最終更新:ID:Y2MOKI4m0A 2012年12月18日(火) 02:35:37履歴
バーのカウンターから冷たいコンクリートの上へ、今は湿った地面の上へと二転三転する意識の中で、ヴァネッサは的確に状況を捉え続けている。
彼女が身を潜めるのは地図の区画E-8に相当する、東崎トンネル出口付近の藪の中である。
朝日はすでにその存在を主張して東の空を燦然と陣取っており、ヴァネッサの濃密な赤髪が日に晒されて艶めいていた。
荷物の中から見つけ出したタブレットで与えられた情報を確かめながら、ふと、髪と同じく赤い瞳が自嘲に染まる。
杞憂などではなかった。
自分の知らないところで何かが確実に始まっており、それらの兆候の一端を、そうとは分からずに知ってすらいたのだ。
「極秘データの大量盗難なんて事が起こる時点で、もっと警戒すべきだったのかしら……? このふざけたゲームとも、無関係であるはずがないものね」
完全者――知らぬものは世界にいない、少女の姿をした新聖堂騎士団元帥。
集められた大量の人間の面前において、腕一本を動かすだけで人一人を殺害せしめたあの存在は、一体何者なのか。
アクセス履歴にあった『アクメ』との関係は?
加えて、あの始めの大広場で何人か見知っている顔があった。
種々の資料で見たことのある顔もちらほら。作為的な人選であることは明白だった。
「データ盗難はここに繋がるの……? でも、明らかな子供も何人かいた」
真実は見えない。しかし状況ははっきりとしている。
タブレットで地図を確かめ、荷物の整理を終える頃にはすでに決心がついていた。もとより自明の事柄ではあったが。
これから休暇だというところに、殺し合いなど馬鹿げている。
知り合いやゲームに乗らない参加者を集め、さっさと脱出の手立てを整えて、大好きなビールで一杯やりたいとろだ。
ところが、手元にあるものは配られた水と、味気なさそうな携帯食だけ。
それでも量は十分、まずは腹ごしらえと封を切りかけた時、それは現れた。
なぜ、こんなに近づかれるまで気づくことができなかったのだろう。
一人の男が少し離れた木の影から姿を表し、こちらをじっと見ていたのだ。
相手は何も言わない。
真っ白な詰襟の軍服は襟元だけが赤く、髪も、瞳も、ズボンも、黒。
三本の金属プレートのような物がついた黒革のグローブ、それを嵌めた手にはデイパックを握りしめ、歩みを進めてくる。
「止まりなさい!」
手にしていた荷物を全て地面へと落とし、ヴァネッサは拳を構える。
意外にも男は立ち止まり、指先を彼女の足元へと向けた。
その先には、口のあいたデイパッグと、たった今彼女が食べようとしていた食料が散らばっている。
低く、重ささえ感じるような声色で、男の口から言葉が漏れた。
「それを……」
「……これ?」
携帯食料。
地面に落ちた未開封のそれらを、ヴァネッサは見る。
男はまたしばらく口を開かない。
一体何なのだ。彼女は焦れて首を傾げる。
毒が入っているから危ないとでも?
わざわざ殺し合わせるために呼んだ人間を、支給品で毒殺する必要が? 実際にそれで死んだ人間を見でもしたのか?
一瞬の間に様々な仮定が思考をかすめていくが、男の言葉はヴァネッサが考えたどんな予想とも違っていた。
「後生だ。その食料と、自分の持ち物のうちの何かを交換してもらう訳にはいかぬだろうか?」
――ヴァネッサは的確に状況を捉え続けていた。今の今まで。
ここで出会う相手が殺人狂だろうと、百戦錬磨の職業軍人だろうと、そうやすやすとやり込められるつもりもなかったし、混乱しない自信があったのだが。
殺し合いが始まって数時間後に、食料目当ての物々交換を申し入れられるとは思いもよらなかった。
二度襲った沈黙の中を、ゆるく風が吹き抜ける。
冷えた空気が頬を打ったことで、ヴァネッサは呆けていた己を自覚した。
「あ、あなた今どういう状況か、わかってるの? 殺し合いなのよ……信じられないけど、完全者の話聞いてたでしょう?」
「無論わかっている、が」
「なんだって言うのよ?」
「――少なすぎる」
「……は?」
草をかき分け、視線でデイパックから覗いた食料を捕らえながら、男は近づこうとした。
「ちょっと、近寄らないで! だまし討ちの通じる相手だとでも……」
「騙すつもりなどない。状況を理解しているからこそ深刻なのだ」
何十日も遭難したというのならばともかく、まだここへ連れてこられて数時間しかたっていない。
詳細な時間はわからないが、せいぜい一晩が妥当だろう。
それなのに、この男はもう食べ物が不足している? 支給は平等ではなかったのか?
「食うものが少なすぎる……このまま戦闘が続けば身が持つまい。他に自分に支給された物は、このような酒だけで」
男は、二つのスチール缶を持ち上げる。
その拍子に、成人男性で3日分はあるだろう食料のパックが、乾いた音とともに地面へと落ちた。
すでに中身の無くなったそれらには目もくれず、ヴァネッサの抜け目ない瞳はスチール缶のラベルを射抜いていた。
真っ赤な魚を小脇に抱えたふっくら体型の男の絵、その下に書かれた銘柄は『YEBIS』。
アルファベットで書かれてはいるが、どこか東洋の雰囲気をまとったこのラベルに、彼女の喉はごくりと鳴る。
『ちょっと贅沢なビール』――銘柄の横に、そんな魅力的な文字が踊っていたから。
缶に張り付いた細かな水滴が、その中の黄金色の酒が美味しく冷えているであろうことを予想させてくれた。
少し、ほんの少しだけ話を聞いてみる気になった。
いくらビールが大好きだからといって、こんな非常事態に飲酒などできっこないことはわかっている。
できっこないことは、わかっている――そう言い聞かせ無くてはならない時点で、欲望が理性を飲み込みかけていることに、ヴァネッサは気付けない。
つかの間目を伏せて、迫り来る葛藤と折り合いをつけた彼女は視線を前へと戻した。
瞬間、男の蹴りが目前に迫っていた。
※ ※ ※
どっ、と地面に手をついたのは、ヴァネッサの薄く筋肉が付いてなお優美な、女性らしい肉体ではなかった。
「“あぶない”とか“敵だ”とか、何か言ってよ、びっくりしたじゃない!」
「……時間がなかった」
腰に手を当て不満を言うヴァネッサに答える男、その視線の先には、不意打ちを蹴り止められた金髪碧眼の刺客。
新聖堂騎士団の、雷を操るという兵士だ。
真後ろから迫っていたのだろう、彼女はまたしても何の気配も感じ取れなかった。
自分の体が死角となって、白い軍服の男からも見えないような位置からの攻撃だったが、彼は相当勘が鋭いらしい。
「……借りができちゃったわ、全くもう」
歴戦の女ボクサーはグローブを嵌めた指先を甘噛みし、不意を食らった自分の不甲斐なさに嘆息する。
そうして息を吐ききった後、決心したようにぱっと顔を上げると、人差し指を立てて言った。
「一つだけ聞かせて。なぜ私に声をかけたの? 殺し合いに乗ってるかもしれないじゃない? 女なら何かとやりやすいと思った?」
なんとなくそれは違うと判って、あえて口に出してみる。期待通り、精粋な男は首を振った。
カーキ色の軍服に身を包んだ兵隊は、黙って二人のやり取りを聞いている。
攻撃の機を伺っているのだろうか?
「否。非常時下で闇雲に恐怖しているでもなく、殺気を放っているわけでもない様子を見、少なくとも話はできるだろうと踏んだ」
問いに対する迷いない答えに満足気に微笑む、兼業主婦のエージェント。ルージュを引いた唇が広がり、両端が釣り上がる。
その時、金属音のぶつかり合うような音が、遠くトンネルの奥から響いてきた。
のっぺりと暗い穴の向こうから引きずるような音とともに現れたのは、異様な風体の軍事用装甲車。
かつて世界をテロルの地獄へと誘った戦術兵器。
電光戦車。
自律駆動の特攻生物兵器、戦場に繰り出された狂気の産物。
伸びたクレーンの先端についている髑髏は、まるで泣きながら笑っているように見える。
「うわぁ……もう何が来ても驚かない自信ついたわ。ねえ、さっきの話だけれど、物々交換してあげてもいいわよ。もちろん、こいつらを片付けてからになるんでしょうけど」
「承知した。時に、武術の心得はあるか。婦人には酷かもしれんが、二体を相手にしてお前を守りつつ戦うのは――」
「うふふ、安心して。さっきは不覚だったけど、その内あなたから『背中を預けさせてくれ!』って、お願いする事になるんじゃないかしら?」
「……そうか」
眉一つ動かさない彼の、しかし表情には一欠片の変化があるように思える。
笑顔を何倍にも何倍にも薄めたような、空気のゆらぎ様な、変化。
ヴァネッサはそれを見て取ってから、キャタピラをきしませて突進する金属の塊へと飛び込んでいく。
「ガシュン!」
前輪部分から繰り出される足払いを跳躍で交わし、空の眼窩を赤く光らせる髑髏の部分にアッパーをねじり込む。
ヒットした手応えは上々、しかし敵はビクともしない。
じわ、としびれるような感覚が腕を駆け抜けただけで、ダメージはむしろ自分にあるのではないかと錯覚する程。
「フーゥッ、かったいわね、見た目通り! ……と、うわっ」
追撃をかけようと胴体部分へと近づいた瞬間、戦車の装甲が電気に包み込まれ、バチバチと周囲の空気をかき乱す。
エントラードゥン――ヴァネッサはその電撃から身を捩って避けることに成功したが、ネクタイの端を焼かれ、焦げた匂いが鼻を突いた。
「危ない危ない」
ただ突進するだけの鉄くずではない、と彼女が身を構え直した背後では、二人の男が放った電気の塊がぶつかり、爆ぜていた。
一際強く光った二つの電撃、それらが相殺されて消える光の中、お互いの拳をぶつけ合う。
鍔迫り合いのように拳を合わせたまま、金髪碧眼の男が囁く。
「試製一號。貴様の命と電光機関、貰い受ける」
「複製體よ……電光機関の根絶こそ我が使命。出会ったからには見逃さぬ!」
電光戦車とエレクトロ・ゾルダートの攻撃をそれぞれバックステップで交わし、たった今出会った男女二人は再び背中合わせになる。
赤と黒の髪の、鮮明なコントラスト。
いたた〜、と手のひらを振っていたヴァネッサが不意に肩越しに振り返り、赤い結晶の瞳を細めて言った。
「私はヴァネッサ。あなた、名前は?」
「……アカツキ、と」
遅い自己紹介を終え、二人は再び敵を睨めつける。
相対する一人、金髪碧眼の男――クローン人間エレクトロ・ゾルダートには目的があった。
彼はかつて、特命を帯びてとある少年を追い、見つけ出し、戦い、そして負けた。
無様に地面に這いつくばった彼、そこにとどめを刺すこともなく、少年エヌアインは告げた。
『もとより短いクローン体の命、それを永らえさせる方法が、先史時代の遺産に隠されている』と。
事の真実を確かめようと動きかけた矢先、突如任務を解かれ、全軍に撤退命令が出された。
触れてはならぬ知識に触れたことを感づかれたか、といぶかること数ヶ月、何の沙汰もないまま待機令が全軍に申し渡され、身動きの取れない状態に辟易していた頃。
新たな指令は下り、彼は再び解き放たれた。この殺し合いの庭に。
教団の主・完全者の壮絶な野望狂い咲く、バトルロワイヤルに。
『ヤツらと殺しあえ』
彼は思う。
そうしろというのならば、そうしよう。
だが、必ず生きながらえて、先史時代の遺産を手に入れて見せる。
そしてミュカレの元へたどり着き、滅ぼすこと。
完全者の撃滅。それが未完全な彼の目的。
ただ消耗品のように、使い尽くされて消え果てるクローンの命。
エヌアインと出会い、漫然と死を待つだけの兵士《ゾルダート》ではいられなくなった。
生き永らえ、無と有の間をたゆたうだけだったこの『生』に、確たる意味を掴むのだ。
戦友《カメラード》達の死の虚無を、不朽の栄光へと覆してやるのだ。
量産型電光被服の発する電力が高まると共に、彼は、己の停止していた心に炎が灯るのを感じた。
斃す――試製一號や参加者は言うに及ばず。
自らのオリギナールだろうと、自らの分身を動力として動く戦術兵器だろうと、今は。
斃さねばならない。
彼は叫ぶ。初めて手に入れた、激情のままに。
「我らに……永遠の、栄光を!」
電光戦車に意思はない。
自らと出自を同じくする一兵卒の叫びも、彼はただの振動として処理する機能しか持っていない。
殺戮こそが彼の呼吸する空気だ。
タイマー機能によってこの地で目覚め、ひたすらに参加者を探して彷徨ってきた。
今、初めて出会った獲物三人の生命活動を停止させること。
彼にプログラムされた指令は、狂うことなく冷たい金属回路を駆け巡っている。
「ピピピピ……」
戦闘の熱気がとぐろを巻き、天を突き破らんばかりに立ち上る。
「ばっちりシラフだもの……お楽しみは、これからよ!」
「憂きことの、尚この上に積もれかし」
ヴァネッサが言い、アカツキが囁く。
闘争が始まる。
【E-8/東崎トンネル出口/1日目・朝】
【ヴァネッサ@THE KING OF FIGHTERS】
[状態]:健康
[装備]:無し
[道具]:基本支給品、不明支給品0〜3(把握済み)
[思考・状況]
・ゾル、戦車を倒した後、アカツキと物々交換する
※はじめの広場で見た『知っている顔』や、『種々の資料で見た顔』が誰で、どのくらい知っているのかなどは、後の書き手さんにお任せします。
【アカツキ@エヌアイン完全世界】
[状態]:健康・空腹
[装備]:電光機関
[道具]:基本支給品(食料は完食)、YEBISUビール×2、不明支給品0〜1
[思考・状況]
・電光機関の破壊
・ゾル及び電光戦車を撃退し、ヴァネッサから食料を手に入れる
※空腹による電光機関への影響の有無は、後の書き手さんにお任せします。
【エレクトロ・ゾルダート(エヌアイン捜索部隊)@エヌアイン完全世界】
[状態]:健康
[装備]:電光機関
[道具]:基本支給品、不明支給品0〜3
[思考・状況]
・全参加者及びジョーカーを撃破後ミュカレを倒し、先史時代の遺産を手に入れる。
【電光戦車@エヌアイン完全世界】
[状態]:正常
[装備]:無し
[道具]:無し
[思考・状況]
・参加者の殺害
彼女が身を潜めるのは地図の区画E-8に相当する、東崎トンネル出口付近の藪の中である。
朝日はすでにその存在を主張して東の空を燦然と陣取っており、ヴァネッサの濃密な赤髪が日に晒されて艶めいていた。
荷物の中から見つけ出したタブレットで与えられた情報を確かめながら、ふと、髪と同じく赤い瞳が自嘲に染まる。
杞憂などではなかった。
自分の知らないところで何かが確実に始まっており、それらの兆候の一端を、そうとは分からずに知ってすらいたのだ。
「極秘データの大量盗難なんて事が起こる時点で、もっと警戒すべきだったのかしら……? このふざけたゲームとも、無関係であるはずがないものね」
完全者――知らぬものは世界にいない、少女の姿をした新聖堂騎士団元帥。
集められた大量の人間の面前において、腕一本を動かすだけで人一人を殺害せしめたあの存在は、一体何者なのか。
アクセス履歴にあった『アクメ』との関係は?
加えて、あの始めの大広場で何人か見知っている顔があった。
種々の資料で見たことのある顔もちらほら。作為的な人選であることは明白だった。
「データ盗難はここに繋がるの……? でも、明らかな子供も何人かいた」
真実は見えない。しかし状況ははっきりとしている。
タブレットで地図を確かめ、荷物の整理を終える頃にはすでに決心がついていた。もとより自明の事柄ではあったが。
これから休暇だというところに、殺し合いなど馬鹿げている。
知り合いやゲームに乗らない参加者を集め、さっさと脱出の手立てを整えて、大好きなビールで一杯やりたいとろだ。
ところが、手元にあるものは配られた水と、味気なさそうな携帯食だけ。
それでも量は十分、まずは腹ごしらえと封を切りかけた時、それは現れた。
なぜ、こんなに近づかれるまで気づくことができなかったのだろう。
一人の男が少し離れた木の影から姿を表し、こちらをじっと見ていたのだ。
相手は何も言わない。
真っ白な詰襟の軍服は襟元だけが赤く、髪も、瞳も、ズボンも、黒。
三本の金属プレートのような物がついた黒革のグローブ、それを嵌めた手にはデイパックを握りしめ、歩みを進めてくる。
「止まりなさい!」
手にしていた荷物を全て地面へと落とし、ヴァネッサは拳を構える。
意外にも男は立ち止まり、指先を彼女の足元へと向けた。
その先には、口のあいたデイパッグと、たった今彼女が食べようとしていた食料が散らばっている。
低く、重ささえ感じるような声色で、男の口から言葉が漏れた。
「それを……」
「……これ?」
携帯食料。
地面に落ちた未開封のそれらを、ヴァネッサは見る。
男はまたしばらく口を開かない。
一体何なのだ。彼女は焦れて首を傾げる。
毒が入っているから危ないとでも?
わざわざ殺し合わせるために呼んだ人間を、支給品で毒殺する必要が? 実際にそれで死んだ人間を見でもしたのか?
一瞬の間に様々な仮定が思考をかすめていくが、男の言葉はヴァネッサが考えたどんな予想とも違っていた。
「後生だ。その食料と、自分の持ち物のうちの何かを交換してもらう訳にはいかぬだろうか?」
――ヴァネッサは的確に状況を捉え続けていた。今の今まで。
ここで出会う相手が殺人狂だろうと、百戦錬磨の職業軍人だろうと、そうやすやすとやり込められるつもりもなかったし、混乱しない自信があったのだが。
殺し合いが始まって数時間後に、食料目当ての物々交換を申し入れられるとは思いもよらなかった。
二度襲った沈黙の中を、ゆるく風が吹き抜ける。
冷えた空気が頬を打ったことで、ヴァネッサは呆けていた己を自覚した。
「あ、あなた今どういう状況か、わかってるの? 殺し合いなのよ……信じられないけど、完全者の話聞いてたでしょう?」
「無論わかっている、が」
「なんだって言うのよ?」
「――少なすぎる」
「……は?」
草をかき分け、視線でデイパックから覗いた食料を捕らえながら、男は近づこうとした。
「ちょっと、近寄らないで! だまし討ちの通じる相手だとでも……」
「騙すつもりなどない。状況を理解しているからこそ深刻なのだ」
何十日も遭難したというのならばともかく、まだここへ連れてこられて数時間しかたっていない。
詳細な時間はわからないが、せいぜい一晩が妥当だろう。
それなのに、この男はもう食べ物が不足している? 支給は平等ではなかったのか?
「食うものが少なすぎる……このまま戦闘が続けば身が持つまい。他に自分に支給された物は、このような酒だけで」
男は、二つのスチール缶を持ち上げる。
その拍子に、成人男性で3日分はあるだろう食料のパックが、乾いた音とともに地面へと落ちた。
すでに中身の無くなったそれらには目もくれず、ヴァネッサの抜け目ない瞳はスチール缶のラベルを射抜いていた。
真っ赤な魚を小脇に抱えたふっくら体型の男の絵、その下に書かれた銘柄は『YEBIS』。
アルファベットで書かれてはいるが、どこか東洋の雰囲気をまとったこのラベルに、彼女の喉はごくりと鳴る。
『ちょっと贅沢なビール』――銘柄の横に、そんな魅力的な文字が踊っていたから。
缶に張り付いた細かな水滴が、その中の黄金色の酒が美味しく冷えているであろうことを予想させてくれた。
少し、ほんの少しだけ話を聞いてみる気になった。
いくらビールが大好きだからといって、こんな非常事態に飲酒などできっこないことはわかっている。
できっこないことは、わかっている――そう言い聞かせ無くてはならない時点で、欲望が理性を飲み込みかけていることに、ヴァネッサは気付けない。
つかの間目を伏せて、迫り来る葛藤と折り合いをつけた彼女は視線を前へと戻した。
瞬間、男の蹴りが目前に迫っていた。
※ ※ ※
どっ、と地面に手をついたのは、ヴァネッサの薄く筋肉が付いてなお優美な、女性らしい肉体ではなかった。
「“あぶない”とか“敵だ”とか、何か言ってよ、びっくりしたじゃない!」
「……時間がなかった」
腰に手を当て不満を言うヴァネッサに答える男、その視線の先には、不意打ちを蹴り止められた金髪碧眼の刺客。
新聖堂騎士団の、雷を操るという兵士だ。
真後ろから迫っていたのだろう、彼女はまたしても何の気配も感じ取れなかった。
自分の体が死角となって、白い軍服の男からも見えないような位置からの攻撃だったが、彼は相当勘が鋭いらしい。
「……借りができちゃったわ、全くもう」
歴戦の女ボクサーはグローブを嵌めた指先を甘噛みし、不意を食らった自分の不甲斐なさに嘆息する。
そうして息を吐ききった後、決心したようにぱっと顔を上げると、人差し指を立てて言った。
「一つだけ聞かせて。なぜ私に声をかけたの? 殺し合いに乗ってるかもしれないじゃない? 女なら何かとやりやすいと思った?」
なんとなくそれは違うと判って、あえて口に出してみる。期待通り、精粋な男は首を振った。
カーキ色の軍服に身を包んだ兵隊は、黙って二人のやり取りを聞いている。
攻撃の機を伺っているのだろうか?
「否。非常時下で闇雲に恐怖しているでもなく、殺気を放っているわけでもない様子を見、少なくとも話はできるだろうと踏んだ」
問いに対する迷いない答えに満足気に微笑む、兼業主婦のエージェント。ルージュを引いた唇が広がり、両端が釣り上がる。
その時、金属音のぶつかり合うような音が、遠くトンネルの奥から響いてきた。
のっぺりと暗い穴の向こうから引きずるような音とともに現れたのは、異様な風体の軍事用装甲車。
かつて世界をテロルの地獄へと誘った戦術兵器。
電光戦車。
自律駆動の特攻生物兵器、戦場に繰り出された狂気の産物。
伸びたクレーンの先端についている髑髏は、まるで泣きながら笑っているように見える。
「うわぁ……もう何が来ても驚かない自信ついたわ。ねえ、さっきの話だけれど、物々交換してあげてもいいわよ。もちろん、こいつらを片付けてからになるんでしょうけど」
「承知した。時に、武術の心得はあるか。婦人には酷かもしれんが、二体を相手にしてお前を守りつつ戦うのは――」
「うふふ、安心して。さっきは不覚だったけど、その内あなたから『背中を預けさせてくれ!』って、お願いする事になるんじゃないかしら?」
「……そうか」
眉一つ動かさない彼の、しかし表情には一欠片の変化があるように思える。
笑顔を何倍にも何倍にも薄めたような、空気のゆらぎ様な、変化。
ヴァネッサはそれを見て取ってから、キャタピラをきしませて突進する金属の塊へと飛び込んでいく。
「ガシュン!」
前輪部分から繰り出される足払いを跳躍で交わし、空の眼窩を赤く光らせる髑髏の部分にアッパーをねじり込む。
ヒットした手応えは上々、しかし敵はビクともしない。
じわ、としびれるような感覚が腕を駆け抜けただけで、ダメージはむしろ自分にあるのではないかと錯覚する程。
「フーゥッ、かったいわね、見た目通り! ……と、うわっ」
追撃をかけようと胴体部分へと近づいた瞬間、戦車の装甲が電気に包み込まれ、バチバチと周囲の空気をかき乱す。
エントラードゥン――ヴァネッサはその電撃から身を捩って避けることに成功したが、ネクタイの端を焼かれ、焦げた匂いが鼻を突いた。
「危ない危ない」
ただ突進するだけの鉄くずではない、と彼女が身を構え直した背後では、二人の男が放った電気の塊がぶつかり、爆ぜていた。
一際強く光った二つの電撃、それらが相殺されて消える光の中、お互いの拳をぶつけ合う。
鍔迫り合いのように拳を合わせたまま、金髪碧眼の男が囁く。
「試製一號。貴様の命と電光機関、貰い受ける」
「複製體よ……電光機関の根絶こそ我が使命。出会ったからには見逃さぬ!」
電光戦車とエレクトロ・ゾルダートの攻撃をそれぞれバックステップで交わし、たった今出会った男女二人は再び背中合わせになる。
赤と黒の髪の、鮮明なコントラスト。
いたた〜、と手のひらを振っていたヴァネッサが不意に肩越しに振り返り、赤い結晶の瞳を細めて言った。
「私はヴァネッサ。あなた、名前は?」
「……アカツキ、と」
遅い自己紹介を終え、二人は再び敵を睨めつける。
相対する一人、金髪碧眼の男――クローン人間エレクトロ・ゾルダートには目的があった。
彼はかつて、特命を帯びてとある少年を追い、見つけ出し、戦い、そして負けた。
無様に地面に這いつくばった彼、そこにとどめを刺すこともなく、少年エヌアインは告げた。
『もとより短いクローン体の命、それを永らえさせる方法が、先史時代の遺産に隠されている』と。
事の真実を確かめようと動きかけた矢先、突如任務を解かれ、全軍に撤退命令が出された。
触れてはならぬ知識に触れたことを感づかれたか、といぶかること数ヶ月、何の沙汰もないまま待機令が全軍に申し渡され、身動きの取れない状態に辟易していた頃。
新たな指令は下り、彼は再び解き放たれた。この殺し合いの庭に。
教団の主・完全者の壮絶な野望狂い咲く、バトルロワイヤルに。
『ヤツらと殺しあえ』
彼は思う。
そうしろというのならば、そうしよう。
だが、必ず生きながらえて、先史時代の遺産を手に入れて見せる。
そしてミュカレの元へたどり着き、滅ぼすこと。
完全者の撃滅。それが未完全な彼の目的。
ただ消耗品のように、使い尽くされて消え果てるクローンの命。
エヌアインと出会い、漫然と死を待つだけの兵士《ゾルダート》ではいられなくなった。
生き永らえ、無と有の間をたゆたうだけだったこの『生』に、確たる意味を掴むのだ。
戦友《カメラード》達の死の虚無を、不朽の栄光へと覆してやるのだ。
量産型電光被服の発する電力が高まると共に、彼は、己の停止していた心に炎が灯るのを感じた。
斃す――試製一號や参加者は言うに及ばず。
自らのオリギナールだろうと、自らの分身を動力として動く戦術兵器だろうと、今は。
斃さねばならない。
彼は叫ぶ。初めて手に入れた、激情のままに。
「我らに……永遠の、栄光を!」
電光戦車に意思はない。
自らと出自を同じくする一兵卒の叫びも、彼はただの振動として処理する機能しか持っていない。
殺戮こそが彼の呼吸する空気だ。
タイマー機能によってこの地で目覚め、ひたすらに参加者を探して彷徨ってきた。
今、初めて出会った獲物三人の生命活動を停止させること。
彼にプログラムされた指令は、狂うことなく冷たい金属回路を駆け巡っている。
「ピピピピ……」
戦闘の熱気がとぐろを巻き、天を突き破らんばかりに立ち上る。
「ばっちりシラフだもの……お楽しみは、これからよ!」
「憂きことの、尚この上に積もれかし」
ヴァネッサが言い、アカツキが囁く。
闘争が始まる。
【E-8/東崎トンネル出口/1日目・朝】
【ヴァネッサ@THE KING OF FIGHTERS】
[状態]:健康
[装備]:無し
[道具]:基本支給品、不明支給品0〜3(把握済み)
[思考・状況]
・ゾル、戦車を倒した後、アカツキと物々交換する
※はじめの広場で見た『知っている顔』や、『種々の資料で見た顔』が誰で、どのくらい知っているのかなどは、後の書き手さんにお任せします。
【アカツキ@エヌアイン完全世界】
[状態]:健康・空腹
[装備]:電光機関
[道具]:基本支給品(食料は完食)、YEBISUビール×2、不明支給品0〜1
[思考・状況]
・電光機関の破壊
・ゾル及び電光戦車を撃退し、ヴァネッサから食料を手に入れる
※空腹による電光機関への影響の有無は、後の書き手さんにお任せします。
【エレクトロ・ゾルダート(エヌアイン捜索部隊)@エヌアイン完全世界】
[状態]:健康
[装備]:電光機関
[道具]:基本支給品、不明支給品0〜3
[思考・状況]
・全参加者及びジョーカーを撃破後ミュカレを倒し、先史時代の遺産を手に入れる。
【電光戦車@エヌアイン完全世界】
[状態]:正常
[装備]:無し
[道具]:無し
[思考・状況]
・参加者の殺害
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