時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。


「我々はNOVO MUNDO(新世界)の理想のためには流血もいとわない覚悟である。」
―カルロス・マリゲーラ



ブラジル赤色テロ事件

ブラジル赤色テロ事件とは、11月4日〜11月11日までに発生した一連のブラジル・マルクス主義運動によるテロ事件である。鎮圧は1週間で終了したが、その間に多数の民間人、軍人が死亡し、さながら内戦の様な状態だったことから「1週間戦争」との呼び名もある。


爆発するペトロブラス本社



連邦議会に掲げられる赤旗(ブラジル・マルクス主義運動党旗)



リオデジャネイロ郊外の拠点に突入する憲兵隊

経緯

ロンドンでの航空機ハイジャック、フランス大統領暗殺、1990年リヤドテロなど、その時期は世界各地にて暴力によって国家体制の打破を求める機運が上昇していた時期であった。
ブラジルではそれ以前にもブラジル・マルクス主義運動による市街地でのゲリラ戦によって市民、軍人合わせ50名が死傷する事件が起きており、暴力によって国家へ訴えかける風潮があった。
ブラジル・マルクス主義運動はかねてから連邦の体制の打破を掲げており、着々と準備を進めていた。

事件発生

11月4日14時00分、インテグラ、サンパウロ、リオデジャネイロなどの主要都市にて同時多発的に謎の爆発が起きた。これを合図に、ブラジル・マルクス主義運動党員や各地の共産主義者が一斉に銃を手に取り、警察署や国軍関係施設への攻撃を開始した。インテグラでは連邦議会、テレビ塔、多数の国営企業本社が占領され、国家体制が麻痺しかけた。大統領は即時連邦緊急会議を開き、国家非常事態を宣言。連邦の全権限を大統領に移行し、さらに戒厳令を布告。国軍を動員して鎮圧を開始した。

テロの拡大

ブラジル・マルクス主義運動のテロ行動のひとつに都市ゲリラ戦があるが、この事件ではその手法を使わなかったことで国軍を大いに混乱させた。
彼らはマナオスを本拠地に、連邦の全土へ行進した。

bala perdida作戦

国軍は留まることを知らないテロに痺れを切らし、絨毯爆撃によっての鎮圧を開始した。結果各地の共産主義者は士気の低下によってそれ以降勢いが薄れ、国軍との戦いに敗れていく。しかし、この爆撃によって森林は焼け、民家はそこに住む住民ごと焼き払われた。

カルロス・マリゲーラの逮捕

11月10日、ブラジル・マルクス主義運動党首カルロス・マリゲーラをマナオスにて逮捕した。それからも散発的に戦闘は発生したが、被害報告が0になった所で11月11日に大統領は「テロの鎮圧終了」を宣言した。
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