時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。

ソビエト社会主義共和国連邦の経済
Economy of the Union of Soviet Socialist Republic

通貨ソビエト連邦・ルーブル
会計年度暦年(1月1日〜12月31日)
貿易機関
経済統計
人口2億2844万3000人
GDP(名目)4兆6843億4495万$
GDP成長率5,3%
1人あたりGDP20505,8$
部門別GDP一次産業:8,1%
二次産業:38,2%
三次産業:53,7%
ジニ係数0,241
労働人口約9420万人
失業率0,7%
主要工業部門石油、機械製造、金属、航空宇宙、化学製品、防衛、電子機器、食品加工、林業、繊維・衣服、造船
貿易相手国共産圏59%
非共産圏34%
その他7%
貿易
輸入品食糧、運輸機器、民生品
輸出927億$
輸入942億$



概要

1928年以降のソビエト経済は、生産手段の国家的所有(全人民的所有)と集団農場を基礎とし、高度に中央集権が行われた幾つかの諸国家機関によって経済が導かれる計画経済です。
それはマルクス主義の構造論によって要請された経済システムであり、資本主義が基盤である市場経済によって成り立つように、社会主義の基礎となる経済システムは第一に生産手段の公有化が必須でした。
ソビエト経済は公式には恐慌と失業者が理論的に発生しない安定した経済体制ですが、政府の経済政策によって常に経済は変化を経験しています。そしてソビエトの計画経済は、低いジニ係数と高度に発展した医療システム(乳児死亡率2,7%)の無償での提供、労働者への高水準の福祉を国民に与えました。
五ヵ年計画は、1940年までにソビエト経済の中心を農業から工業に変化させ、世界でも有数の先進工業国にソビエト連邦を発展させました。
ソビエト経済の主な強みは豊かな石油とガス資源であり、それらによって持たされた豊潤な外貨は膨大な外貨準備を構築しています。

計画

ソビエト経済、すなわち社会主義経済体制を構成する要である経済計画は、広範な領域における全人民的所有(国家所有)と協同組合的所有によって支えられており、国家計画委員会によって計画され、国民経済評議会によって管理されます。
経済計画は1928年に初めて実施されており、それ以後国内経済の殆んどあらゆる領域で包括的に機能しています。
一般に国家計画委員会によって策定される経済計画は、ソ連邦が今なお資本主義陣営に包囲され、かつ存亡の危機にあるという不信感から重工業が過大なまでに重視されており、その代償は食糧や衣服等の生活必需品を除いた軽工業、サービス業によって支払われています。

五ヵ年計画

五ヵ年計画は国家計画委員会によって策定され、最高ソビエトによって採択されます。この計画は経済の動向を導き、7つの指標(収益率、利潤額、基本的生産品目、納期、賃金基金額、国家予算に対する納入額、新技術の導入に関する基本課題)と5ヵ年の長期的目標を含んでおり、各企業とそれを管轄する経営評議会に通達します。
経営評議会は中央で策定された計画に対して内部議論を行い、各企業ごとに設置された生産委員会(労働者による組織)の代表者との擦り合わせを実行した後に、1暦年を網羅する短期計画を策定し、これを国民経済評議会に提出し、その後その計画に従って経済活動を実行します。

一般に五ヵ年計画は多種多様なガイドラインを含み、経済の方向性を定めます。

『Планирование — закон, выполнение — долг, раннее достижение — честь!』
(計画は法、履行は義務、早期達成は名誉!)

無計画な生産を忌避するため、五ヵ年計画の制御システムによる原料の配分は1960年代を境に廃止されています。現在、様々な企業が計画の必要に応じて機器、材料、及び消費財を手に入れる為に自由にアクセスしていた国家計画委員会が整備した供給システムは、輸入に依存する希少な原材料を除き、多くの場合、自由価格に設定されている限定的な市場に変更され、一定の割合で定められた国家予算に対する納入額を国庫へ納入後の企業利潤によって手に入れられます。

五ヵ年計画での企業運営は完全独立採算制が基本であり、収益率・利潤率などの企業利潤が大きく重視されています。企業利潤は各事業毎に定められた割合で国庫に納付されており、残存分を各企業は自由に、勤労者へのボーナスや設備投資、原料の買い付けなどに使用することが可能です。
企業運営には労働者自主管理の概念が一部導入されており、国家から派遣された経済テクノラートを含めた経営陣に協力する形で、勤労者から選出された代議員による生産委員会が存在しており、この委員会は生産組織の改善、利益の配分、企業利潤の増加及び作業環境の改善等の決定に対して参加することが定められています。
過去の五ヵ年計画
  • 第一次五ヵ年計画(1928~1932)
  • 第二次五ヵ年計画(1932~1937)
  • 第三次五ヵ年計画(1938~1941)
  • 第四次五ヵ年計画(1943~1945)
  • 戦後復興二ヶ年計画(1949~1950)
  • 第五次五ヵ年計画(1951~1955)
  • 第六次七ヶ年計画(1956~1962)
  • 第七次五ヵ年計画(1963~1967)
  • 第八次五ヵ年計画(1968~1972)
  • 第九次五ヵ年計画(1973~1977)
  • 第十次五ヵ年計画(1978~1982)
  • 第十一次五ヵ年計画(1983~1987)
  • 第十二次五ヵ年計画(1988~1992)
  • 第十三次五ヵ年計画(1993~)

国家計画委員会

国家計画委員会は1921年に設立され、
閣僚会議に直属する国家委員会の1つです。それは五ヵ年計画の策定を主目的とし、常にソビエト連邦に大きな影響を与えています。
国家計画委員会は各種統計と複雑な経済学的数式、そして様々な予測と経済テクノクラート、極めて高水準の数理処理装置を使用し、企業、国民経済評議会、各省庁と協力して計画を策定しますが、その計画はしばしば経済的合理性を犠牲にしながら政治的合理性を追及する姿勢のために歪められる事がありました。
国家計画委員会はその傘下に、全ての地方行政レベルに対応する形で設けられた計画委員会を有しており、それらの地方計画委員会は各級ソビエトによって支配されます。
普通、五ヵ年計画の策定時には国家計画委員会が作り、国民経済評議会が調整した物を、トップダウン方式でマクロからミクロへ徐々に計画を策定します。

国民経済評議会

国民経済評議会は1967年に国家計画委員会の監督・調整機関を発展独立させる形で創設された国家委員会の1つです。
それは極めて強大化した国家計画委員会の影響力の削減とその機能の効率化の為に創設された。
国民経済評議会は国家計画委員会の五ヵ年計画を最終調整する役割を担っており、それは五ヵ年計画の現実からの解離を修正します。

価格政策

ソビエト経済の大きな特徴としての市場の欠落は大きな不合理性を招き、事実として品不足や物資の浪費、大量の滞貨をうみだしました。その為、共産党は1971年以降から以下のような価格体系を採用しています。
  • 固定価格
国家計画委員会が制定する価格。人々の生活の最低線を支えるための物であり、主に主要原材料、燃料、食糧品などがこの価格です。これは現在34%ほどの商品が該当します。
  • 制限価格
国家計画委員会によって値段の上限と下限が予め定められており、その範囲内で企業が自由に値段を変動させられる価格です。これは現在のソビエト経済で主流な価格であり、一部消費財〜各種機械で使用されており、49%の商品で採用されています。
  • 自由価格
国家計画委員会が一切制定を行わず、完全に企業が自由に値段を定められる価格です。これは冷蔵庫等の高価な耐久消費財等に適応されており、全体で見ると17%を占めています。

またこのような固定・制限・自由価格の三本建ての価格に対して『外貨係数』と呼ばれるソビエト連邦・ルーブルと各種外貨との実質レートを計算に考慮することにより、国内価格と国際価格を接近させています。

このような部分的市場の導入は部分的な価格調整を行い、若干ではあるが品不足を解消させました。それは計画を補う市場であり、それが完全に導入されることは新経済政策期を除いてソ連邦ではあり得ませんでした。

農業

ソビエト経済の農業分野もまた高度に集中化されていました。ソビエト農業は国営企業である大規模農業企業(Совхоз)と農業生産協同組合(Колхоз)の2つの組織によって行われています。
大規模農業企業は革命後間もなく設立され、土地改革後に無人となった農作地を元に編成されており、一方で農業生産協同組合は土地改革によって誕生した小農家を編成することで誕生し、これらの農業の集団化は1930年代中頃に完了しました。集団化は説得と税制での優遇をもって自発的に進められており、その過程で極めて多大な出血を必要としました。
このような大規模農業は耕地を大規模化させ、農業機械や農薬を効率的に使用することで生産性の高い農業経営を生み出す事が目的でした。
大規模農業企業と農業生産協同組合は一般の企業と同様に五ヵ年計画によって、自身で短期的な一ヶ年計画を作成した後に生産を行います。そして生産された農作物は、義務としての現物税を控除したものを、上限が定められた限定価格で食品加工企業や国営商店に販売しています。
なお、農業生産協同組合は組合員に対して若干の自由耕作地が割り振られており、そこでの個人的副業経営はソビエト経済で流通する農作物の3割程度を生産しています。

第二経済

ソビエト経済は主としての計画経済の他に、それを補完する第二経済が存在しています。これは国家の管理または監視を超えて行われたすべての経済的活動の総称であり、憲法の『共和国における支配的経済形態たる社会主義経済制度と並んで、個人労働を基礎とし、かつ他人の労働の搾取を排除する個人経営農民と家内手工業者との小規模の私的経済は、法律によって許可される。』の条文によって許容されています。しかし、第二経済は合法的な部分の他に非合法な部分も存在し、そのような非合法分野では政府当局によって禁止されているアダルト製品、風俗、資本主義国家群から流入した幾つかの文化的生産物、社会主義経済システムから不法な手段によって流用された生産物が売買されています。
第二経済の合法的分野の取引はレストラン、機械修理、代行サービス、建築物修復などが行われています。
第二経済は1950年代に最も活発化し、それ以降は徐々に規模を小さくしつつありますが、現在も少なくともGDPの2割程度を占めている。詳細な統計は現段階で一度も取られたことはなく、数多くの謎が内包されています。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Wiki内検索

メンバーのみ編集できます