架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

ハンズアイ
Khan's eye
基本情報
別称KHE、手目ちゃん
出身地シャジャススタン
ジャンルS-POP?
オルタナティヴ
活動期間聖暦1988年-
レーベルRed candle records
事務所ダイヤモンドダストエージェンシー?
メンバーアルパ
チャーリー
デルタ
マイク
ズールー
旧メンバーヤンキー

概要

ハンズアイ(Khan's eye)は、ダイヤモンドダストエージェンシー?に所属するシャジャススタンの男性アイドルユニットで、アルパ、チャーリー、デルタ、マイク、ズールーの5人からなる。ユニット名はかつてのカツゥジャ・ハン国?の密偵組織"ハン(王)の目"に由来し、メンバーも当時の密偵さながら国外で様々なキャリアを磨いてきた異色の経歴の持ち主ばかりである。また、彼らのファンは自らを「ハンズアイの魅力を世界に広める者」として、ハンの目?が情報伝達手段として用いていた伝書鳩を意味する"グヴァーチン"を自称する。

ハンズアイはダイヤモンドダストがネコマタプロ傘下に加わったことを機に始動したシャジャススタン初のアイドルプロジェクトである。当初はティーンズを対象とした少年アイドルユニットを目指していたものの、シャジャススタンにおけるエンタメ業界の基盤が未発達であることや資金面を考慮した結果、ゼロから生え抜きのアイドルを育成することが現状では困難であると判断された。その為、既に国外で芸能キャリアを積み重ねてきた即戦力となる人材を中心に再構築されたのが現在のメンバーであり、結果として結成時点で平均年齢が36歳とアイドルとしては非常に遅咲きなイケオジアイドルとしての路線が確立されることとなった。

メンバー

現役メンバー

※()内は本名
  • アルパ(アブドゥル・ラングラフ)
ハンズアイのリーダー。1953年7月18日生まれ(39歳)のアルトゥン出身で、メンバーカラーは赤色
他のメンバーのような海外での活動実績は無く、10代の頃からダイヤモンドダスト所属の若手俳優として活動していた。役者時代は制作サイドの期待通りに与えられた仕事をそつなくこなす、いわゆる優等生タイプだったが、大きなヒット作品に恵まれることはなく、1987年のハンズアイ発足直前には事務所との契約が満了となりクビになる予定だった。ただ、特技がヒップホップダンスや歌唱であったこと、また時を同じくしてハンズアイが"イケオジアイドル"としての路線へ変更されたことで、メンバー候補として残留し、今に至る。
他のメンバー曰く「華がない」らしく、本人もそれをネタにしている節がある。プライベートでも外出する際は全く変装をしないにも関わらず、ビックリするほどファンから声を掛けられないとのこと。その為、街中でグッズを身につけたファンを見つけると自ら声を掛けにいくこともあると言う。
前述の境遇から付いたキャッチフレーズはあれ?ただの近所のおっちゃん!?であり、ライブなどのメンバー紹介ではトリを飾ることが多い。また、一部のファンからは"Mr.アベレージ"の愛称で親しまれている。
そんな「特徴が無いことが特徴」な彼だが、その実、非常に機転が利き周りを立てることに長けた人物でもあり、メンバーからの信頼が厚いのも事実である。この事についてズールーは『率先してみんなを引っ張っていくタイプのリーダーじゃないけど、骨は必ず拾ってくれる、殿(しんがり)としてみんなを見守ってくれるリーダー』と表現している。現にトーク番組でも瞬時に場の状況を把握し、各メンバーに的確な振りを回すなど「縁の下の力持ち」とも言えるような立ち回りが目立ち、最近ではイベントなどでもMCとして起用されるケースが増えつつある。

  • チャーリー(チョカン・カパーゼ)
1954年6月2日生まれ(38歳)でイーニン出身。メンバーカラーは黄色。キャッチフレーズは人徳の巨人
デルタとは高校時代からの友人であり、ハンズアイ加入以前は二人で"ジャーキージャンキー"というお笑いコンビを結成していた。
日頃からマイペースで行動や発想が子供のように純粋であることから、メンバー内では「天然キャラ」「弟キャラ」として弄られることが多々ある一方で、身長197cm、体重81kgと巨人の名に相応しい体格と、底知れない器量の大きさをあわせ持つ。
芸人としての活動に限界を感じていた矢先、自身がアイドルとして再起する機会を与えてくれた現事務所には恩義を感じており、ハンズアイへの愛着心が最も強いメンバーとしても知られる。その為、ファンサービスも人一倍丁寧で、頻繁にゴットックのライブ配信を行ってはファンとのコミュニケーションの機会を大切にしている。
食べることが大好きであり、黄瓜やメロンが大好物。結成当初は食いしん坊キャラだったが、最近ではその座をマイクに食われつつある。本人曰く『さすがに四十路も近くなれば胃袋だってちっちゃくなるよ』とのこと。

  • デルタ(ディミトリ・ウスマノフ)
1954年9月27日生まれ(38歳)のイーニン出身。メンバーカラーは緑色。キャッチフレーズは密林の仮面戦士
端正な顔立ちとポーカーフェイスが特徴の二枚目キャラで、チャーリーと共に"ジャーキージャンキー"として舞台に立っていた時は、表情一つ変えることなくキレ良く頭をしばく冷徹なツッコミが人気を博していた。
メンバー随一の身体能力を誇り、現在でも頻繁に運動系バラエティへ出演している。ハンズアイの代表曲 "事件だ!出動!影の刑事!"の間奏部分における彼の連続バク転パフォーマンスは、数々のライブで観客を大いに湧かせてきた。
芸人時代から苦楽を共にしてきたチャーリーとはプライベートでも非常に親密な間柄で、互いを最も信頼できる友人として公言している。その関係性はファンの中でも度々話題となっており、ごく自然且つスマートにチャーリーをしばくデルタと、しばかれて満更でもなさそうなチャーリーの掛け合いは一部では"熟年夫婦"と形容される。

  • マイク(ミハイル・レミンスキー)
1955年5月30日生まれ(37歳)のメンバー最年少。ムジュヘル出身でメンバーカラーは青色。キャッチフレーズはハンズアイのスピードスター
ガーベラウ・メサイア・バルトフェルナーレーシング所属のF1レーサーとして、1986年までアクシアで活動していた経歴を持ち、当時からイケメンレーシングドライバーとして注目されていた。
爽やかな見た目とその経歴に反してインドア派であり、休日は模型制作とDVD鑑賞を楽しんでいるという。無敵戦士サイボットAの熱烈なファンとしても知られ、サイボットAを始めとしたSFアニメへの造詣の深さから、サブカル方面での企画にも多数出演している。
メンバー唯一の既婚者で、妻は元女子マカシ選手のイリヤ・ファズマ?。バラエティ番組で共演する際は、イリヤの鬼嫁キャラを活かし、自身は尻に敷かれるヘタレ亭主としての役回りに徹しているが、プライベートでは仲睦まじい夫婦関係が確認されている。
ハンズアイきってのグルメでもあり、ライブなどで地方へ赴く際は、必ずご当地名物を下調べして行き、如何に多忙なスケジュールでも名物料理にありつく時間を捻出しているほどである。

  • ズールー(ザキルジョン・カミロフ)
1953年6月15日生まれ(40歳)のトゥシュトゥク?出身。メンバーカラーは紫色。キャッチフレーズはアポルエからの託宣者
メンバー最年長であるものの、20代のような若々しい肌質と中性的な容姿を兼ね備えた、いわゆる美魔男であり、1991年末には「最も化粧の似合うカツゥジャ人男性」に選出されている。
ハンズアイきっての知識人であり、1977年には名門のイーニン大学にて博士号を取得している。大学院では文化人類学を専攻しており、フィールドワークの一環でザンジへ赴き長年バボンガラ族の集落で生活を送ってきた経験を持つ。その際、バボンガラ族との血縁関係が無いにもかかわらず、かの地に伝わる妖術飛行機 ンデジェを扱うことができたため、現地の術師から集落に留まりより高度な修練を積むよう薦められたとするエピソードがある。ザンジからの帰国直後、フーシ国際空港にてダイヤモンドダストにスカウトされたことで、モデルとして芸能界に入る。現在では芸能活動に集中するため学者としての研究は中断しているが、『死ぬまでには、読者が少しでもアポルエ文化を身近に感じることができるような書籍を世に残したい』と語っている。
自身が信じる正義に忠実な人柄とも言われており、あるトーク番組では、MCへ不遜な態度を取った大物共演者に対し毅然と反論を述べるといった直情的な一面を見せたことがある。また、ある時はスタッフがズールーへの差し入れにピンク色のスイーツを持ってきたことに対し『俺は死ぬ気で紫色を背負っているんだ。生半可な気持ちで似た色を渡して誤魔化さないで欲しい』と返答しスタッフに渇を入れるといった、自身のメンバーカラーである紫色に並ならぬ執着を見せるなど、一風変わった逸話が多数存在する。
一方で、現在ではハンズアイのサブリーダーを務めており、その面倒見の良さからグループ内では"兄貴"や"裏ボス"とも呼ばれ厚い信頼を得ている。1992年9月には、再来年発足予定となっているハンズアイの兄弟アイドルユニット ブーステッドマン?の総合プロデューサーに抜擢されたことが発表された。
また、大の愛猫家としても知られ、自宅ではモケレー・ムベンベ(愛称:モケちゃん)とアゴグウェ(愛称:グエちゃん)という猫を飼っている。

旧メンバー

  • ヤンキー(ヤーコフ・ツァイ)

特徴

楽曲や公式グッズなど、グループとしての活動の大部分においてG-POPの影響が大きく反映されており、作品内にG-POPアーティストへのラブコールやリスペクトの念が込められている部分が多数見受けられる。一方で、PVなどの演出面では本家のG-POPに見劣りする部分もあり、デビュー当初は「G-POPの猿真似」との批判の声もあった。
アギラベク・カシュガロフがチーフマネージャーに就任した1989年以降は、彼の趣味であるアルセチアの特撮アニメやフリンカの格闘技を意識したパフォーマンスが頻繁に取り入れられるようになり、人気の火付け役となった。メンバーごとのキャラクター性を強調するためにメンバーカラーを全面に押し出した衣装や、格闘技の入場曲さながらのライブオープニング演出がそれらに該当する。

これまでアイドルに興味を示さなかった層をファンとして取り込んだ幅広いニーズが特徴であるが、メンバーの前職が多岐にわたることが様々な方面からの支持を獲得した要因とされている。

メンバー間の関係としては競争よりも連帯に重きを置く風潮があり、メンバーの人気投票のような企画は結成からの4年間において一度も実施されていない。また、従来のアイドルには付き物とされてきた不仲説などのゴシップが浮上しないグループとしても知られる。1990年末にアルトゥン ダイナマイトアリーナ?でのライブ開催が決定した際の記者会見では、5人がメンバー同士の関係性について以下のように語っている。
ズールー『…なんだろう、メンバーみんなが必要以上の野心やハングリー精神を抱かないような年齢になっちゃったんじゃないかな笑?僕は「どうすれば自分個人が目立てるか?」ということよりも「どうすればグループ全体に貢献できるか?より多くのファンに喜んでもらえるのか?」ということを意識しながら日々行動しています。まあ、良く言えばみんないい大人になったってことなのかな。』
アルパ『確かに。アラフォーのおじさん達が闘争心剥き出しでギスギスしてるのもみっともないもんね。』
チャーリー『そうだよね。僕とデルタも一時はお笑いで天下を目指すことに必死になってたけど、好きなことを伸び伸びとできる今が一番幸せかも。』
マイク『僕もこれでもか!ってくらいの"競走"をアクシアで経験してきたので…もうお腹いっぱい。』
デルタ『いやマイクの言う"キョウソウ"だけガチな奴!』

活動歴


ディスコグラフィ


主要なライブ


出演


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