シュトゥツィア共和国(Ρεπυβλικα Ϸυτυͳιανυδι)は、イオニア半島(異地形世界線参照)に位置する共和制国家。


(国旗)
解説:青は自由、白が平等、赤が博愛、黄色が平和と繁栄、中央の城は国家、篝火は自由の光を象徴する。
(国章)
解説:盾の中の青は自由、白は平等、赤は博愛、黄色は平和と繁栄を表し、城は国家、人魚は伝統、聖母子は信仰と慈愛、掲げた腕は民主主義と独立を表す。頂点には国民を照らす自由の火が燃えている。左右にはこれらを守る天使と騎士が配置される。下部では国家の礎である智慧と教育を表すスフィンクスを、勇気を象徴するライオンと、愛を象徴するイルカが護っている。オリーブ冠は主権を表す。

国号(日本語)シュトゥツィア共和国
国号(シュトゥツィア語)Ρεπυβλικα Ϸυτυͳιανυδι
政体共和制(議会制民主主義)
国家元首バルソロマイオス・ゴジャンケト大統領(Πρεσιδεντε Βαρθολομαιος Γοδξανκετ)
建国1990年8月15日
国の標語Ορχδιβα ϡολγααθανορδθακ γηοιχυδι ελευθεριανορδθακ. (自由な地の堅固な城。)
首都ニュシュトラ(Νχυͱυτρα)
最大の都市ガルヴェド(Γαλωεδ)
民族シュトゥツ人
公用語シュトゥツィア語
宗教キリスト教(シュトゥツィア正教)

歴史

古くからイオニア半島には、系統不明のシュトゥツ人が居住していた。シュトゥツ人の起源には諸説あるが、一説にはヨーロッパ地域にインド・ヨーロッパ系民族が侵入する前の、先史時代のヨーロッパ人の末裔とされている。古典期には都市国家が林立し、ギリシア諸国家と交易を行っていた。ヘレニズム時代にはマケドニア王国の統治を受けたが、アレクサンドロス3世の死後イオニア王国として独立した。その後ローマ帝国に征服され、東西分裂後はビザンツ帝国の領土となった。1453年のコンスタンティノープル陥落後は長くオスマン帝国の支配下だったが、1825年独立を回復し、シュトゥツィア王国を建国した。第一次世界大戦では協商国、第二次世界大戦では枢軸国の一員として戦った。1947年にはソ連の下、シュトゥツィア共産党が政権を握り、シュトゥツィア社会主義人民共和国が建国された。1989年、民主化を求める「ダグルム(回復)」運動が活発化し、政府は検閲を停止して言論を自由化した(通称「シュトゥツィアの春」)。翌年には正式に社会主義体制が廃止され、新政府の下現在のシュトゥツィア共和国が建国された。

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