最終更新: naminagares 2019年07月14日(日) 20:23:19履歴
物置小屋にある、4年ほど前に書いた
にアクセスが多いため、改めて今の作風で書き直してみた作品。
これは可能であれば近日公開出来ればいいなと考えています。
まだ未修整かつ保存しているものをそのまま張り付けるため、読みづらい点はご了承下さい。
冒頭の1万文字をたっぷり公開中。
―――それは、数年前に|遡《さかのぼ》る。
この世は、人間と魔族により二分し、終わりのない戦いを繰り返していた。
世界が暗雲に満ちていた頃、戦乱の世に一筋の光が現れる。
その者の名を、勇者エデンと言った。
彼は、魔王アトリア率いる魔王軍と激戦の果てに、勝利を掴む。
しかし、彼は魔王と魔族を|赦《ゆる》すことで、互いに『 共存する 』世界を求めた。
やがて、長い月日が流れ。
|現在《いま》という平和は成し得ているのだ。
………
…
=・=・=・=・=・=・=・=・=・=
「……だってよ。これが、俺たちの物語らしいぜ。本屋で見つけた歴史の教科書に書いてあったんだけどさ。どう思う? アトリア」
世界の中心、人間と魔族が共に住む国、オールキングダムの郊外にある木造の一軒家。リビングの二人掛けソファに寝っ転がる、(元)勇者エデンは、キッチンに立つアトリアのお尻を半目で眺めながら言った。
「へえ、今はそんな話になっていたのか。ふふっ、|大分《だいぶ》、恰好をつけられたな」
エデンの言葉に、笑って答えるのは(元)魔王のアトリア。
彼女は、|紅《あか》い瞳に長い銀色の髪の毛を|靡《なび》かせる端麗な顔立ち、女性も|羨《うらや》む大きな胸と|魅惑《みわく》の腰つきと、誰もが振り向く美しい容姿をしていた。
「おーよ。でも、さすがに"その後"は書いてないみたいだけどな。つか、現状を知ってるのは一部だけだもんな」
エデンは欠伸をして言う。先ほどから、だらけた姿を見せてはいるが、エデン自身、アトリアに劣らず男前である。ボサっとした黒髪はいただけないが、くっくりとした|輪郭《りんかく》で際立つルックスは、細身ながら六個に割れたシックスパックの腹部など、少女漫画に出てきそうなくらいに小粋な男だった。
そして、彼の言う"勇者と魔王のその後"とは。
|現在《いま》まさに、進行している事象についてだ。
「まさか、俺たちが結婚したなんて誰も思いはしねえよなあ」
「……当たり前だ。私とて、|勇者《エデン》と結婚するなんて思いもしなかったと、いつも言っているだろう」
アトリアは、先ほど食べた食器を洗い終えた所だった。布巾で水気を取ってから、エデンの傍に近づくと、足を持ち上げ、同じソファに腰を下ろす。その姿は、仲睦まじい夫婦そのものだった。
「あ〜、本当は国を挙げて挙式もしたいんだけどさ。でも、それは王様が許さないんだよなあ。あの|白髭《しろひげ》の頑固オヤジめ……」
「分かっている。毎日謝らなくても|良《よ》い。それでも、私は今が幸せだからそれで充分だ」
アトリアは尖った八重歯を見せて、少し恥ずかしそうに笑いながら言った。
「……ま、まあ、それは、なんだその。俺も幸せだから、それはそれで良いんだけどよ」
エデンも同じように照れつつ、彼女に乗せていた両足を|退《ど》ける。ソファに座りなおすと、不意に真面目な顔つきになった。
「それよか、ちょっとお前に相談があるんだ」
「相談? ……ま、まさか離婚の話か? 」
アトリアの顔が、サァッ……と、青ざめた。
エデンは慌ててそれを否定する。
「ちがわい! どうして、幸せだって話をしている最中に離婚の話を切り出すんだよ!? 」
「ち、違うのか。それなら良いんだ」
アトリアは、ほっと胸をなでおろす。
「元魔王のクセにどんだけ不安強い性格してんだよ! 」
「そ、そうか。すまない。じゃあ、どんな相談なんだ」
「うむ。えーっとな、その……まず、さっきの話に戻るんだけど」
「やっぱり離婚か!? 」
「だから違うっつーの! そこじゃなくて、俺たちのおかげで、世界は平和になったって話のトコロ! 」
エデンは、すかさずアトリアの額に人差し指で、でこぴんを食らわせた。
アトリアは「あうっ」と目をバッテンにして、仰け反る。
「い、痛い……」
「良いから俺の話を聞け。まず、俺らの結婚……もとい、和解で世界は平和になったって話なんだけど」
「う、うんっ。そうだな」
アトリアは頷く。
「そこで、|アトリア《魔王》は人間と魔族が共存する国、オールキングダムの郊外に、俺と一緒に移住したわけだ。でも、問題はココにある」
「な、何が問題なんだ? まさか、私と一緒にいることが幸せじゃないとか、そういうことか!? 」
「……だから落ち着いて話を聞いてね? あのね、俺が言いたいのはそうじゃなくて、俺らは確かに元人間と魔族の代表者だけあって、お金は沢山持ってるだろ。でもよ、今の俺らは、無職のまま家でゴロゴロしてるのと一緒だってコト。だから……」
―――働いたほうが良いと思うんだ。
エデンは指を鳴らして言った。
「むう、それは確かに言えている」
「だろ。ほら、例えばだけど、もしかして俺らに子供が出来たら、親が無職って最悪じゃん? 」
「こど……! う、うんうん、うんうんっ、そうだな! 」
子供というワードに、アトリアは満面の笑みで何度も頷く。
「だから、俺らもそろそろ働こうぜ〜ってハナシ。それの相談をしたかったってわけ」
「そういうことだったのか! それを私は早とちりして、離婚だのなんだのと……」
「それはもう良いって。それよか、仕事についてなんだけど、俺はアトリアと一緒に自営業を始めたいと思ってるんだ」
「私と一緒に自営業? それは構わんが、何をやるというのだ? 」
「ああ。折角だから、昼間にやりたい事を紙にまとめてみた」
エデンはソファから立ち上がり、近くの小物入れから、文字が書き並べられたA4サイズの用紙を取り出して、テーブルに拡げた。
「これを見てくれるか」
「|随分《ずいぶん》と用意が良いな! どれどれ……」
アトリアが紙を覗いてみると、そこには、エデンが考えた幾つかの候補が箇条書きされていた。
一、貿易
二、冒険者
三、料理屋
「……数が少ない上に、かなりバラけた内容だな! 」
思わず、アトリアは突っ込んだ。
「そ、そうか? これでも一生懸命に考えたつもりなんだけどな」
「異質的な並び気もするけど、一応詳細を聞かせてくれるか」
「もちろんだ。まず、一番目の貿易事業だが」
貿易事業は、エデンがかつて魔王討伐のための冒険途中で知り合った様々な人間と交流を行うものを考えていた。アトリアも(元)魔王として色々な方面に|伝手《ツテ》があるし、悪い話ではない。
「結構楽しい内容だと思うんだが、どうだ? 」
「う〜ん、良い話だとは思う。でも、折角の二人切りの家に帰れる時間も少なくなりそうで寂しい……かな」
「じゃあ却下だ。次に、二番目の説明なんだけど……」
「却下するの早いな!? 」
「確かに言われてみれば俺も寂しいし、お前が悲しむ事はしたくないし、即却下で良い」
「……そういう所が大好きだ! 」
「わ、わかってらい! はい、では次の説明だ! 」
顔を赤くしながらエデンは二番目の説明に移る。
「では次に冒険者だ。世界を巡って、魔獣を倒して世界各地の問題を解決したり、古代遺跡のお宝を探したりする。戦闘能力の高い俺らには、ピッタリの職業だとは思うが――……」
「それも二人きりの時間が少なくなるし、寂しいしカナ……」
「お……、そ、そうだな。そうだよな、こんなゴミは駄目だな! 」
エデンは当然のように却下する。アトリアはその様子を見て「ふふっ」と嬉しそうに笑った。
「じゃあ残った|選択肢《せんたくし》は、料理屋だけなんだが、アトリアはどう思う? 」
「料理屋か。一番現実的ではあると思うぞ。だけど、|エデン《お前》の料理は確か……」
「超絶下手ですが|何《なに》か」
「い、いや。じゃあ私が料理を担当して、お前がウェイターか何かをするということだな」
「その方向で考えてたけど、厳しいか? 」
「う〜ん」
アトリアは胸を持ち上げるように腕を組み、首を|傾《かし》げる。
「私は料理が得意だが、誰かに出すような腕自慢では無いぞ」
「そうか? お前の料理は一級品だと思うんだが」
「ハハッ、嬉しい言葉だな」
「おうよっ。お前の美味しい料理を毎日食べれて俺は幸せだ」
「……っ! 」
その言葉に|悶絶《もんぜつ》するアトリアは、子犬のようにぷるぷると身体を震わせた。
「それも、とっても嬉しい言葉だな! 」
「ははは、当然だよ。それで……アトリアさえ良ければ、料理屋を始めたいんだけど、どうだ? 」
「料理屋か。正直怖い気もするが、エデンが大丈夫だと思うなら私はそれに従うよ。頑張るっ」
アトリアは両手を握り締めて、ガッツポーズしてみせる。
「そうか、有難う! だけど、料理屋でも一つ問題があるんだよなあ……」
「エデンが料理下手って話か? 」
「違うっ! その点は俺も努力するけど、そもそも、どうやって料理屋を開くかって話だ」
「……えっ。それは……やっぱり土地を買って、お店を造らないといけないんじゃないか」
「だよな。兼ねが吹き飛びそうだけど仕方ないか」
「必要投資だと思えば良いのだ。あと、調理師免許とか営業許可証とか必要な気がするが……」
アトリアが言うと、エデンは「えっ」と固まる。
「ちょうりしめんきょ、えいぎょうきょかしょう……? 」
「ふ、普通はそうだと思うぞ。人間界は違うのか」
「何それ、そんなに面倒なの」
「少なくとも魔界では食の安全を保つためにルールを課していた。人間界も同じだと思ったぞ」
「……」
どうやら、エデンの反応の限り、料理屋一つ開くのに|楽観視《らっかんし》していた節があったらしい。
「マジか。あー、じゃあどこかに開業するための詳細を聞かないといけないな」
「役所とか、近場にある料理店に訊いてみたらどうだろう? 」
「……ナイスアイディア。さすがアトリアだな」
「ふっふーん、さすがであろう! 」
アトリアは自分の胸を叩く。
……たゆんっ、と揺れる胸。
エデンはチラ見しつつ色々と「さすがだよ」と、|零《こぼ》した。
「じゃあ、アトリアに従って、明日にでも話を聞きに行ってみよう」
「うん、そうしようっ! 明日はお出かけだな! 」
こうして、二人は『 料理屋 』を開店することを|生業《なりわい》にするべく決意した。
そして、この物語の本質は……。
「ところでエデン。明日の出かける時間は、ゆっくりなんだろうし、今夜は……」
「ん、まあそうだな」
「だったら……♪ 」
「……構わんッ! 」
世界の覇者である勇者と魔王。世界に光を差した二人のその後と、二人の織り成す愛、波乱に満ちた『 酒場 』を経営する、のんびりな|経営物語《ストーリー》である。
「ん……、エデン、愛しているぞ……」
「俺も愛してるよ、アトリア……」
………
…
【 次の日、朝十時 】
この日、|勇者《エデン》と|魔王《アトリア》は、料理屋を始めるべくアドバイスを受けるため、ある場所を訪れていた。
それは予定していた役所や近場のレストランでは無く、まさかの魔王討伐隊として、勇者のパーティに参加していた、|魔法使い《シエール》の自宅であった。
「……事情は分かったわ。でも、どうしてそれを私に聞きに来る必要があるのかしら」
彼女の名前は『 シエール・セレブリッテ 』。
現在は魔法使いとして、世界魔法連合のエースとして活躍し、エデンたちと同じオールキングダム郊外に住居を構える彼女。
ふわりとした桃色のボブヘアに、大きい緑色の瞳は、まるで人形のように可愛らしい。アトリアと比べると多少……いや、かなり|バストサイズ《スタイル》に差はあるが、それも彼女の魅力の一つに過ぎない。
しかし、突然現れたエデンとアトリアに、しかも料理屋をどう開店すれば良いのか訊きに来るなんて、あまりの意味の分からなさに、シエールは可愛らしさを殺した表情を見せていた。
「な、なんか不機嫌そうだな。いや、だって頭の良いお前なら知ってるかなって思って……」
「あのね。私は何でも知ってるわけじゃないのよ、全く。それに、|貴方《あなた》の話に付き合うほど暇じゃない
の」
「……寝起きみたいな恰好をしているのにか」
エデンは、シエールの赤いジャージ姿をまじまじと眺めながら言う。
シエールはハッとして「うるさい! 」と、叫んだ。
「マ、マジで不機嫌だな。そんなに俺らが相談に来たのが嫌だったか……スマン」
「嫌っていうか、別にエデンがどうこうっていう訳じゃないけど……」
シエールは、アトリアを横目で追う。そもそも不機嫌な理由は彼女にあったからだ。
(久しぶりにエデンに会えるのが嬉しいのに、魔王のヤツも一緒だったなんて……。そもそも、どうしてエデンは魔王なんかと結婚するのよ。普通は一緒に戦火を|くぐ《潜》り抜けた私じゃないの? それを、ぽっと出の魔王に奪われるなんて――……! )
単になる嫉妬心。それが理由だった。
「なんか、本当に|苛立《いらだ》ってるな。悪い、今日のところはもう帰るよ」
エデンは立ち上がり、アトリアと共に帰ろうとする。が、シエールは慌ててそれを引き留めた。
「あっ、待ちなさいよ! 別に帰れとは言っていないじゃない! 」
「だって、お前スゲー怖い顔してるぞ。邪魔だろうし、別の場所に相談しに行くよ」
「……別に良いってば! 訊きたいこと、ちゃんと答えるから! 」
「知ってるのか? 」
「料理屋の開き方でしょ。そのくらい、本当は知ってるから……」
シエールは|彼女《アトリア》の手前、本当は嫌だと思っていたがエデンのためにも渋々説明した。
「まず、貴方たちの話に出ていた調理師免許は|要《い》らないわ。よく勘違いされるけど、調理師免許は所持していれば国家資格としてお客さんが安心できるだけで、飲食店の開業には関わりないの。でも、開業に必須となる資格は一つあって、|食品衛生責任者資格《せきにんえいせいせきにんしゃしかく》っていうのが必要になるはずよ」
|食品衛生責任者資格《せきにんえいせいせきにんしゃしかく》。
あまり馴染みのない言葉だ。
「すげえ取得するのが面倒臭そうだな……」
「ううん、別に難しくないわよ。受講料一万ゴールドが必要だけど、簡単な授業とテストで終わるから」
「そうなのか。思ったより飲食店の敷居って低いのか? 」
「低いといえば低いけど、やっぱり味とか衛生面とか大事だし、その後のほうが大事……かしら」
「あ〜、そうだな。まあ、その辺は問題ないだろ。だって、アトリアの料理だぜ」
エデンはニヤリと口角を上げ、隣のアトリアの顔を見つめた。アトリアは無言で照れたように頷くが、そのやり取りを見たエデンの|額《ひたい》にビキリ、と血管が浮き立つ。
「ふ、ふーん。そんなに魔王の料理が美味しいのかしら。プロ並みに、料理屋が開けるくらいに、みんなが満足してくれるくらいに!? 」
怒号を響かせるシエール。
エデンは|慄《おのの》きつつ「美味しいよ」と答えたが、シエールはエデンを鬼の形相で|睨《にら》みつける。
「別に|アンタ《エデン》に訊いちゃいないわよ。私は、|そこの女《アトリア》に訊いているの」
ギロリ!
魔法使いとは思えない、あまりの剣幕。
エデンは「ひえっ」と小さくなった。
代わりに、|本人《アトリア》が口を開く。
「なんだ、私に聞いていたのか? それはすまなかった。料理に自信があるかどうかという質問なら、私自身、そこまでではないと思っているぞ」
「へえ〜。料理に自信が無いのに、料理屋なんて開いたって無駄じゃないの。むしろ、勇者としてのエデンの評価も落とし兼ねないから、止めた方が身のためじゃないの! 」
|嫉妬心《しっとしん》をメラメラと燃やした発言だが、遠からず当たっている言葉でもあった。しかしアトリアはそれを即座に否定した。
「シエール、それは違うぞ。私は自信が無くとも、私の料理をエデンが認め、信じてくれている。それだけで理由としては充分過ぎるのだ。……そうだろう、エデン」
目を閉じて、胸に手をあてがうアトリア。
横でエデンは「その通りだ」と小さく頷いた。
「そういうわけだ、シエール。私にはやる理由がある。それに、失敗を恐れていては何も出来ないしな」
まるで勇者とも劣らぬ未来を見据えた台詞。
彼女の言葉に、シエールはいきり立った。
「へえ、言ってくれるじゃない。それなら、私を納得させられる料理を作ることが出来るかしら」
悪役のような|不適笑《ふてきわら》いで、近くのキッチンに目を向けて言った。
「シエールを納得させる料理……? 」
「そうよ、アトリア。もしもプロとしてやるなら、私くらい納得させられないと無理よ」
「言っていることは分かるが、まだ私はプロフェッショナルでは無くて……」
「ひと一人を納得させられない料理を今すぐできないなら、料理屋なんて無理ではなくて? 」
「それは、そうかもしれぬが」
困った表情を浮かべるアトリア。
「おいシエール、あまりアトリアを困らせないでやってくれないか」
「アンタには訊いていないって言ってるでしょ! 黙っていないと火炎魔法で燃やすわよ」
「……すみません」
エデンは、まるで役に立たず。
だが、アトリア自身には既に火が点いていた。
「ふむ。シエール、そこまで言うなら……分かった。キッチンと食材を借りて良いか」
「あら、やる気なの? 最初から負ける戦いなんて意味もないし、|降伏《サレンダー》したらどうかしら」
「戦わずして負けるのはプライドに反する。勝負を挑まれた以上は、全力で受けようと思う」
「そう。それなら、そこのキッチンは自由に使って頂戴。食材も好きに使っていいわよ」
「分かった。エデン、少しだけ待っていてくれるか」
エデンが「ああ……」と引っ込むと、アトリアは早速キッチンに立った。
普段使っているキッチンとは全く異なる勝手ではあるが、そこに立つと、考えていたよりも『 料理が作れる 』気がした。
(ふうむ。|他人《ひと》の家のキッチンなのに、なんなく手が動きそうだ)
それは、キッチンがきちんと整理されていたからだ。
|埃《ほこり》ひとつ無く、水回りも清潔感あふれている。棚に並べられた調味料は取りやすいよう並べられているし、氷魔石を利用した最新型冷蔵庫も完備し、中を開くと様々な食材が扱いやすいよう分けられている。
(我が家にも劣らないキッチンの美しさ! だが、これは……)
つまり|彼女《シエール》は、料理に手抜きをしない女性ということ。
キッチンの使いやすさはイコールで料理の腕に直結すると言っても過言ではない。
これは、考えていた以上に厄介な挑戦を受けてしまったかもしれない。
「どうしたのかしら。ほら、自由にキッチンを使って良いのよ」
ニヤリ、と浮かべる笑顔は、|暗黒微笑《あんこくびしょう》。顔の陰りに口元だけが半月のように浮かぶ。
「……ハハ、驚いた。シエール、キミも意地が悪い勝負を挑んでくるね」
「あら、私は別に何も言っていないわよ。でも、それに気づいた事だけは褒めてあげる」
「このキッチンを見て、腕前を理解しないのは早々居ないぞ。フフッ、俄然やる気になってきた」
「そうかしら。では、その自慢の腕を早く見せて頂戴」
「フフッ、今すぐ最高の料理を提供させてもらうぞ」
「あははっ、どうかしら」
「フフッ……、フフフッ! 」
「あはっ……、あははっ! 」
二人の間に、電流がバチバチと唸る。
なんだか言い知れぬ剣幕と雰囲気に、エデンは小さくなって、少し離れたソファに退散した。
「最高の環境で、いま私が出来る料理を振舞うぞ。待っていろ、シエール! 」
アトリアは腕まくりをして、全身にやる気のオーラが満ちる。
並んだ調理器具のうち手に取ったのはフライパンと|フライ返し《ターナー》、包丁など。
また、シエールの見える位置からは、アトリアが冷蔵庫から豚肉、ショウガ、キャベツ類を取り出したのが見えた。
「いま、何を使うのか見えたわよ。アトリア、あなたは豚の生姜焼きを作るつもりね」
「食材だけでバレてしまうのは、さすがだな」
「当然。でも、豚の生姜焼きなんて珍しくも無い料理。それで私に勝負するつもり? 」
「フフッ。まあ、楽しみにしておいてくれ」
シエールの圧力にも屈せず、|余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》のアトリア。
早速、調理に取り掛かる。
まずは、生姜、ニンニク、酒などを混ぜ合わせたタレを作ることから始まった。そこに切り分けた豚肉を揉むように漬け込み、五分から十分ほど放置する。また、その間に、まな板の上にキャベツを置いて千切りし、冷水の入れたボウルにさらしていく。
(へえ、中々手際は良いみたいじゃない。でも、普通の豚の生姜焼きと変わらないわね。そもそも、どれだけ美味しい料理でも、この料理には欠点があるのだけれど……気づいていないのかしら)
シエールがアトリアの動きに目を光らせる。
アトリアは彼女の視線を背後に感じながらも、その動きは機敏に、かつ手際よく確かな料理を作っていく。
(……よし、順調だ)
タレに漬けた豚肉に味が染みわたったタイミングを見計らい、熱していたフライパンに油をひいて、豚肉を入れた。ジュワッ! と軽快な音が高々と響き、辺りには甘辛い食欲そそる匂いが立つ。
「うまそ〜な匂いがするなぁ……」
その匂いは離れた位置のエデンにも届く。ゴクリ、と喉元を鳴らした。
「もうすぐ出来るぞ。軽く火が通ったところで、更にタレを加えて煮詰めるように仕上げていくだけだ。あとは、適当な頃合いを見計らって――」
千切りキャベツを乗せた皿に、焼いた豚肉を並べるように盛り付ければ完成。
香ばしい甘辛い香りに揺らぐ『 豚の生姜焼き 』が、シエールの前に運ばれた。
「さあ、出来たぞ。食べてみてくれ! 」
「……ふうん」
鼻で返事するシエール。
指を鳴らし、空中に緑の魔力を走らせることで、キッチンの棚からフォークの一本を魔法で引き寄せた。
「まっ、香りは良いわよ。でも、その前に」
フォークを指先でクルクル回しながら、|怪訝《けげん》そうな表情で言った。
「食べる前に、この勝負はケリがついてるわ。この料理を選んだ時点で私の勝ちなのよ」
「なに……? 」
アトリアが眉をひそめる。
それを聞いたエデンは「おい! 」と、シエールに詰め寄った。
「シエール、それはさすがにひどいだろ。食べもせずアトリアの負けってどういうことだ! 」
「エデンは黙っててって言ったんだけど。まあ良いわ、教えてあげる」
「おうよ、教えてもらおうか! 」
エデンは腕を組んでシエールを見下ろす。と、彼女の放った言葉は当然のものだった。
「簡単なこと。私は朝の寝起きよ。それなのに、朝食代わりに豚の生姜焼きなんて重いものを食べれると思っているの? 」
そう言って、シエールはフォークを置いた。
彼女の台詞に、エデンは「あっ」と口を押さえた。
「何か反論があるなら言って頂戴。今の私には、この料理は食べたいとは思わないわ」
「そ、それはだな……。とりあえず一口でも食べないと分からないじゃないか! 」
「その一口も重いのよ。それとも、お客様に無理やり食べさせる料理店をつくるつもりなのかしら」
「う、うぐっ……! 」
反論の余地もない。エデンは何とも言えず小さくなるが、反してアトリアは強気に言った。
「シエール。エデンの言う通り、まずは一口食べてみてくれないか」
「……あなたたち夫婦は、人の話を聞かないのね。私は朝食に生姜焼きなんて食べたくないの」
「一口でも食べればきっと気に入ってくれると思う。それに、食べねば勝負にならないだろう」
「しつこいのよ。豚の生姜焼きなんて、朝から食べるものじゃ……」
……食べるものでは無い、と。
そう言う掛けた瞬間。
クンッ。
料理から舞い上がった匂いが、鼻を突いた、一瞬で。
(……香りが、甘い)
確かに朝食としては重い料理ではあった。しかし、いつも自分が作っている豚の生姜焼きとは、香りが違うことに気づく。
(もしかして、何か仕掛けたのね。くっ、本当は食べないで私の勝利にしたかったケド。料理好きとして、何か工夫されているというなら、気になっちゃう性質なのよね……! )
仕方なく、フォークを握り締め、豚肉を刺し、頬張った。
――― |刹那《せつな》
シエールの表情が、一変した。
「こ、これ……! 」
「どうだ、朝食としても美味しく食べられるよう仕上げたつもりだ♪ 」
「……ッ!! 」
一口食べたその時から、シエールの手は止まらなくなる。
それがアトリアとの勝負に『 敗北 』の道だと分かっていても、彼女の料理を食べ続けたくなったのだ。
「アトリア、一体何をしたの! これが豚の生姜焼きって……私の知ってる料理じゃないわよ! 」
「ふっふ〜ん。同じ料理好きとしては是非見破って欲しいものだがなっ」
「な、生意気に! 良いわよ、当ててやるわ! 」
アトリアの作った生姜焼きは、普通のソレとは違って明らかに"甘味"が強かった。しかし、それでいて生姜焼きという本質を|崩《くず》していない。心地よい辛さの刺激が残っている。最初は砂糖を多めに使ったのかと思ったが、それでは単に甘ったるいだけの味になってしまう。
(ああ、もうっ! 答えは分かってるのに!いつの間に入れていたのか知らなかったけど、タレに合わせてある"小粒な何か"が、この味を引き立てているのね! )
本来、甘辛い生姜ダレ。そこに、アトリアは一工夫を凝らしていた。
非常に小さな粒子のように砕かれた"何か"が、強くとも程よく感じてしまう甘みの正体。
シエールは、タレ部分だけを小指で|掬《すく》い、舌で舐めとった。
「これは……」
ハッ、としてシエールは言った。
「……これは、玉ねぎとリンゴね!? 」
「おおっ、さすがだな。大正解だぞ」
「しかも、この|滑《なめ》らかさ。それだけじゃなくて、何かを混ぜてるみたい……」
「そこまで当てるとはな。私が使ったのは、アレだ」
アトリアが指差した先にあったものは、棚に乗せられていた片栗粉の袋だった。
「片栗粉! 道理で、とろっとした食感があったわけだわ! リンゴと玉ねぎの甘みで、普通の生姜焼きよりずっと食べやすくて……」
「朝食から、しかも女子にガッツリし過ぎた料理を出すわけがなかろう。本当はリンゴを焦がしてみたり、ハチミツを加えてみたりするともっと美味しくなるかもしれんな」
「……料理の腕前を舐めていたのは私の方だったみたいね。食べもせずに負かしたつもりになっていたなんて、情けないわ。分かった、私の負けよ。こんなに美味しい料理を食べたのは久しぶりだったわ」
確かな美味たる料理を前にして、敗北を認めたシエール。深いため息を吐いた。
「はあ。もう……分かったわよ。私の負けよ。やりたいなら勝手にやれば良いじゃない」
「ふふっ、私の勝ちか。美味しいと言ってくれて嬉しいぞ」
「シャクだけどね、料理に嘘はつけないわ。だけど魔王、覚えていて。あなたの料理で、エデンの評判を落としたりしたら絶対に許さないからね。それは覚えておいて頂戴」
「分かっている。私は、私が彼に一生を尽くすためにエデンの|伴侶《はんりょ》となったのだ。やることになった以上、努力は惜しまずに全力でやらせてもらうから安心して見ててくれ」
アトリアは彼女の|真摯《しんし》な言葉に、目を閉じ、頷き、答えた。
「魔の王が、勇者に一生尽くす……ね。まったく、そういうところなのよね、あなたは」
「むっ、なにが、そういうところなのだ? 」
「……別になんでもないわよ」
ぷいっ。シエールはそっぽを向くが、心の奥底で彼女には敵わないと改めて、認識していた。
アトリアという女性は、『 やるとなったらやる 』、そんな力強い女性だった。
とにかく真っすぐで、必死に|一途《いちず》。魔族の王すらも捨てることも|厭《いと》わずに、敵対する勇者との愛を選ぶくらいに、馬鹿で、真っ直ぐ。自分が同じ立場だったら、そんな勇気も無いし、そんなんだから、私は負けてしまったのだろうと思った。
「……アトリア、最後に一言」
だったら、せめて。
「エデンを宜しく。そいつ、思った以上の『 バカ 』だから」
どれだけ|嫉妬《しっと》していても、彼女がエデンを幸せにしてくれる事だけは願ってやろう。
シエールの言葉に、アトリアは笑って、答えた。
「ああ、承知している。でも、私も同じくらいバカだ。バカ同士、添い遂げさせて貰うよ」
「……ふんっ」
………
…
以上となります。
公開することに踏み切れば、トップページでご報告いたします。
お読みいただき、有難うございました。
これは可能であれば近日公開出来ればいいなと考えています。
まだ未修整かつ保存しているものをそのまま張り付けるため、読みづらい点はご了承下さい。
冒頭の1万文字をたっぷり公開中。
―――それは、数年前に|遡《さかのぼ》る。
この世は、人間と魔族により二分し、終わりのない戦いを繰り返していた。
世界が暗雲に満ちていた頃、戦乱の世に一筋の光が現れる。
その者の名を、勇者エデンと言った。
彼は、魔王アトリア率いる魔王軍と激戦の果てに、勝利を掴む。
しかし、彼は魔王と魔族を|赦《ゆる》すことで、互いに『 共存する 』世界を求めた。
やがて、長い月日が流れ。
|現在《いま》という平和は成し得ているのだ。
………
…
=・=・=・=・=・=・=・=・=・=
「……だってよ。これが、俺たちの物語らしいぜ。本屋で見つけた歴史の教科書に書いてあったんだけどさ。どう思う? アトリア」
世界の中心、人間と魔族が共に住む国、オールキングダムの郊外にある木造の一軒家。リビングの二人掛けソファに寝っ転がる、(元)勇者エデンは、キッチンに立つアトリアのお尻を半目で眺めながら言った。
「へえ、今はそんな話になっていたのか。ふふっ、|大分《だいぶ》、恰好をつけられたな」
エデンの言葉に、笑って答えるのは(元)魔王のアトリア。
彼女は、|紅《あか》い瞳に長い銀色の髪の毛を|靡《なび》かせる端麗な顔立ち、女性も|羨《うらや》む大きな胸と|魅惑《みわく》の腰つきと、誰もが振り向く美しい容姿をしていた。
「おーよ。でも、さすがに"その後"は書いてないみたいだけどな。つか、現状を知ってるのは一部だけだもんな」
エデンは欠伸をして言う。先ほどから、だらけた姿を見せてはいるが、エデン自身、アトリアに劣らず男前である。ボサっとした黒髪はいただけないが、くっくりとした|輪郭《りんかく》で際立つルックスは、細身ながら六個に割れたシックスパックの腹部など、少女漫画に出てきそうなくらいに小粋な男だった。
そして、彼の言う"勇者と魔王のその後"とは。
|現在《いま》まさに、進行している事象についてだ。
「まさか、俺たちが結婚したなんて誰も思いはしねえよなあ」
「……当たり前だ。私とて、|勇者《エデン》と結婚するなんて思いもしなかったと、いつも言っているだろう」
アトリアは、先ほど食べた食器を洗い終えた所だった。布巾で水気を取ってから、エデンの傍に近づくと、足を持ち上げ、同じソファに腰を下ろす。その姿は、仲睦まじい夫婦そのものだった。
「あ〜、本当は国を挙げて挙式もしたいんだけどさ。でも、それは王様が許さないんだよなあ。あの|白髭《しろひげ》の頑固オヤジめ……」
「分かっている。毎日謝らなくても|良《よ》い。それでも、私は今が幸せだからそれで充分だ」
アトリアは尖った八重歯を見せて、少し恥ずかしそうに笑いながら言った。
「……ま、まあ、それは、なんだその。俺も幸せだから、それはそれで良いんだけどよ」
エデンも同じように照れつつ、彼女に乗せていた両足を|退《ど》ける。ソファに座りなおすと、不意に真面目な顔つきになった。
「それよか、ちょっとお前に相談があるんだ」
「相談? ……ま、まさか離婚の話か? 」
アトリアの顔が、サァッ……と、青ざめた。
エデンは慌ててそれを否定する。
「ちがわい! どうして、幸せだって話をしている最中に離婚の話を切り出すんだよ!? 」
「ち、違うのか。それなら良いんだ」
アトリアは、ほっと胸をなでおろす。
「元魔王のクセにどんだけ不安強い性格してんだよ! 」
「そ、そうか。すまない。じゃあ、どんな相談なんだ」
「うむ。えーっとな、その……まず、さっきの話に戻るんだけど」
「やっぱり離婚か!? 」
「だから違うっつーの! そこじゃなくて、俺たちのおかげで、世界は平和になったって話のトコロ! 」
エデンは、すかさずアトリアの額に人差し指で、でこぴんを食らわせた。
アトリアは「あうっ」と目をバッテンにして、仰け反る。
「い、痛い……」
「良いから俺の話を聞け。まず、俺らの結婚……もとい、和解で世界は平和になったって話なんだけど」
「う、うんっ。そうだな」
アトリアは頷く。
「そこで、|アトリア《魔王》は人間と魔族が共存する国、オールキングダムの郊外に、俺と一緒に移住したわけだ。でも、問題はココにある」
「な、何が問題なんだ? まさか、私と一緒にいることが幸せじゃないとか、そういうことか!? 」
「……だから落ち着いて話を聞いてね? あのね、俺が言いたいのはそうじゃなくて、俺らは確かに元人間と魔族の代表者だけあって、お金は沢山持ってるだろ。でもよ、今の俺らは、無職のまま家でゴロゴロしてるのと一緒だってコト。だから……」
―――働いたほうが良いと思うんだ。
エデンは指を鳴らして言った。
「むう、それは確かに言えている」
「だろ。ほら、例えばだけど、もしかして俺らに子供が出来たら、親が無職って最悪じゃん? 」
「こど……! う、うんうん、うんうんっ、そうだな! 」
子供というワードに、アトリアは満面の笑みで何度も頷く。
「だから、俺らもそろそろ働こうぜ〜ってハナシ。それの相談をしたかったってわけ」
「そういうことだったのか! それを私は早とちりして、離婚だのなんだのと……」
「それはもう良いって。それよか、仕事についてなんだけど、俺はアトリアと一緒に自営業を始めたいと思ってるんだ」
「私と一緒に自営業? それは構わんが、何をやるというのだ? 」
「ああ。折角だから、昼間にやりたい事を紙にまとめてみた」
エデンはソファから立ち上がり、近くの小物入れから、文字が書き並べられたA4サイズの用紙を取り出して、テーブルに拡げた。
「これを見てくれるか」
「|随分《ずいぶん》と用意が良いな! どれどれ……」
アトリアが紙を覗いてみると、そこには、エデンが考えた幾つかの候補が箇条書きされていた。
一、貿易
二、冒険者
三、料理屋
「……数が少ない上に、かなりバラけた内容だな! 」
思わず、アトリアは突っ込んだ。
「そ、そうか? これでも一生懸命に考えたつもりなんだけどな」
「異質的な並び気もするけど、一応詳細を聞かせてくれるか」
「もちろんだ。まず、一番目の貿易事業だが」
貿易事業は、エデンがかつて魔王討伐のための冒険途中で知り合った様々な人間と交流を行うものを考えていた。アトリアも(元)魔王として色々な方面に|伝手《ツテ》があるし、悪い話ではない。
「結構楽しい内容だと思うんだが、どうだ? 」
「う〜ん、良い話だとは思う。でも、折角の二人切りの家に帰れる時間も少なくなりそうで寂しい……かな」
「じゃあ却下だ。次に、二番目の説明なんだけど……」
「却下するの早いな!? 」
「確かに言われてみれば俺も寂しいし、お前が悲しむ事はしたくないし、即却下で良い」
「……そういう所が大好きだ! 」
「わ、わかってらい! はい、では次の説明だ! 」
顔を赤くしながらエデンは二番目の説明に移る。
「では次に冒険者だ。世界を巡って、魔獣を倒して世界各地の問題を解決したり、古代遺跡のお宝を探したりする。戦闘能力の高い俺らには、ピッタリの職業だとは思うが――……」
「それも二人きりの時間が少なくなるし、寂しいしカナ……」
「お……、そ、そうだな。そうだよな、こんなゴミは駄目だな! 」
エデンは当然のように却下する。アトリアはその様子を見て「ふふっ」と嬉しそうに笑った。
「じゃあ残った|選択肢《せんたくし》は、料理屋だけなんだが、アトリアはどう思う? 」
「料理屋か。一番現実的ではあると思うぞ。だけど、|エデン《お前》の料理は確か……」
「超絶下手ですが|何《なに》か」
「い、いや。じゃあ私が料理を担当して、お前がウェイターか何かをするということだな」
「その方向で考えてたけど、厳しいか? 」
「う〜ん」
アトリアは胸を持ち上げるように腕を組み、首を|傾《かし》げる。
「私は料理が得意だが、誰かに出すような腕自慢では無いぞ」
「そうか? お前の料理は一級品だと思うんだが」
「ハハッ、嬉しい言葉だな」
「おうよっ。お前の美味しい料理を毎日食べれて俺は幸せだ」
「……っ! 」
その言葉に|悶絶《もんぜつ》するアトリアは、子犬のようにぷるぷると身体を震わせた。
「それも、とっても嬉しい言葉だな! 」
「ははは、当然だよ。それで……アトリアさえ良ければ、料理屋を始めたいんだけど、どうだ? 」
「料理屋か。正直怖い気もするが、エデンが大丈夫だと思うなら私はそれに従うよ。頑張るっ」
アトリアは両手を握り締めて、ガッツポーズしてみせる。
「そうか、有難う! だけど、料理屋でも一つ問題があるんだよなあ……」
「エデンが料理下手って話か? 」
「違うっ! その点は俺も努力するけど、そもそも、どうやって料理屋を開くかって話だ」
「……えっ。それは……やっぱり土地を買って、お店を造らないといけないんじゃないか」
「だよな。兼ねが吹き飛びそうだけど仕方ないか」
「必要投資だと思えば良いのだ。あと、調理師免許とか営業許可証とか必要な気がするが……」
アトリアが言うと、エデンは「えっ」と固まる。
「ちょうりしめんきょ、えいぎょうきょかしょう……? 」
「ふ、普通はそうだと思うぞ。人間界は違うのか」
「何それ、そんなに面倒なの」
「少なくとも魔界では食の安全を保つためにルールを課していた。人間界も同じだと思ったぞ」
「……」
どうやら、エデンの反応の限り、料理屋一つ開くのに|楽観視《らっかんし》していた節があったらしい。
「マジか。あー、じゃあどこかに開業するための詳細を聞かないといけないな」
「役所とか、近場にある料理店に訊いてみたらどうだろう? 」
「……ナイスアイディア。さすがアトリアだな」
「ふっふーん、さすがであろう! 」
アトリアは自分の胸を叩く。
……たゆんっ、と揺れる胸。
エデンはチラ見しつつ色々と「さすがだよ」と、|零《こぼ》した。
「じゃあ、アトリアに従って、明日にでも話を聞きに行ってみよう」
「うん、そうしようっ! 明日はお出かけだな! 」
こうして、二人は『 料理屋 』を開店することを|生業《なりわい》にするべく決意した。
そして、この物語の本質は……。
「ところでエデン。明日の出かける時間は、ゆっくりなんだろうし、今夜は……」
「ん、まあそうだな」
「だったら……♪ 」
「……構わんッ! 」
世界の覇者である勇者と魔王。世界に光を差した二人のその後と、二人の織り成す愛、波乱に満ちた『 酒場 』を経営する、のんびりな|経営物語《ストーリー》である。
「ん……、エデン、愛しているぞ……」
「俺も愛してるよ、アトリア……」
………
…
【 次の日、朝十時 】
この日、|勇者《エデン》と|魔王《アトリア》は、料理屋を始めるべくアドバイスを受けるため、ある場所を訪れていた。
それは予定していた役所や近場のレストランでは無く、まさかの魔王討伐隊として、勇者のパーティに参加していた、|魔法使い《シエール》の自宅であった。
「……事情は分かったわ。でも、どうしてそれを私に聞きに来る必要があるのかしら」
彼女の名前は『 シエール・セレブリッテ 』。
現在は魔法使いとして、世界魔法連合のエースとして活躍し、エデンたちと同じオールキングダム郊外に住居を構える彼女。
ふわりとした桃色のボブヘアに、大きい緑色の瞳は、まるで人形のように可愛らしい。アトリアと比べると多少……いや、かなり|バストサイズ《スタイル》に差はあるが、それも彼女の魅力の一つに過ぎない。
しかし、突然現れたエデンとアトリアに、しかも料理屋をどう開店すれば良いのか訊きに来るなんて、あまりの意味の分からなさに、シエールは可愛らしさを殺した表情を見せていた。
「な、なんか不機嫌そうだな。いや、だって頭の良いお前なら知ってるかなって思って……」
「あのね。私は何でも知ってるわけじゃないのよ、全く。それに、|貴方《あなた》の話に付き合うほど暇じゃない
の」
「……寝起きみたいな恰好をしているのにか」
エデンは、シエールの赤いジャージ姿をまじまじと眺めながら言う。
シエールはハッとして「うるさい! 」と、叫んだ。
「マ、マジで不機嫌だな。そんなに俺らが相談に来たのが嫌だったか……スマン」
「嫌っていうか、別にエデンがどうこうっていう訳じゃないけど……」
シエールは、アトリアを横目で追う。そもそも不機嫌な理由は彼女にあったからだ。
(久しぶりにエデンに会えるのが嬉しいのに、魔王のヤツも一緒だったなんて……。そもそも、どうしてエデンは魔王なんかと結婚するのよ。普通は一緒に戦火を|くぐ《潜》り抜けた私じゃないの? それを、ぽっと出の魔王に奪われるなんて――……! )
単になる嫉妬心。それが理由だった。
「なんか、本当に|苛立《いらだ》ってるな。悪い、今日のところはもう帰るよ」
エデンは立ち上がり、アトリアと共に帰ろうとする。が、シエールは慌ててそれを引き留めた。
「あっ、待ちなさいよ! 別に帰れとは言っていないじゃない! 」
「だって、お前スゲー怖い顔してるぞ。邪魔だろうし、別の場所に相談しに行くよ」
「……別に良いってば! 訊きたいこと、ちゃんと答えるから! 」
「知ってるのか? 」
「料理屋の開き方でしょ。そのくらい、本当は知ってるから……」
シエールは|彼女《アトリア》の手前、本当は嫌だと思っていたがエデンのためにも渋々説明した。
「まず、貴方たちの話に出ていた調理師免許は|要《い》らないわ。よく勘違いされるけど、調理師免許は所持していれば国家資格としてお客さんが安心できるだけで、飲食店の開業には関わりないの。でも、開業に必須となる資格は一つあって、|食品衛生責任者資格《せきにんえいせいせきにんしゃしかく》っていうのが必要になるはずよ」
|食品衛生責任者資格《せきにんえいせいせきにんしゃしかく》。
あまり馴染みのない言葉だ。
「すげえ取得するのが面倒臭そうだな……」
「ううん、別に難しくないわよ。受講料一万ゴールドが必要だけど、簡単な授業とテストで終わるから」
「そうなのか。思ったより飲食店の敷居って低いのか? 」
「低いといえば低いけど、やっぱり味とか衛生面とか大事だし、その後のほうが大事……かしら」
「あ〜、そうだな。まあ、その辺は問題ないだろ。だって、アトリアの料理だぜ」
エデンはニヤリと口角を上げ、隣のアトリアの顔を見つめた。アトリアは無言で照れたように頷くが、そのやり取りを見たエデンの|額《ひたい》にビキリ、と血管が浮き立つ。
「ふ、ふーん。そんなに魔王の料理が美味しいのかしら。プロ並みに、料理屋が開けるくらいに、みんなが満足してくれるくらいに!? 」
怒号を響かせるシエール。
エデンは|慄《おのの》きつつ「美味しいよ」と答えたが、シエールはエデンを鬼の形相で|睨《にら》みつける。
「別に|アンタ《エデン》に訊いちゃいないわよ。私は、|そこの女《アトリア》に訊いているの」
ギロリ!
魔法使いとは思えない、あまりの剣幕。
エデンは「ひえっ」と小さくなった。
代わりに、|本人《アトリア》が口を開く。
「なんだ、私に聞いていたのか? それはすまなかった。料理に自信があるかどうかという質問なら、私自身、そこまでではないと思っているぞ」
「へえ〜。料理に自信が無いのに、料理屋なんて開いたって無駄じゃないの。むしろ、勇者としてのエデンの評価も落とし兼ねないから、止めた方が身のためじゃないの! 」
|嫉妬心《しっとしん》をメラメラと燃やした発言だが、遠からず当たっている言葉でもあった。しかしアトリアはそれを即座に否定した。
「シエール、それは違うぞ。私は自信が無くとも、私の料理をエデンが認め、信じてくれている。それだけで理由としては充分過ぎるのだ。……そうだろう、エデン」
目を閉じて、胸に手をあてがうアトリア。
横でエデンは「その通りだ」と小さく頷いた。
「そういうわけだ、シエール。私にはやる理由がある。それに、失敗を恐れていては何も出来ないしな」
まるで勇者とも劣らぬ未来を見据えた台詞。
彼女の言葉に、シエールはいきり立った。
「へえ、言ってくれるじゃない。それなら、私を納得させられる料理を作ることが出来るかしら」
悪役のような|不適笑《ふてきわら》いで、近くのキッチンに目を向けて言った。
「シエールを納得させる料理……? 」
「そうよ、アトリア。もしもプロとしてやるなら、私くらい納得させられないと無理よ」
「言っていることは分かるが、まだ私はプロフェッショナルでは無くて……」
「ひと一人を納得させられない料理を今すぐできないなら、料理屋なんて無理ではなくて? 」
「それは、そうかもしれぬが」
困った表情を浮かべるアトリア。
「おいシエール、あまりアトリアを困らせないでやってくれないか」
「アンタには訊いていないって言ってるでしょ! 黙っていないと火炎魔法で燃やすわよ」
「……すみません」
エデンは、まるで役に立たず。
だが、アトリア自身には既に火が点いていた。
「ふむ。シエール、そこまで言うなら……分かった。キッチンと食材を借りて良いか」
「あら、やる気なの? 最初から負ける戦いなんて意味もないし、|降伏《サレンダー》したらどうかしら」
「戦わずして負けるのはプライドに反する。勝負を挑まれた以上は、全力で受けようと思う」
「そう。それなら、そこのキッチンは自由に使って頂戴。食材も好きに使っていいわよ」
「分かった。エデン、少しだけ待っていてくれるか」
エデンが「ああ……」と引っ込むと、アトリアは早速キッチンに立った。
普段使っているキッチンとは全く異なる勝手ではあるが、そこに立つと、考えていたよりも『 料理が作れる 』気がした。
(ふうむ。|他人《ひと》の家のキッチンなのに、なんなく手が動きそうだ)
それは、キッチンがきちんと整理されていたからだ。
|埃《ほこり》ひとつ無く、水回りも清潔感あふれている。棚に並べられた調味料は取りやすいよう並べられているし、氷魔石を利用した最新型冷蔵庫も完備し、中を開くと様々な食材が扱いやすいよう分けられている。
(我が家にも劣らないキッチンの美しさ! だが、これは……)
つまり|彼女《シエール》は、料理に手抜きをしない女性ということ。
キッチンの使いやすさはイコールで料理の腕に直結すると言っても過言ではない。
これは、考えていた以上に厄介な挑戦を受けてしまったかもしれない。
「どうしたのかしら。ほら、自由にキッチンを使って良いのよ」
ニヤリ、と浮かべる笑顔は、|暗黒微笑《あんこくびしょう》。顔の陰りに口元だけが半月のように浮かぶ。
「……ハハ、驚いた。シエール、キミも意地が悪い勝負を挑んでくるね」
「あら、私は別に何も言っていないわよ。でも、それに気づいた事だけは褒めてあげる」
「このキッチンを見て、腕前を理解しないのは早々居ないぞ。フフッ、俄然やる気になってきた」
「そうかしら。では、その自慢の腕を早く見せて頂戴」
「フフッ、今すぐ最高の料理を提供させてもらうぞ」
「あははっ、どうかしら」
「フフッ……、フフフッ! 」
「あはっ……、あははっ! 」
二人の間に、電流がバチバチと唸る。
なんだか言い知れぬ剣幕と雰囲気に、エデンは小さくなって、少し離れたソファに退散した。
「最高の環境で、いま私が出来る料理を振舞うぞ。待っていろ、シエール! 」
アトリアは腕まくりをして、全身にやる気のオーラが満ちる。
並んだ調理器具のうち手に取ったのはフライパンと|フライ返し《ターナー》、包丁など。
また、シエールの見える位置からは、アトリアが冷蔵庫から豚肉、ショウガ、キャベツ類を取り出したのが見えた。
「いま、何を使うのか見えたわよ。アトリア、あなたは豚の生姜焼きを作るつもりね」
「食材だけでバレてしまうのは、さすがだな」
「当然。でも、豚の生姜焼きなんて珍しくも無い料理。それで私に勝負するつもり? 」
「フフッ。まあ、楽しみにしておいてくれ」
シエールの圧力にも屈せず、|余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》のアトリア。
早速、調理に取り掛かる。
まずは、生姜、ニンニク、酒などを混ぜ合わせたタレを作ることから始まった。そこに切り分けた豚肉を揉むように漬け込み、五分から十分ほど放置する。また、その間に、まな板の上にキャベツを置いて千切りし、冷水の入れたボウルにさらしていく。
(へえ、中々手際は良いみたいじゃない。でも、普通の豚の生姜焼きと変わらないわね。そもそも、どれだけ美味しい料理でも、この料理には欠点があるのだけれど……気づいていないのかしら)
シエールがアトリアの動きに目を光らせる。
アトリアは彼女の視線を背後に感じながらも、その動きは機敏に、かつ手際よく確かな料理を作っていく。
(……よし、順調だ)
タレに漬けた豚肉に味が染みわたったタイミングを見計らい、熱していたフライパンに油をひいて、豚肉を入れた。ジュワッ! と軽快な音が高々と響き、辺りには甘辛い食欲そそる匂いが立つ。
「うまそ〜な匂いがするなぁ……」
その匂いは離れた位置のエデンにも届く。ゴクリ、と喉元を鳴らした。
「もうすぐ出来るぞ。軽く火が通ったところで、更にタレを加えて煮詰めるように仕上げていくだけだ。あとは、適当な頃合いを見計らって――」
千切りキャベツを乗せた皿に、焼いた豚肉を並べるように盛り付ければ完成。
香ばしい甘辛い香りに揺らぐ『 豚の生姜焼き 』が、シエールの前に運ばれた。
「さあ、出来たぞ。食べてみてくれ! 」
「……ふうん」
鼻で返事するシエール。
指を鳴らし、空中に緑の魔力を走らせることで、キッチンの棚からフォークの一本を魔法で引き寄せた。
「まっ、香りは良いわよ。でも、その前に」
フォークを指先でクルクル回しながら、|怪訝《けげん》そうな表情で言った。
「食べる前に、この勝負はケリがついてるわ。この料理を選んだ時点で私の勝ちなのよ」
「なに……? 」
アトリアが眉をひそめる。
それを聞いたエデンは「おい! 」と、シエールに詰め寄った。
「シエール、それはさすがにひどいだろ。食べもせずアトリアの負けってどういうことだ! 」
「エデンは黙っててって言ったんだけど。まあ良いわ、教えてあげる」
「おうよ、教えてもらおうか! 」
エデンは腕を組んでシエールを見下ろす。と、彼女の放った言葉は当然のものだった。
「簡単なこと。私は朝の寝起きよ。それなのに、朝食代わりに豚の生姜焼きなんて重いものを食べれると思っているの? 」
そう言って、シエールはフォークを置いた。
彼女の台詞に、エデンは「あっ」と口を押さえた。
「何か反論があるなら言って頂戴。今の私には、この料理は食べたいとは思わないわ」
「そ、それはだな……。とりあえず一口でも食べないと分からないじゃないか! 」
「その一口も重いのよ。それとも、お客様に無理やり食べさせる料理店をつくるつもりなのかしら」
「う、うぐっ……! 」
反論の余地もない。エデンは何とも言えず小さくなるが、反してアトリアは強気に言った。
「シエール。エデンの言う通り、まずは一口食べてみてくれないか」
「……あなたたち夫婦は、人の話を聞かないのね。私は朝食に生姜焼きなんて食べたくないの」
「一口でも食べればきっと気に入ってくれると思う。それに、食べねば勝負にならないだろう」
「しつこいのよ。豚の生姜焼きなんて、朝から食べるものじゃ……」
……食べるものでは無い、と。
そう言う掛けた瞬間。
クンッ。
料理から舞い上がった匂いが、鼻を突いた、一瞬で。
(……香りが、甘い)
確かに朝食としては重い料理ではあった。しかし、いつも自分が作っている豚の生姜焼きとは、香りが違うことに気づく。
(もしかして、何か仕掛けたのね。くっ、本当は食べないで私の勝利にしたかったケド。料理好きとして、何か工夫されているというなら、気になっちゃう性質なのよね……! )
仕方なく、フォークを握り締め、豚肉を刺し、頬張った。
――― |刹那《せつな》
シエールの表情が、一変した。
「こ、これ……! 」
「どうだ、朝食としても美味しく食べられるよう仕上げたつもりだ♪ 」
「……ッ!! 」
一口食べたその時から、シエールの手は止まらなくなる。
それがアトリアとの勝負に『 敗北 』の道だと分かっていても、彼女の料理を食べ続けたくなったのだ。
「アトリア、一体何をしたの! これが豚の生姜焼きって……私の知ってる料理じゃないわよ! 」
「ふっふ〜ん。同じ料理好きとしては是非見破って欲しいものだがなっ」
「な、生意気に! 良いわよ、当ててやるわ! 」
アトリアの作った生姜焼きは、普通のソレとは違って明らかに"甘味"が強かった。しかし、それでいて生姜焼きという本質を|崩《くず》していない。心地よい辛さの刺激が残っている。最初は砂糖を多めに使ったのかと思ったが、それでは単に甘ったるいだけの味になってしまう。
(ああ、もうっ! 答えは分かってるのに!いつの間に入れていたのか知らなかったけど、タレに合わせてある"小粒な何か"が、この味を引き立てているのね! )
本来、甘辛い生姜ダレ。そこに、アトリアは一工夫を凝らしていた。
非常に小さな粒子のように砕かれた"何か"が、強くとも程よく感じてしまう甘みの正体。
シエールは、タレ部分だけを小指で|掬《すく》い、舌で舐めとった。
「これは……」
ハッ、としてシエールは言った。
「……これは、玉ねぎとリンゴね!? 」
「おおっ、さすがだな。大正解だぞ」
「しかも、この|滑《なめ》らかさ。それだけじゃなくて、何かを混ぜてるみたい……」
「そこまで当てるとはな。私が使ったのは、アレだ」
アトリアが指差した先にあったものは、棚に乗せられていた片栗粉の袋だった。
「片栗粉! 道理で、とろっとした食感があったわけだわ! リンゴと玉ねぎの甘みで、普通の生姜焼きよりずっと食べやすくて……」
「朝食から、しかも女子にガッツリし過ぎた料理を出すわけがなかろう。本当はリンゴを焦がしてみたり、ハチミツを加えてみたりするともっと美味しくなるかもしれんな」
「……料理の腕前を舐めていたのは私の方だったみたいね。食べもせずに負かしたつもりになっていたなんて、情けないわ。分かった、私の負けよ。こんなに美味しい料理を食べたのは久しぶりだったわ」
確かな美味たる料理を前にして、敗北を認めたシエール。深いため息を吐いた。
「はあ。もう……分かったわよ。私の負けよ。やりたいなら勝手にやれば良いじゃない」
「ふふっ、私の勝ちか。美味しいと言ってくれて嬉しいぞ」
「シャクだけどね、料理に嘘はつけないわ。だけど魔王、覚えていて。あなたの料理で、エデンの評判を落としたりしたら絶対に許さないからね。それは覚えておいて頂戴」
「分かっている。私は、私が彼に一生を尽くすためにエデンの|伴侶《はんりょ》となったのだ。やることになった以上、努力は惜しまずに全力でやらせてもらうから安心して見ててくれ」
アトリアは彼女の|真摯《しんし》な言葉に、目を閉じ、頷き、答えた。
「魔の王が、勇者に一生尽くす……ね。まったく、そういうところなのよね、あなたは」
「むっ、なにが、そういうところなのだ? 」
「……別になんでもないわよ」
ぷいっ。シエールはそっぽを向くが、心の奥底で彼女には敵わないと改めて、認識していた。
アトリアという女性は、『 やるとなったらやる 』、そんな力強い女性だった。
とにかく真っすぐで、必死に|一途《いちず》。魔族の王すらも捨てることも|厭《いと》わずに、敵対する勇者との愛を選ぶくらいに、馬鹿で、真っ直ぐ。自分が同じ立場だったら、そんな勇気も無いし、そんなんだから、私は負けてしまったのだろうと思った。
「……アトリア、最後に一言」
だったら、せめて。
「エデンを宜しく。そいつ、思った以上の『 バカ 』だから」
どれだけ|嫉妬《しっと》していても、彼女がエデンを幸せにしてくれる事だけは願ってやろう。
シエールの言葉に、アトリアは笑って、答えた。
「ああ、承知している。でも、私も同じくらいバカだ。バカ同士、添い遂げさせて貰うよ」
「……ふんっ」
………
…
以上となります。
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