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「千早、いい加減になさい」

怒った四条さんの前で、私は縮こまっていた。
「前々から思っていましたが、貴女は食を、ないがしろにしすぎです」

事務所でのお昼過ぎ。
楽譜のチェックに集中しているうちに、買っておいたサンドイッチが、すっかり
乾いてしまった。
無理に食べる気にもならず、ゴミ箱に捨てようとした手を、ガッシリと掴んだ彼女に今、

怒りの説教を受けている訳で……

「良いですか。人生で取れる食事の回数は、有限なのです。
一回抜かす度に、その貴重なる機会を、自ら捨て去る事と、あいなるのですよ」
真剣に私を思っての言葉だから聞いているが、正直、食事など貴重な機会とは思えない。
身体を生かす為の、只の補給作業。
私にとっては、むしろ、煩わしい事だった。
だから最低限で済ます。
簡単に取れる、パン類が多い。
それすら、抜かす事も多いが、サプリメント等で、栄養素は補っているつもりだ。
歌う為に、体を養う事は必要だが、それ以上は、必要ない。
そう、歌以外……

そんな事を考えていると、不意に手を取られた。

「千早。ならば、私も不要ですか?」
彼女が、たまにみせる不思議。
言葉にした筈の無い事を、読み取ったかのような……。
凛とした眼差しで、正面から見つめる四条さん。
表情はいつも通りの涼やかな美貌を保っていたが、その瞳には、深い哀しみが秘められていた。

「……ごめんなさい」
一言、絞り出すのがやっとだった。

何も要らない。
ただ、歌さえあればいい。
そんな思いに縛られていた私を、解きほぐしてくれた四条さん。
そんな彼女を、私は深く傷つけてしまった。
今更の謝罪など、聞く耳を持たないのか、四条さんは踵を返し、行ってしまう。
追う事も出来ない。

いつもこうだ。
私は肝心な時に、いつも竦んで動けず、大切なものを失う。
ソファーにへたり込みながら、私は只の逃避を続ける。
彼女が戻って来てくれるまで……

「どうぞ、召し上がれ」
焼けたパンの、香ばしい薫り。
促されるまま、私はそれを口にした。

「……美味しい」
思わず、口に出す。
「乾いたパンは、少し霧を吹いて焼くと、また美味しく食べられるのですよ」
優しく微笑みながら、優雅な手捌きで淹れた、紅茶を差し出す四条さん。

「美味しい……」
高貴な薫りのなか、何も入れていないのに、仄かな甘味を感じる。
心から揺るぐような、そんな感覚。

「千早、貴方にとって、歌が何よりも大切な事は、重々承知しております」
貴音はいつも通り、穏やかな口調で説いた。
「でも、その歌を支えるのは貴女の体。
健康な体を支える為にも、食は大切になさって下さい」
「四条さん……」

こんな私にむかって、四条さんは深々と頭を下げ、懇願した。

「ごめんなさい」
ただ、繰り返す事しか、私にはできなかった。

ク〜〜……
不意に、可愛らしい音が、小さく聞こえる。

「あら、失礼。
はしたない真似を」
お腹を抑え、おどける様に、四条さんは言った。

クスッ
その場違いさに、思わず笑みを洩らしてしまう。
食べるのが何より好きな彼女だが、お腹を鳴らす様な不作法を
する様な人では無い。
この場の空気を、和ませる為に。
私の憂いを、和らげる為に……。

「あら、酷いですよ、千早。
私とて人間なのですから、お腹ぐらい鳴る事もありますのよ」

「クッ、ククク……」
しれっとウソをつく彼女が愛しくて、笑いを抑える事が出来ない。
口を抑え、顔を伏せたままでも、彼女の優しい眼差しは感じ取れていたが……。

「お一つどうぞ」
彼女が作ってくれた、焼きサンドイッチの箱を差し出す。

「あら、それは千早のもの。
ちゃんと御上がりなさい」
品良く辞退するが、私も我儘を通した。

「一緒に食べた方が、美味しいと思うの」
上目遣いで、懇願した。

クスッ
「少々お待ちになって」
言い残し、席を離れる四条さん。

「ああっ、ソレ、ミキのなの!」
「コラッ!貴音。 待ちなさい」
「キャアッ!律子さん。
武器(ハリセン)はダメです」
ドタバタドタバタ……

「如月千早。逃げますよ」
何か騒々しいと思ったら、四条さんはおにぎりの包みを持って戻って来た。

「さあ、それを持って。
公園で、一緒にいただきましょう」
私の手を取るや、スルスルと走り出す。
後ろで響く騒動を残し、私たちは駆け出した。
片手にご飯。
もう片手は、しっかり繋いで……。


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