国指定重要無形民俗文化財『相模人形芝居』の全てが分かる”相模人形芝居百科事典”です。

昭和26年(1951年)、当時神奈川県文化財専門委員として神奈川県下の人形芝居を調査していた永田衡吉が、三人遣いの人形が県下でも旧相模国にのみに分布し、首(かしら)の構造や人形の操法などに類似性を認識したことから、これらの人形芝居をまとめて『相模人形芝居』と命名したことが初めとされています*1

それまでは相模国内あるいは神奈川県内各地に散在する人形芝居をまとめて呼んだ名称は存在せず、各座ごとに人形芝居座の存在した村などの名前を冠した名称(例:小竹の人形、牧野人形、座間連)で呼ばれていました。命名した永田衡吉も『相模人形芝居』という名前は『淡路人形』、『佐渡人形』という旧国名を冠する「ならわし」に従ったものに過ぎないとしており*2、文化財名称として定着するとは考えていませんでした。

略して「相模人形」と呼ばれることが多くあり、命名した永田衡吉自身も「相模人形」を使うことがありました。なお「相模人形浄瑠璃」と呼ばれることがありますが、「人形浄瑠璃」を称する場合には人形遣い・太夫・三味線の三業が揃って座員であることが必要であり、人形操法のみを継承している相模人形芝居においては正しい呼称とは言えません。

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