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マウサネシア共産革命(英語: Mausanesia communist revolution)は、日歴(太陽教歴)1946年7月15日、マウサネシア連合国(現在のマウサネシア連邦共和国)で発生したクーデターである。
マウサネシアの首都ジャヤカラタで起きた兵士による武装蜂起を発端として始まった革命であり、国軍によるクーデターである。7月革命とも呼ばれる。
マウサネシア共産革命
Mausanesia communist revolution
革命の概要
日時
日歴1946年7月15日
発生地
マウサネシア連合国、ジャヤカラタ
結果
クーデター成功、労農臨時軍事政府の樹立
種類
国軍によるクーデター、共産革命
目的
ブルジョワ民主政権の打倒およびプロレタリアート民主政権への移行
内容
国軍の将校が下士官・兵を率い、「マウサナ的労農理想郷」の樹立のため、「ブルジョワジー」である民主資本主義文民政府に対するクーデターを遂行
原因
富を独占する財閥への憎悪、腐敗したブルジョワ的政党政治・政治家への失望、労働者及び農民と資本家との経済格差への不満、太陽教など伝統文化軽視への反発
首謀者
セルテ・ラナ?元帥など軍部首脳、レイン・ノルなとの共産主義革命家
兵器
戦車、装甲車、軍用機、火砲、重機関銃、軽機関銃、小銃、拳銃、銃剣、軍刀など
交戦勢力
労農臨時軍事政府マウサネシア連合国政府
マウサネシア国軍
兵力
国軍数十万人警察など、人数不明
損害
兵士数人程度警察官十数人程度殉職
政府首脳数人程度



概要

軍部では戦前から資本主義への疑問を感じる兵が多かったが、それが表面化することはなかった。しかし、セルテ・ラナ元帥がレイン・ノルの太陽教社会主義に感化されると、次第に革命の機運は高まっていった。
そして、日歴1946年7月15日にセルテ元帥とレイン氏の呼びかけにより国軍は蜂起し、クーデターは成功。軍事政権が樹立された。

背景

財閥への憎悪

いくつかの財閥が富の多くを独占しており、中小企業は為す術もなかった。労働者は会社を選べず、財閥どうしは結託して労働者の賃金を低くし、逆に自分たちは贅沢の限りを尽くしていた。
こういった行動は財閥への憎悪を招いており、国民は民主政治に訴えようとしたが、後述の理由により上手くいかなかった。

腐敗したブルジョワ的政党政治・政治家への失望

民主政治は資本家による多額の献金により、もはや財閥の言いなりになっていた。政界では賄賂が横行し、政党政治はくだらない政争を繰り広げ、人気取りのために愚策を繰り返した。
これにより国民はついにブルジョワ民主主義に失望し、プロレタリアートによる民主主義を唱える共産主義が力を増していった。

経済格差への不満

農村は疲弊し、大地主によって土地を持たない小作人は酷使され、生活していくのがやっとの状態であった。
一方都市では、労働者が低賃金で働かされ、過労死する者まで現れたという。このような経済格差は当然ながら多くの不満を生んだ。

伝統文化軽視への反発

マウサネシア連合国の政府は近代化のために西洋の文化や価値観を大々的に取り入れ、逆にマウサネシア固有の文化や価値観は時代遅れとして迫害した。
こうした状況のなかで迫害を受けた太陽教勢力はマウサネシア連合国へ不満を抱いており、その敬虔な信者たちも不満を抱いていた。
また、行き過ぎた資本主義は太陽教やマウサナ人の伝統的な価値観に反しており、これが反発を生んだという。

その後

クーデターに成功した軍部は、軍事政権である労農臨時軍事政府を樹立し、プロレタリアート民主主義国家建設のための準備を開始した。
この間、共産主義政治家の間で内部対立が発生し、特にレイン・ノル率いる太陽教社会主義の漸進的勢力と、それに対抗したマルクス主義の急進的勢力が対立した。
結果として太陽教勢力や人民の後援を得られた太陽教社会主義の漸進的勢力が勝利し、対抗派閥は亡命した。亡命した対抗派閥が建国した国家こそがエドラチア人民共和国であり、これはマルクス主義の国家である。

その後、軍部が勝利した太陽教社会主義勢力に政権を移譲したことで労農臨時軍事政府は解散し、新たにマウサネシア人民共和国が成立したのであった

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