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(前編より続く)


「そもそもこんな映像を残させるなんて、この私にあり得るはずがないのだけれど、この時は、本当に判断能力が無くなってたのよね」
 スクリーンの中での痴態とは裏腹に、伊織は淡々と言葉を続ける。映像の中では縄化粧――と言うんだそうだ。後で知った――された少女が床に這いつくばって男の足を舐めている。
 まるで、とてつもなく美味しいものを頬張っているかのような幸せそうな顔で。
「それもしかたないかもしれないわね。この時の私は薬を使われてたから」
 画面の中で丹念に足の指をなめしゃぶる伊織。
 画面の外で苦々しげに話し続ける伊織。
「薬物から来る興奮や快感を、恋愛感情によるものだと錯覚させられてたのよ。本当に愛し愛されている相手との行為はまるで違うのにね。まあ、あくまでそうやって誘導するのが目的だったから、薬物中毒にならなくて済んだんだけどね。私は」
 男の命令に従って、少女は体の向きを変え、カメラにお尻を向けた。ぷりんとしたお尻は、縄で縛り上げられて、妙に肉の盛り上がりを強調されている。
 高々と掲げられた股間を隠すものは何一つない。そう、生えているはずの毛も、全てそり落とされていた。
 赤々と濡れる女性器が、露わになる。
『伊織のいやらしいお……お、お、おまんこに、お情け下さいませ……』
 いつの間にか舌の拘束具は外されていたらしい。可愛らしい伊織の声が、切なげに、そう呟く。甘やかな、いやらしい声……。
 ぷつり、と映像が途切れる。
 光がなくなって、部屋は一層暗く思えた。伊織――これは現実の――ほうを見れば、なにやら動いているから、機器を操作して打ち切ったのだろう。
「い、伊織……」
 かすれた声が私の口から漏れた。あまりのことに、喉がひりついて苦しい。
「混乱してるだろうけど、いまわかってほしいことは一つ。あの男は律子と婚約しながら、私を玩具にしてた。わかる?」
 そう……そうだ。映像の中の男性が死んで、ええと、そう、十ヶ月くらい。亡くなる一年前にはもう律子さんと婚約していたはずだから、さっきの映像の中の伊織の様子から見て、彼は婚約中の身のはずだ。
 そもそも恋人であろうと、この業界にいる人間が、仕事上のパートーナーであるアイドルのこんな映像を残して良いはずがない。芸能界の外の人なら趣味で終わる話かもしれないけど、私たちにとってはそうじゃない。絶対的なルール違反だ。
 でも、そんなことより、私は伊織のことが心配だった。彼女の言葉通りだったとしても、こんな映像を私に見せる覚悟はどれほどのものだったろうか。
 しかし、暗がりに光る伊織の瞳を見て、私は言葉を呑み込んだ。『大丈夫なの?』なんて問いかけたら張り倒されかねないくらいの気迫がそこにあったから。
 だから、私は違う言葉を選んだのだ。
「その、あの、でも、どうして、これを私に……?」
 伊織はそこで私から視線を逸らした。
「これは……なんていうか、前置きよ。あいつがクズだってわかてもらえばそれでいいの。それに……私も、その、あいつに良いようにされちゃってたんだってこと……」
 いまひとつ、伊織の言いたいことがわからない。ショッキングなものを見せられて頭が回らないというのもあるけれど、伊織にしてはなんというか、歯切れ悪いというのもあると思う。
「次が本題」
 私の戸惑いをよそに、伊織は手元の機械を操作したようだった。そして、スクリーンに映し出されたのは……。
「わた……し?」
 私だ。天海春香が、そこに映っている。
「寝起きどっきり……じゃないよね?」
 スクリーンの中の私は、顔だけがアップにされている状態だけど、目を瞑り、すーすーと規則正しく寝息をたてているところからすると、完全に寝入っているようにしか見えない。
 寝顔を撮られる機会なんて、寝起きどっきりか、亜美たちの悪戯くらいのものだ。でも、これはそのどちらでもないように見えた。
 私の顔にズームしていたカメラが徐々に引いていく。首筋、肩口、そして、胸元が見えようとした時、私は思わず叫んでいた。
「ちょ、ちょっと! これどういうこと!?」
 映像が停止する。私が振り返ると、伊織がぎゅっと唇を噛みしめる様子が、スクリーンからの照り返しでぼんやりと見えた。
「もし、これ以上見るのが辛いなら……」
「いや、辛いとかそういうんじゃなくて、なんなの? これ、なんなの?」
 私は興奮のあまり立ち上がって、画面を指さす。その、本来、服やブラで隠されているべき胸をさらけだした私の姿を。
「だから、それは……」
 震える声で――それをもたらしているのは怒りだろうか、あるは嘆きだろうか――伊織がそう言いかけた時、音を立てて会議室のドアが開く。
「伊織! もう春香来てるの……って、あんた……」
 駆け込んできた律子さんが部屋の中を見て絶句する。動揺しすぎて、ぶんぶん手を振って、画面を隠そうとする私。でも、そんな必要はなかったのだ。
 律子さんの後から入ってきた貴音さんが、こう告げたのだから。
「伊織。わたくしたちが戻って来てから始めると決めていたではありませんか」
 どうやら、私の知らないことがたくさんあるようだった。

       †

 ひとしきり伊織と律子さんが舌戦を繰り広げた後、ようやく放心状態から戻って来られた私が二人をなだめ、仕切り直しということになった。
 貴音さんが淹れてくれたお茶を飲みながら、私が作ってきたクッキーをつまんで、話は始まる。
「結論から先に言うと」
 律子さんが手元の何枚かのディスクを持ち上げながら、普段の冷静な口調で話し始める。でも、私には……そして、ここにいるみんなにはわかっているだろう。あれは、無理をして冷静なふりをしている時の律子さんだ。
「この中には、春香、あなたを、眠らせて……性的な悪戯をしている映像が収められているわ」
 おっぱいまでとはいえ、裸の私が映されているシーンを見たことで、半ば覚悟していたとは言え、実際に言われてみると、きつい。
 本当にきつい。
「冗談……じゃなさそうですね」
 律子さん、貴音さん、伊織。仲間の中でも冗談や悪戯とは縁遠い三人だ。ましてや、こんなひどいことを冗談にする人たちじゃない。
「知らない間に……レイプされちゃってたんだ、私」
 口にするとなお一層その事実が重くのしかかる。体の末端が痺れてくるような感覚すらあった。
「実際に処女を奪われているわけではありませんが……。わたくしのようには」
「え?」
 貴音さんの言葉に顔を上げると、彼女は、疲れたような笑みを浮かべていた。
「わたくしの場合、処女を散らすその場面が記録されておりました」
「……そんな……」
 静かな口調。でも、そこに感情が込められていないわけじゃない。部屋に張り詰める空気に、私は頭がくらくらした。
 それからの話は衝撃の連続で、正直、正確に覚えられなかった。きっと、これから幾度も確認することになるだろう。
 ともかく、大意はこうだ。
 律子さんたちのプロデューサーさんは、とんでもない人だった。
 プロデュースをする傍ら、アイドルたちにひどいことをしては、それを撮影していたのだ。
 765時代は主に睡眠薬を用いてのレイプやそれに類すること。
 律子さんが独立して社長におさまってからは、いろんな薬物を使って、相手を騙したり、一種の洗脳を行ったりして、奴隷のように扱っていた……らしい。
 彼は他のプロデューサーがついているアイドルでも担当プロデューサーが忙しい時には率先して面倒をみていた――実例が私だ――から、同期のアイドルのほとんどが毒牙にかけられた可能性がある。
 現状でわかっているだけでも、真がアイドル活動を休止しているのも、美希が芸能界から去ってしまったのも、彼が原因なのだという。
「伊織、美希は私のせいで……」
「律子。いまはそれは言いっこなしでしょ。結局の所、それをひきおこしたのはあいつなんだから」
「それは……」
 律子さんと伊織は、私にはわからないことで言い争い始める。まだ説明されていないこともたくさんあるのだろう。ぼんやりとしたいまの私の頭では、うかつに踏み込んでいいものかどうかすら判断がつかない。
 そもそも、美希は千早ちゃんと彼女たちのプロデューサーさんの三人で、いわゆる三角関係になった結果として961プロに移籍したり、最終的にアイドルを引退したりしたとばかり思っていたのだけれど……。
「春香」
「は、はい?」
 貴音さんが、ゆったりとした調子で私を呼ぶ。少々反応が遅いのは許してもらいたいところだ。
「腑に落ちぬ事、合点のいかぬ事、様々にありましょう。本来は全てを順序立てて語る事が出来れば一番なのですが……。しかし、理解してもらいたいのですが、これらのことについて語るのは、わたくしたちにとってみても、やはり、心をえぐられるようなことなのです」
 はっとした。
 そう。婚約までしていながら裏切られた律子さんも、麻薬なんか使われてひどいことをさせられていた伊織も、私と同じように……レイプされた貴音さんも、辛くないわけがないのだ。系統だってわかりやすくなんて説明できるはずがない。
「みんな……みんな被害者なんですね」
 一言一言が苦しい。きっと、聞いている律子さんたちだって……。
「いまのところ、無事だと確信できているのは、やよい、雪歩、千早、あずさってところね。なにしろ事が漏れないように調べないといけないから、まだわからないことも多くて。逆に、こうして……その、証拠が残ってるのはわかりやすいんだけど」
「そう……そっか……」
 伊織の言葉に、ほんの少し、そう、ほんのちょびっとだけ心が軽くなった気がした。765の同期全員が……なんてことになっていたら、救いがなさ過ぎる。
 でも、だからといって……。
「お茶を淹れなおしましょう」
 部屋に沈黙が落ちてしばらくして、貴音さんがそう言って立ち上がった。伊織がオレンジジュースを頼み、私は出来る限り濃く入れて欲しいとお願いした。
「あの、ところで、涼ちゃんは?」
 それは、私にとっては、いつ事務所に戻ってくるかとか、どこの現場に行っているかということの確認のつもりだった。だって、こんな話を涼ちゃんに聞かせられるわけがないと思ったから。
 けれど、律子さんはそれを違う風に受け止めたようだった。
「ああ、うん……。涼もこのことについては知ってるわ。っていうのもね……」
「え、えええええっ!?」
 続く言葉を遮って消し飛ばすほどの勢いで、私の喉から驚きの声があがった。もう今日ほど驚きの連続することはないのではなかろうか。
 もうこれ以上なにが起きても、私は無感動に対処できてしまうのではないかという妙な自信さえ生じてきた。
「ちょ、ちょっと春香落ち着いて……って無理か」
「だ、だって、なんで涼ちゃんまで? だって……だって……!」
 慌てて説明しようとする律子さんのことなんか構わず、私の声は悲鳴に近いくらい甲高く、大きくなっていく。
 いい加減鈍化していた感情が、その衝撃に動き始めたみたいだった。どんどんと心拍数が上がり、逆に顔からは血の気が引くのがわかる。
 涼ちゃんに知られている。
 私が、穢れていることを。
 私が、穢されたことを。
 それまで一滴も流れなかった涙が、私の頬を次々と流れ落ちた。

       †

 わんわんと泣く私を、三人はなだめたり慰めたりしなかった。
 ただ、律子さんと貴音さんは私を両側から包み込むように抱きしめてくれて、伊織はぎゅっと私の両手を握ってくれていた。
 泣きながら、わけのわからないことをわめく私を、三人はただ受け止めてくれていたのだ。
 ひどいことを言った気もする。溢れる感情を処理しきれなくてただ叫んだりもした気がする。
 それでも三人とも、私を見ていてくれた。落ち着くまで、ずっと。
「涼が知っているのは致し方なきこと」
 私の泣き声が、すすり泣きのようなものになってきた頃、貴音さんがぽつりと漏らした。
「わたくしと涼の二人が皆の“でぃすく”を見つけたのですから」
 伊織と真はお互いのことを早い時期から知っていたようだが、二人だけのことでは収まらないとわかったのは、貴音さんが自分の陵辱場面が収められたディスクを見つけたのがきっかけだったという。一人悩む貴音さんの力になってくれたのが涼ちゃんで、そして、二人で――私のものを含む――他の人たちの映像まで見つけてしまったらしい。
「もちろん、涼は全ての中身を見ているわけではありません。しかし、わたくしのものを見ている以上……」
 想像はしてしまう。理解してしまう。そして、それは事実とかけ離れてはいないだろう。
 涼ちゃんだって、知りたくはなかっただろう。親族や仲間たちがひどい目にあってたなんて。
 でも、涼ちゃんに知られてるとは……。
 うー……。
「大丈夫ですよ、春香。涼はわたくしたちのような立場の者に追い打ちをかけるような真似は決してしません。望むなら何もかも忘れて対してくれましょうし、あるいは共に立ち向かうために力になってくれます」
 いや、そのあたりは心配していないんですけどね。涼ちゃんが辛く当たってきたりするとか考えられないし。
 ただ、純粋に恥ずかしいというか、なんというか……。
「実際に、わたくしは涼に救ってもらったようなものです。涼はわたくしを守ると誓い、そして、わたくしを恋人の一人にしてくれました。あの方は、友を見捨てるような人物ではありません」
「い、いまなんて?」
 誇らしげに語る貴音さん。でも、私は言葉を挟まずにはいられない。
「ですから、友を……」
「いや、その前でしょ。『恋人』ってとこ。ねえ、春香?」
「ああ! そのことですか」
 私の言いたいことを代弁してくれた伊織にこくこくと頷く。貴音さんは爽やかな顔で私に微笑みかけた。
「はい。わたくしは涼の恋人たちのうちの一人ですよ」
 貴音さん、涼ちゃんとつきあってたんだ……。
 って、え?
 え?
「恋人、たち? 一人?」
「はい」
 さも当然のように頷かないで、貴音さん。
 私は律子さんと伊織に助けを求めて視線を向けてみるものの、二人とも口を開いてくれない。なんで、顔を真っ赤にして困ったような顔をしているのかな?
 なんで……かな?
 その疑問の答えは、貴音さんがあっさりくれた。
「ここにいる三人全員が、涼の恋人ですから」
「は?……はいぃ?」
 驚きというものに、限度などない。
 私はこの日、そのことを思い知らされた。

       †

「結局、涼ちゃんには会わずじまいで帰って来ちゃったな」
 自室のベッドに寝転がり、見慣れた天井を見つめながら、私は呟く。
 あの後も少し話をしていたものの、どうにも頭がパンクしそうで、ひとまず切り上げて帰ってきたのだ。いくらメイクしなおしたとはいえ、一度ぐしゃぐしゃになった顔で涼ちゃんに会うわけにもいかなかったし。
 一人になって頭の中を整理したかったというのももちろんある。
 ただ、整理しようにも……。
「ちょっと色々ありすぎだよねー」
 知らぬ間にレイプされていたらしいこと。
 それを行った人物はもう死んでしまっていること。
 被害者は私だけじゃないこと。
 そして、大事な仲間たちがそれに巻きこまれているということ。
 さらには涼ちゃんのハーレム状態。
「あ゛ー」
 わざと変な声を出してみる。一応は鍛えた腹式呼吸で。
「え゛ー」
 息が続かなくなるまで声を絞り出した後で、私はごろんと寝返りをうって、脇に置いておいた携帯電話を手に取り、もう指が覚え込んでいる番号をコールした。
「あ、プロデューサーさん。春香です」
「ん? どうした? オフなんだから、こっちを気にせず休んでろよ」
「はい、それなんですけど。お休み伸ばせませんか?」
「珍しいな。どうした?」
「いえ。今日休んでみたら案外疲れてたっていうか……」
「そりゃいかんな。そもそも、お前、滅多に休みとらないからなあ……。よし、わかった」
 プロデューサーさんはレッスンの時間やインタビューの予定をずらして、一日半の予定だったお休みを四日に延ばしてくれた。とってもありがたい。
 来月、映画の撮影に入るまでは、少し余裕のあるスケジュールだって知っていたからこそ頼めた話ではあるけれど。
「じゃあ、体調崩さないように気をつけてな。それと、最低限体は動かして、声も出しておいてくれ」
「はい。わかってます」
 優しく注意してくれるプロデューサーさんに改めてお礼を言って電話を切る。
「少しは、時間が出来た……か」
 さすがに、いきなり明日の夕方には頭を切り換えてお仕事に……なんてのは無理がある。あと半日があと三日に延びたことが、どれほど意味があるかはわからないが、少なくともお仕事をちゃんとやれるだけの気力は戻って来てくれるだろう。
 たぶん、だけど。
 ちら、と視線を部屋の隅にやる。そこには、今日持っていったバッグが置かれている。あの映像の入ったディスクがつっこまれたバッグが。
 どんな風に使っても構わない、と律子さんは言っていた。公にするなら、自分たちも協力するし、消去するなら、安全にデータを消す方法を教えるということだった。
 ただ、さすがに世間に公表しようなんて考えられない。裁判をやろうにも相手が死人ではどうしようもないし、私……いや、私たちのほうがダメージを受ける。
 消去は……したい。いや、それよりも勝手に無くなってくれないかと思う。
 今日、眠りについたら、その間に、消えていてはくれないだろうか。いや、これが全部夢になっていてくれないだろうか。
 淡い期待と共に目を瞑り……そして、もう一度開いたら、朝だった。
 どうやら、よほど精神的にきつかったらしい。自分でも気づかぬうちに眠りに逃避していたようだ。
 のそのそと起き出して、バッグを確かめてみるものの、もちろん、ディスクはそのままで、夢と消えてくれはしなかった。
「はー……」
 ひとまず休みの日にしておくべきこと――主に家事――を終え、私はため息のようなよくわからない声を出す。
 リビングで座り込んだ私の手元には、五枚のディスク。
「……見るしかないよね」
 そう呟くまで、随分時間がかったような気がする。
 見ないでおけばきっと一生もやもやしたままだろう。見れば辛くなるだろうけれど、苦しむなら、お仕事に影響のない休みの内に済ませておかなければならない。
 そう結論づけるまでの時間。
 私はぐっと唇を噛みしめながら、1とナンバリングされたディスクをDVDプレーヤーに投入するのだった。

       †

「ん……。んぅ……ふぁ……」
 静かな部屋に『天海春香』の声が響く。
 ずっと見ていてわかったのは、意識がなくても、快楽を感じればそれなりに声が出ると言うこと。その声量はどうにも小さいものだが、たしかにそれは歓喜を示している。
 奇妙な器具でお尻の中をいじくられる度、画面の中の私は気持ちよさそうな声を漏らしている。
 お尻の『中』……そう、中だ。
 画面の中の私は大きな椅子のようなものに座らされ……ううん、拘束されているのだけれど、突き出されたお尻にはさらなる器具が装着されている。
 お尻の穴に四つも金属の器具がひっかけられ、それが太腿とお尻にかかる革のベルトで固定されているのだ。
 おかげで、私のお尻の穴はぱっくりと広がって、その内部を垣間見せている。私自身、見たこともないくらいに。
 画面の中のもう一人の人物が、その中に奇妙な器具を押し込んでは、眠る私を喘がせている。
「あんなものどこで手に入れるんだろうね」
 一応はお尻をいじるために――主に安全を重視して――知識を仕入れた私でも見たことも聞いたこともないような器具の数々。針みたいに細かったり、耳かき状だったり、ぐねぐね曲がったりするそれらは、私のお尻の中を自由自在に動いていじくり回し、ひっかき、押しつぶし、刺激し続けている。
 金属の鈍い光沢を放つもの、シリコンゴムのぬめるような色合いのもの、あるいは竹か何かでできているようなもの。材質も、おそらくは感触も様々なそれらの器具は、どんな悦楽を導き出しているのだろう。
 画面の中の女性――それが私だと、どうにも信じたくない――は彼の動きに応じて甘い声を上げている。
 吐きたくなるほど甘ったるい、本能だけで発する嬌声を。
 彼女がそうして反応する度に、彼は微笑む。実に満足げな、意地の悪い笑み。その表情が、私には邪悪なものにしか見えない。
 男は私――ああ、認めちゃった――の女性器には興味がなかったのか、その部分に布を張り付けて隠していた。
 ただし、長い間後ろをいじくられている間に、その部分が発する液があふれてしまったのだろう。濡れた布はぴったりと張り付いてその形を露わにしていた。
 男のすることには嫌悪しか抱けなかったけれど、わずかに開き、内側から汁を垂らす姿をまざまざと見せつけているその場所だけは、私に羞恥を呼び起こした。
 隠すはずのものがかえってその輪郭と動きを強調することになったためか、あるいは、撮影者の意図とは別だからこそか。
 どうしようもないほどいやらしいと、私は思ってしまっていた。
 ジー、ジジー……ぼすん。
 どこかで携帯電話が振動する音が聞こえる。でも、体を動かす気にはならない。私はしつこく鳴るその音を無視して、画面を見つめ続けた。
 そういえば、これを見始めて、どれくらい経ったっけ?
 一枚に二、三時間で、いま、四枚目。
 それにしても、よくやったものだ。
 映像の様子から見て、ディスクごとに日が違うようだ。となると、五回、私は好きなようにされたことになる。
 私たちのプロデューサーさんがあずささんの引退、婚約、挙式、ハネムーンと忙しくて手が回らなかった二ヶ月間。彼が担当してくれたのはたったそれだけの間だったのに。
 仕事が押して実家に帰れなくなった日は幾日かあったけれど、眠らせて、機材を用意して、私を連れ出して……となればそれなりに大変だったはず。それらの手間を考えると、本当に大したものだ。
 犯罪の手際がいいのに感心してもしかたないけれど。
 それにしても、と私は改めて、画面を見る。
 彼は、本当に私のお尻の穴を開発することだけに執着しているようだった。彼自身のもので犯されている様子はない。
 性器に触れている様子はどこにもない。
 ただひたすらに、後ろの穴をいじくられ続けている。
 吐き気がする。
 体を許すつもりがなかった相手に良いようにされていることはもちろんだが、それ以上に、自分が悩み苦しみつつ、それでも溺れていた密やかな行為が……それに対する衝動が、この男に植え付けられたものであったというその事実に。
 変態行為に耽ってしまうことで自己嫌悪に陥ったり、男の人を避けたりしていた自分が莫迦みたいだ。
「ほんと……莫迦みたい」
 気づけば四枚目のディスクが終わっていた。カーテンの隙間から漏れ入る光からして、しばらくうとうとしてしまっていたようだった。あるいは、なにも映らない画面を見ながら放心していたのだろうか。
 いずれにしてももう朝だ。
 私はだるい体で、最後のディスクをセットする。どこかで携帯がまたぶぶぶぶ鳴っていたけれど、取りに行く気にはなれなかった。

       †

『家の電話に失礼します。秋月涼です。携帯に何度かかけたんですけど……』
 滅多に鳴らない固定電話からそんな涼ちゃんの声が聞こえてきたのは、五枚目のディスクも見終えて、しばらくしてのことだった。
 その『しばらく』がどれくらいかは正直よくわからないのだけれど。
『もしよければ電話を……』
 留守電に切り替わってメッセージを録音している電話機の前まで行こうとして、力が入らなかった。結局、立ち上がれず、這いずってたどり着いた。
「いつでも電話くれれば……って、もしもし……? 春香さん?」
 受話器を取りあげて通話に切り替わったのがわかったのだろう。涼ちゃんの声に驚きの色が混じる。
「……ん」
 喉がからからで、声がろくに出ない。
「電話いただいたんで折り返したんですけど、電源が切れているみたいで」
 涼ちゃんに電話したのは私。
 その返事を無視し続けたのも私。
 でも、駄目だ。声を聞いちゃうと。
「涼ちゃん」
「はい」
「助けて」
 涼ちゃんの反応は実に素早かった。一つ息を呑んだ後、彼はこう言ってくれたのだ。
「いますぐ行きます。一時間……いえ、四十五分で」
「うん」
 大きな安堵の息と一緒に受話器を落とす。
 力の入らない体を引きずって、私は動き出した。彼が来てくれるのならば、やっておかなければいけないことが、いくつかあるのだ。

       †

「やっほー! 涼ちゃん!」
 陽気な声で迎えられて、涼ちゃんは目を白黒させていた。
 んふふ、驚いてる、驚いてる。
「春香さん……お酒飲みましたね」
 部屋に入りながら、涼ちゃんは眉を顰める。さすがアイドル、気づいてもドアが閉まるまでは口に出さないのだね。うんうん。
「んー? ジュースだと思ったら、あずささんがこないだ置いていったお酒だったみたい。あはは、どじだねー」
 涼ちゃんは困ったような顔をする。そりゃあ察するよね。わざと酔っ払ってるって。
 それにしても、お酒ってすごい。未成年の身で、しかもアイドルという職業上、私には――お菓子作りでちょっと使う以外には――縁遠いものだったけど、いざ覚悟を決めて飲んでみれば、面白いように思考が鈍る。体もふわふわして、歩くのも頼りない。
 これを気持ちいいとはとても思えないけれど、色々な事から逃げたい人がお酒に頼る理由はわかった。
 ……ま、そんな気がしてるだけかもしれないけどね。
「ポカリ買ってきておいてよかったですよ。で、春香さん、これは……?」
 荷物を置いた涼ちゃんは、目の前……リビングのドア前に置かれたゴミ袋を指さした。
「あ、訊いちゃう? それ訊いちゃう?」
「そりゃ、まあ」
 そりゃそうだよね。出入り口にどーんと置いてあったら訊かざるを得ないよね。
「どうしよっかなー。教えてあげよっかなー」
 うわあ、うざい、我ながら。
「出来れば」
 ちゃんとつきあってくれるあたり、涼ちゃんは優しい。これが千早ちゃんだったら、しゃんとしなさい、春香って叱られてるところだよ。千早ちゃんは千早ちゃんで優しいけどね。いまは、それを求めてないだけで。
「んー、教えてあげてもいいんだけど。その前に」
 ぐにゃぐにゃする体で、涼ちゃんの周りをうろうろする私。時折涼ちゃんが手を差し伸べてくるのは、きっと危なっかしく見えるからだろう。
 でも、そうそうすぐには捕まってあげないよ、涼ちゃん。
「涼ちゃんはなんで来たの?」
 助けてって頼っておいて、この言いぐさ。酔っ払いはいいね、なんでも許されて。
 でも、『私がそう言ったから』来てくれたんじゃ、意味がない。
 そう、なんの意味もないのだ。
「春香さんの力になりたいからです」
 涼ちゃんは私の目を見てまっすぐに言う。
「なれるの?」
「なります」
 ずるいよなあ。
 私の求めてる答えをずばり出してくる上に、出来るかどうかじゃなくてやるかどうかで応じてくるあたり。
「無理だよ」
「春香さん」
「だって……律子さんも、伊織も貴音さんもいるんでしょ。私まで抱え込んで……そんなの無理だよ」
「無理を通してこそ男ってものです」
 うん。たまに涼ちゃんの理想の男性像っておかしくなるよね。前から思ってたけど。
「それに、いまここにいるのは春香さんで、いま、僕は春香さんしか見えません」
 勢いよく私の腕を掴む涼ちゃん。両腕で抑えられて、私は動くことができなくなっちゃった。優しく正面に固定されているだけだからいいのだけど。
「それは……ちょっと狡くないかな」
「たしかに。でも、僕たちはアイドルで、まともに時間をとってデートしたりなんてつきあい方は出来ません。それを求め始めたら、夢子ちゃんみたいにパンクするのがオチです」
 ああ、涼ちゃんっていつの間にか夢子ちゃんと別れてたと思ったら、そんな理由だったの。
「だから、一緒に過ごせる時間を全力で、というのが僕の考えなんです」
「恋人四人でも全力で?」
「はい」
 うわ、断言しちゃったよ、この人。
 しかも、私も私で四人とか自分を勘定に入れちゃってるし。
「例のことがあったから春香さんも、なんて考えてはいませんよ」
 あ、先回りされちゃった。それで責めてやろうかと思ってたのに。
「もちろん、あの男が遺していったものについては皆……そう、皆で力になるつもりです。実際に、僕たちはお互いに支え合ってきました。今回春香さんのために、伊織さんも律子姉ちゃんも、すぐに駆けつけられるよう、体を空けてあったんですよ」
 ああ、そうなのか。流石だなあ。
「でも、春香さんは僕に連絡をくれました。僕を頼ってくれました。だから、僕はそれに答えたい」
 柔らかいのに力強い声。優しいのにとても強い意志を秘めた瞳。涼ちゃんはとっても矛盾だらけで、とっても魅力的だ。
 そう、私は涼ちゃんにだけ電話した。
 慰め合うなら貴音さんにもたれかかればよかった。これからのことやこれまでのことを相談するなら伊織や律子さんにすべきだった。
 でも、私は涼ちゃんの声を聞きたかった。涼ちゃんに会いたかった。
 その一方で、涼ちゃんの声を聞くのが怖かった。涼ちゃんに会ってしまうのが怖かった。
 彼の声を聞けば――そう、実際にそうしたように――助けを求めてしまうのがわかっていたから。
 彼に会えば、その胸に飛び込みたくなる衝動に抗えそうになかったから。
 切実に救いを求めていながら、私は踏み出すのが怖かったのだ。
「……してくれる?」
「え?」
「大事に、してくれる? 私のこと、大事にしてくれますか?」
 私の小さな声での問いかけに、涼ちゃんの顔が明るくなる。彼は決意と自信をみなぎらせて、こう言い切った。
「はい! もちろん!」
 胸の中でわき上がる歓喜の声を抑えつけて、私は念を押す。
「律子さんと同じくらい?」
「律子姉ちゃん? 僕は別に……」
「律子さんと同じくらい……だよね?」
「は、はい」
 涼ちゃんにしてみれば、みんな大事にしていると主張したいところだろう。だけど、わからないはずがない。涼ちゃんにとって、律子さんは特別なはずだ。
 とはいえ、いまはこれ以上追求しないでおこう。
 それよりも……。
 私はわずかに体の重心をずらした。それで意図を察したのだろう。涼ちゃんの腕に力がこもった。自分のほうにひきつけるように。
 そう、彼の胸に私の体が収まるように。
「涼ちゃん……」
 ああ、人の腕の中にいるって……なんだか物凄い。
 温かくて、安心できて、ぽかぽかする。
 涼ちゃんの胸にぴったりと頬をくっつける。彼の腕が私の背中に回る。二人の体温が混じり合う。
「あのね、涼ちゃん」
「はい」
 体を離さずに、彼は聞いてくれる。
「私がなにをされたか、どんなことで悩んで伊織に相談したか、知ってるよね?」
「おおよそは……ですけど」
 細かい所までは知って欲しくない。きっと伊織なら適度に説明してくれているはずだ。だけど、言わなきゃいけないこともある。
「私ね、自分のこと、変だと思ってた。普通はしないことをして喜んでたから。なんでそんなことをしてしまうのかと自分を責めたりもしてた。でもね、違ったんだ。違ったんだよ」
 涼ちゃんは言葉の代わりにぎゅっと私を抱きしめてくれた。
「だから、もうそれは忘れる。忘れられなくても、捨てる。そう決めたんだ。そのゴミ袋の中身は、そういうことするための道具。もういらないから捨てるの」
 そこで私は涼ちゃんの顔を見上げる。そこに浮かんでいる表情を予想していなかったわけではなかった。でも、これほどのものとは。
 同情? 憐憫? 慈愛? ううん、どれでもない。
 涼ちゃんの燃え上がる瞳に浮かんでいたのは、とてつもない怒りだった。私を傷つけた男への憎しみすら感じさせる憤怒。
「……涼ちゃん、私ね、あいつにされたことを私の体が覚えているのが嫌。知らない間に刻み込まれたものが残っているのが嫌」
 私は胸からこみ上げるものが涙に変わる前に、なんとか言葉にして押し出した。
「ねえ、涼ちゃん。涼ちゃんがそれを塗りつぶして」

       †

「えっと、なんか、すごく……恥ずかしいね」
 バスタオルをきつく巻いて膚をなんとか隠した体をベッドに横たえて、私は照れ笑いを浮かべる。
 シャワーを浴びたのは失敗だったみたい。お酒が抜けて、酔いなんてどこか行っちゃった。
「緊張しすぎてもしかたありませんよ」
 同じように腰にバスタオルを巻いてベッドに腰掛けている涼ちゃんが優しく微笑みながら、そう言う。でも、その彼が半裸で目の前にいる時点で、色々とやばい。
 心臓は痛いくらい激しく鼓動しているし、体は小刻みに震えている。
 恐怖、ではないのだけれど。
「ゆっくり楽しみましょう」
 そんなことを言ってくる涼ちゃん。私は思わず毛布の中に退避した。
「ゆ、ゆっくりって言っても、私はお休みだけど、涼ちゃんは明日もあるんじゃないかな!?」
 口から出る言葉の全部が上ずってる。ああ、もう。
 ともかく、もう夜中になってしまっている。普段床に入る時間ほど遅くはないけれど、これから、その……したとして、明日までオフの私はともかく、涼ちゃんは時間がそれほどないんじゃないだろうか。
「ああ、明日の予定は無くしてきました」
「へ?」
 間の抜けた声を出す私に、涼ちゃんは説明してくれる。
「午後から次のアルバムの打ち合わせだったんですけどね。ずらしてもらいました。身内相手でしたし」
「身内?」
「絵理ちゃんですよ」
 ああ、876のほうの身内ってことか。たしかに765、秋月、876のメンバー相手なら、他よりはずっと柔軟に対応してくれるだろう。絵理ちゃんは最近作曲もよくやっているからそのあたりかな。
「だから、時間はたっぷりあります」
「あ、あはは……。お、お手柔らかに……」
「ええ。だからこそ時間をかけるんですよ」
 乾いた笑いを漏らす私を安心させるように温かい笑みを見せ、涼ちゃんはそう言った。
 あああ、そんな顔されると、余計どきどきするよっ!
 そもそも、涼ちゃんは卑怯だ。女装してアイドルやってたくらいだから、柔らかい顔つきをしている上に、男性アイドルとして活動している間に、どんどん男性としての力強さを兼ね備えるようになっている。
 プロデューサーさんも、『普通、あの年頃だと少年っぽさが抜けて中性的な魅力が減じちゃうから、色々と方向転換しなきゃいけないものだけど……秋月くんは男性的な部分がシャープさに転じて、魅力を保ち続けてるのがすごい。あれは、下手すると二十代で妖艶さを身につけるんじゃないか』とか言って、本気で女性アイドルのライバルとして分析してたくらいだ。
 つまりは、プロが認めるくらい、かっこよくてかわいいわけで……。
「それに、春香さんの心と体に僕のこと覚え込ませないといけませんし」
 そんな人に、こんな風に求められたら、体中が燃え上がるように感じてしまうのは仕方のないことなのだ。
 ぎしっとベッドが鳴る。涼ちゃんが身を寄せてきたから。
 何度でも言うけれど、涼ちゃんは、綺麗で、かっこよくて、かわいい。
 でも、いま目の前に近づいてくるのは、紛れもなく男性の顔。私を求めてくれている顔。
「春香さん」
 そう、吐息のように名を呼ばれた途端、全てどうでもよくなる。恥ずかしいとかなんだとか、言ってられないくらい、心が躍り出していた。
「涼ちゃん」
 自分の耳を疑う。なんて甘えた声だろう。
 アイドルは媚びた声を出すなんて言われることもあるけれど、そんなものとはまるで違う。本気で相手を誘う声だ。
 こんな声が出せるのかと自分を疑うくらい甘ったるい。
 もちろん、応じておいて、つっぱねるわけもない。私は彼の顔がどんどん近くなって、私の顔と重なる直前で目を閉じた。
 自分で作った闇のなか、唇に触れる感触がある。熱い、とても熱い涼ちゃんの唇。
 キスしてる。
 キスしてる、キスしてる、涼ちゃんとキスしてる。
 そのことだけで頭の中が一杯になる。キスしてる事実よりも、涼ちゃんのことで、意識が占領される。
 ファーストキスはなんの味とか言うけど、味なんてまるでわからないよ。ただただ、涼ちゃんの存在だけが感じられる。
 涼ちゃんの唇がなんとなく動くのがわかる。なにか言ってるのかと思ったら、違った。唇より柔らかなものが、私の唇を舐める。
 あ、これって、私が唇を開かないといけないのかな、と思って動かそうとする前に、ゆっくりと私の唇全体を舐められた。
 上唇も下唇も丹念に舐められた後で、半開きのまま固まっている私の口の中に、それは侵入してくる。
 うわわ、なんだろう、この感触。柔らかくて、熱くて、気持ちいい。
 ぬるぬるしてる、なんて言うと普段なら避けたい感触のはずだけど、涼ちゃんの舌が動くのは、避けるどころかもっと感じたいと思ってしまう。
 涼ちゃんの舌が動く度、体の熱が高まる。それに連れて、それ以外の感覚がなにか一枚膜を隔てたようになっていく気がした。
 意識していない内に、目を開いていたらしい。唇の裏側から、歯茎のほうまで涼ちゃんの舌が私の口内を蹂躙していく間、私はずっと涼ちゃんと見つめ合っていた。
 涼ちゃんの瞳には私の瞳に反射している涼ちゃんの目が映っていて、私の目にはさらにその涼ちゃんの目が映っているのだろう。どこまでも続くその連なりに自分が吸い込まれていくような気がした。
 体の熱が集まって、頭がぼうっとしはじめる。そんな、いつも一人でするときにはもっとずっと後になって始まる状態のはずの頭で、ふと気づく。
 あれ、これって私も舌を伸ばすべきなんじゃないかな?
 あと、涼ちゃんの背中に手を回したりとかもすべき?
 でも、どんなタイミングで?
 焦る私に対して、涼ちゃんはさすがに余裕があった。私の背中とベッドの間に手を入れて、さらに密着度が増すように力を入れてくれる。それに合わせて、腕を伸ばし、彼に掴まるようにする私。
 次いで、ちょんちょんと彼の舌先が、奥の方に縮こまっていた私の舌をつつく。導かれるように、私は舌を伸ばし、彼に全て任せた。
 巻き付いてくる舌。私は懸命にそれに応じようとする。
 柔らかいもの同士が絡まるこの感覚を、どう表現すればいいのだろう。舌の表面同士がこすりあわされ、お互いの唾液が混じり合い、たしかに繋がっていると確信するこの感覚を、どう示せばいいのだろう。
 体中からわき上がるこの幸福を、涼ちゃんにどう伝えればいいのだろう。
 きっと彼はわかっている。
 私が、涼ちゃんの喜悦を、彼の熱から、彼の舌の動きから、彼の荒い息から感じ取っているように、彼は私の膚の紅潮から、たどたどしく応じる舌の動きから、彼の唾液を自分からすすっている様子から、察してくれていると思う。
 それでも伝えたいのだ。
 彼の腕の中で口づけを交わしていることへの感謝と喜びを。
 だから、私は、彼にされて気持ちのいいことをなんとかそのままに返そうとする。
 彼がしてくれるように頬や腕に掌を押し当て、愛撫のまねごとをしてみる。吸われ、絡め取られ、いいようにいじくられる舌の動きを真似して、涼ちゃんの舌や唇にもお返しをしてみる。すでにはだけた毛布をさらにどけて、彼の太腿に私の足をこすりつけてみる。
 そうやって触れあうことでも、私はどんどん気持ちよくなって、ふわふわ浮かび上がるような心地になってしまう。涼ちゃんを気持ちよくしてあげたいのに。この幸せを分かち合いたいのに。
「春香さん」
 涼ちゃんは、二人の唾液まみれになった舌を、ちゅぽんと音を鳴らして離し、唇の端を私の唇につけたまま声を出していた。少し聞き取りづらいけど、近くで囁かれているからちゃんと意味はわかる。
 ううむ、こんなことできるんだね。
「焦ることないんですよ?」
 お見通しですか、そりゃそうですよね。
「でも……」
 私もなるべく触れあっている場所が離れないよう注意して言葉を発する。少しでも離れると寂しいのだ。でも、同じようにしてくれているってことは、やっぱり彼もそう思ってくれているのだろうな。
「お互いのやり方や、どう受け止めるのかを知り合うのも、こういうことの醍醐味だと思います。だから急ぐ必要はないんです。それに」
 涼ちゃんの瞳が悪戯っぽくきらめく。ああ、この人は、秋月の人なのだなあ、とよくわかる。だって、律子さんが悪だくみを思いついたときとそっくりだから。
「僕、すごく、興奮してますから」
 正直に言おう。
 私も、その言葉で、余計に興奮した。

       †

 バスタオルをしゅるりとほどく。
 膚を晒すことにもはや抵抗はなかったけれど、唯一心配だったのは、私の体に涼ちゃんが落胆しないかということだ。
 そんな失礼な人ではないと理性ではわかっているのだけれど、こればかりはしかたない。
 涼ちゃんの視線が、私の体の上をゆっくりと動いていくのがわかる。アイドルという仕事の性質上、見られている気配には敏感なのだ。
 タオルをほどいた指に向かっていた視線が、おっぱいを舐めるように見つめる。ゆっくりと、乳房を見た後で、お腹のほうへ。おへそのあたりでしばらくさまよった後、腰のくびれを味わうように見入られた。
 うう、落差という意味では、他の子たちほど自信ないんだけどなあ。
 そして、股間のあの場所に向かうかと思われた視線はその前に足首に落ちて、だんだんと太腿へと上がっていく。
 ああ、顔を覆いたい。でも、いまはそれをしちゃいけない気がする。
「春香さんっ……」
 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。
 もじもじさせている脚を無理矢理に割って秘密の部分を覗き込むような強引な真似を涼ちゃんはしなかったけれど、少なくとも熱意をもってそこが眺められたのは間違いない。それだけのものを私は感じ取っていた。
「な、なに?」
「とても綺麗で、なにより……魅力的です」
 私の顔を見て、彼はそう断言する。安堵とも狂喜ともつかぬ感情が私を満たす。
「あ、ありがとう……」
 語尾が曖昧に消えたのは、許してもらいたいところだった。大好きな人にそんなことを言われて、冷静でいられるはずがないし、そうありたくもない。
「じゃあ、僕も外しますね」
 うん、そりゃそうだ。私だけ裸ん坊じゃ不公平だしね。それにしても、涼ちゃん、膚綺麗だよなあ……って、ちょっと待って、ちょっと待って!
 一応は私ももうすぐ十九歳。成人まで一年とすこしという今時の女の子だ。だから、一般的な知識として、男性のものの形状くらいは知っている。いや、そのつもりだったのだけど。
「あの……涼ちゃん?」
「はい?」
「そ、それ、大きすぎない……かな?」
 私は彼の股間で立ち上がるものを指さしてみせる。声を震わせずに居られた自分を褒めてあげたい。
「平均よりは大きいみたいですけど……」
 いやいやいやいや!
 いくら私がそれをまじまじと見るのが初めてだからって、平均より大きい程度じゃないことくらいはわかる。もしかして、外人さんの平均を持ち出してないよね、涼ちゃん。
「で、デビュー当時は大変だったろうね」
「……それは言わないでください」
 あ、なんだかちょっとお辞儀したよ? よほど嫌な思い出なんだね、涼ちゃん。悪いことしちゃった。
「そ、その、大丈夫……?」
「心配いりません。そのために時間をかけて春香さんの体をほぐしていきますから。これの出番はだいぶ先です」
「そうなんだ」
 自信満々に言い切られてしまうと、経験がない私としては頷かずにはいられない。彼に全て任せているのだから、それもしかたないか。
「それよりも」
 ずいと身を乗り出してくる涼ちゃん。ほとんど私に覆い被さるようになって、彼は言った。
「またキスしていいですか?」
 そんなことを確認する涼ちゃんがなんだかおかしい。でも、優しく訊ねてくれるのは嬉しかった。
「いいよ……。なんでも、好きなようにして。涼ちゃんの思うままに」
 甘えるように囁いてから、私は少し声のトーンを変える。
「でもね、私にしてほしいことがあったら教えて。説明してもらわないと……わからないから」
「じゃあ、あんまりなにも考えずに、僕を感じて下さい」
 にっこりと笑った後で、軽く口づけてくる涼ちゃん。顔中を移動しながら、ちゅっちゅと軽いキスの雨を降らせてくる。
 何も考えないのは難しいけれど、涼ちゃんのことはいっぱい感じたい。こうしてついばむようなキスをくれるのも、ゆっくりと動いている掌の温もりも。
 男の人っておっぱいが好きだし――アイドルをしていると、嫌でも意識する――こういうときにはすぐに乳房に行くかと思ったのだけれど、涼ちゃんの手は、首筋から肩口から、上半身全体を動いている。
 その指が具体的にどんな動きをしているかは、正直よくわからない。唇に戻って来てくれた涼ちゃんとのキスがぴちゃぴちゃと音を立てて舌を絡め合うほどになっているのもあったけれど、涼ちゃんの瞳から目をそらせなくて、確かめたりできないのだ。
 それでも、時に強くこすったり、あるいはほとんど触れていないようなタッチで指を動かしたり、変幻自在の動きをしていることはわかる。
 その動きの全てが、私の体に潜む性感を的確に引きずり出していく。最初はただくすぐったく感じていた場所も、二度目にされた時にはぴりぴりと電流でも流れているのではないかと思うような感覚へと変わっていくのだ。
 いつしか、またその場所をこすったり、いじったり、もみしだいてほしくなる。
 そんな場所が、体中に広がっていく。
 私の息も、涼ちゃんの息もどんどん荒くなっていく。絡め合う舌の動きは激しくなり、お互いの唾液が口の周りをべたべたにする。それでも、私たちは構わずにお互いへの刺激を続ける。
 いや、むしろ私は涼ちゃんの唾液にまみれるのを喜んでさえいた。
 ふわふわと体が浮くような感覚。涼ちゃんの指が、胸が、脚が、私の膚をこする感覚。その中で、私の乳首はぴんと張り詰め、いまだ一度も触れられていないというのに、股間のあの場所もすでに濡れ始めていた。
 あれ、でも、あそこはもちろんだけど、痛いくらい張っている乳首も、実は直接刺激を受けたことがないかも?
 ぼうっとした頭で思い出してみるけれど、乳房を大きく揉みしだかれたり、円を描くように指でいじられたりしたことはあっても、その頂にある突起は、いじくられていないはずだ。
 これって、焦らされているってやつ……かなあ。
 直にその場所をいじられてはいなくとも、十分に気持ちよくしてもらっているのは事実。でも、貪欲な私の体は……ううん、私自身は、もっともっと気持ちよくなりたい。涼ちゃんからの刺激を受けたい。もっと高みに放り出してもらいたい。そう願ってる。
 でも、どうしたらいいのだろう。おねだりをする? さりげなく押しつける?
「はあっ……ふっ、はっ……」
 ばてた犬のように短く、激しく息を漏らす。涼ちゃんの舌の動きは、まるで脳みその中を直にいじくられているようだ。思考は鈍り、快楽の中に切れ切れになって沈んでしまう。
 でも、その酔っ払っているような頭で、私は考える。どうしたら、もっと気持ちよくしてもらえるのか。
 腕が伸びる。細いけれどしっかりと鍛えられたのがわかる胸板にぽつんと出ている乳首を探し当て、くりくりといじくりはじめた。男の人が果たしてその場所で感じるかどうかなんて考えもせずに。
 涼ちゃんの瞳に楽しそうな光が浮かぶ。唇に触れる感触で、彼が笑みを刻んだのがわかった。
 そして、ついに望んでいた場所への刺激が来る。
 だけど、それは予想以上のものだった。
 涼ちゃんは私の乳首をその左手でつまむと同時に、右手を股間に、そして、その舌を私の耳へと移動させたのだ。
 あそこへの刺激は最初に触れることもあって、優しい、実に優しいものだったけれど。
 涼ちゃんの舌に耳をほじくられるのは、とてつもない快楽だった。
 口の中を蹂躙されるのが、脳みそを揺さぶられる刺激だとしたら、耳に舌を突きこまれるのは、ミキサーで脳を攪拌されるかのような……。
 そして、待ちかねていた乳首への刺激は、きゅっと力強く潰されることで……
「――――っ!」
 声にならない声をあげさせられ、私は絶頂へと追いやられた。

       †

「軽くいっちゃいました?」
 軽く? なにを言っているのだろう、この人は。
 減衰しながらも体中を包む絶頂の余波の中、私は呆然と彼を見つめる。さっき感じた快楽は、前をいじって到達したことのある快感の中でも最大級のものだった。
 たしかにずっと続くお尻での快楽にはまだ及ばないけれど、軽いと言えるようなものではないはず……。
 と、そこまで考えていた私の首筋に、涼ちゃんが舌を這わせる。
「ひゃふっ」
 体の端から抜けていくはずの絶頂の波が、それで揺り戻される。波の一番上まではいかずとも、中程までは戻された気がする。
「本当はキスマークをつけたいんですけど、アイドルの膚に痕はつけられませんからね……」
 無念そうに言いながら、涼ちゃんは私の首筋を愛おしそうに舐めている。それと同時にあそこも優しくなでられていた。外側から包み込むように揉まれて、内側に溜まっていたらしいおつゆがあふれ出す。
 わざと鳴るようにいじっているのだろう。私のはしたない汁にまみれた指とあの場所がくちゃくちゃいう音が、私の耳にまで届く。
 それでも、まだ中はいじくられていないし、クリトリスにも触られてはいない。しかも、まだ、さっきの波が抜けきっていないのだ。
 だが、彼は波が抜けきることなど許してくれそうになかった。指が動く度、彼の膚が私にこすれる度、ゆるやかに収まっていくはずの感覚は何重にも重なりながら、さらなる高みを目指し始める。
 そのことに、私は一抹の不安を感じた。
「りょ、涼ちゃ……」
 最後まで、言い切れなかった。
 私自身の汁がたっぷりと塗り込められた指が、少し尖っているクリトリスに行き当たり、優しくこねくりまわされる。
 右の乳房全体が涼ちゃんの口の中に収められ、まるで食べられるかのように愛撫される。その内側では、舌が乳首に巻き付くようにして、リズミカルに私を悦楽の地へと追い立てる。
「ああああああっ!」
 意識などしていない。
 よだれが垂れるのも、涙がこぼれているのも、大声を発しているのも、私自身、この時は認識していない。
 わかるのは、脳みその奥と、腰の真ん中と、私の視界で爆発しているもの。それは光で、熱で、気持ちよさで、幸福で、涼ちゃんそのものだ。
 『絶頂』という言葉の意味を、私はこの時本当に理解したのかもしれない。
 波が、波が、波がやってくる。
 世界が『開く』。
 私の世界が、快楽と愉悦と喜びと幸せと切なさと涙と愛情と涼ちゃんと涼ちゃんと涼ちゃんと涼ちゃんと涼ちゃん……無数無限の涼ちゃんで満たされる。
 ステージの上でも一度か二度、ドームを満員にした大舞台くらいでしか感じたことのないほどの高揚と幸福感が私を包む。
 そして、それが引かない。
 いかに快楽の波に乗ろうと、それはいずれ流れ去り、霧散するものだ。
 だが、それが消えていこうとする端からさらなるものを注ぎ込まれたら?
 ましてや私という器に入りきれないほどのものを注ぎ込まれ続けたら?
 答えは、一つ。
 壊れる、のではない。そうであったなら、どれだけ幸せだろう。この愉悦の中に狂気という狂喜に至れるなら。
 だが実際は違う。
 もう一つ上を見る。
 私は絶頂の果てにあるものを、その時垣間見た。

       †

「入り、ましたよ。春香さん」
 下腹部の物凄い圧迫感に気を取られていた私は、涼ちゃんのその言葉で、ようやく思い出したかのように息を吐いた。
「ぜ、ぜんぶ?」
 これまでの快楽の積み重ねのせいで、舌がもつれて実際には怪しい発音になってしまっているけれど、涼ちゃんなら意味をくみ取ってくれるはずだ。
「はい。痛くないですか」
 涼ちゃんの問いかけに、私は弱々しく、首を横に振る。私のあの場所が涼ちゃんのたくましいもので広げられ、彼の形に変えられているのは感じるが、痛みなどまるで感じない。
 それというのも、挿入するまでに文字通り『ほぐされて』いたから。
 最初に絶頂を味合わされた後、三度も同じように高められて、既にその時点で体はぐにゃぐにゃだった。口は半開きでよだれを垂らし続けていたし、きっととてもだらしなく見えたはずだ。
 涼ちゃんは、でも、もっと徹底していた。
 彼が注ぎ込む快楽を私が覚えたと見るや、それまでとは打って変わってとても穏やかな愛撫に切り替えたのだ。
 それまでもけして強引なやり方ではなかったけれど、どんどんリズムを早めていくようなやり方だったのは間違いない。それが、今度は一定のリズムを保つように変わったのだ。
 ついさっきまで高め続けられた体が、そんな風にされたらどうなるかわかるだろうか。あの切なさを、理解してもらえるだろうか。
 体の奥ではずっと熱が巡り続けている。とろとろになった敏感な体は、新たな性感を求める。
 でも、涼ちゃんはそれを許してくれない。
 与えられるのは優しい刺激だけ、それで許されるのは軽い絶頂だけ。
 そんなものに、本当の絶頂を知ってしまった体と心が耐えられるだろうか。
 そうして、涼ちゃんは私の脳と心と肉体と喉の全てに懇願の悲鳴をあげさせてから、おもむろに挿入したのだ。
 痛みなど、感じるはずがない。
 ううん、たしかに涼ちゃんのものが入ってくる時に抵抗感はあったし、おそらく処女の証である血は流れているのだろうけど、そんなもの気にもならない。
 もっと重要だったのは、とてつもない充足感。彼と繋がっているという、一体感。
「じゃあ、動かしますね」
 彼がゆっくりと優しく動き始めたときも、感じたのは痛みや快楽といったものではなく、そう、まるで自分がいるべきところにいるというような安心感だった。
 ベッドの上に横たわり、思い切り脚を開いて男の人のものを体の中に受け入れているという状況にそれが似つかわしいかどうかはよくわからない。
 けれど、たしかに私は安心していた。
 ただ、一つ違和感がある。
「あの……ね。あの……」
「はい。あ、これ、痛かったですか?」
「ううん。とっても……幸せ。それより、さ」
 気持ちいいという言葉ではなんだか違う。幸せというのが、本当に近い。私は彼が動く度、彼の存在を自分の内側に感じる度、幸せでたまらない。
「涼さん、って呼んでも……いい?」
 こういう時に、涼ちゃんって呼ぶのはなんだか違う気がした。普段はともかく、ベッドの中では涼ちゃんと呼ぶのは避けたいと、この時思ったのだ。
「ええ、もちろん」
「その代わり……」
 もつれる舌を叱咤して、私は続ける。
「春香って呼んで」
 春香さんでは遠すぎる。私の名前を直接彼に呼んで欲しかった。
「春香」
「ああっ!」
 背筋をぞくりと走り抜けるものがある。幸福感に塗りつぶされていた体の中で、陶然とした快楽が頭をもたげはじめる。
「春香」
 もう一度呼ばれた時には同時に深く突き上げられた。体中の毛穴から甘い蜜を流し込まれているのではないかと思うようなうずきが体中を走る。
「涼さん! 涼さん! 涼さんっ!」
 私たちは、お互いの名前を、普段とは違うやり方で呼び合いながら、快楽の渦の中へと真っ逆さまに堕ちていくのだった。

       †

「すごいね、涼さん。またできそう」
 ついさっき私の喉めがけていっぱい精液を発射してくれたものがまた立ち上がって来るのを見ながら、私は感嘆の声をあげる。
 お掃除するためになめしゃぶっていたら、すぐに起き上がってきてくれたのだ。
 でも、見上げると、彼の股間に顔を埋める私の頭をなでながら、涼さんは困った顔をしている。
「もう無理だよ。ゴム使い切っちゃったもの」
「え? 本当?」
 驚く私に、涼さんはベッドの下を指さす。そこにはコンドームの空き箱が転がっていた。私が万が一の時のために以前から部屋に置いてあったもの。それ以外にも、涼さんが持ち込んだものがいくつかあったはずで……。
「……えっと、いま、何時かな?」
 状況を把握し始めて、意識が切り替わっていく。
 涼さんが、涼ちゃんに。
 言葉遣いもわずかに変わっている。
「十時、前ですね。夜の」
 涼ちゃんもそれを察したのだろう。いつも通りの声で返してくれる。彼の意識の変化に伴ってだろうか。私が握っているものは、徐々に力を失いつつあった。
「夜の、十時?」
「はい」
 私たちは顔を見合わせ、揃って照れたような笑いを浮かべる。
「……丸一日、シチャッたね」
「まあ、途中で寝たりご飯食べたりしてますけどね」
 たしかに涼ちゃんにホットサンドを作ってもらって空腹を満たしたり、繋がり合ったまま眠ったりしたけれど、裸で二十四時間ほどを過ごしたことは間違いない。
 私は自分と彼の体を眺め、こう提案した。
「一緒にお風呂入ろう、涼ちゃん」
 かわりばんこに体を洗い、二人重なって浴槽に入る。さすがに向かい合ってとかは無理なので、涼ちゃんに乗っかって、私はお湯に浸かっている。
 彼にしっかりと抱きしめられながら温かなお湯を味わうのは、なんだかとっても贅沢に感じられた。
「結局何回したのかな?」
「ええと、あの箱が六個入りで、僕が持ってきてたのが四つだから、最低十回ですね」
「それとお口でした時とあわせて……十二、三回、かな?」
「たぶん」
 はー。いくら丸一日とはいえ大したものだ。
「すごいね」
「うん、すごいですね」
「私がすごいって言ってるのは、涼ちゃんだよ」
「すごいのは、僕にそうさせた春香さんの魅力ですよ」
「もうっ」
 くすくすと私たちは笑いあう。とても穏やかな時間。
 秋月涼の恋人である天海春香の時間。
 でも、こんな時間がこれからどれくらい作れるのだろう。涼ちゃんも私もアイドルで、しかもそれなりに売れっ子で、さらにさらに涼ちゃんには私以外に三人も恋人がいるのだ。
 そんなことを考えて顔をしかめている私に、涼ちゃんは優しく声をかけてくれる。
「ねえ、春香さん」
「んぅ?」
「僕たちといっしょに暮らしません?」
「ええっ!?」
 突然の申し出。でも、詳しく説明してくれる涼ちゃんの話を聞いている内に、とても良い考えだと思えるようになった。実に魅力的な提案に、私は一も二もなく頷いていた。
「うん、私、涼ちゃんと暮らす!」

       †

「ふんふふーんふんふんふーん」
「ねえ、春香。あんた、人様の事務所でくつろぎすぎじゃないの」
 秋月事務所のソファで寝そべって雑誌を見ながら鼻唄をうたっていると、伊織に叱られた。
「いいんですー。春香さんは、今日はオフなんですー」
「いや、そうじゃなくて……。だいたいオフなら部屋で休んでるか、出かけなさいよ。まったく」
「出かけても人多いと囲まれちゃうじゃん。それに部屋にいるよりは、ここにいるほうがみんないるしね」
 ふんと呆れたように鼻を鳴らす伊織だけど、それ以上は文句を言ってこない。
「よっ、と」
 さすがに寝そべっているのはお行儀が悪すぎる。起き上がり、ソファに腰掛けなおして、私は伊織と律子さんが仕事をしている風景を眺めやる。
 涼ちゃんと結ばれてから二ヶ月。私が秋月事務所でくつろいでいるのもすっかり日常風景と化している気がする。
 それというのも、この事務所が入っている同じビル内に私も居住しているからだ。
 今年の一月頃に、秋月事務所は中古のビルを購入した。三月中に改装なったそのビルには事務所とレッスンスタジオの他に、社宅も設けられていた。
 入居しているのはスタッフである律子さんと伊織、所属アイドルの涼ちゃんと貴音さん、それに親会社である765プロ所属の私、天海春香。
 つまりは涼ちゃんとその恋人たちの愛の巣なわけだが、世間も事務所もそんなことは知るよしもない。
 セキュリティ的にも、スキャンダル対策としても万全の体制というわけ。
 私としても空いている時間にはスタジオを使わせてもらえるし、各仕事場や765プロに行くのに伊織や律子さんの車に便乗させてもらえるし、願ったり叶ったりだ。
 私のプロデューサーさんも、『律子のところなら安心だ』って言ってくれてるし。
 秋月事務所に新人さんが入ってきたり、涼ちゃんの恋人ではない765プロのアイドルが入居したいと言い出したりしたら少々問題になるかもしれないけれど、今のところその気配はない。
 そんなわけで、私はまさに我が家のようにリラックスしているのだ。
「春香、あんた、今日、ほんとに暇なの?」
 電話を終えたらしい律子さんがそう問いかけてくる。
「はい。あとでホン読みするくらいで」
「そう。じゃあ、涼が戻って来たら、三人でショッピングでも行かない? 私はモールの下見だから仕事なんだけどね」
「あ、いいですね。行きます、行きます」
 こんな誘いがふいにやってきてくれるのも、同じ場所で過ごしていることの利点だ。
 律子さんと涼ちゃんとミニデートか。楽しみだなあ。
「社長はお留守番お願いしますね」
「あー、もー、わかってるわよ! そんな慇懃無礼に言わなくても!」
 からかう律子さんに伊織がきーきーわめく。じゃれあっている二人に、思わず頬が緩んだ。置いてかれちゃう伊織にあえてあんな風に声をかけるのも、律子さん流の思いやりだろう。
 さて、おでかけとなると、スーツの律子さんはともかく、私は着替えないといけない。ああ、そうだ、こないだ涼ちゃんとおそろいで買った眼鏡を変装用にかけていこうかな。
 いずれにしても、一度部屋に戻らなければいけない。そう思って出口に近づいたところで、向こうからドアが開いた。
「ただいま戻りましたー」
 さわやかな声が聞こえてくる。
 私の――そして私たちの――大事な大事な人に向けて、私はにっこりと微笑んだ。
「お帰りなさい、涼ちゃん」

(Wounds-春香編- 了)

(続編-貴音編-)

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