架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 聖暦1987年の6月。未だ、このラピタという名の南海の小国が、国を開いてからそれ程時が経っていなかった頃のこと。
 雲が風にたなびく空の下、都タアロアの中心街。藁葺きの屋根が連なる中に見える、数少ない古めかしい石造の建物。国を治める国王の住うその宮殿の中で、誰も知らないとある密談が行われていた。
「宴、だと?」
「はい、お父様。本年でラピタは開国から五周年を迎えます。これを機に、諸国の大使を招いて宴を開き、この国により良い印象を持って頂きましょう」
「ふむ…」
 王宮の一室、質素な執務机と椅子に座った国王は、目の前に立つ娘の進言をよく考えた。その顔はどこか自慢げで、いかにも名案である、という自信に溢れていた。
「だがリリィよ。それを一体どこで行うのかね。また、如何なる形式で行うのか」
「無論、国王の名において盛大に…」
「その様なことを言っているのではない。良いか、リリィ。宴をするにも、資材や手間がかかるのだ。市井の祝宴であっても、それは変わらぬこと。ましてや、王の名による宴など、どれほどの資材や労力を使うことになるか、よく考えてみよ」
 父王は冷静に彼女を諭した。その口振りは冷静であると同時に、国王というよりはやはり父親のそれに寄っている。一方、言われた方は痛いところを突かれた、とでも言いたげに、悔しそうに唇を噛んだ。
「し、しかし、その…」
「お前の腹心…クリストファーと言ったな。彼も同じことを、お前に言ったのではないかな」
「う、た、確かに…」
「リリィ、お前は頭が良い。あっという間に大使館の外交官達の言葉を覚え、大人顔負けの強かな交渉を平気でこなす。だが、一方で理財の面には誠に疎い。才能が先走るあまり、事を運ぶには縁の下で支える者が必要である事を忘れがちだ。お前が交渉の場で用いた材料や武器、あれらを用意したのは緻密な計算や分析をこなす裏方の官僚達だ。見てくれの華やかさに捉われて、裏のことに無知であるというのは、単なる無責任だ」
「…言葉もございません」
 一通り国王の正論を聞いたリリィは、残念そうに項垂れた。確かにその通りだ、言われてみれば、余りにも荒唐無稽過ぎた。そんな大掛かりな事、その場の思いつきですぐにできる様な物では無いというのに。
「申し訳ありませんでした。また改めて、検討致します」
「まあ待て。そうなきそうな顔になる事もない。お前の発案自体はとても良い。これを機に、自身の考えを自分の手でモノにするやり方を、本格的に学んでも良かろう」
「そ、それはつまり…」
「己の手で宴を成功させてみよ、という事だ。万般自分自身で話し合い、自分自身で判断し、自分自身で者どもを指揮しろ。さすれば、お前は相応の能力を備えていると認め、今後、お前自身の裁量で要事を進める事を許す」
「ほ、本当ですか!?」
「王に二言はない。さあ、やるならば疾く進めるが良かろう。周りの者どもと、よく相談するのだぞ」
「は、はい!必ずや、ラピタの名に相応しい宴を作って見せますとも!」
 顔を紅潮させ、花の咲く様な笑顔を浮かべて、リリィは部屋を飛び出す様に辞去した。それを見届けた国王は、ふと目線を逸らし、隣の部屋に通じる扉に向けて話しかけた。
「ジョアシャン、入れ」
「はっ、陛下」
 呼びかけに応じて現れたのは、当代の王国摂政を務めるジョアシャン・リホリホ王子である。彼は綺麗に後ろに撫でつけた髪の毛、見事に手入れされたカイゼル髭に、落ち着いたスーツの出立ちで、直接の兄でもある国王の前に立った。
「どう思う。あの子は事を成功させるかな」
「測りかねます。リリィは…いえ、リリィ『王女』は、陛下の仰る通り、才華は余人に並ぶ者がありませんが、緻密な裏方の作業については疎く、経験が有りませぬ」
「左様。十七歳とは思えぬ。良くも悪くもな」
「はは…」
「だが、それでも私には、あの子はうまくやってしまうのではないかと、そう思われてならぬ」
「と、仰いますと」
「あの子に付いている補佐役のことだ」
「クリストファーでございますか。父親はカフナの技術者と聞いておりますが」
「そうだ…元は、王位に絡む争いにあの子が巻き込まれた時、味方に着く者が必要と思い、側に置いて育てたが…中々期待以上のものを見せてくれる」
「彼が…?」
「護衛役としては中の下ではある。だが、勇気と現実を見定める冷静な眼、そしてなによりも、持たざる者の心を知っておる。彼が居るからこそ、リリィは背中の憂いなく事を進められるのだ」
「差し詰め…鷹と鷹匠の様なものでしょうか」
「正しく。あの子は天高く飛ぶ翼を持っているが、宿木を持っておらぬ。クリストファーが上手く後ろを守ってこそ、あの子は輝くのだ。…だが惜しいかな、彼を欠いた時、あの子は一人で試練に立ち向かえるだろうか…」
「ご懸念はご尤も。しかし、臣の見るところ、クリストファーの忠誠の心に疑いは…」
「違う。だからこそだ。彼が信頼に足る者であるからこそ、失うた時の打撃も大きい。互いに信を寄せる者同士は、それが深ければ深いほど、一人では生きられなくなるもの。…いずれ二人にも、遠くない日に別れの時が来よう、この国の身分という壁が立ち塞がる限りな…」
「陛下…」
「ジョアシャン。一つ頼まれてくれ。これは、国王としてではなく、一人の父としての頼みだ。聞いてくれぬか」
「承ります」
 国王は二、三弟に依頼を告げた。それを受けた弟が部屋を辞去するのを見届けて、彼は宮殿の外から都の街並みを見下ろした。茅葺きの街は平穏のうちに、時を紡ぎ続けている。

 「…で、みんな私達でやれと陛下は仰ったのですね」
「そうよ。だからやるのよ」
「あの、リリィ様。一言だけよろしいですか」
「何?」
「だから言ったじゃないですか!」
 王宮の門を出てすぐ向かい側、三階建てのコロニアル様式の建物の執務室で、クリスは主人に向けて叫んだ。恐らくは幼児でも予想できたであろう困難な事態に直面し、一瞬身分の壁を忘れてしまったのである。
「なによいきなり大声出して」
「いやだって、散々お止めしましたよね。国王陛下は絶対お許しにならないって」
「残念でしたー、全部私達でやるならいいって仰いました〜」
「このっ…!って、私『達』?リリィ様の他に誰が?」
「え、あなた」
「はい?」
「だから、あなた。私とあなたで基本を進めるの。当然でしょう?」
 ぽかん、ととぼけた様な表情でリリィは言い切った。協力してくれる事を微塵も疑っていないその表情に毒気を抜かれて、クリスはため息と共に部屋のソファに崩れ落ちた。がたん、と壁に収められた本や諸々の調度品が揺れる。
「分かりました。もう付き合ってあげますよ」
「ありがと。で、やる事なんだけど…ちょっとこっち来て」
「はい」
 ごちゃごちゃした机を乱雑に片付けつつ、彼女はメモ用の紙を持ってきて、タイトルに大きく「開国五周年大ルアウ計画」
 と書いた。「ルアウ」とは、ラピタの言葉で、「宴会」を意味する。山盛りの料理と歌舞音曲を、全ての人と共に楽しむ、ラピタ伝統の慣習である。

 「さあ、計画を立てるわよ。クリス」
「はい、では最初は料理から決めましょうか」
 リリィは白紙に「料理」と書き込んで、最初の思案を始めた。伝統的な献立と慣習から、必要な食材とその量を考えるのだ。
「細かい献立は厨師長に立ててもらうとして…まずは豚肉よね」
「はい。一頭蒸し焼きが伝統ですから」
「といっても、カルアにするものの他にも、肉は必要なのよね。確かこの国に駐在してる外交官の数ってどの位だったかしら」
「百人は下らないかと」
「うーん、となると。それだけの人数分の豚を用意して蒸し焼きにするのは中々辛いわね。場所も取るし…」
「西の町に会場を作ってはどうでしょう。畑のない荒地に穴を掘って豚を焼いて、そのすぐそばにテーブルと椅子を置けば…」
「なるほど。それは良いわ、そうしましょう」
「それから、カルアにする豚と、普通に捌く豚を別にしましょう。イム(地中に掘ったかまど)にする都合上、大き過ぎてもいけませんが、よく肥えた豚を見逃す手もありませんから」
「よし。じゃあ、一人頭五百グラムと計算して、約五十キログラム弱、他の人も来るかもしれないから念を入れて七十キロほど調達できないかしら」
「流石に五百は無いと思いますが…この量なら、よく肥えた豚一頭と、蒸し焼きにする小さめの豚一頭ずつでなんとかなるかと思います。後は、個々の肉を金貨で仕入れる手もありますから」
「分かった」
 豚の量をおおよそ計算し終えると、彼女はそれをメモし、書記官府に詰めている官人を呼び出して言った。
「すぐに御料地の牧場に行って、とびきりの豚を二頭調達して頂戴。私主催でルアウをするの。御料地には私に割り当てられた豚があるはずだから、それを使って」
「わ、分かりました」
 名前を書いた命令書とメモを渡された官人は直ぐに走り出して行った。恐らくは今夜辺りには豚の手筈がつくだろう。
「次に、豚肉ばかりでは飽きるから付け合わせが必要よね。魚と野菜、後果実が欲しいわ」
「ふーむ、ポケ(切り身に味をつけ、海藻やネギと共に和えた物)やラウラウ(肉や魚をタロイモとセンネンボクの葉で包んで蒸し焼きにした料理)の材料になる小魚や、バナナとオレンジの類を調達しましょう。季節に合わない物は諦めるしかないですが」
「海老はどうかしら。外国だと、大きいのを茹でて色々料理にするらしいし、小さいのも集めてニンニクと油で味付けしたらどうかしら」
「いいですね。その辺も含めて相談してみましょう」
「料理はこんな所ね。後は…」
 その後リリィは、各国の大使館に宛ててそれぞれの国の言葉で丁寧な招待状を書いた。「ラピタ王国の伝統に則り、王女リリウオカラニの名によってルアウを行う。是非ともご参加願いたい」…それらを書記官達に筆写させる傍ら、クリスは知り合いの漁師や農家に掛け合って食材の提供の渡りをつけた。新鮮な魚介などは早く仕入れ過ぎると腐るので、それも加味しての交渉である。こうした物事をうまく纏める辺り、クリスの能力は凡庸ではなかった。
「調子はどう?」
「順調です。漁師の方々や農家の皆さんが協力してくれる事になりました。詳細な献立が決まり次第、それに合わせて食材を確保してくれるそうです」
「そう。よかった。後で一人一人お礼を言いに行くわ」
「…にしても」
「なあに?」
「いえ。実は最初お願いをした時は、皆さん嫌な顔をされたんですよ。『王様への貢納はきちんとしているのに』って。でも、リリィ様のお名前を出したら、みんな是非やらせてくれ、と」
「そうなの?」
「ええ。なかなかのご人徳ですね」
「揶揄わないで…食材を提供してくれた人には、きちんとお代を出すわ。私に割り当てられた蔵があるでしょ?そこに溜め込んでる財を放つわ」
「仰せの通りにいたします。…ところで、リリィ様の方は進捗はいかがですか?」
「厨師長にお願いしたら、明日にでも細かい献立を作ってくれるって言ってたわ。折角だから、マンゴーも付けたいところですね、って。マンゴーとワイニウ(ココナッツミルク)でもって、ポイを作るって言ってたわ」
「ポイってタロイモから作るんじゃないんですか?」
「あの人は確かライアテアの出身なのよね。確かラピタ以外の島では、それぞれポイが指す料理は違うって言ってたわ」
「なるほど…しかしマンゴーですか。なんとか手に入れられるといいんですが」
「手を考えるしかないわね。確か、都から三日旅した先の御料地で栽培してると聞いてるけど、完熟ものは日持ちしないのよね…」
「ふーむ…」
 …一先ず、この様にして着々と準備は進められて行った。大使宛の書状に書かれた日付は十四日後、その間に場所と食材の手配諸々を済ませなくてはならない。リリィとクリスは直々にあちこちを飛び回り、直接準備に参加した。二人は遠方でしか手に入らない食材を求めて都を離れ、危険な道のりを旅することも厭わなかった。
 都の大門を出て、行ったこともない別の地方や国へと赴き、村々を訪問して希少な食材や必要な資材を集め、時には銃を持ち出して自分で狩りさえ行った。クリスはそんな彼女を時に諫め、時に寄り添って守り抜いた。
 そして、時は流れ宴の前夜。二人はタアロアから程近い、とある大河の支流で釣り糸を垂れていた。夕焼けの残光が西の海に沈もうとしている時間帯である。
「にしても、なんとか準備ができそうでホッとしました。あと、まさかリリィ様に狩りの才能があるとわかったのも驚きですね」
「銃器の取り回しは少し前に親衛隊のおじさんから習ったの。剣もまあまあ満足に使える様になったし、大体のことはできるわ」
「でも、危ないのでもう銃には触らないで下さいね」
「分かってるわよ。そうやってライフルと弾を後生大事に抱きしめなくたっていいじゃない」
 クリスは古めかしい旧型のレバーアクションライフルを膝に置いて釣りをしている。百五十年前に発明されたその銃は、外国ではとっくに廃れたモデルだが、ラピタではいまだに現役最新鋭である。
「で、俺たちはどうして川で釣りをしてるんでしたっけ」
「川魚が欲しいのよね。塩焼きにすると美味しいから」
 二人が釣りをしているのは、マウナ・ポマレと渾名されるラピタ最高峰オロヘナ山(名前の由来は創造の神タアロアの息子、オロ神。四大神に次いで崇められる)を擁する大山脈から北に向けて流れ出る大河ワイルク川の支流である。数千メートルの高峰から溶け出した雪解け水と、豊富な雨が混じり合うこれらの川は、長さの割に豊富な水量を誇り、多様な生態系とラピタの農業を支えてきた。川の本流の汽水から低地にかけては、世界的にも数が少ないカワイルカの仲間が生息しており、人々から神の使いと崇められている…のだが、閑話休題。
 ワイルク川は幾つもの支流を有し、非常に大きな流れとなるものもあれば、歩いて渡れる程度の小さな流れもある。二人がいるのはその中間程度の大きさの流れの傍らで、山から平地へ出た水が海に向けて徐々に緩やかに動く様になる場所である。地元の古老によれば、こうしたところには、「主が住む」という。故に二人はここに釣り糸を垂らし、大物を狙っているというわけだった。
「さて、何が釣れるかしら…っと、早速来たわね一匹」
「これは…コイですかね」
「滋養があるから薬にでもしましょうか」
 と、その様な調子で続けていると、偶々運が良かったのか、二人はなかなかの量を釣り上げることができた。忽ちのうちに持ってきた水入りの桶は魚で溢れかえる。
「これどうします?」
「王宮の生簀に離して、明日取りましょうか」
「まあまあ大きいですよねあの生簀」
「取れないことはないでしょ。さ、後一匹ばかし釣ったら帰るわよ」
 そう言ってまた糸を垂らしたリリィ。既に辺りは薄暗くなり、ややヒヤリとした風が草むらを揺らしつつ抜けていく。天には月と星が光り、薄ぼんやりと地上を照らしていた。
「ん…この引きは…」
「どうかしましたかリリィ様」
「いや、ちょっと…きゃあっ!」
「リリィ様!」
 見れば彼女の釣竿は限界までしなり、水中に引き摺り込まれようとしている。大魚だ。
「ぐっ、クリスっ…」
「リリィ様、手を離してはいけません。俺が、引き上げますっ…!」
「いくわよ、せーのーっ!」
 ざぱん、と言う音と共に、釣竿を引いていた重さの原因が水から抜け出した。それは、細長くヌルヌルした、一メートル以上はあるであろう…
「ウナギだ!」
 跳ね回るウナギを乱雑に捕まえると、クリスは粘液で逃げられる前に素早く桶に入れた。流石に毒を浴びたくはない。
「ふぅ…」
「クリス、念のため手を洗って」
「はいはい」
 川の水の上澄みに手を差し入れて洗い流した後、彼はひどく重くなった桶を天秤棒で担いだ。二人分の釣果はギッチリと桶に詰まり、早く持って行ってやらないと、小さいものは水の中で死んでしまうだろう。
「ほいじゃ、行きましょうか」
「え、ええ…でも、本当に大丈夫?それ持って行って」
「肩を壊しさえしなきゃ大丈夫です。さ、帰りましょう」

 翌日。夕方の茜色が空一面を満たす頃、リリィとクリスは西の町で宴の最終確認を行なっていた。都の中心を貫く大路に面した荒地、おそらくは古い貴族の屋敷の跡であったろう場所に会場を決め、テーブルや椅子をセッティングする。
 辺りは荒涼として何も無く、畑と古い築地塀の残骸、後は土が剥き出しになった荒地が残るだけである。かつてこの都が今の三倍の人口を誇っていた頃は、西の町には民衆や貴族の屋敷が所狭しと並んでいたが、度重なる疫病や戦乱、災害で荒廃して以来この状態であった。
「ふぅ…会場はこれでよし。後は料理だけど…」
「王女様、イムの方はうまく行ってますぜ」
「ありがとう厨師長。お陰で万事上手く行ったわ」
「いえいえこのくらい。ルアウでお料理を頼まれると言うのは料理人最大の名誉ですからな。喜んで勤めさせていただきました」
「でも、宮中での仕事はよかったの?」
「え、ええ。実は…いや、なんでもございません。それにしても、今回の豚はいいもんですよ!御料地で一番いいのが手に入りましたな」
「まあね。行って貰ったら、『偶々』一番いいモノを向こうが出してくれたって」
 妙なアクセントを付けた言葉に相手は苦笑いする他無かった。
 そうこうしているうちにまた日は沈み、間も無く月が出てくる時間である。時計の少ないラピタではこうした時間感覚で人を集めることが常だった。大使館に送った招待状にも、「月の出と共に初め、月が中天に来たところで解散」の旨を記してある。恐らくこうした不定時法の手法は外国では絶対に通じないであろうが、これも含めて王国の伝統であった。
「料理の支度が出来ました」
「よし、じゃあ各テーブルに置いて。食器も一緒に」
「さて、これで人が来るかな…」
 辺りにはまばらながら人影がある。ルアウのことは広く都中に声が掛かっているので、誰一人来ないということは無かろう。と言うより、誰も来ずに、全てが無駄になって傷つくリリィの顔などクリスは見たくなかった。そんなことになれば、彼女は二度と表に立とうとはするまい。
「(来てくれる様頼んだ人達の顔も見えた。後は外交官次第だが…)」
「みんな来てくれるかな、クリス」
「きっと来ますよ、全ての人は心根では賑やかなものが好きですから」
 すると、俄に人の群れが会場の中に入り込んできた。皆口々に「王女様のルアウに」と言いながら卓を囲む。中にはヤシ酒の壺を提げている者、半ば酔っている者もいた。
「みんな来てくれたの!?」
「王女様がやると言うのなら、行かない手はございませんよ。さあ、ルアウを始めましょう」
「勿論。さあ、お酒を持ってきて!」
 皆ラピタ人だった。外国人は一人もいない。しかし、リリィにとっては自分の開いた宴に一人でも参加してくれる者が居ただけ、涙が出るほど嬉しかった。その上、こんなに多くの人々が自分の為に来てくれた。内輪のものになっても、気にすることは無かろう。
「では、これより王国開国五周年を祝うルアウを始めるわ!皆、杯を…」
「ちょっとお待ち下さい!!」
 その声は、ラピタ語ではなかった。急いで視線を向けると、そこには…
「申し訳ない!マウサネシア大使代理、遅刻してしまいましたか!」
「デニエスタ外交団もおります!どうかお酒を回して下さい!」
「チューイーも来ましたぞ!」
「各国の外交官が、皆…」
「来て下さったのですか、皆さん…」
「無論。ラピタ駐在外交団は皆揃っておりますぞ!」
 今度こそリリィは泣き崩れた。慌ててクリスが駆け寄ると、彼女は濡れた声で何度も何度も感謝の言葉を述べた。ラピタ語で、マウサネシア語で、デニエスタ語で、フリンカ語で…誰に対して何を言えばいいのか、迷子になった感情が、ひたすら言葉の形で流れ出ていた。
「リリィ様。立って下さい、さあ、乾杯の音頭を取りましょう」
「…うん」
 そして、彼女は立ち上がり、今度こそ会場に響く大声で、宴の開始を告げた。
「乾杯!!」
「乾杯!」

 ところで、ラピタの宴を表すのに欠かせない物が三つある、とある人は言う。即ち、「料理・音楽・酒」の三つである。宴のホストはこれらをいかに上手く、豪奢に用意するかと言うところで器量を問われるのが常であった。
 リリィも無論その辺りのことをよく知っているから、其々が上手く合う様に手を打った。が、一つだけどうしても上手く行かなかったものがある。
「リリィ様、一つよろしいですか」
「何かしら」
「音楽ですが…楽団の方が見つかりません。どうも時期が悪く、皆都から出払っている様です」
「…仕方ない。私が何とか手を打つことにする」
 音楽である。宴に付き物の歌舞音曲が無いとなれば、それは宴を開く器量そのものを疑われかねない。外交官相手ならともかくとして、ラピタ社会では白い目で見られてしまうだろう。
 それをどの様にして解決するのか。クリスはそれだけが心残りであった。そして、彼が躊躇いながらヤシ酒の杯を傾けた時、
「あー、お集まりの皆さん。こんばんは。先程ご挨拶申し上げたリリィです」
「(リリィ様…?)」
 彼女は木箱を使った粗末な演壇の上で話している。そして、その下には何か妙な布包みが置かれていた。
「実は私の不手際で、歌舞音曲を演奏する楽団や踊り子の手配が出来ませんでした。これについては心からお詫びを致します」
「……」
「そこで、私が一つ音楽をやってみることにしました」
 そう言うや、彼女は布包みの中身を取り出した。中にあったのは、何と古めかしいウクレレである。
「これ一つでも何とかできますが、一応この場にあるだけの楽器を揃えてきました。まずは私が一曲弾きますので、もし腕に覚えあり、と言う人がいたらご参加頂ければ幸いです」
 同じ口上を今度はデニエスタ語で述べた後、椅子を持ってきてリリィはウクレレを弾き始めた。伝統的な曲目は幾つかあるが、一本で弾けるものとなればかなり限られる。何を弾くのだろうか。
「さようなら、愛しい人。あなたと共に過ぎた日々は、波の如く寄り添っては、また遠く離れゆく…」
「この曲は…何でしょうかな?」
「この国の古い歌で、『さようなら、愛しい人』…ラピタ語では、『アロハ・オエ』と言います」
 透き通る様な声で歌いながら、優しく弦をかき鳴らす。その場にいた全ての人の目が、自然と演壇に集まった。
「(まさかリリィ様、音楽の心得もあるなんて…)」
「さようなら…さようなら…またいずれ、あの砂浜で逢いましょう…」
 ポロン、と最後の音を奏で終わると、自然と拍手が上がった。聴衆は一旦箸を休めて曲に聞き入り、歌に聞き惚れていた。
「では、そのままもう一曲。これは外国の曲で、元々ヴァイオリンで弾く曲なのですが、まあ都合上こちらで弾かせて頂きます。それから、ステップを踏むときは側に気をつけて。では、行きますよ、アインス、ツヴァイ、ドラーイ」 
 タカタンッとリズミカルに本体を叩くと、そのまま足で調子を取りながら彼女は激しく弦を掻き鳴らした。今度は歌は無く、純粋な器楽だけの曲である。
「こんな曲、聞いたことない…」
「でも、凄く楽しい…!」
 側のラピタ人がそう呟く。それが伝染したのか、周りの人々も同時に盛り上がり、側の空き地で踊り出す者もいた。そして、落ち着いてグラスを傾けていた外交官達の中に、ようやく曲の正体に気がついた者がいた。
「なんと…これは、デニエスタの曲だ!」
 白く髭を伸ばした老書記官は、懐かしげに呟くと、半ば本能なのかヴァイオリンを弾く手つきをした。
「ご存知なのですか」
「この曲は宮中での舞踏会の定番でしてな。本来はヴァイオリンが主役なのです。そして、儂は外交官になる前は、この曲の奏者を何度もやりました」
 幾度となく繰り返される激しい主題。長い白髪を振り乱しながら、リリィは強く、それでいて気高く曲を弾き切った。先程の優しい歌声で周りを優しく包んだ面影は無く、暴力的なまでの音楽の本流で聴衆を魅了し、強引に自分の方へと振り向かせる。そして、最後の音を奏で終わると、ふぅ、と長い息を吐いて、ぺこりと頭を下げた。
「ブ、ブラボー!ブラボープリンセス!」
「ハラショー!感動しました!」
 一瞬の静寂の後、会場は爆発する様な歓声に包まれた。それは先程のものよりも激しく、より熱のこもった声だった。
「では、私の演奏はひとまず休憩と致します。暫くしたら、今度はお集まりの外交官の方々の為に、準備した各国の曲をウクレレ編曲でやらせて頂きます。あと、空いている時はこの演壇はご自由にお使い下さい!」
「リリィ様!」
「どう?クリス。上手くやれていたかしら」
「まさか音楽の心得があるなんて!」
「神事の時に歌い踊る儀式もあるから。割とこのくらいは出来るものなのよ?ま、夜なべして楽譜作るのは大変だったけど」

 先程の演奏に触発されたのか、演壇では用意された楽器を使って即席の楽団が作られ、心得のある者達が思い思いに音楽を奏でていた。その中にはデニエスタの老外交官や、ソルティアの参事官、そして謹厳で有名なソ連の書記官も混ざっていて、書記官がよく響くテノールで歌い、参事官がアコーディオンを操り、老外交官がヴァイオリンを見事に弾きこなすなど、他では決して見られない奇妙で面白い風景であった。
 リリィはと言えば、参加した人々との会話を楽しみながら、用意した料理を自分でも摘んだ。中でもメインのカルアピッグ(豚を一頭丸ごとイムで蒸し焼きにした料理。肉を細かく割いて食べる)は痛くお気に召した様で、ヤシ酒やラム酒と共にプレート山盛りを瞬く間に平らげてしまった。
 外交官達も、それぞれ思い思いに料理や歓談を楽しんでいた。特に魚料理は島国のマウサネシア人とチューイー人に受け、彼らは普段そうしたモノを食べる文化のない内陸の人々に絡み、魚の素晴らしさと旨さを説きながら、自分達で切り身の和物や蒸し焼きを頬張った。また、普段あまり王宮やリリィ達と関わりの無い国の人々も、今日ばかりはとラピタ料理に舌鼓を打った。特に高級食材である大海老ーロブスターが見事な姿造りで出された時には、特に食べ慣れている国のお客ほどいたく感嘆したものだった。
 さて、そんな時。
「お、お、遅れて申し訳、ありません…」
「あなたは…」
「あ、アルセチア大使館、さ、三等書記官の…ルイズ・マリーニと、も、申します…」
 純白の髪の毛に小柄な体躯。そして、それをカタツムリの様に縮こまらせて、ルイズは震え声で挨拶を述べた。
「ようこそいらして下さいました。さあどうぞ、お酒もお料理も好きなだけ」
「あ、ああ、は、はい…」
 震える彼女を見つめながら、リリィは少し考えて、クリスを呼び出した。
「クリス、マリーニさんの側に少し付いていてあげて」
「と言いますと?」
「あの人、どうも慣れない環境で偉く震えてるの。私がなんとか気を抜ける様にするから、あなたもちょっと協力して」
「一体何するつもりですか…?」
 躊躇いながらも、彼はルイズに声をかけた。
「あの」
「ひゃ、はい!な、なんでしょう?」
「あ、ラピタ語がお上手なんですね…助かります。アルセチア語はまだ勉強中で…」
「あの、えと、その…何か」
「いえ。お食事が進んでいらっしゃらない様でしたから。どうですか、これ。モトゥタエ国の塩で味付けした川魚の串焼きですよ。これがお酒と中々に合うんです」
「え、あ、ありがとうございます…」
 どうも彼女は恐縮しきりの様で、怯えが抜けていない。このメンタリティで何故在外駐在員になってしまったのだろうか。
「ルイズさん」
「はむはむ…へ、はい!」
「ラピタ人が怖いですか?」
「い、いやや、そ、そんなことは…!」
「隠さなくても構いません。何しろ、山奥に行けばまだ首狩りの習慣が残っている位ですから」
「く、首狩り…!」
「開国するまで、ラピタに関して殆ど外の人は何も知りませんでしたし、私たちも同じです。ですから、怖いのも理解できますよ」
「……じつは、そうではなくてですね」
「?」
「…私、自分に自信が持てないんです。学校の成績も良くなかったし、この通りパッとしなくて、異性にもモテなくて…」
「まさか。開国したばかりのこの国に派遣されるなんて、余程優秀じゃなきゃ務まりませんよ」
「………でも、私なんて。恋人だっていたことありませんし、外交官としては半人前で、大使様について行くくらいしかできなくて…」
「…まさか貴女は、ラピタを侮辱するおつもりですか?」
「…!?そ、そんな意図は毛頭…」
「でも、それはつまりそう言うことでしょう?ラピタ王国とは、貴女の様な出来損ないを送ったって構わない様な、取るに足らない国だと。確かにそうかも知れません、優秀な人材は大切な国に集めて、我々の様な格の低い国には二戦級三線級を送る…合理的です」
「ち、違います!そんな、そんな事ありません!」
「なら、胸を張って下さい。貴女が優秀であればあるほど、私もこの国に誇りが持てますからね」
「…でも、私は…」
「あー、皆さん。二度目の登板となりました、リリィです」
「マリーニさん。あれを見て下さい。あの人が私の主人のリリィ王女です」
「あの人が…」
「実は、今しがたもう一人私の、いえ、我が国の大切な友人がいらっしゃいました。今から、その方に宛てて歌います」
 そう言うと、彼女は徐にウクレレを奏で、歌い始めた。その口から流れ出た言葉は…
「これ、アルセチア語…!」
「はい。アルセチアの歌です。宴を開くことを決めてから、リリィ様は夜なべして世界の歌を聴いて、歌詞を覚えて、ウクレレ用の楽譜を作ったんです」
「一体何のために…」
「貴女の為です。マリーニさん」
「え…」
「リリィ様はこの場にいる全ての人の為に、あらゆる準備をしてきました。例えば…この骨の上に食べ物を盛った姿造り。これはとある地方で獲れるタイクーンウミトガゲの骨に盛ったものですが…着想はチューイーの舟盛りです。或いは、このピピカウラ(牛の干し肉)は、牛肉がお好きなソ連やレファル、ゴトロスの皆さんの為に用意したものです。いやー、大変でした。細々としたメニューの為に食材を二週間で調達するのは。フリンカ風のパンを焼く為に、材料をなんとかかき集めて、でもどうにもならないところは知恵を絞って地元の食材でなんとかしたんです。はい、これどうぞ。マンゴーとココナッツミルクのポイです」
「マンゴープリン…」
「異国にも、そういう料理があるんですね」
「はい。ありがとうございます…」
 気がつけばルイズは笑っていた。笑顔を浮かべて、演壇で歌うリリィの姿に、深い思いを込めた視線を送っていた。

 「…では、本日はこの位でお開きと致しましょう。皆さん、今日はありがとうございました!」
 リリィの最後の挨拶を合図に、参加した人々は転々ばらばらに帰って行く。泥酔してしまった者達は、予め手配していた親衛隊の馬車に乗せられて北の町まで送られ、マウサナ人と共に夜の街にしけ込んでしまった者達は…まあ何とかするだろうの精神で見て見ぬ振りをした。
 ルイズは濃いラム酒を飲んでしまったのが理由か、宴の終わりには隅にうずくまって寝息を立てていた。それを何とか抱え上げて馬車に乗せる。そして、後片付けをあらかた終えた時には、次は既に中天を過ぎて大きく西に傾いていた。
「ん…眠い…かも…」
「ご無理をなさらず。リリィ様。背中におぶさって下さい」
「ん、ありがと…」
 リリィをおぶって、クリスは王宮へと歩いた。夜半の大路に人気は無く、風だけがひゅうひゅうと吹き荒んでいる。そして、正面の門から中に入り、彼女が住む正殿に向かう。そして、寝室のベッドに身を横たえさせて外に出ると、そこには思わぬ人間が待っていた。
「陛下」
「どうだ。其方は宴を楽しめたかな」
 国王は意味ありげに笑って、彼を執務室に呼んだ。そして、側の棚から年代物のワインを取り出し、二つ用意されたグラスに注いだ。そして、机には豚肉と野菜、蒸した紫芋を盛ったプレートが湯気を立てている。
「その様子では、酒も料理も余り口にしておるまい。リリィのお守りをしてくれたのだろう」
「お酒につきましては、まだお若くいらっしゃいましたので、強い物はお止め申し上げました」
「そうだろうな。若いうちから強い物に親しむと、酒に溺れて身体を壊す。先に言い置いたことをよく守ってくれて、私は嬉しい。さあ、これを食え。王から下賜しよう」
「ありがとう存じます」
 クリスは側の椅子を与えられ、プレートに口をつけた。空きっ腹に温かい食事が染み渡る。口にしたワインも喉を潤してくれた。
「にしても、見事にやりおった。流石はリリィだ。あの子は一度言った事は見事にやり通すのだな」
「お側にお仕えしておりましたが、何事にも真摯に取り組まれる姿勢は、誠に王女殿下の美徳と存じます」
「だが、それも其方あってこそだ。何事も裏で測り、緻密に進める者が居てこそ身を結ぶ。あの子の気宇壮大な構想を現実のものとしたのは、其方の功績。いずれ報いようぞ」
「ご厚恩に感謝申し上げます…ですが陛下。不躾ながら、一つ質問をお許し願えませんか」
「申せ」
「…この度の一件、実は陛下が裏でお力を添えて下さったのではありませんか」
「何故そう思う」
「…実のところ、計画がうまく進み過ぎていたのです。御料地に掛け合った豚の一件、各国の外交官に合わせた料理の材料調達、皆いずれも苦難が予想されておりましたが、拍子抜けする程に簡単に手に入ってしまいました。運が良いと言うにしては、出来過ぎているかと…」
「それだけが根拠か」
「…他にも幾つかございます。王府の官人が、今日この日に限って偶々『休暇』を下賜されたこと、モトゥタエ国の塩やウミトカゲの骨の様な貴重な貢納物が、『運良く』余っていたこと。これらはきっと、陛下が手を回してくださったのではありませんか」
「では、仮にそうとしてどうする。折角皆がリリィの手腕に驚嘆しておるのに、またあの子も満足していると言うのに、全てを明らかにして誰が得をするのか。所詮は父の力を借りねば何もできぬ小娘という悪評を立てるだけだ」
「ご叡慮に対しまして、汗顔の至りです。ですが、私は決してこれを世間の知るところとする為に、敢えて申し上げたのではありません」
「ならば何故」
「ただ一言、感謝を申し上げたかったのです。陛下のおかげで、素晴らしいルアウを行うことができました。心から…ありがとうございます」
「…ふん。感謝は無用。あれは皆全て、全てリリィと其方の功績だ。故に、虚言を吐いて衆を惑わすことの無い様に。…今夜は宮中に部屋を与える。話は終わりだ
「はっ。失礼致します」
 クリスが辞去すると、国王はグラスを傾けながら、月に向けて独語した。
「お転婆娘に乾杯…」

 

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