ところで、何をしてたの?」

「ちょっと考え事かしら」

「変な千早。今はライブに集中しなさいよ」

「それもそうね。…ねえ、伊織。手を握ってもいいかしら」

「何、不安なの?珍しいわね、にひひっ」

「そうじゃないのだけれど…ありがとう。私も一旦寝るわ。おやすみなさい、伊織」

「そんなにしっかり握らなくても、逃げないわよ…。ふふ、おやすみなさい、千早」

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