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ああ、手袋をつけてくればよかった。家を出た時は、やけに暖かかったから少し油断してたみたい。
早く暖房の効いた部屋に入りたい、そう考えて、事務所まで少し走る事にした。
ちょっと恥ずかしいけどちょっとの距離だし、あったまるかもしれないし。
「あれ、雪歩?」
駆け出そうとした時、不意に後ろから声をかけられた。
「真、ちゃん……」
暖かそうなコートを羽織って、白い息を吐く真ちゃんが立っていた。その手にはコンビニの袋がぶら下がっている。
「ふい〜っ、寒いね! 今から行くとこ?」
「うん。真ちゃんは買い物?」
「まあね。それがさっ、聞いてよ雪歩〜! ひどいんだよ美希のヤツが! 美希っていうか、皆ひどいんだよ、ホント!」
何があったの、と訊くと、真ちゃんは悔しそうに灰色の空を見上げて、いきさつを話しだした。

『真くん、ミキね、おなか空いたの。なのにここにはおにぎりがないの』
『…そう。まあそういうこともあるよね。……それで?』
『それでね、真くんにひとっパシりおにぎり買ってきてもらいたいの』
『まさか2コ下にパシリ要求されるとは予想外だったよ……。イヤに決まってるだろ、寒いのに!』
『それじゃ私は2コうえだから、肉まん買ってきてちょうだい』
『私はからあげくんを頼むわ。チーズでお願い』
『律っ…! 千早まで! っていうかなんで僕なのさ!』
『ついでで悪いんだが、電球買ってきてくれ。トイレの切れてんだ』
『なっ、プ、プロ……! いや、こういう時こそ男の人がですね――』
『真…ホラ、俺って沖縄出身だから寒いの苦手なんだ』
『盛岡生まれの南部男児じゃなかったんですか!?』
『ハーフなんだよ。それより真、何かの本で読んだんだがな。女は男より脂肪が多いから、寒さに強くて老化しにくいんだ!
 つまり真! 今こそお前の女力(めぢから)を見せる時だ!!』

「とまあそんなわけで、プロデューサーに言葉たくみに誘導されたんだよ」
…たくみ? ……真ちゃんって、ノせられやすいのかな。
「でも…女が寒さに強いっても、よく考えたらあそこに女の子は僕以外にもいたんだよね……」
それとも、流されやすいのかな。
「わたし達だって、冬は寒いのにね」
女の方が強いのかもしれないけど、寒いものは寒い。
でも、二人で歩くと、ちょっとだけあったかい。
風に吹かれてこわばった顔が、真ちゃんの笑顔でとかされるみたい。
「けどさ、雪歩と二人だと、なんかさっきよりあったかい気がするよ」

ドキッとした。思わず顔を伏せたのは、真ちゃんに見られたくなかったから。…赤くなってないかな。
私だって、同じこと考えてたけど――
「どしたの、雪歩?」
でも、言っちゃうかな、そんなセリフ。
「なんでもないよ。目に、ゴミが入った気がしたから…」
真ちゃんは、ズルい。時々、そんな風に考えてしまう。
勝手に思い込んではしゃいでるのは、私なのに。
溜め息をついてしまう。視界が息で、白くにごる。

「どれどれ? ちょっと見せてみて?」
白い息から、ひょいと真ちゃんの顔が滑り込んできた。
「ひゃあっ!?」
突然のことに私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ごっごめん雪歩! おどかすつもりはなかったんだけど……」
「ううん、別に私は大丈夫だから…」
心臓がどきどき高鳴っている。驚いたせいだけじゃない。
顔と顔が、触れてしまいそうなくらい近かったから。
濡れたまつげが見えるほど。肌のキメまで見えるほど。
そして、気付いた。
「ゴミは、もう取れたみたいだから」
顔を上げて、今度は私が真ちゃんの顔を見つめる。
化粧を、している。
凛々しかった印象の顔が、近くで見るとどこか儚く感じられる。
長くカールしたまつげ、大人しめに引かれたルージュ。気付かなかった。
真ちゃんは、こんなにキレイだったんだ。
「ど、どしたの? 僕の顔、なんかおかしい?」
「そんなこと、全然ないよ! ただ…ボーっとしてただけ」
見惚れてたなんて、言えなかった。
「そのコート、なんかいい感じだね。あったかそうだし。新しく買ったの?」
顔のことから、話を逸らした。だいじょうぶ、心臓はだいぶ落ち着いた。
「あ、コレ? さっき出る時、美希が貸してくれたんだ。外は寒いからって」
「そう、なんだ…。そういう明るい色のも似合ってるね」
「ホント? …でも、こういうの高いんだろうなー。僕のより全然暖かいもん、コレ」
「頑張ったら、安くても掘り出し物が結構あるよ。それはちょっと高いやつだけど」
顔を合わさないですむ、自然な会話。服だけを見て、極力相手の顔は見ない。
見るとまた、止まってしまいそう。気持ちに気付かれてしまいそう。

――好き。


そう気付いたのは、いつだったろう。私は、真ちゃんに恋をしていた。
初めてだった。声を聞くだけで、顔を見るだけで、ドキドキした。
二人で遊びに行った日。楽しみで不安で、朝まで眠れなかった。
なに着て行こうかな。ダサくないかな。遠足前の小学生みたいだった。
そうやって一人ではしゃいでいる自分に気付いたのは、いつだったろう。

私が少し売れ出してきてから、そんな風に二人で遊ぶことも最近はなくなっていた。
そうして、私の知らない間に、真ちゃんはこんなに――
「ねえ、雪歩」
真ちゃんは突然立ち止まると、どこか不安そうに私の名前を呼んだ。
「な…なに?」
不安げな表情が、その顔をより儚く感じさせていた。
「多分、気付いたと思うんだけど…変じゃなかった?」
「……お化粧のこと?」
「うん……や、やっぱり違和感あったかな?」
「ううん、そんなことないよ。とってもキレイ」
私がそう言うと、途端に真ちゃんの顔がぱあっと輝いた。
「ほんと!? よかった〜! 雪歩にそう言ってもらえると安心するよ!」
真ちゃんは時々、ネコがはにかんだみたいなかわいらしい顔をする。
思わずなでたくなるような、だきしめたくなるような顔をする。
「でも、気付かなかったな…」
真ちゃんは、自分をかわいらしくとか、女の子らしくとか、そういう風に見せるのが下手だった。
そう見てほしい姿はあるのに、それが上手く伝えられない。
ふとのぞかせる女らしさは、『王子様』のイメージの陰に隠れてしまっていた。
そんな風に思っていた。だから気付けなかったのかな。

「実はさ、最近美希にメイク習ってるんだ」
再び歩きだしながら、真ちゃんは話しはじめた。
「こないだ服買いに行った時さ、なんていうか、流れで」
私も、真ちゃんと並んで歩きだす。
「せっかくだから服だけじゃなくてお化粧も、なんて美希が言うからさ。僕もまあ、興味あったっていうか、やりたかったし」
「……」
「仕事とかでメイクさんにやってもらうことはあるけど、自分じゃなかなか下手だし」
「………」
「最初は地味めな感じでやっていこうって、美希がさ。いきなり派手だと調整しづらいからって」
「…結構、本格的にやってるんだね」
「そうなんだよ。化粧水一つとっても色々あるんだなって思ったよ。前に使ってたやつは、なんか肌に合わなかったみたいで」
横断歩道の手前で、信号が赤に変わる。歩きだしたと思ったら、また私たちは立ち止まる。
この横断歩道を渡った後の道を曲がれば、もう事務所が見えてくる。
「あ、そうだ。実はクリスマスにさ、テレビの仕事決まったんだ! なんか病気で枠が空いたとかで。
まあ僕は深夜番組なんだけどさ。それでも、これはチャンスだってプロデューサーも言ってたよ。…いずれは、僕だってゴールデンに……」
「出れるよ、きっと」
お世辞でなく、本当にそう思った。でもそしたらきっと、二人とももっと忙しくなるんだろうな。

急に風が強くなった。
「ふう〜っ! 寒いなぁそれにしても!」
「本当だね。きのうはだいぶ暖かかったのに、今日は曇りだから余計に冷えるんだね。空気も乾いてるし」
「そういや、乾燥はお肌の大敵って言うけど、どうなんだろアレ? じめじめ湿気があるほうが肌に悪そうな気がするけど」
「何事も程度じゃないかな」

「ああ、美希に手袋も借りてくればよかった。しまったなぁ…油断してた」
そう言いながら真ちゃんは両の手に息を吐きかけた。ビニール袋がガサガサと音を立てる。
それを見て私も手に息を吐きかけた。
「あれ? 雪歩も手袋忘れたの?」
「そうなの。いつもはこんな事無いんだけど……」
手にひんやりとした感触が走る。真ちゃんの手が、私の手を包み込んでいた。
「お〜っ、雪歩の手は暖かいな〜。雪歩湯たんぽだ、ははっ。いや、ゆきぽかな?」
手袋を忘れるのも、たまには悪くないな。そう思いながら私は真ちゃんの手を眺めた。
顔だけじゃなくて、爪もしっかり手入れしてるんだな。熱くなる頭で、そんなことを考えた。

信号の色が変わり、また歩き始める。となりどうし、手はつないだまま。
「ね、雪歩、もうすぐだから、事務所まで走っちゃおうか?」
「…恥ずかしいし、歩いてこ?」
「ん、そう? まあすぐだもんね」
角を曲がり、事務所の影が目に入ってきた。
「…結構、目標にしてるんだ、雪歩のこと」
「どうしたの? 急に…」
唐突な言葉だったと思う。
「雪歩って、すごく女の子らしいなあって。ずっとそう思ってたからさ」
けど、真ちゃんの言いたい事がわかった気がして、私は黙って聞いていた。
「僕のイメージって、男の子っぽいっていうか、売りが『王子様』でしょ? ファンだって、ほとんどが女の子だし。
 ファンがいるだけで、贅沢な悩みだとは思うんだけどさ。雪歩みたいになりたいなって、そう思ってた」
私もね、真ちゃんにあこがれてたんだよ。その言葉は、口から出てこなかった。
「だからさ、さっき雪歩にキレイだって言ってもらえたとき、本当うれしかったんだ。…認めてもらえた気がして」
言葉が出なかった。
「……ちょっとクサいこと言っちゃったかな。まあ、でも、これで女の子に言い寄られる事も少しはなくなるかな」
わたしの無言が気になったのか、真ちゃんは少しおどけて笑ってみせた。
「…でも、今度はナンパに困っちゃうかもしれないよ?」
私も軽口で応える。けど、その方がいいんだろうな。ずっと、そんな風に見られたかったんだもんね。
そうなりたくて、ずっと頑張ってたんだもんね。
「望むところだよ!」
そう言ってガッツポーズをとる。こういう元気な姿に、私は惹かれていたのかもしれない。
「あ、春香だ。何持ってんのかな…。あ、わかった。ケーキでも焼いてきたのかな」
真ちゃんの指さした先に、大きめの袋を持った春香ちゃんが事務所の階段を昇っていく姿が見えた。
「私たちも、行こうか。ケーキがなくなっちゃう前に」
手をほどいて、少し歩調を上げる。
「今年は、ホワイトクリスマスになるかな?」
言いながら先に階段を昇り始めた真ちゃんの背中を見ながら、私は少し立ち止まった。

冷たい風が吹きぬけた。
埋めてしまおう。この想いは、雪が降る前に埋めてしまおう。
友達でいられれば、傷付けずにいられるから。
いつか思い出を掘り返すのかな。それとも、リスみたいに忘れちゃうかな。そのほうがいいかも。

冷たい風が吹いた。
手袋のない指がかじかんで、思わず手をこすり合わせる。
唇から「ゴメンね」とこぼれ出る。何に謝ったのかは、自分でもよくわからなかった。
「雪歩、どしたの?」
上から真ちゃんの声がする。
「何でもないよ、今行く」
階段を昇る前に、ふと空を見上げた。鉛色だった空には、青い亀裂が幾つも見えていた。
今夜は星が良く見えそうだな。そんな風なことを考えた。
私は、一回だけ深呼吸をして、階段を昇りだした。

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