はじめに


 2009年1月10日(土)、イスラエルのガザ侵攻に対する抗議として、大阪中ノ島で抗議集会とデモが、京都三条大橋でビジルが行われました。
「思想としてのパレスチナ」のゼミ生も、このデモとビジルに参加しました。
その様子をレポートします。
(goto)

デモ@大阪中ノ島

はじめに

 
 「思想としてのパレスチナ」のゼミ生にとって、デモに参加する事は初めての経験でした。そのはじめてのデモで僕たちは何を感じたのか、それをお伝えしていきたいと思います。
レポートはgotoが印象に残った事をピックアップして報告します。加筆訂正、ぜひしてください。
(goto)

レポート

女神像前二時
 
 大阪での抗議集会は、中ノ島公園女神像前で14時から始まりました。主催は「許すな!イスラエルのガザ侵攻1・10緊急行動実行委員会」。
みぞれが降る程の寒さの中、集まったのは500人の方々。予想の二倍だそうです。
(goto)




ガザ住民、B・サーメドさんからの電話
 
 まず最初に、ガザの住民のB・サメードさんとの会話の録音が流されました。岡研究室の院生でもある役重さんが、逐一日本語に訳してくださいます。(途中からしか聞けていなかったので誰か、印象に残った点をfollowしてください)
 僕がとりわけ印象に残ったのは、役重さんが最後に言われた次のような言葉でした。
「ガザの今の状況は、そこに住むガザの人々からその人間性を奪っている。とりわけ、封鎖というものが人間性を奪う
800人の死の裏側に、電気も食料もない中で生きようとしている150万のガザの住民がいること。」
それを思いながら抗議を声にして行こう、と言われていたように思います。
(goto)
岡真理先生の話

 その後、岡先生の発言がありました。たくさん印象に残ったことがあるのですが、その中から1つだけ。
僕にはそこで医療関係者について話しがされていたのが印象的でした。
1980年代半ば、レバノンのブルジバラジネ難民キャンプ。
そこには規模は違えど、封鎖と攻撃という今のガザと似た状況がありました。
岡先生はそこで医療活動をしていたポーリン・カッティングというイギリス人医師の本から、1つのエピソードを紹介します。

「ある日その医師の下に、二人の顔見知りの若者が重傷を負って運ばれてきました。どちらも一刻も早く処置をしなければ命を落とすほどの重傷です。現地の劣悪な医療環境の中で、その医師はどちらか一人の若者を選ばなければならない。医師はその一人を選びます。その時、選ばれなかったもう一人の若者が、こういったそうです。
『そうか、死ぬのはぼくか』

 ガザのただでさえ貧弱な医療機関が、この状況下で3000人もの負傷者に対応することは到底無理だ、と岡先生は言います。
カッティングがした究極の選択、そのような事がきっと迫られる環境にガザの医療関係者はいる。
そうした関わりを続ける医療関係者が殺害されているのだ。
そんな事を話されていました。

 また最後の言葉も印象的でした。
沈黙が事態の容認を意味する、といったことを述べた上で次のように言われていました。
「ガザが今、このような状況になって私たちは初めて知りました。私たちの沈黙が何を意味するかを。私たちは一刻も早くの停戦を求めなければならない。
けれどたとえ停戦になっても、ガザの封鎖が続く限り人間性に対する攻撃は終わらない
ガザの今の状況は、私たちの人間性に対する攻撃です。」
(goto)
デモ

 その後、呼びかけ団体の方々から一言ずつ発言があった後、デモに移りました。
女神像前から出発して40分ほどでしょうか、デモ行進をして解散しました。



デモっていろんな参加の仕方があるんだなぁ、と見て思いました。



デモの人たち。残念だったのは、人通りがすごく少なかったこと。もっと見てくれる人がいれば・・・

(goto)

デモ参加に関連して思ったこと


抗議集会とデモ、そしてビジル。それぞれ雰囲気も違うし、ひとつとってみても、その中で本当にいろいろな人がいろいろな形で参加していました。例えば、デモではシュプレヒコールをあげる人もいれば、プラカードを掲げる人もいました。それから、プレーヤー片手に音楽を流す人。ギターを弾きながらうたう人。私たちは、隊列のそばで自分たちが作ったビラを配りました。
NO!の意思を示す方法は無限にあります。自分はNO!というために何ができるか。昨日一日、一人ひとりがそれぞれの表現のしかたでガザの人々の訴えに応答しようとする、様々な姿がありました。ガザと日本は遠く離れているけれど、ガザの人々の訴えを「聞いた」人はみな、それに何らかの形で「応答」する責任があるのではないか、と思いました。(noddy)

写真アップするのが遅くなってすみません。メカ音痴で、載せられる容量に圧縮するのに時間がかかってしまいました。自己流でなんとか小さくしたのですが、たぶんかなりおかしなことになってると思います。
詳しい方、ぜひ写真のアップ方法についてのアドバイス、お願いします。(noddy)


ビジル@京都三条

ビジルは6時半から8時過ぎまで、三条大橋で行われました。ビジル(vigil)とは、「寝ずの番」「夜伽(よとぎ)」「お通夜」などの意味で、キャンドルを灯し、亡くなった方々に思いをはせる集いです。それとともに、街に立って、意思表示をするというものでもあります。今回、のべ150人の参加があったそうです。



日中の抗議集会&デモとは違い、こちらは「追悼」、また、「静かなる抗議」といった印象を受けました。キャンドルを手にした人々が、三条大橋の両側に連なります。その中には、ガザから届いた写真入りのプラカードやパレスチナの旗などを掲げる人も多くいました。(写真入のプラカードは、列の人々の間にも置かれていました。)橋を行き交う人々にビラを配る人もいましたが、抗議集会&デモよりは少なかったように思います。また、比較的静かに配っていた気がします。私も、日中より抑え目の声で、自分たちの作ったビラを配りました。

ビジルでは、大きな声を上げてアピールすることはないのですが、だからといって人々の注意をひかないかといえば、全くそんなことはありません。私が見た限りでは、道行く人の多くがビジルの列に目を向け、中には食い入るようにガザから届いた写真を見る人もいました。バスからも人々の視線を感じました。ビジルを目にした人々は、どのようなことを思ったのでしょう?



私は後半、井上さんの隣でキャンドルと写真入りのプラカードを持っていたのですが、ある女性がお金を手に握って私たちに近づいてきました。そして、キャンドルを見て「あら、募金じゃないのね。募金活動はやってないの?」と言われました。キャンドルが募金箱に見えたようです。私たちはお心はありがたいのですが、募金はやってないんです、と答えました。女性が去ったあとで、お金をうけとればよかったと思いました。私たちが女性にかわり、関係する団体に募金させてもらえばよかったのではないかと思いました。女性が自分なりの方法でパレスチナ問題に関わろうとしていたのに対して、その思いをうまくつなぐ行動ができなかったことを反省しました。
自分自身がパレスチナ問題に「つながろう」とするのはもちろんですが、誰かの「つながり」の橋渡しをするような行動、それも考えていきたいと思いました。三条大橋にできたキャンドルの灯の連なりの中で。(noddy)

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