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トァイ・トゥンガ国(トゥンガ帝国とも)は、10世紀から1519年までマウサネシア連邦共和国に存在していた帝国で、現在のトァイ・パロア自治州のもととなった国である。

トァイ・トゥンガ国
Tuaʻi Tunga
日歴900年頃〜1519年
前身
マヌア大首長国、プロトゥ大首長国
後継
クシャール朝マウサナ帝国
詳細情報
国の標語
不明
国歌
不明
イデオロギー
専制君主制
神権政治
大首長国
公用語
トゥンガ語
首都
10世紀頃:トロア(Toloa)
11〜12世紀:ヘケタ(Heketa)
13世紀以降:ムア(Mu'a)
人口
11世紀頃:600〜700万人程度
16世紀頃:200〜300万人程度
憲法
不明
国教
天空教
通貨
不明
大首長
10世紀頃
アホエイトゥ(‘Aho'eitu)
???-1519
ニイファハウ(Nifaha'u)
経緯
日歴900年以降
アホエイトゥによって建国される
11世紀頃
最盛期
1519
小グリヤ諸島戦役で滅亡

概要

当時のラピタ王国(先史時代、小首長国乱立)に対しても一定の影響力を有していたと考えられており、ラピタ王国のいくつかの地域に直轄領が存在したらしい。
しかしラピタ王国においては、ポマレ1世が即位する頃には既に忘れ去られていたと考えられている。

1046年にはクシャール朝マウサナ帝国に侵攻した。これにより16代大王 ウダヤデイッタヤジュラル2世は戦死し、17代大王 ハルシャジュラル3世によって撃退された。
この侵攻においては、「トゥンガ国の戦士はマウサナ人を見つけ次第、無差別に殺害した」と伝えられており、数百年にわたって恐れられることとなった。
現在でも一部の地域では、マウサナ人の親がその子供を寝かしつける時に「早く寝ないとトゥイが来るよ」と言ったりするらしい。

そして1519年に小グリヤ諸島戦役で滅亡し、跡地には「トァイ・パロア」や「トァイ・コーンク」などの属国が設置された。

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