−からん…−
 グラスの中の氷が崩れ、高い音を奏でた。
 注いでから随分経っても一行にアルコールが減らないのは、グラスの主の女が寝てしまったからだ。
 隣に座っていた男は、女−ジナイーダが自分に寄り掛かりながら眠る様に可笑しさすら感じている。そっと髪を撫でると、ジナイーダはくすぐったそうに頭を振った。
 楽しくなってしまい、何度かそれを続けると、眉間に皺を寄せながら思い切り腿を肘で殴られたので止めた。
 互いに撃ち合ったあの日から、随分と時間が経った。それこそ、ジナイーダが無用心に寝るようになるほどに。
「仕方ないな…」
 起こさぬようジナイーダを横たえると、彼女の頭を自分の膝にのせた。
 先程から相変わらずベタな恋愛映画が垂れ流しになっていた。レイヴンだからと言って恋愛と無縁な訳ではない。ただジナイーダの興味をそそるほどではなかったというだけだ。
 残された酒を彼女に代わって一気に飲み干すと、僅かに体が熱くなった。


 映画が終わってもジナイーダは同じ場所にいた。もう12時を回っている。
 座りながら寝て翌日体が痛くなる事は、現役時代に何度も経験している。あの頃のコアの硬い座席ではないが、ベットで寝られるなら、それに越したことはない。それには膝の上のジナイーダをどかさねばならぬ。
「動けるか?」
 男の声にジナイーダは重い瞼を上げると、返事なのか何度か頭を縦に振った。
 少ししてからゆっくりと体を持ち上げて、ふらふらと歩き出した。
「洗い物…」
「やっとく」
 支えられたジナイーダは申し訳なさそうにうなだれる。ただ酔っているだけの可能性も否定出来ないが。
「今夜はあまり良い酒じゃないな、いいからもう寝ろ」
 寝室に着いたジナイーダは重力に抗う事なく自らの身体をベットに転がした。
「ちゃんと布団被っとけ。冷えるぞ」
 ほとんど寝言で返事をするジナイーダに毛布を掛けると、男は一旦寝室を出た。
 布を勢いよく剥ぐ音がしたが、もう振り返ることもしなかった。


 洗い物をした男は修身のメールチェックをする。これはほとんど日課になっていた。
 広告、数少ない知人からの連絡、報道機関からの情報…多様なものがあるが、もう『仕事』の話は全く来ない。
 所詮殺しの道具に過ぎなくとも、死線を越えてきた愛機である。埃を被っていることに寂しさも感じているが、ジナイーダが居る穏やかな日々を思えば、その想いもどこかへ消えた。
「さて…」
 今頃、体が冷えて震えているだろう。そろそろ戻って毛布をかけてやらねば。

 ベットの上のジナイーダには何もかかっていないままだった。予想通りと言えば予想通りだが、現役の頃の彼女を知る者には、にわかに信じがたい画だ。
「…寒い」
「かけろって言ったろ」
 布団をかけようとする男の腕を、ジナイーダが掴んで邪魔をする。放しもしない。
「おい」
「無粋だぞ」
 言うなりジナイーダは掴んだ腕を引っ張っる。完全に不意を衝かれた男は、バランスを崩して、勢いよくベットに突っ込んだ。
「ジナ…」
「今夜は温めてくれないのか?」
 ジナイーダの細腕は、するすると蛇のように男の首に絡まる。上気し、少しだけ瞳を潤ませたジナイーダの顔が近づいて、男は動悸を覚えた。
「酔ってるな」
「どっちだと思う?それに…」
−まんざらでもないだろう?−
 唇が重なり、女の舌が侵入を始める。僅かにアルコールの香りが男の口の中に広がった。
 今夜はその気でなかった男も、こうされては勝ち目がない。迎えるように絡めると、積極的に動いた。
「んふ…ん」
 こちらが応じた事にジナイーダは気を良くしたようで、鼻を鳴らす。
 彼女にしては珍しく、営みを愉しんで居ることがありありと見て取れた。
(まるで猫みたいに舐めるな…いやむしろこのひたむきさと表裏の無さは…)
「犬か」
「何がだ」
 満足したのか、ジナイーダは舌を離し、胸元のボタンを順に外していく。男は次第に見えてきた平原を神妙な面持ちで見つめた。
「どうした?」
「いや…」
 普段から脂質の多い料理にすれば、このアバクス平原の如き双丘も発展を遂げるだろうか。
 男は少しの間、超スレンダー体型を前に、真面目にそんなことを考えた。

 量こそないが、肌は驚くほどなめらかで柔らかい。
 手で覆っても空洞が出来てしまうような胸を掴むと、ジナイーダは不規則に甘い声を出した。
「……ふわ…!はぁっ!!」
 先端をつまむ度に強く目を閉じるの。やはり酒のせいなのか、今日はずいぶんと表情豊かだ。
 気丈を装うジナイーダが耐え切れずに口元から綻んでいく普段の情事も良いが、こうして反応してくれる平凡で仲睦まじい男女の情交も悪くない。
「あっ…は…もっと、キスして…くれ…」
「はいよ」
 せがむように唇を尖らし、より強く弄るのを促すように、胸に当てた手を更に押し付けさせる。
(本当に今夜は相当だな…)
 酒に感謝しなくては。男は甘えを晒け出すジナイーダを見ながら、彼女の心を蕩かせた液体に感謝した。
「んく…はむ…」
 ジナイーダは何か自身には欠落したものを男に求めるように必死に動いた。
 疼く下半身は意識していなくても、男に押し当て、擦りつけてくる欲するままに一心不乱に貪った。
「っは!ジナ。触るぞ?」
「ん。くぁ…ああ…あぁん!」
 左手が侵入すると、ジナイーダはまたも妖艶に鳴く。
 その声が好きで、男はついつい執拗に出し入れを繰り返した。
「あ…ひゃあ!!!」
―びくんっ!―
 しゃっくりをするように身震いをしたジナイーダが硬直する。先ほどまで力が入っていた体が弛緩する。
「イった?」
「聞くな、そんなこと!…まったく…良すぎるな、今夜は…」
 けだるそうに体を動かし、男に覆いかぶさった。艶やかな笑いが、男を少し恐れさせた。

「ふふ、かわいいぞ。その顔」
「あのな」
「大好きだ」
 意外な言葉に少し戸惑ったが、ジナイーダはその間にするすると動き、男の股にまで下がった。
「今日は気分がいい…こんな日くらい、尽くしてやる」
 ふっと、ジナイーダの息が愚息にかかったかと思うと、今度はソレの先を口に収められた。
「ん…う…」
 生温かい口が根元に向かい下り、彼女が定めた一線でまた上がる。
 不慣れなせいかじゅるじゅると音を立てながら、時折唾液でシーツを汚す。それもまたそそる光景だ。
「なんか…いいな。こういうのも」
「ん…ぷは!私も嫌いじゃない」
 それだけ言うと、ジナイーダは奉仕を再開した。
 尽くすことに喜びを感じる人間がいる。もしかしたら、ジナイーダもそうなのかもしれない。
(自分はどうだろうか?)
 レイヴンなどを生業としていた人間が、考えるだけ不遜なのかも知れなかった。
 ただ、根っこから人間を嫌っているわけではない。
 もちろんジナイーダのことは嘘偽りなく好きだ。性でもないので口に出さないが、
 きっとそれはジナイーダも知っているだろう。
「ん?」
「いや、何となくだ」
 指にジナイーダの髪を絡めた。このなめらかな心地よさが好きだった。
「私の髪は好きか?」
「あぁ。なんか…すごいいいな」
「それは良かった」
 ジナイーダは目を細めてこちらを眺める。本当に心から喜んでいるらしい。
「あぁっと…もう口ではいいぞ」
「ダメだったか?」
「いや、そうじゃなくて。そろそろ入れるぞ」
 口を開けたジナイーダを止めながら、対面するように促す。
「もっとまともな言葉はないのか?」
「そんな気の利いた言葉を持ち合わせてないことくらい、もう知ってるだろ?」
「ふふ、そうだったな」
 肌と肌がすれ合いながら、ジナイーダが戻ってきた。男は軽いキスをすると、自身のモノをジナイーダに当てる。
 ジナイーダへの愛撫は別段行っていなかったにもかかわらず、ずいぶんと潤っている。
「じゃあ…」
「あぁ…いいぞ」
―ずっ…ぬ―
 快感を明らかに拒まず甘受しながら、ジナイーダが抱きつく。悩ましげな表情と吐息が、その顔立ちと相まってえらく欲情を煽る。
「っはぁ…やはり良いな。私はお前が好きだ…」
「そっちこそ、ストレートなもんだ」
(まぁ…それでいい)
 およそこの世界で最も数奇な運命で成立した二人だ。言葉もそう必要ない。

「っうぁ…ふっ」
 やはり今日のジナイーダは大きく動けば、その分だけ声をあげてくれる。
 変に拒むこともない。ごく普通のことなのだろうが、この二人に限っては、ずいぶんと新鮮に感じられた。
「可愛い」
「もっと…言ってくれ。ふっ…!その声で…もっと!」
 髪を撫でながら、童女をあやすように耳元で囁く。そのたびにジナイーダはありありと喜びを示した。
「手を…」
「あぁ」
 情事のときには手を繋ぐ。どちらが言い出したでもなく、二人の間ではルールとなっている事だ。
 ジナイーダのも自分のも、以前と比べると随分柔らかくなっている。何となく、それが嬉しかった。
「あぁ!あ!あ!あ!」
 やはり可愛い。男に組み敷かれて鳴くジナイーダを見ながら満足していた。
 その鋭く氷のような容姿が、火照り自分に支配されている。二人で凝った趣向の夜を過ごしたことはないが、雄の本能とでも呼ぶべき様なものが喜んでいる。
「激しッ!ああぁ!…」
「綺麗だな…」
 何度もキスをした。自分のものだと刻みつけていく。結合部に白く、粘性のある液が分泌され、泡立つような音が卑猥に響く。涼しい夜のはずが、いつしか全身に汗をかいていた。
「あっ!?」
「!?」
 滑りがいいのが災いしてか、男のものが抜けてしまう。妙な空気を変えるために男が口を急いで開く。
「あぁっと…バックで良いか?」
「駄目だ」
「何で?」
「お前の顔が見えないだろう」
「そのサイズなら胸も隠れちゃうしな」
 照れ隠しの言葉の返しに拳を一発腹にもらった後に再び沈黙が生じる。しかし、今度はジナイーダから崩しにかかった。
「なら、私を持ちあげろ。そうすれば抜けることもないだろう?」
 ジナイーダは目に涙を浮かべる男の上に乗ると、上半身を起こすよう促す。
「これなら抜けることもないだろう?」
 外さぬよう狙いを定めて、腰を落とす。一気に奥まで達したのか、びくりと震えた。
「深い…!ぉあ!!」
「動きづらいな…これ」
「ひ!ふぃ!…ひぃ!!か、構わん。私が…動く…ぅ!!」
 組み敷き征服するのもいいが、やはり対等でいるほうが二人にとって自然なのかもしれない。
 大きなうねりが、男の中で押し寄せては引き返す。それが徐々に早く、強くなっていく。
「ひゃん!」
「随分…可愛らしい声出すじゃないか…」
「う、うるさい!そっちこそ…っはぁ!余裕も、そうないだろう?」
 違いなかった。熱が高まり体か溶けだしそうなほどの感覚が走る。
「構わん…好きな時にイけ…」
「ジナイーダ…」

 昇ってくる。ジナイーダが一つ大きな声をあげた。
 何度も愛していると言った気がする。
 記憶があいまいなほど興奮しているのだろうか。
「ジナイーダ…」
 もう一度だけ名前を呼んで、昇りつめた熱を放出した。

 その後…
―…やっぱり子供は欲しいな―

―母親似の美人なら良いな―

 それは夢だったのか、酔った勢いのピロートークだったのか。
 甘い声で囁いたジナイーダの声。少し臭い台詞を言いながら、そっと肩を引き寄せた男。翌朝夢かまことかお互いに聞くにきけなくなったのは言うまでもない。


おしまい

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