最終更新:ID:Fk4EbDUIQA 2009年01月15日(木) 08:57:32履歴
誰もいない家に帰る。
気分が暗い時に明かりがついていない家に入ると、さらに気がめいる気がする。
今日は自主レッスンだったが集中できず、早めに帰宅した。
以前の私だったらレッスンを早めに切り上げる、なんてことはしなかっただろう。
私の気分が落ち込んでいるのも、自主練に集中できなかったのも、理由は一つ。
美希がいなくなったからだ。
今日はプロデューサーとレッスンの予定だったのに、いつまでたっても美希が来なかった。
携帯に連絡したがつながらなかった。社長も音無さんも何も連絡がないと言っていた。
風邪でも引いたのかと思い家族に連絡を取ったら、どこかに出かけた、との事だった。どこに行くかは言わなかったらしい。
プロデューサーは美希を探しに出て行き、残された私は自主レッスンをするように言われた。
そして今に至る。
なぜ、いなくなったのか。理由は分からない。最近はアイドル活動にもやる気を見せてきていたし、
先日Bランクになって初めてのライブを終えたばかりだ。
テンションが下がるようなこともなかったはず。
昨日も楽しそうにおにぎりを食べていたし、それはないだろう。
私と一緒に活動するのが嫌になったのだろうか。
・・・・・・デュオを組んだばかりの頃は相性はお世辞にも良かったとは言えない。
あまりやる気を見せない彼女とそれに苛立つ私。喧嘩だってした。
それでも、仲直りしたり、ランクを上げていく毎にお互いにユニットを組むパートナーとして、友人として、打ち解けていった・・・
と思っていたのは私だけだったんだろうか。
互いの家に泊まりに行くこともあったし、オフの日に一緒に遊びに行くことも増えた。
そんなことはないと思いたいが・・・・。
そういえば、以前はよく美希が抱きついてきたけど、最近してこないことに気づく。
まぁ、抱きつかれるのは嫌いではなかったのだけれど、胸が当たって恥ずかしいやら悲しいやら・・・複雑な気持ちではあった。
(私、臭いのかしら・・・・・・)
それ以外だと、この間ライブの打ち上げで、彼女を家に呼んだ時、妙にそわそわしていた事ぐらいか。
ちらちらこちらを見ては、目が合うとすぐにそっぽを向いていた。
「泊っていく?」と聞いた時、いつもなら「うん!」とすぐに答えが返ってきたが、あの時は泊っていったけど、少し悩んでいた。
もしかして、何か気に障るようなことをしたんだろうか。
そもそも自分はどこか鈍いところがある、というか世間知らずなところがある。
気付かないうちに酷いことをしたんじゃ・・・
ここまで考えて、はたと気づいた。他人のことでこんなに悩むなんて、いつぶりだろう。
自分で思っている以上に美希の存在は大きかったようだ。
美希と出会ったばかりの頃なら、こうじゃなかった。
今だって、美希のことを「やる気がない」と思って気にせず自主レッスンをしていただろうし、
帰宅しても明日のスケジュールと歌のことしか考えてなかっただろう。
それが今ではたった一人の人間のことで頭がいっぱいになるなんて・・・。
人間、変わるものだ。変えてくれたのは美希とプロデューサーと、事務所の仲間たちだ。
今、彼女はどこにいるんだろうか。あの時プロデューサーと一緒に探しに行けばよかった。
見つけたら連絡するから、とプロデューサーは言っていたが未だに連絡はない。
彼女のことを考えれば考えるほど心配になってきた。ふと、あの事故が頭をよぎった。
もしかしたら、と想像したらぞっとした。いてもたってもいられなくなった。
やはり、もう一度美希に連絡しようと立ち上がったところで、携帯から私たちの歌が聞こえた。
携帯を手に取る。プロデューサーからだった。
「も、もしもし?」
「千早か?美希が見つかったぞ!」
「ほ、本当ですか!?美希は今どこに?」
「俺と一緒に事務所にいる」
「良かった・・・」
「あ、あぁ・・・そうだな・・・」
「・・・?どうか、したんですか?もしかして、怪我でも・・・?」
「え!あ、いや、怪我はしてない。無傷だ。ぴんぴんしてるよ」
「・・・・・・千早。今日はこれからなんか家の方で用事あるか?」
「いえ、今日はもう何もないですが・・・」
何だかプロデューサーの様子がおかしい。
「そうか。だったら、これから事務所に―って、こら!美希!!」
突然プロデューサーの声が遠くなった。代わりに美希がプロデューサーに謝っているのが聞こえる。
良かった。どうやら元気らしい。問題はなさそうだ。
「もしもし?千早さん?心配させてごめんね。あのね、話があるの。これから事務所に来てもらってもいい?」
「え?電話じゃ、ダメなの?」
「・・・大事な、話なの。これからに関わることだから・・・直接聞いてほしいの。」
目の前に美希がいるわけではないのに、頷いてしまった。
あんな美希の声は初めてだった。
大事な話というのは一体何だろう。事務所に向かう電車に乗って私は考えた。
考えたくはないが、ユニットを解散したいと言うのだろうか。普通に考えればそうだろう。
あの声色。プロデューサーの様子。私と美希の今後に関わること。それぐらいしか思いつかない。
「プロデューサーがぎっくり腰になった」というような軽い話ではないことくらい、鈍いと言われる私でもわかる。
だが、今まで一度も相談してこなかったのが不思議だ。
今までずっと一緒にやってきたのに・・・。
そんなことを考えているなんて、全く気づけなかった。
何でも話せる関係、それこそあの事だっていつかは話せるような気がしていた。
そう思っているのは私だけで、彼女は私のことは何とも思っていなかったんだろうか。
考えているうちに気分も暗くなってきた。
そんな考えを振り払うかのように電車を降りる。
決めつけるのはまだ早い。聞いてみなければわからない。
辺りはすでに街灯がついていて、すっかり暗くなっていた。
事務所のドアを開ける。
普段は暖かい事務所の空気が張り詰めていることに絶望した。
会議室にプロデューサーと美希はいた。
美希はこちらに背を向け、窓の外を見ていた。
「おぉ、来たか」
プロデューサーが私に気づいた。
美希がビクッとなった後、こちらを見た。
「千早さん・・・」
「良かったわ。見つかって。・・・心配したのよ」
「・・・・・心配掛けてごめんなさいなの・・・」
「さて、肝心の話だが・・・・・・俺は千早が来る前に美希から話は一通り聞いたんでな。部屋の外にいるよ。
・・・・・・美希も、俺がいるよりは千早と二人だけの方が話しやすいだろう?」
「うん。ありがと、プロデューサー・・・・・・」
ドアが閉まった。
「それで・・・話って?」
声が震える。
「うん。・・・・・・・・・あのね、千早さん」
聞くのが怖い。
「えぇ」
今すぐ逃げ出したい。
「美希ね」
やめて、何も言わないで。私、解散なんて――!
「美希ね、移籍することにしたの」
「え・・・・・・・・」
想像したのとは違う言葉だった。
けれど、頭が真っ白になった。
「い、移籍・・・?」
「うん。移籍。961プロってところに、ね」
「もう、決まってるの?」
「うん。向こうに話は通ってるの」
「・・・いつ移籍するの?」
「明日から。だから765プロに来るのはこれが最後なの」
「あ、明日って・・・早すぎるわ!それに解散じゃなくって移籍ってどういうこと!?顔も見たくないほど、私の事が・・・
嫌い・・・だったの・・・・・・?」
最後の方はうまく声にならなかった。
「・・・それは、半分ホントで、半分違うの」
「・・・?どういうこと・・・?」
「ミキは、顔も見たくないほど、千早さんの事が好きってこと」
「え・・・?」
「つまりね、顔を見てたら」
「もう、我慢できないってことだよ」
――そう言い終わるやいなや、美希に腕を掴まれた。
目の前には目を閉じた美希の顔。口には何かが当たっている感触。顎には美希の手。
これはつまり、その、まさか、キ――
そこまで考えたところで、唇を舐められた。ゾクリとする。
「ん!――っふ、は、ん!」
驚いて口をあけた途端に何かが口の中に入ってきた。
美希の舌だ。驚いてかたまってる私をよそに口の中で動き回っている。
上顎を舐められ、舌を軽く舐められたところでようやく理性を取り戻した。
「ちょ、っふ、――っ美希!やめて!」
力がうまく入らなかったが、なんとか引き離した。
「なんで、こんな・・・」
「千早さんの事が、好きだから。我慢できなくなっちゃった」
「ミキね、結構前から、こういうことしたいって思ってたの」
「最初の頃は平気だったけど、段々”したい”って気持ちがおっきくなってきてね」
そう話す美希の声には、何の感情もなかった。
怖い。顔は笑っているが、目は笑ってない。おにぎりを食べてよく笑っていた美希とは思えない。
誰なんだろう、この人は。わからない。知らない。怖い。私の知ってる星井美希じゃない。
「でね、ミキが頭の中で千早さんにしてること、したくなっちゃったの。
教えてあげよっか?ミキが頭の中で千早さんにしてたこと・・・」
美希が私の顔に手を伸ばした。
怖い。
「イ、イヤっ!!」
思わず、美希の手を撥ね退けた。
一瞬、美希の顔がひどく悲しそうに歪んだ気がした。
「あ、あ・・・ご、ごめんなさい、美希!わ、私・・・つい・・・」
「いいの。今のはミキが悪かったから。怖がらせちゃって、ごめんなさい」
そう言う美希の顔は悲しそうに笑っていた。
「つまり、こういうことなの。このままだとミキは千早さんのこと、めちゃくちゃにしちゃうの」
「そんなことすると、千早さんを傷つけちゃうから」
「そんなの、ミキはイヤ。千早さんには笑っていてほしいの」
「・・・隠し続けようって思ったけど、やっぱり自分の気持ちに嘘はつけないの」
「・・・・・・今まで、ありがとう。千早さん」
「ホントに、ホントにそう思ってる」
「本気で怒ってくれたり、本気で心配してくれたり・・・嬉しかったよ」
「移籍のこと、相談もしないで勝手に自分で決めちゃってごめんなさい」
「ミキのことは忘れてくれていいから」
「千早さんには、ずっと大好きな歌を歌っていて欲しいの」
「歌を歌ってる時の千早さんが、ミキ好きだから」
「じゃあね、千早さん」
「美希っ!・・・まって!!」
美希を追いかけようとしたが、いきなり走り出したせいで足がもつれて転んでしまった。
立ち上がる頃には、美希の姿はもうなかった。
それと同時にプロデューサーが入ってきた。
「おい、どうした!今、美希がすごい勢いで・・・って千早、大丈夫か?」
「え?」
気がつくと、涙が流れていた。
止まらない。何度拭っても流れてくる。
「す、すみません。と、とめ、ますから・・・」
「千早・・・今ぐらい、思いっきり泣いてもいいんだぞ・・・」
無意識にプロデューサーに抱きついていた。
美希の顔が頭に浮かぶ。彼女との思い出と共に。
止まらない。止まらない。
「う、うあ、うわあああああああああああっ!!!」
そこからの記憶は、曖昧で、気がつくとプロデューサーに車で家まで送ってもらっていた。
何か言っていたが覚えていない。倒れるようにベッドに横になった。
今日のことはすべて夢なんだと、そう思いながら。
夢ではない。そのことを翌日のプロデューサーからのメールで思い知った。
「美希の移籍の件は俺も昨日初めて聞いた。昨日の様子からして、千早も混乱しているだろう。マスコミもえらい騒いでるしな。
しばらくオフにして、今後の活動については事態が落ち着いてから決めたいと思う。落ち着いたら連絡をくれ」
もともと、今日は何をする気にもなれなかったので、この突然の長期オフは嬉しかった。
外に出る気も、自主練をする気にもなれない。好きな歌を歌う気にもなれず、クッションを抱いてぼうっとしていると、
ふと、若草色のマグカップと、お揃いの青色のが目に入った。
美希が初めて私の家に泊まりに来る時に美希が買ってきたものだ。
「お店で見かけて可愛かったから、買っちゃったの。ついでに千早さんの分も買ってきちゃった」
それから遊びに来るたび、美希はそれを使っていた。
私も美希が買ってきた青色のマグカップを、日常的に使うようになった。
「このマグカップはミキ専用のだから、春香とか、他の子に使わせちゃダメだよ?」
美希はそう言って、いたずらっ子のようにえへへ、と笑っていた。
だが、これからは使う人間もいなくなる。
「捨てようかしら・・・」そう、呟いた。
(美希も自分のことは忘れろと言っていたし、いい機会じゃない)
そんなことを思いながら美希のマグカップを手に取った。が、手が滑った。
ガチャン!
床には割れた若草色のマグカップが転がっていた。
「あ・・・・・・」
悲しそうな美希の顔が浮かぶ。
割れたマグカップが今の私たちの関係のように見えて、視界がぼやけた。
「あっ・・・・う・・みきぃ・・・うっ・・・ううっ・・・みきぃっ!」
無理だ。美希のことを忘れるなんて出来ない。出来るわけがない。
美希がいないだけで自分はこんなにダメになる。
好きな歌すらまともに歌えない。笑えそうにもない。
座り込んで、割れたマグカップの破片を拾う。
決めた。
「美希をつれ戻す」
私には美希がいないとだめだ。
忘れろと言われても忘れられない。
それに私が笑うためには、美希が、星井美希がいないとだめなのだ。
大好きな歌を満足に歌うためにも。
美希の気持ちに、どう答えればいいのかはわからない。今、私が美希に抱いているこの感情が何なのかも。
美希のことを傷つけることになるかもしれない。それでも美希に会いたい。
美希は「自分の気持ちに嘘はつけない」と言った。
それなら私も自分の気持ちに嘘はつかない。
美希と一緒にいたい。
今はこのマグカップのように関係が壊れてしまっていても、いつかまた元の関係に戻れると信じている。
やることはたくさんある。ソロになったことでまた、Fランクからスタートだ。
でも、それは移籍したばかりの美希もおなじ。
その実力と才能ですぐにランクを上げてくるだろう。
「未完のビジュアルクイーン」の名は伊達じゃないという事は、ずっと組んできた私が一番良く知ってる。
だけど、私だって「765プロ一の歌姫」だ。
美希がどれだけ上に行こうと、絶対に追いついてみせる。
追いついて、何が何でもつれ戻す。
「さっきまでは何もする気が起きなかったのに・・・」
このテンションの変わりように、自分でも笑ってしまう。
さぁ、プロデューサーに連絡しなければ。
彼も美希がいなくなって、寂しがっているだろう。
「美希を取り戻す」と言えば、元気を取り戻すに違いない。
その様子を思い浮かべて、ほほ笑む。
美希の為だったらなんだってしてしまいそうな自分がいる。
それこそSランクだって、本気で目指すだろう。
あぁ、でもそれは無理ね。
だって。
「美希とじゃないと、トップアイドルだって、楽しくないもの」
気分が暗い時に明かりがついていない家に入ると、さらに気がめいる気がする。
今日は自主レッスンだったが集中できず、早めに帰宅した。
以前の私だったらレッスンを早めに切り上げる、なんてことはしなかっただろう。
私の気分が落ち込んでいるのも、自主練に集中できなかったのも、理由は一つ。
美希がいなくなったからだ。
今日はプロデューサーとレッスンの予定だったのに、いつまでたっても美希が来なかった。
携帯に連絡したがつながらなかった。社長も音無さんも何も連絡がないと言っていた。
風邪でも引いたのかと思い家族に連絡を取ったら、どこかに出かけた、との事だった。どこに行くかは言わなかったらしい。
プロデューサーは美希を探しに出て行き、残された私は自主レッスンをするように言われた。
そして今に至る。
なぜ、いなくなったのか。理由は分からない。最近はアイドル活動にもやる気を見せてきていたし、
先日Bランクになって初めてのライブを終えたばかりだ。
テンションが下がるようなこともなかったはず。
昨日も楽しそうにおにぎりを食べていたし、それはないだろう。
私と一緒に活動するのが嫌になったのだろうか。
・・・・・・デュオを組んだばかりの頃は相性はお世辞にも良かったとは言えない。
あまりやる気を見せない彼女とそれに苛立つ私。喧嘩だってした。
それでも、仲直りしたり、ランクを上げていく毎にお互いにユニットを組むパートナーとして、友人として、打ち解けていった・・・
と思っていたのは私だけだったんだろうか。
互いの家に泊まりに行くこともあったし、オフの日に一緒に遊びに行くことも増えた。
そんなことはないと思いたいが・・・・。
そういえば、以前はよく美希が抱きついてきたけど、最近してこないことに気づく。
まぁ、抱きつかれるのは嫌いではなかったのだけれど、胸が当たって恥ずかしいやら悲しいやら・・・複雑な気持ちではあった。
(私、臭いのかしら・・・・・・)
それ以外だと、この間ライブの打ち上げで、彼女を家に呼んだ時、妙にそわそわしていた事ぐらいか。
ちらちらこちらを見ては、目が合うとすぐにそっぽを向いていた。
「泊っていく?」と聞いた時、いつもなら「うん!」とすぐに答えが返ってきたが、あの時は泊っていったけど、少し悩んでいた。
もしかして、何か気に障るようなことをしたんだろうか。
そもそも自分はどこか鈍いところがある、というか世間知らずなところがある。
気付かないうちに酷いことをしたんじゃ・・・
ここまで考えて、はたと気づいた。他人のことでこんなに悩むなんて、いつぶりだろう。
自分で思っている以上に美希の存在は大きかったようだ。
美希と出会ったばかりの頃なら、こうじゃなかった。
今だって、美希のことを「やる気がない」と思って気にせず自主レッスンをしていただろうし、
帰宅しても明日のスケジュールと歌のことしか考えてなかっただろう。
それが今ではたった一人の人間のことで頭がいっぱいになるなんて・・・。
人間、変わるものだ。変えてくれたのは美希とプロデューサーと、事務所の仲間たちだ。
今、彼女はどこにいるんだろうか。あの時プロデューサーと一緒に探しに行けばよかった。
見つけたら連絡するから、とプロデューサーは言っていたが未だに連絡はない。
彼女のことを考えれば考えるほど心配になってきた。ふと、あの事故が頭をよぎった。
もしかしたら、と想像したらぞっとした。いてもたってもいられなくなった。
やはり、もう一度美希に連絡しようと立ち上がったところで、携帯から私たちの歌が聞こえた。
携帯を手に取る。プロデューサーからだった。
「も、もしもし?」
「千早か?美希が見つかったぞ!」
「ほ、本当ですか!?美希は今どこに?」
「俺と一緒に事務所にいる」
「良かった・・・」
「あ、あぁ・・・そうだな・・・」
「・・・?どうか、したんですか?もしかして、怪我でも・・・?」
「え!あ、いや、怪我はしてない。無傷だ。ぴんぴんしてるよ」
「・・・・・・千早。今日はこれからなんか家の方で用事あるか?」
「いえ、今日はもう何もないですが・・・」
何だかプロデューサーの様子がおかしい。
「そうか。だったら、これから事務所に―って、こら!美希!!」
突然プロデューサーの声が遠くなった。代わりに美希がプロデューサーに謝っているのが聞こえる。
良かった。どうやら元気らしい。問題はなさそうだ。
「もしもし?千早さん?心配させてごめんね。あのね、話があるの。これから事務所に来てもらってもいい?」
「え?電話じゃ、ダメなの?」
「・・・大事な、話なの。これからに関わることだから・・・直接聞いてほしいの。」
目の前に美希がいるわけではないのに、頷いてしまった。
あんな美希の声は初めてだった。
大事な話というのは一体何だろう。事務所に向かう電車に乗って私は考えた。
考えたくはないが、ユニットを解散したいと言うのだろうか。普通に考えればそうだろう。
あの声色。プロデューサーの様子。私と美希の今後に関わること。それぐらいしか思いつかない。
「プロデューサーがぎっくり腰になった」というような軽い話ではないことくらい、鈍いと言われる私でもわかる。
だが、今まで一度も相談してこなかったのが不思議だ。
今までずっと一緒にやってきたのに・・・。
そんなことを考えているなんて、全く気づけなかった。
何でも話せる関係、それこそあの事だっていつかは話せるような気がしていた。
そう思っているのは私だけで、彼女は私のことは何とも思っていなかったんだろうか。
考えているうちに気分も暗くなってきた。
そんな考えを振り払うかのように電車を降りる。
決めつけるのはまだ早い。聞いてみなければわからない。
辺りはすでに街灯がついていて、すっかり暗くなっていた。
事務所のドアを開ける。
普段は暖かい事務所の空気が張り詰めていることに絶望した。
会議室にプロデューサーと美希はいた。
美希はこちらに背を向け、窓の外を見ていた。
「おぉ、来たか」
プロデューサーが私に気づいた。
美希がビクッとなった後、こちらを見た。
「千早さん・・・」
「良かったわ。見つかって。・・・心配したのよ」
「・・・・・心配掛けてごめんなさいなの・・・」
「さて、肝心の話だが・・・・・・俺は千早が来る前に美希から話は一通り聞いたんでな。部屋の外にいるよ。
・・・・・・美希も、俺がいるよりは千早と二人だけの方が話しやすいだろう?」
「うん。ありがと、プロデューサー・・・・・・」
ドアが閉まった。
「それで・・・話って?」
声が震える。
「うん。・・・・・・・・・あのね、千早さん」
聞くのが怖い。
「えぇ」
今すぐ逃げ出したい。
「美希ね」
やめて、何も言わないで。私、解散なんて――!
「美希ね、移籍することにしたの」
「え・・・・・・・・」
想像したのとは違う言葉だった。
けれど、頭が真っ白になった。
「い、移籍・・・?」
「うん。移籍。961プロってところに、ね」
「もう、決まってるの?」
「うん。向こうに話は通ってるの」
「・・・いつ移籍するの?」
「明日から。だから765プロに来るのはこれが最後なの」
「あ、明日って・・・早すぎるわ!それに解散じゃなくって移籍ってどういうこと!?顔も見たくないほど、私の事が・・・
嫌い・・・だったの・・・・・・?」
最後の方はうまく声にならなかった。
「・・・それは、半分ホントで、半分違うの」
「・・・?どういうこと・・・?」
「ミキは、顔も見たくないほど、千早さんの事が好きってこと」
「え・・・?」
「つまりね、顔を見てたら」
「もう、我慢できないってことだよ」
――そう言い終わるやいなや、美希に腕を掴まれた。
目の前には目を閉じた美希の顔。口には何かが当たっている感触。顎には美希の手。
これはつまり、その、まさか、キ――
そこまで考えたところで、唇を舐められた。ゾクリとする。
「ん!――っふ、は、ん!」
驚いて口をあけた途端に何かが口の中に入ってきた。
美希の舌だ。驚いてかたまってる私をよそに口の中で動き回っている。
上顎を舐められ、舌を軽く舐められたところでようやく理性を取り戻した。
「ちょ、っふ、――っ美希!やめて!」
力がうまく入らなかったが、なんとか引き離した。
「なんで、こんな・・・」
「千早さんの事が、好きだから。我慢できなくなっちゃった」
「ミキね、結構前から、こういうことしたいって思ってたの」
「最初の頃は平気だったけど、段々”したい”って気持ちがおっきくなってきてね」
そう話す美希の声には、何の感情もなかった。
怖い。顔は笑っているが、目は笑ってない。おにぎりを食べてよく笑っていた美希とは思えない。
誰なんだろう、この人は。わからない。知らない。怖い。私の知ってる星井美希じゃない。
「でね、ミキが頭の中で千早さんにしてること、したくなっちゃったの。
教えてあげよっか?ミキが頭の中で千早さんにしてたこと・・・」
美希が私の顔に手を伸ばした。
怖い。
「イ、イヤっ!!」
思わず、美希の手を撥ね退けた。
一瞬、美希の顔がひどく悲しそうに歪んだ気がした。
「あ、あ・・・ご、ごめんなさい、美希!わ、私・・・つい・・・」
「いいの。今のはミキが悪かったから。怖がらせちゃって、ごめんなさい」
そう言う美希の顔は悲しそうに笑っていた。
「つまり、こういうことなの。このままだとミキは千早さんのこと、めちゃくちゃにしちゃうの」
「そんなことすると、千早さんを傷つけちゃうから」
「そんなの、ミキはイヤ。千早さんには笑っていてほしいの」
「・・・隠し続けようって思ったけど、やっぱり自分の気持ちに嘘はつけないの」
「・・・・・・今まで、ありがとう。千早さん」
「ホントに、ホントにそう思ってる」
「本気で怒ってくれたり、本気で心配してくれたり・・・嬉しかったよ」
「移籍のこと、相談もしないで勝手に自分で決めちゃってごめんなさい」
「ミキのことは忘れてくれていいから」
「千早さんには、ずっと大好きな歌を歌っていて欲しいの」
「歌を歌ってる時の千早さんが、ミキ好きだから」
「じゃあね、千早さん」
「美希っ!・・・まって!!」
美希を追いかけようとしたが、いきなり走り出したせいで足がもつれて転んでしまった。
立ち上がる頃には、美希の姿はもうなかった。
それと同時にプロデューサーが入ってきた。
「おい、どうした!今、美希がすごい勢いで・・・って千早、大丈夫か?」
「え?」
気がつくと、涙が流れていた。
止まらない。何度拭っても流れてくる。
「す、すみません。と、とめ、ますから・・・」
「千早・・・今ぐらい、思いっきり泣いてもいいんだぞ・・・」
無意識にプロデューサーに抱きついていた。
美希の顔が頭に浮かぶ。彼女との思い出と共に。
止まらない。止まらない。
「う、うあ、うわあああああああああああっ!!!」
そこからの記憶は、曖昧で、気がつくとプロデューサーに車で家まで送ってもらっていた。
何か言っていたが覚えていない。倒れるようにベッドに横になった。
今日のことはすべて夢なんだと、そう思いながら。
夢ではない。そのことを翌日のプロデューサーからのメールで思い知った。
「美希の移籍の件は俺も昨日初めて聞いた。昨日の様子からして、千早も混乱しているだろう。マスコミもえらい騒いでるしな。
しばらくオフにして、今後の活動については事態が落ち着いてから決めたいと思う。落ち着いたら連絡をくれ」
もともと、今日は何をする気にもなれなかったので、この突然の長期オフは嬉しかった。
外に出る気も、自主練をする気にもなれない。好きな歌を歌う気にもなれず、クッションを抱いてぼうっとしていると、
ふと、若草色のマグカップと、お揃いの青色のが目に入った。
美希が初めて私の家に泊まりに来る時に美希が買ってきたものだ。
「お店で見かけて可愛かったから、買っちゃったの。ついでに千早さんの分も買ってきちゃった」
それから遊びに来るたび、美希はそれを使っていた。
私も美希が買ってきた青色のマグカップを、日常的に使うようになった。
「このマグカップはミキ専用のだから、春香とか、他の子に使わせちゃダメだよ?」
美希はそう言って、いたずらっ子のようにえへへ、と笑っていた。
だが、これからは使う人間もいなくなる。
「捨てようかしら・・・」そう、呟いた。
(美希も自分のことは忘れろと言っていたし、いい機会じゃない)
そんなことを思いながら美希のマグカップを手に取った。が、手が滑った。
ガチャン!
床には割れた若草色のマグカップが転がっていた。
「あ・・・・・・」
悲しそうな美希の顔が浮かぶ。
割れたマグカップが今の私たちの関係のように見えて、視界がぼやけた。
「あっ・・・・う・・みきぃ・・・うっ・・・ううっ・・・みきぃっ!」
無理だ。美希のことを忘れるなんて出来ない。出来るわけがない。
美希がいないだけで自分はこんなにダメになる。
好きな歌すらまともに歌えない。笑えそうにもない。
座り込んで、割れたマグカップの破片を拾う。
決めた。
「美希をつれ戻す」
私には美希がいないとだめだ。
忘れろと言われても忘れられない。
それに私が笑うためには、美希が、星井美希がいないとだめなのだ。
大好きな歌を満足に歌うためにも。
美希の気持ちに、どう答えればいいのかはわからない。今、私が美希に抱いているこの感情が何なのかも。
美希のことを傷つけることになるかもしれない。それでも美希に会いたい。
美希は「自分の気持ちに嘘はつけない」と言った。
それなら私も自分の気持ちに嘘はつかない。
美希と一緒にいたい。
今はこのマグカップのように関係が壊れてしまっていても、いつかまた元の関係に戻れると信じている。
やることはたくさんある。ソロになったことでまた、Fランクからスタートだ。
でも、それは移籍したばかりの美希もおなじ。
その実力と才能ですぐにランクを上げてくるだろう。
「未完のビジュアルクイーン」の名は伊達じゃないという事は、ずっと組んできた私が一番良く知ってる。
だけど、私だって「765プロ一の歌姫」だ。
美希がどれだけ上に行こうと、絶対に追いついてみせる。
追いついて、何が何でもつれ戻す。
「さっきまでは何もする気が起きなかったのに・・・」
このテンションの変わりように、自分でも笑ってしまう。
さぁ、プロデューサーに連絡しなければ。
彼も美希がいなくなって、寂しがっているだろう。
「美希を取り戻す」と言えば、元気を取り戻すに違いない。
その様子を思い浮かべて、ほほ笑む。
美希の為だったらなんだってしてしまいそうな自分がいる。
それこそSランクだって、本気で目指すだろう。
あぁ、でもそれは無理ね。
だって。
「美希とじゃないと、トップアイドルだって、楽しくないもの」
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