お姉さまの口付けそうどう

二人がPVの中で見せる恋人同士のような口づけ。

それは、二人の歌う曲のPVの中に用意されていた一シーンで、二人は、そのシナリオの要求に十分に応える演技を見せた。
それが、多分、PVから得られる唯一の事実で、他の何かを直接特定させるような発表は今のところ無い。

初めてあのシーンを見た人の多くは、まずびっくりしただろうし、そうすると次に気になってくるのは、演技の場とは言え、あんなキスの出来る二人は、いったいどういう関係なんだろう、という事だと思う。
まぁ、人が何を考えているか、なんて事は、他人にその全てを理解できる物じゃないけど、二人を真剣に応援しようとすればするほど気になってしまうのも、実はその点じゃないかと思う。
二人がお互いの事をどう思っているのか、それを言葉に当てはめるとすると、何になるのか、それは私にも大いに興味がある。


キスという行為は、愛情を表現するコミュニケーションの手段の重要な一つと位置付けられていて、一般に、その対象となる部位が、手から、額、頬、となるに連れて、表現される親愛度も増していき、その最大のものが、くちびる同士となる。

二人は、その中でも、まるで恋人同士がするような口づけを見せている訳だが、しかし、それはあくまでPVの中の登場人物として演じている訳だから、それすなわち二人の間の愛情度を計るもの、とするのは、ひとまず間違いだろう。

ただ、そうは言っても、二人がかなりの仲良しだ、という話を聞いた人には、あの演技上のキスが、単なるお友達同士のただ一度きりのお芝居、とは考えにくいのも事実だと思う。

誰に聞いても、どこを見ても「仲良し」という答えの返る関係を何年も続けている二人が、例えば、落ち込んだり寂しがる相手を前にして、自分の大事な人を、慰めよう、力付けようとして抱擁に至り、感謝や好意を最大限に表そう、さらにそれに応えようとして口づけに至っていたとしても、私は、理解出来ない不思議な事とは思わない。


プライベートなら当人の気持ち次第で自由にしてしまえるキスだが、演技でとなると、話は違う。
それは、あくまで「人に観て貰うための」という扱いになるからであり、見る人は、そこから十人十色の解釈をする訳で、その十色の中に必ずしも好ましくない色が混じる事は当然あると考えておくべきだ。

私も積極的に考えたい訳ではないが、有償の商品の一部になっている点から避けられない議論はあるだろうし、また、あのキスから短絡的に導き出される二人の極端な姿は、最近は理解が深まる傾向ながら、まだまだ一般に偏見を受けやすい危うさを秘めている。

だから、そういった色眼鏡の視線でほんの少しでも傷つきたくない、相手やその他の誰も刺激したくないという事を優先しようとすれば、この仕事は降りるべきだ。

しかし、それでも尚、実際に二人は回答を出している。
仮にマイナス要因に本気で思い当たっていなかったとしても、それはそれで、周りが見えていないほどの思い入れで臨んでいた事になるので、結果としては同じ事だ。

では今回のPVで、デメリットを無視して二人は何を見せたかったのだろう。


直接的には、PVで見せる演技そのものと言って良いと思う。
自分たちがリリースする、自分たちが出演するアニメの主題歌のCD、その曲と対になるべく企画された今回のPV。TVで何度も流れていた部分もテキストレス化され、そこで歌う二人の姿は本当に綺麗だ。
中でも、観る者に訴えるような、普段は見せない二人の鋭い表情は、もう完全に女優さんの顔と言って良いと思うし、ラストシーンは更に圧巻で、恋人繋ぎで手を握り合う二人の最後の場面の表情からは、まるで「私達の何が悪いの?」という声が聞こえてきそうな、そういう迫力がある。

そうは言っても、どのシーンにまず視線が集中するかは、二人も察しているようで、愛ちゃんは「物語だから始めから終わりまで流れで見て欲しい」と繰り返す。(※アニスパ、ストパニラジオ等)
主演女優自らが「物語だから」、と付け加えなくてはならないような演出はいかがなものか、という件は別としても、主にどういった所から二人のキスシーンと似た画像が得られるかを考えれば、これは当たり前と思える意見で、そうした、シーンだけの一人歩きは、愛ちゃんにはとても辛い事なんだと思う。

麻衣ちゃんは、その辺り、多少さばけているような感じもあり、「みんな喜んでくれると思うの。」(※アニスパ)
そりゃ興味を持つ人のうち大多数は喜ぶだろう。何と言っても、望むなり頼むなりすれば見られる、というものではないのだ。ただ私の場合は、あくまでも、仲良しの二人が本気で、に見えたところに喜んでいる訳だけど。

ちなみに、その後には、麻衣ちゃんはこう続けている。

「男の子があんまり知らない世界をこのPVでちょっとだけお見せしてる、みたいな」「『女の子って実はこうなんだ』みたいなのも見てほしいな」。(※アニスパ)

これを乱暴に要約すると「私たちで百合を感じて」、という事になるが、果して、PVとして世に出たものは、スタッフや二人が頭で考えたものを演技で具現化した擬似的な存在なのか、それとも、三年間で実際に二人が育くんでいたものを開花させた、というような「本物」なのだろうか。


麻衣ちゃんの発言には、「もう是非。是非に見て欲しい。」(※オカピ)といった、かなり強めの表現が用いられているが、まぁ、誰だって、頑張っていい仕事をしたと思えば、それを多くの人に評価して欲しくなるのが自然だ、とは思う。

だけど、さっきの話に繋げて考えた場合、「マネだから是非見て欲しい」や「台本の通りだから是非見て欲しい」となるのは、どこかおかしく、「本物を見せてあげるから、是非見て欲しい」になる方が文脈としては自然だろう。

このパターンで二人の他の発言を考えていくと、愛ちゃんの極端な妄想「麻衣ちゃんのファンに刺されるかも」(※アニスパ)も、マネや演技じゃなく、麻衣ちゃんを本当に独占しているような本物を見せてしまったからこそ、そこまで恐れた、と言われれば、納得できるような気がする。

麻衣ちゃんの「つい、やっちゃった」みたいな発言(※オカピ)も、「本物を」の場合しか意味が通らない。


二人のコメントの中で一番強烈だったのは、(秘密ドールズは)「麻衣ちゃんと私の“愛の結晶”です☆」(※愛ちゃんの日記)だろう。

愛の結晶と呼ばれる特別な存在である生命は、少なくとも演技やマネからは生まれない。だから、これも本物を指向していると言えるし、さらに言えば、友達や姉妹、相方同士の間に続々と誕生するものでもない。

だから、愛ちゃんのこのコメントを単純に文字通りに理解すれば、二人は気持ちを通じ合わせた本物と告白している事になる。

またコメントが一種のジョークだったとしても、それはそれで、365日24時間ずっとではなくても、少なくとも、このコメントを思い付いたり文字にした瞬間など、愛ちゃんは、麻衣ちゃんと恋人とか夫婦みたいな位置にいる自分、という存在について少なからず意識する瞬間が必ずある事になる。


また、麻衣ちゃんの方にも、後で文字にして見ると、なかなか刺激的な事を言っているように見える部分がある。

それは、「もう、何の事実も隠してない感じの。」(※オカピ)
直前の発言と直接繋がっていないように見えるし、また、目的語が省略されているので意味は取り辛いが、直後に出てくる同様の言いまわし「つい、本当につい、って感じの。」と、目的語が共通で、それが「キス」もしくは、それを含む存在である「PV」だとすれば。

その場合、麻衣ちゃんは、何が事実かをあっさり白状している事になる。



さて、この先、いよいよ妄想成分が多量に含まれる事になるので、ご了承のもとに、話半分と言わず4分の1以下で読んで頂きたいのだが、アニメ「ストロベリーパニック」のDVDには、秘密ドールズPVのメイキング映像が含まれるバージョンがあり、そこにある映像を見た後では、奇妙に感じられてならない事がある。

それは、話を蒸し返す事にもなるのだが、二人はなぜPVで、あそこまでの限りなく本気に見えるキスを見せてしまっているのか、ということ。

別項に書いている通り、私の観察では、メイキングでの二人は、あくまで撮影用の擬似的なキスをしている。
これなら、PVを企画、演出する側からの要求としても、二人が嫌がらない限り、まぁ妥当と言える線だし、また、麻衣ちゃんがラジオで言っていた、「愛ちゃんと私は、そういうの全然平気です。」(オカピ)という、出演を承諾した件の発言も、比較的自然なものとして理解できる。
(もっとも、映像を見て擬似ではなく本物と理解した人にとっては、本物をしてしまった事になるので、対外的な意味は実質的に変らなくなるのだが、それはまた別の話とする。)

だが。事実はPVの通りであり、そこでの二人の動きや表情を見る限り、私には、本当の恋人同士が自分たちの世界に入っていく姿に見える。

それはもう、磁石の両極や、相反する電荷を持つ物質が見せる自然界の動きのように、自分と対になる存在に出合った瞬間、より完全な結合を目指し、より安定した状態に至ろうとする自然な姿。そして、そこから得られる充足感で満たされようとする姿としか思えない。


二人が見せるあのキスは、果して、企画側から二人に要求して良いものだろうか。

例えば、二時間越えの劇場用映画のラブストーリーで、出合いから種々の試練を乗り越えていく愛ちゃんと麻衣ちゃんの姿が丹念に描かれ、ラストシーンで遂に想いを確かめ合う、そういう流れの中に二人のあのキスがあったとしたら、多分、みんな驚きはせず、場内は感動の涙と拍手に包まれていると思う。

しかし現状、PVをただ雰囲気で楽しもうとする人は、ラストシーン直前までで描かれる流れから見て、かなり異質に映るものに出合う事になるのではないだろうか。
私も、あのキスがあって不自然でない、有れば締まるストーリーという結論を出しているが、さりとて、絶対必要条件として演出側が要求するだけの必然性が十分語られている物語、とまでは思わない。


麻衣ちゃんたちは、本当に、あのキスを見せてしまう事になる仕事を、当初から全然平気のものとして軽くOKしていたのだろうか。

何を言ってる、実際にしてるじゃん、という意見は少々待って頂きたい。
だったら、あのメイキングにある別テイクは、何なのだろう。

二つのテイクは、私が見る限り、目指すものからして全く違うように見えるのだが、しかし、PVのシナリオが同時にこの二種類を必要としているとは思えない。

となれば、一つは、もう一つを完全に置き換えるために後で用意されたもの、という事になり、置き換えられた結果が、あのPVという事になる。

擬似キスを、本当のキスで置き換えなければならない理由。
お友達キスを、恋人キスで置き換えなければならない理由。
演出側の出したNGの類でないとすれば、それはもう。

最初に撮ったのは、私たちを正しく表していない。
記憶や記録に残って欲しい私たちの本当の姿は、こうなの。

二人は話し合って、自らこういう結論を出したんじゃないだろうか。

麻衣ちゃんの当初のコメント「全然平気です。」と、事後の「もう、これ以上はできません、みたいな」(※オカピ)を両方満足させようと考えれば、私の場合、どうしてもこうなる。私には、これ以外のシチュエーションは思い付かない。


4分ほどのPVの各シーンは、メイキングを見れば、ほとんどが自然光のある時間帯のうちに撮影が終っていて、事実、愛ちゃんの側は、この後にラジオ出演のスケジュールを入れている。

しかし実際には、撮影は深夜に及び、ラジオは電話による出演となる。やはり、当初は想定外だった何かが起こっていたように思えてならない。


実は、この部分の妄想が間違っていたとしても、私の考えているストーリーは全く変化しない。
もし、意識的に、ではなく、麻衣ちゃんが言うように、つい朦朧としていて、予想外にリアルなシーンが偶然撮れてしまったとする。
だとしても、二人の側がこれは使って欲しくないと思えば、編集や、再度の撮り直しを要求する事は、決して難しくないはずだ。

少なくとも、私がPVを編集する立場なら、まず収録を躊躇するだろうし、本当にこれでいいですか、と、何度も念を押すのが常識的な反応ではないかと思うのだが、この確認があったとしたら、二人はここで、出演者としてこの形のPVを承認している事になる。

この段階も引き続いて「つい、朦朧として、」というのは、かなり考えにくい。


ところで、ここのところの、麻衣ちゃんの「つい、」とか「あれ、記憶にない」という発言(※オカピ)について、もう少し言及しておくとするならば。

いくら朦朧とした意識の薄い状態だったとしても、さすがに目の前の相手が誰で、今、何をしているのかは理解していると思う。
そんな状態で、カメラが回っているにも関わらず、つい、無意識の内にあんなキスをしてしまい、しかも、それが記憶に残るレベルにも達しない事柄なのだとすれば、それこそ、二人は一体どんな日々を送ってるんだよ、という話になり、それはそれで萌えるのだが、語るには落ちている。

だから、私はこれを、本当はいろいろあって悩んだ結果なんだよ、というメッセージを隠すための、麻衣ちゃんなりのラッピングと取ろうと思う。

かくして、二人が本当の自分たちの姿を忍ばせた「禁断の百合PV」は世に出る。

あぁ、そうそう。何度も書いているけど、これは妄想だからね。


と、この章を締める前に、この不適切な煽り文句には苦言を呈しておきたい。
「禁断の」と名付けた人には、それが「百合」にかかるのか「PV」にかかるのかを説明して頂きたい。
自社で出すPVを禁断と呼ぶのは矛盾以外の何物でもないし、二人の演じた関係が二人の関係に少しでも似ていると思うなら、それを禁断と呼ぶのは、あまりに二人に失礼な話だ。

それが、どのような言葉で表されるにせよ、私は二人の関係を美しい、羨やましいと思いこそすれ、禁断などとは思った事は一度も無い。


続く お姉さまの告白そうどう
2006年08月10日(木) 21:46:02 Modified by rttbl




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