時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。

{西インド連合
West India Coalition


国旗}

国章}
国歌国王陛下万歳
公用語スペイン語、英語
首都ハバナ
最大の都市ハバナ
政府
 "国王"チャールズ3世 
  ''総督"クリスヒプキンス 
 "首相"パブロ・カザロフ 
面積
総計  246,265㎢
人口
総計  26,769,000人
GDP~620~億USD
建国西インド諸島各国で親米政権が打倒される 1947年1月30日
西インド共同体発足 1948年9月1日
西インド連合成立 1951年3月8日
ナチス・ドイツ崩壊の影響で経済危機発生1955年9月11日
アメリカと国交回復1959年2月
ファシスト政権崩壊1991年8月
通貨西インド・ペソ
時間帯UTCー4 (DST:ー5)
ISO 3166-1IW/UWI
ccTLD.IW
国際電話番号51
西インド連合(英:Commonwealth of Western India)は、西インド諸島の9割を占める大アンティル諸島に身を置く連合国家である。1947年のキューバのクーデターから始まり、現在までに至る。国家体制は全体主義であり、国家社会党の一党独裁が敷かれていた。しかし、近年の軍事クーデターによって独裁主義的な政権は終わりを告げ、現在の民主的な政権が確立された。主な産業は鉱業、農業、観光業で、主要な産物はタバコ、砂糖、ニッケル、ボーキサイト、金、である


歴史

古代

コロンブスの到達

15世紀末コロンブスが西インド諸島に到達した。この頃ヨーロッパでは、インドという概念はインドの事ではなく、それより東の広い地域を指した。コロンブスはそのインドに西廻で到達したと信じこの地域を「西インド」と称しそこに住む人々を「インディオ」と渉した。

コロンブスの到達以降

コロンブスの航海以降この地域にスペイン人が多く移住した。彼等は黄金を求め、大陸にも進出、アステカ、インカを滅ぼし多くの財宝を手にした。その事から西インドはヨーロッパ、アメリカを結ぶ重要な地となり、また海賊船が横行した。やがてインディオは過酷な労働やヨーロッパ人が持ち込んだ疫病により人口が急減した。また、サトウキビはコロンブスの第2航海前後に持ち込まれ、栽培が始まった。次第にヨーロッパ人達は金があまり見つからなかった為サトウキビの栽培に集中し、ジャマイカ、キューバに大規模な砂糖プランテーションが出来た。当初は老動力をインディオや年季奉公人で賄っていたが次第にポルトガル商人が持ち込む黒人を労働力として用いた。また、1520年代頃には海賊船がスペインの衰退により横行し、商船や都市の略奪を行うようになった。1530年にはフランス、60年にはイギリス、17世紀に入ってオランダ、スウェーデンも海賊行為をしながら、西インドに進出して行った。イギリスは「西方計画」によりジャマイカを侵略、フランス、オランダは「西インド会社」を結成し、西インドは分割されて行った

キューバでのクーデター

第二次世界大戦の連合国の敗北は世界を巻き込み、この西インドも例外では無かった。1940年に始まったキューバのバティスタ政権は当初安定を呈していたが、世界大戦の連合国の敗北により親米的なバリスタ政権の求心力は低下し、各地は混乱した。また、デモやクーデター未遂が横行した。しかしバティスタはそれらの全てを武力で鎮圧、憲法を停止して独裁を始めた。そこで、キューバの国家社会主義者カルロス・ガルデルは、国民軍団(TNA)を結成し、ドイツ軍の武器支援、軍事訓練を受けた。そして1946年8月にエル カピトリオを襲撃、大統領含む政権関係者527名を拘束し、211名を銃殺刑、247名を禁固刑、69名を釈放した。

西インドに広がるファシズム

キューバでのクーデターを経て、1946年、ドミニカではラファエア・トルヒーヨ将軍率いる政権を、陸軍大佐ジョージ・クルーニー大佐がクーデターによって瓦解させ、1947年1月のジャマイカでは国家社会党が政権を確保しファシズム体制に移行した

ファシズムの拡大以降

1947年1月、西インド各国はファシズム体制に移行したが、アメリカ合衆国の侵攻という懸念があった。また、アメリカ等の西側諸国からの経済制裁を受け、経済が困窮した。そこで、安全保障や経済で連携していくためキューバ、ドミニカ、ジャマイカの三国は西インド共同体を発足させた。その後1949年にはハイチに侵攻し、同地にハイチ国を建国させた。その2年後の1951にはこの同盟が更に発展し、西インド連合が結成された。

ドイツの崩壊

1955年ドイツの崩壊が起こった。この国の経済のは多くをドイツとの貿易によって成り立っており必然的に経済は大打撃を受けた。失業者は蔓延し、企業は多く倒産した。また、ドイツとの安全保障条約により成り立っていた国防も機能しなくなり、アメリカとの戦争が目前まで迫った。だが、経済大臣ペドロ・サンチェスにより元来の輸出に頼った経済の見直しと、公共事業の増加により、経済はある程度の安定を見せた。

崩壊前夜

経済はある程度の回復したが、安全保障上の問題があった。その為それまで断行状態だったアメリカとの関係回復を始めた。1959年に国交回復し、1965年には初の首脳会談がパリで開かれ、1970年には不可侵条約の締結に成功した。ただアメリカは内面からの侵略を進めて行った。1978年にCIAに民衆の扇動をさせた。その結果依然よりも反政府活動が激化し、デモは5年で約300件も上昇した。

軍事クーデター

1991年8月14日国防省司令部は陸軍第2旅団に出動命令を発令、同日9時の優生法の審議途中の国家評議会庁舎を強襲し、政権関係者を捕縛、政権関係者の多くを軍法会議の後死刑に処した。そして翌週の21日に、英国首都ロンドンでロンドン宣言を発表し、国家社会主義の終焉と民主主義の到来を宣言した

政治

政府

政体は立憲君主制である。公式にはイギリス国王が君主となり総督はその代理を務めるとされているが、総督はあくまで儀礼的な職務を果たし、実質的な政治権力は差程多くない。この事によって実質的な指導者、国家元首は首相となっている。

行政

政府は議院内閣制を採用している。この国は各国の同意によって連合国家となった為、大幅な自治権が付与されており、9個ある州に州首相と州内閣、州議会がある。

立法

立法府は上院と下院から構成される、両院制の議会で、上院は150議席、任期は5年である。対して下院は250議席、任期は2年で、解散もある。

司法

西インド連合の司法機関は、大審院裁判が違憲審査権を有する最高裁判所とされており、民事や、刑事裁判では、通常裁判所、その他は労務裁判所や金融裁判所、行政裁判所等がある。

軍事

西インド連合はファシスト政権打倒以降も、装備や、人員、指揮系統の多くを引き継いでいる。また、ドイツ国の海軍基地は教育や国防に大きな影響を与えている。
最高司令官は首相で、徴兵制が存在し、18歳〜45歳の男子は2年間、20歳〜35歳の女子は約半年の兵役に属する。また、兵役を終えた後でも約5年間は予備役として、緊急時に招集される。
国防予算は約9億USDで、総兵力は7万5500人、陸軍兵力は5万4000人、海軍兵力は1万5000人、空軍兵力は1万500人。正規軍の他、地方民兵団10万8000人がいる。

経済

1991年のGDPは620億ドルで、成長率は2%前後である。

鉱業

鉱業は西インド連合の中でも主要な産業であり、ボーキサイトや、ニッケルの生産量は世界的に見ても多い、

農業

農業は人口の約15%が従事しており、1人あたりの耕地面積は、1.34haである。主な生産物は、タバコ、砂糖、であり、植民地時代に作られた大規模なプランテーションを使用して生産されている。元々は手作業で行われていたが、近代は様々な機械を使用されている

工業

工業は主に軽工業で、繊維工業や食品工業に偏っているが、ニッケルを使用した化学工業が近年は推進されている

観光業

観光業に大きな力を入れている。観光業は西インド連合最大の外貨獲得源となっている。観光収入は現時点で27億ドル、観光客数は、210万人となっている。また観光業の増大の結果、サービス業も発展し、レストランやホテルの開業者が相次いだ。友好国のイギリス、ドイツの観光客数や外国資本の進出も増えている。首都ハバナや、サンティアーゴ・デ・クーバ、キングストン、サントドミンゴ、ポルトープランスなどの主要都市では、大規模リゾート開拓計画が、既に開始されており、国家の一大プロジェクトとなっている

交通

科学技術

国民・文化

治安

スポーツ

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