時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。

キューバ共和国
República de Cuba


国旗

国章
国の標語Patria o Muerte, Venceremos!
国歌バヤモの歌
公用語スペイン語
首都ハバナ
最大の都市
政府
 大統領 ラウル・モデスト・カストロ・ルス
面積
総計  110,860㎢
人口
総計  1015,6万人
GDP
330億USD
建国アメリカ軍軍政により 1902年5月20日
1グァンタナモ湾をアメリカによって永久租借 1903年?月?日
ユーロダラー戦争 1952年?月?日
共産化キューバ革命 1959年?月?日
民主化キューバ内戦 1994年7月10日
通貨キューバ・ペソ
時間帯UTC-5 (DST:-4)
ISO 3166-1CU/CUB
ccTLD.de
国際電話番号53
キューバ共和国(キューバきょうわこく、西: República de Cuba)/レパブリカ・デ・クバ/、通称キューバは、カリブ海の大アンティル諸島(西インド諸島の一部)に位置する共和制国家。首都はハバナ。人口は1125.6万人(wikipedia情報では)

キューバ共産党による一党独裁体制が敷かれていた。政治思想としてはマルクス・レーニン主義(ソ連のスターリンが考案)とホセ・マルティ思想を採用していたが、今はキューバ内戦によるキューバ自由運動の勝利により民主化した。

アメリカに最も近い共産主義国家だった。
1994年現在、キューバ共産党(現地)が革命を起こしているが、内戦よりも長引いている(どゆこと)

国名

国名の由来 国土を構成する主島キューバ島に由来する。 キューバは英語読みで自称はクバ。 一般的にはインディオの言葉で「中心地」の意味と言われる。

歴史

独立闘争は1868年に始まり、1878年には一旦スペインとの休戦が成った。しかし、1895年からはホセ・マルティらの指導による独立闘争が再発し、1898年のスペイン・アメリカ戦争(米西戦争)による米国の介入まで続いた。米国の勝利より、キューバはアメリカの軍政を経て、1902年5月20日に400年に及ぶスペイン支配から解放され、独立を勝ち取った。

しかし、キューバの独立は形式的なものであり、事実上の米国支配の始まりでもあった。1901年、キューバ国憲法に盛り込まれたプラット修正条項(Platt Amendment)には、米国の内政干渉権、グアンタナモ、バイア・オンダの二箇所に米国の軍事基地を置くなどが盛り込まれていた。1901年末、トマス・エストラーダ・パルマが初代大統領に選出され、1902年5月に キューバ共和国が正式に発足した。 独立後、キューバにはアメリカ資本が数多く進出し、精糖産業など多くの資源産業をアメリカ企業が支配した。また、政治家の不正が度重なって生じたことで、キューバの現状に対する国民の不満はより深化していった。このような国民の不満は、はやくも1906年に反乱行為として結実し、キューバはアメリカ軍の占領下に入らざるを得ない状況となった。1908年の大統領選挙で自由主義的なホセ・ミゲル・ゴメスが大統領となり、合衆国軍は撤退した。しかし、1912年には白人支配に反発する黒人の反乱が発生したため、ゴメス政権はアメリカ軍と結んでこれを鎮圧した。1913年選挙により保守派のマリオ・メノカルが大統領となると、当初は安定した統治を行っていたが、1920年選挙をめぐり混乱が深まり合衆国軍の介入を受けた。その後も、キューバではクーデターの発生や相次ぐ政変により、1930年代まで政治的な不安定期が続いた。とりわけ、急進的な社会主義革命勢力が台頭したことに合衆国は警戒を強め、反革命勢力と結んでプラット修正条項の廃棄(海軍基地設置の条項は除外)を認めるなど、キューバの秩序維持に努めざるを得なかった。

1929年より始まる世界恐慌は、これまでの合衆国のカリブ海政策に大きな見直しを迫ることになった。1933年、合衆国大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、従来までの強硬姿勢にかわって、いわゆる「善隣政策」を行って中南米における通商拡大を図っていった。こうした中、プラット修正条項も1934年に撤廃され、キューバは政治的独立を回復させた。キューバ国内の不安定な政治状況は、1933年から政治の主役を演じていたフルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)が、1936年に政権の実権を握ったことで一定の安定を見せ、キューバ政府が社会経済の改革計画を実行できるまでになった。そして、1940年になると、バティスタの大統領就任と新憲法の公布により、ようやくキューバでは政治的緊張が緩和された。1944年の総選挙でバティスタが敗北した後、キューバは国際連合設立(1945年)や米州機構設立(1948年)に参加した。しかし一方で、国内では砂糖の国際価格の不安定化とインフレ問題が重要課題として浮上し、政府が有効対策をとれなかったことで、社会不安が拡大した。

1952年、バティスタはクーデターで政権を奪取し、憲法を停止した上で独裁政治を開始した。これにより、米国のキューバ支配は頂点に達し、バティスタ政権・米国政府・米国企業・マフィアの4者がキューバの富を独占し、その富が米国本土に流れるような社会構造が形成された。1953年7月26日、このようなアメリカによる半植民地状態の克服を夢見て、弁護士フィデル・カストロ(Fidel Castro Ruz)率いる青年たちが蜂起(モンカダ兵営襲撃)したが失敗に終わり、関係者は投獄された。1954年にバティスタは形式のみの信任選挙で再選を果たし、1955年の大統領就任と同時に憲法に基く統治を復活させ、カストロらの政治犯に恩赦を与えた。カストロは、恩赦によって出獄すると反政府組織「7月26日運動(M26)」を結成、同志とともにメキシコに亡命した。その後、砂糖の国際価格の安定により、キューバ経済の状況は改善されたが、バティスタの独裁体制は継続され続けた。
メキシコ亡命後、カストロらはその地でアルゼンチン人医師のチェ・ゲバラ(Ernesto "Che" Guevara Lynch)と出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後、1956年12月にヨット「グランマ」号にのってキューバに上陸した。その際、政府軍の攻撃でカストロらは壊滅的打撃を受けたが、シエラ・マエストラ山脈を拠点として政府軍へ2年余りのゲリラ闘争を行った末、1959年1月1日にバティスタを国外逃亡に追い込んだ。これにより革命政権が誕生したが、その際に革命政権は、発足後数週間の内に軍事法廷で旧バティスタ政権関係者を裁き、およそ550人を処刑した。その後、2月半ばにカストロが首相職に就任すると、革命政権は一連の農地改革法を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始めた。また、精糖業などでアメリカ資本に握られていた土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進した。この過程で、中・上流階級の多数の人々がアメリカなどへ亡命した。

バティスタ政権という傀儡政権を失った米国は、革命政権とは別の政権樹立に向けた動きを見せていたが、59年5月から革命政権が実施した徹底的な農地改革に直面したことで、革命政権を敵視するにいたった。おりからの米ソ対立の影響を受け、米国に敵視された革命政権はソ連に接近し、1960年にソ連と正式な外交関係を結ぶ筈だったが、ソ連が存在しないためこのような出来事は発生しなかった。米国政府との対立が決定的になることもなかった。1961年、米国政府はキューバとの外交関係を断絶することはなく、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止されなかった。そして、アメリカの支援と訓練を受けた亡命キューバ人の反革命軍をキューバ南部のピッグス湾に侵攻させたが、反革命軍は撃退されて目標を果たせなかった(ピッグス湾事件)。

1962年2月3日に米国のケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を行うと発表した。同年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機となったが米ソの妥協で危機を回避する事態が起きるはずだったが、ソ連が存在しないことにより起きなかった。これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化することはなかった。
1993年10月、キューバ10月革命と称された虐殺が発生。資本主義者100万人が死亡した。
1994年7月、キューバでキューバ自由運動と政府軍による内戦が発生。キューバ自由運動の勝利に終わった。

政治

キューバの外交方針としては、反米親露である。アメリカに侵攻された時の防衛の準備を進めている。

軍事

ーーー空軍ーーー
ーーー固定翼機ーーー
MiG-29A × 2機
MiG-29UB × 1機
MiG-23MI × 16機
MiG-23MF × 4機
MiG-23UM × 4機
MiG-21ML × 4機
MiG-29 × 2機
MiG-23BN × 20機
MiG-23MF × 4機
MiG-23ML × 6機
MiG-23UM × 2機
MiG-21bis × 70機
MiG-21PFM × 28機
MiG-21F × 30機
MiG-21UM × 7機
MiG-17 × 4機以上
MiG-15UTI × 6機
ーーー輸送機ーーー
Yak-40 × 3機
Il-76 × 2機
An-2 × 1機
An-24 × 3機
An-30 × 1機
An-32 × 2機
An-2 × 8機
An-26 × 18機
ーーー海軍ーーー
オーサ2型 × 6隻
ーーー陸軍ーーー
ーーー戦車ーーー
T-72 × 50輌
T-62 × 400輌[4]
T-55/T-54 × 1100輌[4]
T-34 × 300輌[4]。
PT-76 × 50輌
ーーー装甲車ーーー
ーーー歩兵戦闘車ーーー
BMP-1 × 400輌[5]
BMD-1
ーーー偵察装甲車 × 100台ーーー
BRDM-1
BRDM-2
ーーー装甲兵員輸送車 × 700台/輌ーーー
BTR-152
BTR-40
BTR-50
BTR-60
ーーー火砲ーーー
ーーー榴弾砲 × 500門ーーー
D-1 152mm榴弾砲
D-30 122mm榴弾砲
M-1937 152mm榴弾砲
M-1938 122mm榴弾砲
M-46 130mmカノン砲
ZiS-3 M-1942 76mm野砲
ーーー自走砲 × 40輌ーーー
2S1グヴォズジーカ 122mm自走榴弾砲
2S3アカーツィヤ 152mm自走榴弾砲
ーーーロケット砲 × 175門/台ーーー
BM-14
BM-21
ーーー迫撃砲 × 1000門ーーー
M-38 120mm迫撃砲
M-43 120mm迫撃砲
M-41 82mm迫撃砲
M-43 82mm迫撃砲
ーー沿岸防備用固定砲搭ーー
JS-2M/122mm砲 × 12門
T-34/85mm砲 - 300門
ーーー対戦車ミサイルーー
AT-1 スナッパー
AT-3 サガー
ーーー対戦車火器ーーー
SU-100 × 100輌
D-44 85mm野砲/M-1943 57mm対戦車砲 × 600門
ーーー対空火砲 × 400門ーーー
KS-19 100mm対空砲
KS-12 120mm対空砲
M-1939 37mm対空砲
M-53 30mm対空砲
S-60 57mm対空砲
ZU-23-2
ZSU-23-4
ZSU-57-2
BTR-60P
ーーーミサイルーーー
ーーー地対空ミサイル × 200基ーーー
SA-13
SA-14
SA-16
SA-6
SA-7
SA-8
SA-9 × 60基
ーーー弾道ミサイルーーー
FROG-7 × 60基[6]
ファソン-5
ーーー小火器ーーー
AK-47
AKM
AK-74
AKS-74U
SKSカービン
ドラグノフ狙撃銃
VSS Vintorez
RPK軽機関銃
PK機関銃
RPG-7
トカレフTT-33
マカロフ PM
スチェッキン
Cz75

行政

カリブ海の中ではトップクラスと言えるだろう。

経済

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交通

主要都市の交通は良いが、村などの小さい都市は悪いと言えるだろう。

科学技術

キューバは砂糖の生産や農業の技術がかなり高く、世界に砂糖を輸出したり、タバコを輸出したりしている。

国民・文化


キューバの食文化は、先住民シボネイやタイノ族、大航海時代になって到来したスペイン人、そして奴隷として連れて来られたアフリカ人の食文化の影響を受けた、クレオール文化の一例といえる。

今日のキューバの主な食材は、過去にスペイン人やアフリカ人によって持ち込まれたものが多い。先住民の共同体が早くに滅亡し、スペインからの独立が遅れたため、ラテンアメリカ諸国の中ではスペイン料理の影響を最も色濃く残している。独立後からキューバ革命まではアメリカ合衆国の影響下におかれたことからアメリカ料理の影響を受けるようになり、グリーンピースやアスパラガスなど温帯性の野菜や果物の缶詰が輸入され、高級食材として好んで用いられるようになった。一年を通して温暖な気候を利用して熱帯性の野菜や果物が栽培され、米や豆(いんげん豆、レンズ豆、ヒヨコ豆)、ユカ(キャッサバ)、バナナ、オクラ、豚肉、魚介類などを使った料理が中心となっている。

治安

キューバの治安は基本的に良好だが、観光客の増加とともに、スリやひったくりなどの盗難被害が増えている状況。混雑している場所では持ち物に注意したり、夜のひとり歩きを避けるなど、海外旅行の基本的な危機管理は怠らないように。

スポーツ


1959年にキューバ革命が成功し、キューバの全てについて大きな影響力を所持していたアメリカ合衆国との関係が途切れるまでのキューバは、アメリカのメジャーリーグベースボールで活躍するプロ野球選手の出身国として知られていた。一方、アマチュアの祭典であった近代オリンピックでは長らく低迷が続いていた。

革命後のフィデル・カストロ政権は、プロスポーツ制度を廃止しアメリカとの外交関係断絶でメジャーリーグへの選手供給を断ち切った。一方、1965年にスポーツ技術を修得させるために多くの人材を海外留学させて最大の援助国であるソビエト連邦の制度を取り入れ、国家の全面的な支援と統制によって夏季オリンピックの各種目でメダルを獲得できるステート・アマ選手の育成・強化システムを確立した。革命前に700人だったスポーツ指導者は革命後には27000人までに急増している[1]。 その結果、特に1970年代からキューバは世界でも屈指のスポーツ強国となった。

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