学校では教わることのない日本の自虐史観を省いた歴史を年表にまとめたもの。

※作成中

南方作戦準備

昭和十六年十二月二日、陸軍参謀総長杉山元、海軍軍令部総長永野修身の陸海軍両統帥部長は共に天皇陛下に上奏したがここに開戦日が十二月八日と決定した。

謹みて用兵事項に関し奏上いたします。先に奏上いたしました如く、陸海軍共作戦準備は十二月八日武力を発動し得るを目途といたしまして着々進捗いたしております。
武力発動の時機を十二月八日と予定いたしました主なる理由は、月齢と曜日との関係に因るもので御座いまして、陸海軍共航空第一撃の実施を容易にし、且効果あらしめます為には、夜半より日出頃までに月のあります月齢二十日付近の月夜を適当といたします。
又海軍機動部隊のハワイ空襲には、米艦隊の真珠湾在泊比較的多く、且その休養日たる日曜日を有利といたしますので、ハワイ方面の日曜日にして、月齢十九日たる十二月八日を選定した次第で御座います。
勿論、八日は東洋におきましては月曜となりますが、機動部隊の奇襲に重点を置きました次第で御座います。
日米外交交渉におきまして、米国の態度が最近著しく強硬となりましたことに鑑みまして、米国も最近真剣に対日戦に備えつつありと推定せられます。
又英国は、最初より帝国の動向に対しましては最も警戒を厳にいたしておりまして、その海軍艦艇の配備も、有事即応の態勢にあるものと判断せられます。
従いまして、十二月八日以前におきまして、或いは英米より我に対し先制攻撃を加え来ることも有り得ることと予想せられます情勢に御座いますが、さりとて、武力発動時機を繰り上げますことは、陸軍輸送船の運航並びに海軍機動部隊行動の関係上困難で御座いますのみならず、繰り上げの為の各部の混乱も予想せられますので、最初の予定通り、十二月八日を期し、米国英国に対し武力を発動する如く大命を発せられ度、謹みて允裁を仰ぎ奉ります。
而して、万一米英が先制攻撃の挙に出ました場合には、陸海軍中央協定に基づきまして、先ず航空機を以て之を反撃いたしますと共に、爾余の部隊の発動を極力繰り上ぐることといたし度所存で御座います。


開戦決意、日時決定を見るまでには多くの審議を経てきたがその経緯を見ると、

開戦日選定までの過程

  • 昭和十六年九月三日 大本営政府連絡会議の決定した「帝国国策遂行要領」
  1. 自存自衛を完うするため対米英蘭戦争を辞さない決意の下に十月下旬を目途として戦争準備を整える
  2. 外交交渉で十月上旬に至っても目的を貫徹できない場合には対米英蘭戦争を決意する
とされる。
  • 昭和十六年十月六日 陸軍の方針
  1. 外交当局において妥結の見込みがあるならば十月十五日を限度として対米交渉を続行させてもよい
と陸軍は政府に通告。
  • 昭和十六年十月十六日 近衛内閣総辞職
  • 昭和十六年十一月一日 大本営政府連絡会議で新たな「帝国国策遂行要領」を決定。
  1. 戦争を決意し武力を発動する時機を十二月初頭と定めて陸海軍は作戦準備を整える
  2. 十二月一日午前零時までに外交交渉が成功すれば武力発動を中止する

この決定以来、陸海軍は開戦日を十二月八日と予定して準備をしていく。
外交交渉期限を十二月一日午前零時と決定した理由は、
  1. 十二月八日より遡ってマレーに上陸する第二十五軍の海南島に於ける準備
  2. 南部印度支那にある第十五軍のタイ国進入準備
  3. ハワイ奇襲のため進行途上にある海軍機動部隊の動静
など外交交渉の為に日時をいたずらに遷延させるのは許されなかった為である。

そして期限になっても外交交渉で妥結できず、予定された通り十二月八日をもって開戦すると決定された。

作戦準備の手順及び概要

南方作戦で攻略する範囲は香港、ビスマルク諸島、ビルマ、蘭領インドと広域に亘りこれとは別に開戦初頭での海軍機動部隊による真珠湾攻撃が極秘裏に計画されていた。
開戦日決定の十二月二日迄には各部隊とも南西諸島、台湾、海南島、南部印度支那、小笠原諸島、パラオ諸島の進攻待機位置に集結を完了していた。

当初、南方作戦に使用する予定の陸軍兵力は十一個師団、兵員約三十六万人で海軍はほとんど総力を挙げて参加することになっていた。
其の為膨大な兵力を作戦準備態勢に移行するために周到な事前準備と日時を要することとなり、外交交渉で米国と交渉しながら併せて陸海軍は出来得る限りの準備を推進していた。

南方作戦準備の準拠となった陸海軍の作戦要領

  1. 南方作戦の攻略範囲は、フィリピン、グアム、香港、英領マレー、ビルマ、ジャワ、スマトラ、ボルネオ、セレベス、ビスマルク諸島、蘭領チモール島等。
  2. 陸海軍は緊密な協同の下、開戦初頭まずフィリピン及び英領マレー両方面に対し同時に作戦を開始しフィリピン方面からは爾後蘭領ボルネオ、セレベスの沿岸要地を攻略しつつスンダ海方面へ、マレー方面は迅速にマレー半島を縦貫突破しシンガポールからパレンバン含む南部スマトラに進出、東西両方面よりジャワ島に進出して短期間に攻略する。開戦後速やかに香港、ボルネオ、グアム、ビスマルク諸島、モルツカ諸島、チモール島を攻略する。開戦初期にタイに進駐しタイ及び印度支那を安定確保する。作戦が一段落して状況が許す限りビルマ作戦を実施する。北部スマトラ攻略はマレー作戦の進展に応じて適時実行する。
  3. 作戦開始日の決定は大命による。作戦第一日、マレー東岸に対する急襲上陸及びフィリピンに対する先制空襲をもって開始する。また開戦初頭、第一航空艦隊基幹の機動部隊を以てハワイにある米艦隊を奇襲しその勢力の滅殺に努める。南方作戦間、連合艦隊主力は作戦全般の支援に任じその一部を以て適宜太平洋及びインド洋における敵海上交通線の破壊に任ずる。特に開戦当初、一部を以てウェーキ島を攻略する。
  4. マレーに対する作戦は、同方面の英軍を撃破し要地シンガポールを攻略して東亜における英国の根拠を覆滅することを目的とする。第二十五軍*1は陸海軍航空部隊*2及び南遣艦隊協力の下にその先遣兵団*3を以て十二月四日海南島三亜を出航、開戦第一日マレー東岸シンゴラ及びパタニ付近に奇襲上陸し速やかに航空基地を占領整備する。陸海軍航空部隊は第一日に南部印度支那の基地よりおおむね同時にマレー方面に先制空襲を開始し陸軍航空部隊は主として北部マレー英国航空勢力を撃破、海軍航空部隊はシンガポールに進攻し同地を急襲する。コタバルへの上陸は第二十五軍の先遣兵団がマレー東岸に上陸後護衛及び航空基地整備の状況が許す限り成るべく速やかに一部兵力を以て実施する。状況により関係陸海軍指揮官協議の上、努めて少数の部隊*4を以て先遣兵団の上陸と同時に急襲上陸することがある。第十四軍主力部隊*5の護衛に任じた艦艇の一部回航を待って第二十五軍主力を逐次南部タイに上陸させ、第十五軍のタイ進入作戦終了と共に速やかに近衛師団主力をマレー方面に転用してこれらを以てマレー先遣兵団の戦果を拡張すると共に、引き続きマレー半島を突破して迅速にシンガポールを攻略する。第二十五軍に対する航空協同は主として陸軍航空部隊*6が担任する。マレー作戦の進展に伴い、機を見て一兵団*7を努めて南方においてマレー東岸*8に上陸させ全般作戦の進展を図る。
  5. フィリピンの作戦目的はフィリピンにおける米軍を撃破しその主要な根拠を覆滅するにある。本作戦は第十四軍*9が主としてこれに任ずる。開戦初頭陸海軍航空部隊*10は協同して台湾及びパラオ方面の航空基地及び一部はミンダナオ島方面海上からフィリピン方面の米航空勢力及び艦艇を先制空襲しこの間に海軍部隊を以てバタン島*11を攻略し同島に不時着場を整備する。第十四軍主力のフィリピン上陸に先立ちそれぞれアパリ、ビガン(またはラオアグ)、レガスピー、ダバオ付近に上陸する陸軍先遣諸隊はフィリピンに対する航空第一撃の前日夕刻以降その集合地*12を出発して陸海軍協同し前記の諸点に上陸、該地付近に航空基地を占領整備する。次いでダバオ上陸部隊主力*13をなし得る限り速やかにホロ島に転進して同島に航空基地を整備する。陸海軍航空部隊はフィリピンにおける航空基地の獲得整備に伴い、逐次部隊を台湾及びパラオよりフィリピンに推進して航空作戦を続行する。一方、第十四軍は以上の航空作戦の成果を利用し第三艦隊基幹護衛の下に遅くも開戦第十五日頃までに台湾に待機中の軍主力*14を以てリンガエン湾に、また、奄美大島に集合中の一部*15を以てラモン湾にそれぞれ上陸開始し爾後両方面より進攻し速やかにマニラを攻略して引続き群島内の要地を占領する。第十四軍主力上陸後、台湾に待機中の混成一個旅団*16を適時ルソン島に進め、概ねフィリピンにおける作戦目的を達成した後、第四十八師団をジャワ島の攻略に使用するため速やかにマニラ付近に集結させる。爾後同師団は改めて第十六軍に編入し南方に転用、ジャワ攻略作戦に参加させる。
  6. 蘭領インドに対する作戦目的は、蘭領インドにおける連合軍を撃破してその根拠を攻略し、併せて資源要域を占領確保するにある。本作戦は第十六軍*17が主としてこれに任ずる。先にフィリピン作戦間ダバオ及びホロ島の攻略に任じた坂口支隊を以て引続き海軍と協同して蘭領ボルネオのタラカンを、次いで逐次バリックパパン、バンジェルマシンを攻略し、また別の一部隊*18を機を見てバンダ海方面に進めてアンボン、クーパンを攻略し所要の航空基地を整備する。この間、前記坂口支隊のタラカン攻略と概ね同時に海軍は独力を以てセレベス島のメナドを取り、次いで同島のケンダリー、マカッサルを逐次攻略する。尚、タラカン及びアンボン攻略部隊*19は、その作戦の一段落するごとに速やかに海軍部隊とその守備を交代する。別に第十六軍の一部*20を適宜南下させてマレー作戦の進展に伴い、機を見てバンカ島及びパレンバンなど南部スマトラ島の要域を占領し速やかに同地の要域に航空基地を整備すると共に、広く資源要域を確保する。ジャワ島を巡る外郭要地*21の逐次攻略伴い各基地に進出した陸海軍航空部隊を以て速やかにジャワ島における航空勢力を制圧する。次いで第三艦隊主力その他の援護下に第十六軍主力*22を以てバタビア付近西部ジャワに、また新たに第十六軍に編入の上フィリピンより転用中の前記第四十八師団を以てスラバヤ付近東部ジャワに夫々上陸し、爾後速やかにバタビア、バンドン、スラバヤを占領すると共に、引続きジャワ島の全要域を攻略する。また、シンガポール占領後マラッカ海峡を制圧し得るようになれば、第二十五軍の一部兵団*23を以て適時マレー半島西海岸からスマトラ島のメダン付近に上陸し速やかにアチェ地方の北部スマトラを、次いでサバン島を逐次占領する。
  7. タイに対する作戦及びビルマに対する初期作戦の目的は、タイの安定を確保してマレー方面の作戦を容易にし、併せてビルマに対する爾後の進攻作戦を準備するにある。開戦初頭第十五軍*24は一部*25を以て南部印度支那から陸路及び海路により中部及び南部タイ*26に上陸し同方面の要域を確保すると共に、一部*27を以て引続きマレー西岸のビクトリアポイント付近に進出し占領する。第十五軍主力の内、すでに北部印度支那に進出している第五十五師団主力は、開戦直後印度支那を陸路南下し、また、別の一兵団*28は開戦後北支港湾を出発して海路により概ね開戦第四十日頃以降逐次バンコク付近に前進してタイ国内の要地を確保する。第十五軍後続兵団のタイ進出に伴い、近衛師団の主力は第十五軍の指揮を脱し速やかに陸路または海路によりマレー方面に転用し第二十五軍主力に編入させる。第十五軍はその後引続きタイを安定確保すると共に一部を以て機を見てモールメン付近のビルマの一角に進入し、航空基地を占領する。別に、南方軍直轄の一兵団*29は第三十三師団に続いて北支港湾を出発、海路印度支那に転進して同方面の安定確保に任じ、特に中国軍の進入に備え主力を以て北部国境方面の警備にあたる。
  8. 以上の他、開戦初頭南方軍直轄の川口支隊*30を以て海軍と協同してボルネオのミリを攻略して資源要域並びに航空基地を確保した後、引続きクチンに転進し同地に航空基地を獲得整備し、海軍航空部隊の進出を準備する。別に大本営直轄の南海支隊*31を以て第四艦隊協同の下に開戦初頭グアム島を攻略し、次いでグアム島の守備を海軍部隊と交代し、爾後機を見てさらにビスマルク諸島のラバウルに進攻してその地に航空基地を獲得する。爾後南海支隊はラバウルの守備を海軍と交代してパラオに転用する。爾後同支隊はバンダ海方面攻略作戦に使用する予定。香港作戦は、南方軍のマレー半島への上陸または空襲を確認した後、第二十三軍の第三十八師団基幹の部隊を以て開始し、まず九竜半島の英軍陣地を突破した後香港島を攻略する。香港攻略後、第三十八師団は前記のように蘭領インド攻略作戦参加のため、第十六軍に編入の上、カムラン湾に転進待機させる。

  
※すべての画像はクリックで拡大図見れます。手書きの為、拠点の位置の間違い、文字や記号が見苦しいのはご容赦ください。(図は「戦史叢書 マレー進攻作戦 付図第一」を参照して書きました。)

南方作戦は百数十隻の輸送船により香港、マレー、フィリピン、グアム等の攻略に続き東はビスマルク諸島、西はビルマ、南は蘭領インド諸島に至る広域の要地を一気に攻略しようとする史上稀にみる大規模な作戦だった。
其の為早い時期より作戦準備を推進していた。

南方作戦準備の過程

  • 九月一日 昭和十六年度帝国海軍戦時編制の実施を発令し新たに四十九万トン、二六五隻の船舶を徴傭。
  1. 海軍は十五年十一月十五日すでに南方作戦に備えて出師準備を発動しさらに十六年八月までに新たに第六艦隊、第十一航空艦隊、第三艦隊、第一航空艦隊、第五艦隊、南遣艦隊等が逐次編成され、約六十三万総トンの船舶が徴傭されている。
  • 九月三日 帝国国策遂行要領を連絡会議に付議決定。
  1. 十月下旬を目途とし戦争準備を完整すること及び外交交渉により十月上旬に至るも我が要求を貫徹し得る目途のない場合は直ちに対米(英蘭)開戦を決意する件。
  • 九月六日 九月三日連絡会議で決定された帝国国策遂行要領をさらに御前会議に付議確定。
  • 九月十二日より九月二十日 海軍大学校で山本五十六統裁の下に各艦隊、戦隊の司令長官、司令官及び主要幕僚を集め連合艦隊作戦計画案に基づく図上演習を実施し、ハワイ奇襲作戦に関する特別研究を実施した。
  • 九月十六日 第二師団(ジャワ作戦兵団)、第十六師団(フィリピン作戦兵団)、第五十五師団(タイ国進駐兵団)に対し臨時編成を下令。
  • 九月十八日 大本営陸軍部、情勢の推移に即応する作戦準備を発令して南方作戦関係一部兵力の南支、台湾及び北部印度支那への移動を開始させた。
  • 九月二十四日 大本営海軍部、軍令部に連合艦隊、第一航空艦隊の首脳者を集めてハワイ作戦に関する検討を行った。
  • 九月二十五日 連絡会議席上にて陸海軍統帥部長は帝国国策遂行要領に基づき和戦の決定は遅くても十月十五日までになさねばならぬ旨申入れ。
  • 九月二十六日から二十八日 大本営陸軍部、参謀本部で南方作戦計画案に基づき第十四軍、第二十五軍、第十六軍の各軍主任参謀予定者と各別に具体的な作戦検討を行った。
  • 十月一日から五日 陸軍大学校で参謀次長塚田攻中将統裁の下、南方作戦軍の各参謀充用予定者の全員を集めて南方作戦計画案に基づく具体的な兵棋演習を実施し大本営の意図を各軍に伝えると共に作戦思想の統一を図った。
  • 十月二日 米国国務長官ハル、これまでの日本側諸提案に対する回答の覚書を寄せた。その骨子は日米首脳会談を拒絶し中国及び印度支那からの全面撤兵、日独伊三国条約の実質的破棄を含む強い要求だった。
  • 十月六日 米国の覚書(前掲)を巡り陸海軍間並びに政府、大本営間に真剣な討議が続けられたが十月六日陸軍側は「陸軍は日米交渉妥結の目途はないものと認める。したがって開戦はやむを得ない」「もし外交当局に於いて妥結の見込みがあるというなら、十月十五日を限りとして交渉を続行するも差支えない」との方針を決定。
  • 十月十六日 第三次近衛内閣、開戦決意を巡る閣内の意見対立により総辞職。
  • 十月十八日 十七日に組閣の大命は東条英機大将に降下し十八日午後東条内閣が成立。東条内閣は天皇の内意により九月六日御前会議決定の帝国国策遂行要領を白紙にかえし、改めて諸情勢を検討しなおすことになった。
  • 十月十九日 永野軍令部総長は連合艦隊がハワイ攻撃を決行すること、およびこの作戦に六隻の大型空母の全力を使用することを承認した。
  • 十月二十日 連合艦隊のハワイ攻撃計画はこの日軍令部で正式に決定された。
  • 十月二十四日 大本営陸軍部、台湾軍に対し台湾に於ける航空作戦準備の実施を命令。第五師団は上海付近に師団主力の集結を完了し上陸作戦に関する訓練を開始した。
  • 十月二十七日から二十八日 宇品の船舶輸送司令部に大本営参謀及び各作戦軍、師団の後方主任参謀、船舶関係参謀を集めて上陸作戦に関する研究打ち合わせを行った。この研究で各方面の上陸部署とこれに応ずる船舶の配当、乗船区分等の具体的事項について細部の検討を遂げた。
  • 十月二十九日 南方作戦に関する陸海軍中央協定が陸海軍両統帥部長の決裁を終わり、大本営陸海軍間の基本的作戦協定は確定した。
  • 十一月一日 東条内閣は十月二十四日から三十日に至る間、連日にわたり連絡会議を開き国策の再検討を重ねていたが十一月一日の連絡会議で対米英蘭戦争を決意す、武力発動の時機を十二月初頭と定め陸海軍は作戦準備をす、対米交渉が十二月一日午前零時までに成功せば武力発動を中止す、との趣旨の決定を見た。
  • 十一月二日 東条首相は陸海軍両統帥部長と列立して連絡会議における討議の経過と結論につき天皇に上奏した。
  • 十一月五日 御前会議で対米英蘭戦争決意の帝国国策遂行要領が決定された。杉山、永野両統帥部長は列立して陸海軍の作戦計画について天皇に上奏し允裁を得た。大本営海軍部は連合艦隊司令長官、支那方面艦隊司令長官、、各鎮守府及び警備府司令長官に対し対米英蘭作戦に関する所要の作戦準備を実施するよう命じ、連合艦隊司令長官に対し作戦部隊を作戦開始前の待機地点に進出させるように指示した。この日南方各軍司令部の編成が発令され、寺内寿一大将が南方軍総司令官に親補された。
  • 十一月六日 政府は、野村大使援助のため来栖大使を特派した。同大使はこの日東京発、香港経由で渡米の途に就いた。本間雅晴中将は第十四軍司令官、飯田祥二郎中将は第十五軍司令官、今村均中将は第十六軍司令官、山下奉文中将は第二十五軍司令官にそれぞれ親補された。大本営は南方軍、第十四軍、第十五軍、第十六軍、第二十五軍、南海支隊の戦闘序列を令し各軍(支隊)及び支那派遣軍に対し印度支那、南支、台湾、南西諸島及び南洋諸島方面に集中して南方要域及び香港の攻略を準備するよう命じた。また作戦準備はおおむね十一月末までに完了するように指示した。
  • 十一月七日 連合艦隊は第一開戦準備を発令し諸隊に対し逐次作戦開始の待機地点に進出するよう指示した。
  • 十一月八日 大本営は防衛総司令官に対し、千島から本土を経て台湾に至る朝鮮以外の各要塞の本戦備または準戦備の実施を発令した。また第三飛行集団及び第五飛行集団に対し、十一月末までに広東、海口、河内、海防、南部印度支那間(以上第三飛行集団)及び佳冬、屏東、恒春、嘉義、ツーラン、ナトラン、三亜、台中の間(以上第五飛行集団)にそれぞれ集中するように指示した。他、在支第四師団を第十一軍戦闘序列から除いて大本営直属としかつ同師団は上海付近で集結待機するように命令した。
  • 十一月十日 南方軍総司令官寺内寿一大将は、各軍司令官を陸軍省に集めて訓示を行い、かつ南方作戦準備に関する命令を下令した。陸軍大学校で南方軍と連合艦隊、第二艦隊間に陸海軍現地協定(東京協定)が成立。
  • 十一月十三日 第五十五師団主力はこの日から逐次香川県坂出港を出発し北部印度支那の海防港に向かった。
  • 十一月中旬 第六十五旅団は広島港を出発、台湾の基隆に向かった。
  • 十一月十五日 連絡会議で対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案を決定した。第五師団先頭部隊、上海発海南島の三亜に向かった。大本営は南方軍及び南海支隊に対して南方要域攻略の任務を与えまた第五十六師団主力に対して臨時編成を下令した。
  • 十一月十六日 南方軍総司令官及び連合艦隊司令長官臨席の下、十一月四日以降山口県岩国海軍航空隊で陸海軍間の協同作戦について検討されたが、この日第十四軍と海軍比島部隊間、第十四軍、第五飛行集団、第三艦隊、第十一航空艦隊間、第十六軍と海軍蘭印部隊間にそれぞれフィリピン及び蘭領印度方面作戦に関する陸海軍作戦協定(岩国協定)が成立。
  • 十一月十七日 海軍機動部隊はこの日の夜密かに九州佐伯湾を出発して千島の単冠湾に向かった。
  • 十一月十八日 米国務長官ハルは野村大使の甲案を退け、日本が独逸と提携している限り日米関係の調整は至難でありこれ以上話合いを進めることは不可能だと述べた。この日サイゴンで第十五軍、第二十五軍、第三飛行集団、南遣艦隊、第二十二航空戦隊間のマレー方面作戦に関する陸海軍の合同作戦協定(サイゴン協定)が成立。先に広島を出発した第六十五旅団は基隆に上陸完了。
  • 十一月十九日 混成第五十六旅団(坂口支隊)は、門司港を出発し作戦発起地点のパラオに向かった。
  • 十一月二十日 政府は甲案による日米交渉を断念、乙案による交渉を野村大使に訓令した。南方軍総司令官は各兵団に対し、南方攻略命令を下達した。マレー東岸に上陸する第五十五師団の一部(宇野支隊)は香川県詫間を出発し作戦発起地点のサンジャック(南部印度支那沿岸)に向かった。海軍馬来部隊(南遣艦隊)は集合地点の海南島の三亜に向かった。
  • 十一月二十一日 大本営は支那派遣軍に対し天津租界、上海共同租界その他、在中国敵性諸国の権益処理のため武力行使を準備させた。また、連合艦隊に対し作戦部隊を適時作戦海面に進出させるように命令した。これに基づいて連合艦隊は第二開戦準備を下令し海軍南方部隊本隊、北部比島作戦部隊、南部比島作戦部隊及びその他の諸隊をそれぞれ所命の作戦配備につかせた。第十六師団の先遣部隊(三浦支隊、木村支隊)は名古屋港出発し集合地点のパラオに向かった。
  • 十一月二十二日 連絡会議で対泰措置要領を採択し開戦初頭のタイ国進入要領を決定した。海軍機動部隊は択捉島の単冠湾に集合を完了。グアム島を攻略する南海支隊は香川県坂出港を出発し作戦発起地点の小笠原島の母島にに向かった。
  • 十一月二十五日 第十六師団主力は大阪港を出発し奄美大島に向かった。南方軍総司令官寺内寿一大将は密かに東京を発し広島経由海路台湾に向かった。
  • 十一月二十六日 米国務長官ハルはハルノートを野村大使に手交した。第五十五師団主力は海防に上陸を完了。海軍馬来部隊の大部は三亜に集合を完了。海軍比島部隊(第三艦隊主力基幹)は内地を出発した。海軍機動部隊は単冠湾を出発しハワイ奇襲の途に就いた。
  • 十一月二十七日 第四十八師団の先遣部隊(田中支隊、菅野支隊)は高雄を出発し澎湖島の馬公に向かった。フィリピン作戦に任ずる第五飛行集団主力は所命のように台湾基地への展開を概ね完了させた。大本営は第五十六師団を第二十五軍の戦闘序列に編入した。
  • 十一月二十八日 南海支隊は小笠原島の母島に集合を完了。第十六師団の先遣隊(三浦支隊)はパラオに集結を完了。コタバル攻略の第十八師団の一部(侘美支隊)は広東の虎門を出発し三亜に向かった。第三飛行集団は広東、海口及び印度支那北部地区に所命のように第一次集中を概了し引続き昆明作戦の陽動を開始した。
  • 十一月二十九日 宮中に於いて政府と重臣との懇談が行われ、開戦反対の意見も出たが結局全員政府の開戦決意を了承した。坂口支隊はパラオに到着した。
  • 十一月三十日 第四十八師団主力は基隆及び高雄で乗船を開始した。その後馬公に向かう。
  • 十二月一日 最後の御前会議により対米英蘭開戦が決定した。大本営は南方軍、南海支隊、支那派遣軍に対して南方作戦開始を命令した。また、連合艦隊、支那方面艦隊に対して作戦開始を命じかつ各鎮守府および警備府に対して作戦任務を与えた。
  • 十二月二日 陸海軍両統帥部長は上奏を行い開戦第一日は十二月八日と決定した。第五十五師団の宇野支隊はサンジャックに到着した。第十八師団の侘美支隊は三亜に集合した。
  • 十二月三日 第十六師団主力は奄美大島に集合を完了。英領ボルネオの攻略に向かう川口支隊は広東の虎門を出発しカムラン湾に向かった。

南方作戦準備内容

昭和十五年七月、欧州の戦局が急転しドイツが今にも英本土上陸を開始するのではないかとの情勢に日本政府は世界情勢の推移に伴う時局処理要綱を決定しました。
陸軍はこの決定に基づいて南方作戦に関する研究を始めますが、対ソ或いは支那事変に没頭していたため南方作戦についての具体的な内容は主として情報収集、増微船舶に応じる艤装、兵装などに関する材料の整備、前方海運施設の増設などほとんどが基礎的なもので作戦計画については机上研究の域を出ない程度のものでした。
其の為南方作戦に関しては大部分は新しく準備する必要がありましたが、船舶の徴傭、艤装(船舶に兵員、馬などの居住施設を設置すること)兵装(船舶に高射砲を取り付けたり見張り所を設置すること)関係部隊の配置運用、各種部隊の編成、動員、軍需物資の調達等は長年に渡る支那事変や関特演による大規模な対ソ警戒戦備が南方作戦準備の役割を果たしたことになり、ゼロの状態から準備するよりかは恵まれた状態にあったようです。

しかしながら、なお準備するべき分野はまだ残っていました。
  • 不足船舶の徴傭と船舶の艤装、兵装実施
  • 主要海運地の諸施設の整備増強。
  • 船舶関係部隊の事前配置と海運地業務の早期開始。
  • 作戦発起時の展開飛行場の獲得、整備、拡張などの早期着手。
  • 作戦地の地形特に上陸地付近一帯にわたる事前偵察と兵用地誌及び作戦用地図の整備と配布準備。
  • 海象、気象の研究、特に上陸方面全般にわたる長期気象判断の実施とこれのための気象部隊の配置。
  • 敵国軍に関する戦力判断資料の総合整理。
  • 作戦計画の策定と陸海軍間における作戦協定の実施。
  • 作戦地及び作戦要領に対する軍需品の事前集積。
  • 上陸作戦部隊の上陸部署細部の検討と船舶の配当及び乗船区分の決定。
  • タイ国進入作戦のための対泰措置要領及び日仏共同防衛に関する事前研究。

船舶に関する準備

1.船舶調査
南方作戦開始に際し、陸軍の徴傭する予定船舶の現状を調査把握する。当時陸軍が徴傭していた船舶は約90万総トンで、南方作戦開始に際して更に145万総トンを新たに徴傭して合計235万総トンで準備を進めることになった。
2.艤装材料の整備

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