68年として表象される大学と社会の変革をめざす早稲田での闘いに参加した学友たちに開かれたフォーラムです。半世紀を経た現在の時点から、あの闘争の事実と意味を各人の視点から自由に論じ、歴史の資料として残すことをめざします。

本プロジェクトへの登録をお願いします

 このサイトは近日中に会員のみがアクセスできる非公開サイトに移行する予定です。それ以降は、会員として登録していないと投稿された記事等を閲覧することもできなくなります。つきましては、このプロジェクトに関心を持つ方がすみやかに会員登録手続きを済まされることをお願いする次第です。
 申請方法は下記の参加方法ページに説明してあります。
参加申請に際しては必ず通信欄に本人確認のできる情報を記入してください
 記入しないで申請した方は、お手数ですが本人情報を記入の上再度申請してください。
 

早稲田の杜の記憶68プロジェクト 呼びかけ

               早稲田の杜の記憶・編纂委員会
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 友人の皆さん!
 お元気ですか?
 かつてあの早稲田で「六八年」をシンボルとする若き闘争の日々を共にした友人の皆さん! 今は、それぞれ思想を異にし、だからまたあの日々への評価も、したがってまたその記憶の持ち方も異にするとはいえ、しかし、あの日々を共にした皆さん!
 私たち数名は、あの日々の記憶を『もう一つの学生運動――早稲田の杜の記憶』(仮題)という一冊の本(あるいは数冊の)にまとめ上げるというプロジェクトを立ち上げ、「早稲田の杜の記憶・編纂委員会」をここに結成するに至りました。
 そして今、こうして皆さんにこのプロジェクトへの参加を呼びかけます。
         

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 昨年二〇一八年は、象徴としての「六八年」の五〇年目にあたるというので、あの闘争の日々を回顧し、その歴史的意義やそこに孕まれていた諸問題を論じる幾つかの回想記や評論が出版されました。このテーマで特集を組んだ雑誌もありました。振り返れば、そうした記憶の提示、編纂、それをめぐる考察の試み、等は既にこの十数年来様々におこなわれてきました。
 しかしわれわれの視点に立つとき、私たちはこう考えました。それらの試みにはあの闘争の日々のリアルな記憶とわれわれそれぞれの様々なる想いが真に深く反映されているとはとても思えない、と。二つの理由からです。
 第一は、書き手が、実際にあの闘争の日々の実体験者であった場合でも、おおむね運動の中心的指導者に限られていたことです。そして第二に、大半のそうした出版物はいわゆる「全共闘」ないし「新左翼」諸党派の側にいた人間たちの視点からのもの、ないしはその視点に無批判に追随する評論家やジャーナリストのものであり、そうした彼らの視界においてはわれわれが現に生き担ってきた記憶は「日共・民青系」の一言で括られ、旧左翼ないしはほとんど当局派に近い第二組合的な位置に立つ、およそその歴史的性格において注目するに値しないものとして片付けられてきたという点です。(ごく一部例外はあるにせよ)。

 皆さん!

「六八年」を大学新入生として迎えた者を基準に据えていうならば、われわれは既に七十代前半かあとほんの数年で七十に届くかのどちらかですね! 既に鬼籍に入ったかつての「戦友」とも呼ぶべき親しい仲間を「あぁ、もう彼は、彼女はいないんだ」と指を折って数える年代にわれわれはいます。「自分自身の頭脳がまだ現役で働けるのもあと十年か!」と覚悟を決めてやるべきことを果たす、そういう年齢になりました。

 そこで提案です。
 まず、何よりも自分自身のためにあの日々についての自分の証言を書き残すことにしませんか? そうすることは、人生の最後の時期のスタートを切るうえで何よりも自分にとって有意義ではないでしょうか? そのためのいわば仕掛けとして、このプロジェクトを捉え、参加し、使ってくれませんか? 人間は、敢えて「書く」という行為に打って出るためには、締め切りがあり、原稿量の上限と書式と執筆ルールが既に定められている発表の場というものが現に存在し、それが自分を待っているという仕掛け、これがあった方が良いのです。そして、多くの友人がこうした理由からこのプロジェクトに参加していただけたなら、結果として、われわれは実にユニークな貴重なーーまだほとんど為されていない――歴史の証言集を、一言でいうなら、まさに『もう一つの学生運動――早稲田の杜の記憶』を共同の力でこの世に送り出し、残すことができるのです。

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 さて、「この呼びかけ」の冒頭でこう書きました。
「今は、それぞれ思想を異にし、だからまたあの日々への評価も、したがってまたその記憶の持ち方も異にするとはいえ、しかし、あの日々を共にした皆さん!」と。
 右の観点は、このプロジェクトの大前提です。鋭い対立さえ含みかねない互いの差異と、にもかかわらず、その差異の共存のみならず共同が可能となる、或る根源的価値ないしエートスの共有、その大元にかけがえのない記憶の共有があるということ、これが大前提です。
 このことに関わって、まず二点を記します。
 第一点は、右の大前提が生きた働きとなって作用できるための方法的仕掛けとして、皆さんの原稿執筆の作業に様々な刺激とイメージを与えるために、ホームページ「早稲田の杜の記憶」を直ちに立ち上げ、そこにこのプロジェクトに託する様々な想いや期待、あの日々をどういう視点から回想すべきかという点に関する問題提起、何人かの実際の第一次原稿、編纂委員会の作成した「年表」や編纂した資料等を掲載します。また、編纂作業を遂行するなかでその都度生まれた編纂委員会からの皆さんへの新提案や意見募集の記事を掲載します。
 このプロジェクトを始動させるために、編纂委員会はとりあえず編纂構想(章立てを中心とした)と制作方法についての提案を皆さんにおこないますが、これは固定的なものではありません。皆さんとの共同作業の生きた過程がそれを絶えまなく改善し成長させるはずの、生きた構想と方法であるべきです。ホームページ「早稲田の杜の記憶」はこの二つの、つまり皆さんの執筆作業と編纂構想・方法、その両者の成長の場となるべきであり、またわれわれは必ずそうする決意です。
 ですから、皆さんが、第一次原稿を書き終えたら、すぐそれをこのホームページに発表してくださると嬉しいです。というのも、そういう形でわれわれは相互に刺激しあうことで、また編纂構想と制作方法を成長させることで、きわめて野心的な企画(座談会・インタビュー・特別記事の編集・当時の貴重な写真やビラ等の提示、等々)を孕む、かつ各自の自由奔放な個性的なスタイルの証言の束として、最終的にこの『もう一つの学生運動――早稲田の杜の記憶』を実現したいからです。
 なお、この点で急いで付言しておくと、ここに集成される文章のスタイルは回想のエッセイはもとより、かなり硬質な評論や思想表明、あるいは基軸を当時の日記や、その後に書いたとはいえかなり以前の文章の再録に置くもの、創作なさった詩や短歌あるいは小説の或る部分の開示、様々であってよいと考えています。この点でも、そういうスタイルの文章でもよいのかという刺激がホームページ上に飛び交うことを期待します。これを機会に自伝の執筆や初の小説の執筆にのりだす友人が出るやもしれません。それを期待します。

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 第二点は、「もう一つの学生運動」のその「もう一つ」性をわれわれはどこに見るかという問題です。まず、このこと自体がこのわれわれのプロジェクトの当のテーマ・追究せんとする問題そのものであり、それをめぐっての討論の場におのずとこのわれわれの本自体がなるのだということを再確認したうえで、まさにこの討論を開始するための一石として敢えて次の問題提起をおこないたいと思います。
 キーワードは、「民主主義精神」と「反暴力」です。次の問題系をわれわれは身銭を切って担ってきたということこそ、われわれの共にしたあの闘争の日々のアイデンティティではないでしょうか? そして、それはわれわれのかけがえのないアイデンティティであったがゆえに、それによってこそあの日々のわれわれがあらためて検証され、或る場合は裁かれることともなるのだ、とつけくわえるべきではないか、そう考えます。
 問題系の第一はこうです。すなわちわれわれは、「大学解体」ではなく、あくまでも「大学民主化」を目標に定め、あの当時のいわゆる「全共闘」なり「新左翼」諸党派の「革命幻想」に纏わりつかれた「左翼小児病」的過激主義に反対し、「社会的改良」の地平を堅実に歩きとおす姿勢こそが最も重要であると考えたという点です。
 問題系の第二はこうです。――この「民主主義のよりいっそうの実現を追求する」という姿勢は、いわゆる「全共闘」なり「新左翼」諸党派の観念的な「革命」主義が、そうであるがゆえに必然的かつ内在的にテロリズムへの傾斜を抱え込み、現にそうなったという事態、そしてこのテロリズム、言い換えればきわめて独善的な「前衛独裁主義」は本質的に反民主主義であったという事態、この事態に身をもって対決するものであった。そして、実はこの問題系は同時に二十世紀マルクス主義に宿啊の如く纏わりついていた「前衛独裁主義」に対してもわれわれを対決せしめるものではなかったか、という問題系であったという点です。
 そして第三は、そうであるはずなのだが、その最後の点、くりかえすなら《二十世紀マルクス主義に宿啊の如く纏わりついていた「前衛独裁主義」》に対して対決するという課題、それを当時われわれはどこまで為し得ることができたのか? という問題です。

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 この点において、われわれの「早稲田の杜の記憶」の核心には二つの悲劇が据えられることになります。かの一九七〇年十月十六日、闘争を共にしていたわれわれの一員である山村政明君が穴八幡神社境内で革マル派による文学部キャンパスの暴力支配に抗議し、日本の全ての学生運動の平和的共同と統一の実現を訴えるメッセージを携えながら、彼の人生が抱えた苦悩に耐え兼ねて焼身自殺に走った事件、ならびにノン・セクトの学生であった川口大三郎君が革マル派によって中核派のスパイとみなされ、リンチの果てに文学部自治会室で殺害された事件です。当時の文学部キャンパスの在りように深くかかわるこの二つの比類のない悲劇は、革マル派の早稲田暴力支配の野望との闘争こそがあのわれわれの闘争の日々のかけがえのない独自性、われわれだけが集中的に担うこととなったわれわれのアイデンティティとなったという問題を端的に表現するものです。
 なお、くりかえすなら、この「われわれのアイデンティティ」とは、前節の最後に触れた「第三の問題系」を孕む問いとしてのそれです。この点については、編纂委員の清があくまで個人として書いた「われわれ自身への問題提起」を付録2として添えたいと思います。何度もくりかえしますが、われわれの『もう一つの学生運動――早稲田の杜の記憶』は「今は、それぞれ思想を異にし、だからまたあの日々への評価も、したがってまたその記憶の持ち方も異にするとはいえ、しかし、あの日々を共にした」われわれが、だからこそ繰り広げる討論の書、そのための記録の証言を持ち寄る試み、それを果たすことによって、あの自分の若き日々に挨拶を送り直す、そうした証言集になるべきなのです。

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 最後になりました。次のことを提案させていただくとともに、第一次構想案と第一次執筆要綱を付録1として添付いたします。
 提案とはこうです。われわれはこの出版事業をクラウドファウンディングの手法を使って遂行することにします。出版基金への出資額は一口****円とし、一口分の出資に対して『もう一つの学生運動――早稲田の杜の記憶』が出版された暁には一冊が贈呈されます。執筆者は、その執筆分量に応じてさらに出資口数が増加します(編纂委員会からご提出くだされた執筆計画に応じてその増加分をご提案させていただきます)。
 出版を担当するのは、編纂委員の一人であり、当時第二文学部生(一九七〇年入学、一九七四年卒)であった小倉修氏が経営する「はるか書房」です。
 編纂事業の進展にともなって、第一巻では執筆分量をカバー仕切れないことが明白となった場合は複数巻による出版となります。そのさいは、あらためて新計画ならびに出資口数と贈呈巻・部数との新しい関係を提案させていただきます。

 皆さんの参加を切にお願いいたします!



































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