時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。

イラク共和国
Republic of Iraq


国旗

国章
国の標語アッラーは偉大なり
国歌我が祖国
公用語アラビア語
首都バグダード
最大の都市
政府
 大統領 イッザト・イブラーヒーム・アッ=ドゥーリー
面積
総計  454,892㎢
人口
総計  26,789,500人
GDP
5,545億USD
通貨イラク・ディナール
時間帯UTC+3
ISO 3166-1IQ/IRQ
ccTLD.iq
国際電話番号964
イラク共和国(イラクきょうわこく、アラビア語: جمهورية العراق‎、クルド語: Komara Iraqê, كۆماری عێراق)、通称イラクは、中東に位置する連邦共和制国家である。首都はバグダードで、サウジアラビア、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接する。古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、豊富な天然資源と重工業を背景とした国力を有している。


国名

正式名称はアラビア語で、جُمْهُوريَّة العِرَاق(ラテン文字転写は、Jumhūrīyatu l-‘Irāq。読みは、ジュムフーリヤトゥ・ル=イラーク)。通称は、العِرَاقُ(al-‘Irāq、アル=イラーク)。
公式の英語表記は、Republic of Iraq(リパブリック・オブ・イラーク )。通称、Iraq(イラーク)。
日本語の表記は、イラク共和国。通称、イラク。
イラークという地名は伝統的にメソポタミア地方を指す「アラブ人のイラーク」(al-‘Irāq l-‘Arabī) と、ザグロス山脈周辺を指す「ペルシア人のイラーク」(al-‘Irāq l-Ajamī) からなるが、現在イラク共和国の一部となっているのは「アラブ人のイラーク」のみで、「ペルシア人のイラーク」はイランの一部である。

歴史

1941年、ラシッド・アリ率いるファシズム主義の将校団『黄金広場』によって実行された軍事クーデターは、親英的であったアブド・アル・イラー政権を成功裏に打倒し、完全に英国の影響下から独立した新政府を樹立した。(41年クーデター)

ドイツ諜報機関による後押しを受けていたこの政府は、第二次世界大戦終結までの4年間に国内の親英的勢力を一掃し、内側の体制を確固たるものへとした上で、1950年にクウェートを併合。

カーシム政権 (1958年-1963年)

1958年7月14日、アブドルカリーム・カーシムとアブドッサラーム・アーリフ率いる自由将校団のクーデターによってアブド・アル・イラー政権が打倒された(7月14日革命)。
カーシム政権は、3名の主権評議会、カーセルが首相・国防・最高司令官を兼任、アーリフを副首相兼内務大臣、自由将校団から数名登用、1956年からカーシムの属する国民民主党を中心としたバアス党とイラク共産党との同盟である国民連合戦線から文民を登用した(後にバアス党との共闘は解消した)。

第1次バアス党政権 (1963年)

1963年2月8日、バアス党将校団によるクーデターでカーシム政権が倒され(ラマダーン革命)、カーシムは処刑された。首相にはアフマド・ハサン・アル=バクル、大統領にはアブドッサラーム・アーリフが就任した。

アーリフ兄弟政権 (1963年-1968年)

1963年11月18日にアブドッサラーム・アーリフ大統領のクーデターにより(1963年11月イラククーデター)、第1次バアス党政権はわずか9ヶ月で崩壊。アブドッサラーム・アーリフは新政権を模索し、1964年5月26日にドイツの支援を受けて軍事独裁体制が樹立。

1966年4月13日にアブドッサラームが空軍ヘリコプターで事故死すると、首相のアブドッラフマーン・アル=バッザーズが3日間のみ大統領職にあったが、最終的に兄のアブドッラフマーン・アーリフが大統領に就任して政権を引き継いだ。

アフマド・ハサン・アル=バクル政権 (1968年-1979年)

1968年7月17日にバアス党によるクーデターでアブドッラフマーン・アーリフ大統領は政権を追われ(7月17日革命)、第2次バアス党政権が成立。新大統領にはアフマド・ハサン・アル=バクル元首相が就任した。国民からの支持を得るためかつての政敵イラク共産党からも2名入閣した。

イザット・イブラヒーム政権(1979年-現在)

1979年にアル=バクル大統領は健康上の理由で辞任を表明した。党中央では熾烈な政治闘争が行われ、それに勝利したサッダーム・フセイン革命指導評議会副議長が大統領になるかと思われたが、アル=バクルはこれ以上の政治闘争を避けるために中立的で党中央で頭角を示し始めていたイザット・イブラヒーム産業相が指名され、大統領に就任した。

イブラヒーム大統領はサッダーム・フセインなどの自分の政権を脅かすような権力者を粛清し、権力が当時弱かった人々を党中央や革命指導評議会に昇進させた。(80年の政変)

その後はそれまで黙認されてきたシーア派やクルド人の政治集会を禁止し、シーア派やクルド人に対する徹底的な弾圧を行った。その一方でスンニ派は保護され、イブラヒーム大統領はスンニ派の行事に積極的に参加。コーランを一部憲法に取り入れるなど政教一致を推し進めた。

だが経済政策では失敗し、北部や西部では失業率が20%を超え、政教一致政策は党中央からも非難されている。近年では、イブラヒーム大統領率いる保守派とアジズ外相率いる改革派に分裂しており、両派閥の衝突は必至である。

政治


現在の政治は、革命指導評議会 (RCC) が担っている。行政権はもちろん、立法権も評議会に属する9人の元にある。さらに、RCC議長は、大統領、首相、軍最高司令官を兼ねており、極端な権力の集中が見られる。定数250人の国会にあたる一院制の国民議会が存在しているが、RCCが国会の議決を差し戻すことができた。
また、RCCにはイラク共産党員が2人入会することが決まっている。

司法体系は大きく3つに分かれている。下級裁判所および控訴裁判所、治安裁判所、シャリーアに基づいた判決が一部認められている家庭裁判所である。陪審制を採用していないほか、いずれも大統領に判決を覆す権利が与えられている。下級裁判所は刑事裁判の一審を担当する。二審は最高裁に相当する控訴裁判所である。ただし、法定刑が7年以上となる場合は、一審を介さず直接控訴裁判所が判決を下す。民事裁判は刑法以外に商法、民法に関わる裁判も扱う。治安裁判所は刑法のうち、反体制色の強い犯罪、すなわち外国為替法、輸出入法違反、さらに禁止薬物の取引、軽度のスパイ活動を裁いている。非常設の法廷として、国家安全保障に直接影響するとみなされた事件は別に設けられた特別法廷の管轄となる。また、国家元首の暗殺等、体制中枢を狙った犯罪は革命指導法廷が裁く。

軍事

行政

経済

交通

科学技術

国民・文化

治安

スポーツ

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Wiki内検索

メンバーのみ編集できます