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律子さんがレッスンの途中で倒れたその後について、お話したいと思います。
律子さん自身にはその後、大した変調も見られず、一週間ほどの休みの後には
すっかり元気を取り戻していました。
律子さんが作成した引継ぎ書類の内容は大したものでして、事務所の移転に伴うスタッフの増員や
律子さんというかつての屋台骨を失った事を補うのに余りあるものでした。
プロデューサーさんは、先の一件以来、律子さんの体調をよりよく気に掛ける様になり、
二人の歩調も、整いつつありました。
律子さん自身は、要領の良いところがありますから、先日のように思いつめていなければ
自身の力の加減というものが上手に出来るのでしょう。
大きなトラブルもなく、順調にアイドルとしてのステップを重ねていきました。

これで万事が丸く収まりめでたしめでたし、となるかと思えば、そうではありませんでした。
新たな問題がここに生じてきました。
他でもない、私自身の心の問題です。

律子さんが倒れたあの日、私は常に頑なで決して弱いところを見せようとしない、
律子さんのあるがままの気持ちに触れたと、思い上がりでは有りますがそう信じています。
そしてその日から、律子さんの気持ちに触れたい、律子さんの支えになりたい、そういった
気持ちが日増しに募っていきました。

私には昔から、物思いに耽ることが多い、と言えば聞こえが良いですが、
妄想癖がありまして、例えば、
「芸能界の荒波に打ちひしがれ、ぼろぼろになった律子さんを抱きしめる慈母のような私」やら、
「傷心の妹のような律子さんを優しく諭す姉のような私」といった姿を思い描いては、
数字の合わない帳簿と格闘したり、何度目を通しても内容が頭に入ってこない
会議の書類とにらめっこする、などといった茶番を繰り広げたりもしました。

そんな律子さんと私の距離が接近する事件が、再び起こることになりました。
それは、トップアイドルの称号を勝ち得るには避けて通れないオーディションを
週末に控えた、ある日の事務所での出来事でした。

トレーニングウェアをまとめた鞄を小脇に、律子さんは事務所に顔を出しました。
そして、自主レッスンをしてきます、と告げてロッカールームへと消えました。
大事なオーディションを控えての事、何か元気付けられる事がしたいと思った私は、
レッスンがひと段落をついた頃を見計らって、差し入れついでに励ましの言葉でも掛けよう、
そう心に決めたのでした。

お日様がてっぺんを過ぎて、少し傾きかけた時分、でしょうか。
私はお盆にお菓子とペットボトルのお茶を載せて、トレーニングルームへと足を運びました。
しっかりと閉められた扉に、軽くノックを二回、そして
「律子さーん、お時間、よろしいですかー」
とのちょっと間延びした呼びかけ。
返事はありませんでしたが、私は構わずに部屋に入る事にしました。
以前のように倒れられたのではたまったものではありませんから。

律子さんは外の景色が見渡せる窓際に居ました。
外の景色を眺めるというよりは、ぼんやりと視線を泳がせている、といった感じ。
私が近づいたところでようやく、
「あれ、小鳥さん?」
と、曖昧な返事をしたのでした。

「律子さん、もしかして悩み事?私でよければ相談に乗りますよ」
「悩み事なんて、そんな」
「レッスンにも手がつかないくらいなのでしょ?もしかしたら誰かに話して、楽になれるかもしれませんよ」
「う・・・」
どうしてそんな事がわかるの、なんて表情をして。
律子さんは口ごもってしまいましたが、
汗をかいた様子も見えなければ、汗が引いた後とも見えない、というのであれば、
分からない方がおかしいといった事です。

律子さんは暫く百面相をしていましたが、表情を曇らせて、
「トップアイドルに、本当になれるのかな・・・」
そう、呟きました。

「どうしてそんな事を言うの?本当の大舞台では多少のはったりより積み重ねてきた経験がものを言うものですよ?」
「もちろん、歌やダンスは得意じゃないけれども、他のアイドルに負けないようなレッスンは
重ねてきたわ。でも、本当のトップアイドルになるには、私には足りないんじゃないかな、と
そう思ったんです」
「足りない?何がですか」
私の問いに、眉をひそめながら、律子さんは答えました。
「より多くの人に愛される要素が、です。私自身、今まで作り上げてきたイメージが間違っていたとは
思ってはいませんけど」
「律子さん・・・」
胸の内を全部吐き出すかのように、律子さんは続けます。

「誰からも愛される可愛らしさとか、女の子らしさとか、そういったものを持っていない私じゃあ、
とてもトップアイドルなんて手が届かないんじゃないか、って、そう不安になったんです」

その答えが、あまりにも律子さんらしく思えて。
くす、と
思わず私は笑いをこぼしてしまいました。

「な、何がそんなにおかしいんですかっ」
さっきの消え入りそうな雰囲気はどこへやら、顔を真っ赤にして気炎を上げる律子さんに、
「ごめんなさい、決して悪意があって笑ったのじゃないのよ」
そう、微笑みながら返しました。

「アイドルを応援する人たちも、決してただの記号を追いかけているわけではないんです。
さまざまなフィルターを通して歪んだ姿であっても、アイドルその人を応援しているんです」
律子さんが警戒しないよう、そっと、律子さんに歩み寄ります。
「それって、どういう意味ですか」
「律子さんは可愛いです、ファンの人も律子さんのそうした部分を愛しているのでしょうし、
プロデューサーさんが律子さんを選んだのも、その可愛らしさを見出したからに違いありません。
ううん、たとえプロデューサーさんが認めて下さらなくても、私が保証します。律子さんは可愛い、て」
そう言って、私は律子さんを抱きとめました。
潰れてしまいそうな律子さんが崩れてしまわないように、そうっと。


「小鳥さんは」
俯いたままで、律子さんは尋ねます。お互いの表情は伺えないですが、その声は少し震えていました。
「どうしてそこまで私に親身になってくれるのですか」
「うーんと、そうねぇ」
私は少しだけ考えて、こう答えました。
「私と律子さんは仲間同士じゃない」
「仲間・・・同士?」
「そう、同じ仲間だから、困っている時は手を差し伸べたくなるし、悩んでいるときは
その悩みを共有したい、そう思っているの」
そう、この気持ちにあえて名前をつけるとしたら、そうなるのだと思う。
私の思いはもう既に歪なものになってしまっているかも知れないけれど。

「こ、ことりさん!」
やおら律子さんは顔を上げて、そう声を張り上げました。
「どうしたの、律子さん」
「その、こ、小鳥さんが、わ、私の可愛いところを、お、教えてくれませんか?
わ、私、その、自分のことを可愛いなんて思った事、無かったから・・・!」
そう、決意を瞳に宿して私にしなだれかかる律子さんを、どうして拒む事が出来ましょう。
おそらく、きっと、律子さんの願いを聞き入れたら私と律子さんの関係は仕事仲間という枠から
逸脱したまま戻る事は出来なくなるでしょう。
しかし律子さんの紅潮しきった頬に潤んだ瞳は、それこそ同性である私にも抗いがたい引力がありました。
意を決した私は、
「・・・分かりました、暫く私に身を預けてくださいね」
そう言って律子さんの眼鏡に手を掛けました。


* * *

ここまでが、私と律子さんに起こったことで、私の語りうる全てです。
私と律子さんの関係は、なんと言うか、女同士の友情、という言葉で片付けるには
あまりにも生々しいものとなってしまいました。
ただ、それを間違っている事だと一概に決めてしまうのは、
Aランクアイドルとしてメディアを席巻する律子さんの姿を見るにつけ、
果たしてそうなのか、と疑問に思ってしまうのです。


(了)

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