国指定重要無形民俗文化財『相模人形芝居』の全てが分かる”相模人形芝居百科事典”です。

芸名4代目 吉田 辰五郎
ふりがなよしだ たつごろう
本名
別名吉田兵造、吉田駒十郎
出生地
死没地奈良県北葛城郡高田町*1
生年月日
没年月日昭和2年(1927)6月16日
職業人形遣い
活動期間明治〜大正
配偶者
著名な家族吉田金花*2
受賞歴
備考
3代目吉田辰五郎の門弟*3。また義父に吉田金花がありました。若い頃は金花や吉田簑助らと一緒に地方を遍歴していました。
吉田兵造、吉田駒十郎を経て、大正6年(1917)2月に4代目吉田辰五郎を襲名しています。
立役、荒物に優れた才能を見せた人形遣いとして知られていますが、端役でも丁寧に遣ってみせるなど、人形芝居に対する真摯な姿勢は、初代吉田栄三らに深い感銘と大きな影響を与えました*4
昭和2年(1927年)3月以前に病気を患い、大和の高田の眼科病院に入院していました。入院中、番付改正の相談に訪れた栄三に、病気の回復の見込みがないことを告げており、同6月16日に亡くなりました*5

相模人形芝居との繋がり
吉田駒十郎時代の明治26年(1893)頃の2〜3年間に、金花と共に下中村を訪れ、小竹山東際寺に逗留し、昼は人形等の道具の修理を、夜は人形芝居の指導を行っていました*6
この時、指導を受けた座員の一人である岸三千三が、明治36年(1903)6月に人形遣いになろうと家を出て大阪に向かった時には辰五郎を訪ねており、困った辰五郎が三千三の家族を大阪に呼んで引き取らせています*7

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