最終更新:ID:OAZhdX/9tw 2013年03月13日(水) 17:24:08履歴
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ミトコンドリア・イブ。
またの名を、ラッキー・マザー。
現代に生きる人類の母系を辿っていった時、たった一点に収斂する、偉大なる母。
彼女について、現代の人類に分かっていることはほとんどない。
そもそも、化石などで存在自体が確認された訳ではないのだ。
遺伝子解析の果てに存在が推測された、ただそれだけの理論上の存在である。
彼女の人柄、能力、その他もろもろを確定させるための材料は、どこにもない。
しかし、推測ならできる。
例えば、彼女が類まれなる幸運に恵まれていたこと。
当時存在したはずの他の血統が全て途絶える中、彼女の血統だけが残るには、単純な能力差だけでは説明できない。
例えば、彼女が高い生存能力、高い危機察知能力を持っていたこと。
何はともあれ彼女自身が生き延びねば話にならない。子供たちを守れなければ先に繋がらない。
彼女が健康で魅力的であったことも、言い切ってしまって良い事柄かもしれない。
当時の基準での「魅力的」がそのまま現代人の視点にも当てはまるかどうかは不明だが、ともあれ彼女は、多くの子を残したのだ。
そして、例えば――
◆
森の中、『彼女』は駆けていた。
現代人とほぼ変わらぬ、浅黒い肌の美少女と呼んでもよいような容姿、しかしその身を包むのは粗末な毛皮の服1枚。
木の根を飛び越え、枝の下をくぐり、素足で必死に駆けながら。
彼女はチラリと、背後を振り返る。
「ゼェ、ゼェ……ま、待ちやがれコイツ!」
「誰が待つもんですか!」
荒い息をつきながら彼女を追いかけていたのは、見るからに凶悪な肉食獣。
口の中に納まりきらない、2本の長い牙。
発達した前足には、鋭い爪が光る。
頭の高さは彼女の胸あたりだが、もしも2本足で立ち上がったりすれば見上げるほどの体躯となるだろう。
ちょっとした熊ほどの存在である。
彼女にとっても、初めて見るタイプの猛獣。
けれどもその脅威は疑うまでもない。
何しろ相手は、出会い頭に不意打ちで、その牙を彼女に向けてきたのである。
あと一瞬でも気づくのが遅れたら間に合わなかった、それくらいの紙一重の回避であった。
「畜生、この“スミロドン”様の飛びつきを避けやがるとは……! ハァ、ハァ、ゼェ……!」
「運が良かった、けど、このままじゃきっと……!」
勘の良さにはそこそこ自信のある少女である。幸運にも恵まれた。
けれど、このまま逃げ続けてもジリ貧にしかならないことも理解していた。
相手は思いのほか鈍足で、飛び跳ねる度に息を荒げているが、体力の限界が近いのは少女も同じ。
反撃しようにも、手元にもあたりにも使えそうな武器はない。素手でなんとかなる相手ではない。
悪い予感に怯えつつも、少女は駆けて、駆け続けて……
不意に、視界が開けた。
「っ…………!」
「ゼェ、ゼェ……! よ、ようやく追い詰めたぜェ……!」
木々が途切れた先に待っていたのは――広い川。彼女は絶望する。
泳げない訳ではない。
けれど、彼女を追う猛獣もまた、泳げるだろう。
むしろその巨体がハンデにならない、水中という浮力を受ける場においては――ここまでのような鈍足は、期待できない。
スミロドンを自称する獣もそれに気づいたのか、焦ることなく、ゆっくりと間合いを詰めてくる。
「い、いや……! 来ないで……!」
「故郷じゃ俺たちは、こういう場所に獲物を追い込んだモンさ……!
たまに、てめぇ自身も獲物と一緒にハマっちまうバカもいたけどな……!
さあ、てめぇの血肉の味を教えろやァ!!」
剣歯虎(サーベルタイガー)の異名を持つスミロドンが、その鋭い双牙の間でじゅるりと舌なめずりをする。
生きるために食う必要が無いと分かってはいても、目の前に初めて見る珍味が歩いていれば襲ってみたくなるのは当然の獣性。
牙も爪も蹄もない相手、組み伏せてしまえば勝負は決まったも同然。
スミロドンはそして、全身のバネに力を込めて、一挙動で少女に飛びつこうとして、
「――待てィ!」
飛びかかろうとしたその瞬間、横合いから上がった鋭い声に、少女も猛獣も揃って振り返る。
そこに居たのは――
「見も知らぬ仲だが……
男として、同族が襲われてるのを見過ごす訳にはいかないんでな! 邪魔させてもらうぞ!」
現代人にも似た容姿ながら、粗末な毛皮の腰巻1つという姿でしっかと立った。
なにか棒状のものを携えた、浅黒い肌の精悍な青年だった。
◆
Y染色体アダム。
現代に生きる男たちの父系を辿っていった時、たった一点に収斂する、偉大なる父。
彼について、現代の人類に分かっていることはほとんどない。
そもそも、化石などで存在自体が確認された訳ではないのだ。
遺伝子解析の果てに存在が推測された、ただそれだけの理論上の存在である。
彼の人柄、能力、その他もろもろを確定させるための材料は、どこにもない。
しかし、推測ならできる。
例えば、彼が類まれなる幸運に恵まれていたこと。
当時存在したはずの他の血統が全て途絶える中、彼の血統だけが残るには、単純な能力差だけでは説明できない。
例えば、彼が高い生存能力、高い危機察知能力を持っていたこと。
何はともあれ彼自身が生き延びねば話にならない。子供たちを守れなければ先に繋がらない。
また彼が存在したと推測される6万年前と言えば、ちょうど人類がその総数を激減させ、一時は絶滅すら危惧された頃に重なる。
多少の誤差はあるから「最も厳しかった時期」とまでは断言できないが、それでもラクな時代で無かったのは確かなのだ。
そんな苦難の季節に生を受け、見事多数の子孫を残した男が、身体・頭脳ともに優れていない訳がない。
そして、例えば――
◆
突然の乱入者。
スミロドンは先に追い詰めた方の少女を横目に、新たに現れた青年の方に向き直る。
見た感じとしても、先の言葉からしても、どうやら少女と青年は同じ種族であるらしい。
多少体格の違いがあるが、雌雄の差で説明がつく範囲だろう。
しかし、その体格の違いから言って、こちらの方がおそらくは強敵。
積極的に事態に関与してきたことから見ても、より警戒を要する相手であることは間違いない。
(一回り大型で、正面上方の膨らみがなくて……あとは、ありゃ何だ。左右非対称じゃねぇか。角か何かか?)
相手の戦力を図ろうとして、スミロドンは首を傾げる。
明らかにシルエットが左右非対称だ。片方にだけ、長い茶色の物体が伸びている。
今まで見たことのない生物の姿に少しだけ悩んだ彼だったが、しかしすぐに腹を決める。
「どうせちまちま考えてたって、やることは1つなんだ……!
さっさと仕留めさせてもらうぜェ!」
絶叫と共に、スミロドンは飛び出した。
飛び出しながら、大きく口を開く。
狙いは相手の首筋。全身の力を込めて、頭部を後ろに逸らす。
これぞまさに彼の一族が誇る必殺技、『スラッシュバイト』。
顎の力で噛み付くのではない――噛み付くために口を開いたのではない。
下顎が攻撃の邪魔にならないよう、どけるための120°の開口。
その上で、鋭い牙が伸びた頭部を槌のように振り下ろし、相手の急所を、神経を気管を動脈を、鋭利に瞬時に掠め斬る!
一撃で確実に命を奪う、まさに必殺の技。
何度も繰り返してきた攻撃だ、一瞬視界が途切れるからといって、外れる道理がない!
彼は必勝の確信を持って襲い掛かり――
――そして、彼は自らの身に起こったことを、最期まで知ることは無かった。
予想よりも早い鮮血の味。
上顎を襲う激痛。
そして、薄れる意識。
(な……何が、起こって……!?)
どうっ、とスミロドンの身体が地に倒れ伏す。
死んでなお開いたままの口には、スミロドンが「ツノ」だと思ったあの茶色くて長いもの――
Y染色体アダムが自ら削りだした、鋭い槍が、深々と、スミロドンの脳髄深くまで突き刺さっていた。
スミロドン必殺の振り下ろしが強烈であればこその、それは、カウンターの一撃だった。
◆
「ふぅ……肝が冷えたな。しかし、上手く決まって良かった」
槍での一撃で見事に猛獣を返り討ちにした青年は、額に滲んだ汗をぬぐう。
普通に槍を突き出していただけでは、勝ち目のない相手だった。余裕なんてカケラもなかった。
何しろ、急ごしらえの粗雑な槍である。槍と言うより杭に近い程度の代物である。
例えばあの分厚い肩のあたりに刺さっていたら、相手は怒り狂うばかりで、実質的なダメージなんてほとんど無かったろう。
願わくば、首筋か、眼球か、それとも口腔内か。
それらの急所を狙えるチャンスを伺っていたら、猛獣は無防備にも大口を開いて飛びかかってきたのだ。
あと必要なものは、踏み止まって槍を突き出す勇気だけだった。
「あ……あの、ありがとうございます……」
「気にするな。当然のことをしたまでだ」
血を流す猛獣が動きを止めたのを見て、襲われていた少女がトテトテと近づき、青年に感謝の意を告げる。
少女の頬がほんのり赤く染まる。
青年も、鷹揚に頷いてみせるものの、その微笑みはどこか柔らかだ。
「俺は、“Y染色体アダム”」
「私は、“ミトコンドリア・イブ”」
「どうやら俺は、『ツイている』らしい――こんなにも早く、同族の女に出会えた」
「ええ――私も、『運が良い』みたい。こんなに早く、同族の男性に出会えるなんて」
2人は互いに名乗りを交わす。
期せずして早々に出会った同族同士。言葉を交わす2人の間に、緊張はない。
とはいえ、どちらも『大地』を名乗るあの声のことを、忘れた訳でもない。
現実逃避をしている訳でもない。
少女の瞳を見据えて、青年は言う。
「『大地』に、殺し合えと言われた。最後の1匹になるまで殺し合え、と。
ただでさえ一族が滅びんとしてるこの危機に、まったくなんてこった。
俺の妻も子も『大地』に引き離されてしまった。
……あるいは俺が、あいつらの所から引き離されたのか?」
「私も、乳離れしたばかりの赤ちゃんを奪われて、まだまだ赤ちゃんを授けてくれるはずの夫も奪われたわ。
いえ……むしろ私が、彼らの所から奪われてきたのかしら」
「どうやら俺たちは、似たもの同士らしい」
「そうね。きっと私たち、すごく似ている」
2人の視線が、熱く絡み合う。
互いに1歩、距離を縮める。
確かめるように、言葉を紡ぐ。
「死はいずれ避けえぬものだ。
そして、戦いは男の仕事。
戦えというなら、そして巨獣が襲ってくるというなら、いくらでも戦おう。知恵と勇気を尽くして戦おう。
しかし、『ただそれだけ』では困る。
それでは我らは、いずれ途絶えてしまう」
「ええ。私も同じことを思っていたわ。そしてたぶん、私たちは同じことを考えている」
「『大地』と争い抗う手段すら見えぬ今、取れる手は1つだろう――
性別・人数・その後の運命、全て賭けになってしまうが、仕方ない」
「大丈夫。きっと何とかなるわ。だって私は――いいえ、『私たち』は、『とっても運がいい』。
私たちがこうして出会えたこと自体が、きっと、『そういうこと』なのでしょう」
ミトコンドリア・イブ。
Y染色体アダム。
どちらについても、現代の人類に分かっていることはほとんどない。
しかし、推測ならできる。
例えば、彼らが類まれなる幸運に恵まれていたこと。
例えば、彼らが高い生存能力を持っていたこと。
例えば、彼らがオスとしてメスとして、それぞれ一定水準以上の能力を備えていたこと。
そして例えば――彼らが高い生殖能力を持ち、かつ、生殖に対する高い意欲を持っていたこと。
「イブ。俺の子を産め。俺の子を腹に宿し、その上で『最後の1人』として生き延びろ。俺たちの血を繋ぐんだ」
「ええ、喜んで――アダム、私の新しい夫」
スミロドンの血臭残る森の中。
アダムはイブを荒々しく押し倒した。イブは期待に潤む目で足を開いた。
程なくして青空の下、何かを叩き付けるような連続音と、鼻にかかった奇妙な鳴き声が奏でられ始めた。
【一日目・黎明】
【インド亜大陸・平野部森林】
【スミロドン 死亡確認】
【備考:オス。北米出身。群れからはぐれて1人で彷徨い暮らしていた若者。リア充爆発しろっ……! 畜生っ……!】
【Y染色体アダム】
【状態】健康。
パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン(ry
【思考】子を作る。イブとその子を守り抜く
【備考】オス。アフリカ出身。10代半ば。妻子あり
【ミトコンドリア・イブ】
【状態】健康。
アンアンアンアンアンアンアンアンアンアンアンアンアン(ry
【思考】子を作る。アダムと協力し、何としても生き抜く
【備考】メス。アフリカ出身。10代半ば。既婚者、出産経験あり
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