概要

クメールの旧都アンコールで発見された文書。
21世紀初頭、超巨大生物(通称ゴジラ)が何らかの原因で活動を活性化させ、史上初めて(少なくとも記録が残っている限り初めて)世界中にその姿を晒し、世界中に大きな損害を与えた時期に書かれ、この文書の中ではゴジラは災厄、あれらと呼称されている。
著者は不明だが文中の記述を見る限り、旧陸軍特別任務隊(現国防省直属情報部隊)の一員であると推測されている。
かなりの正確性を持って書かれておりその学術的価値は図りしれず、また同封されていた多数の街やゴジラの写真は世間に公開されたときに大きな反響を与えた。後にこの文書を参考とした小説が書かれるなど、クメール史に残るものである。

本文

あの災厄は私達の全てを奪っていった。
それは先祖が守りついだ知識や数多の金に替えることの出来ない技術、私達が困難を乗り越えて築き上げた結晶、そしてあろうことかあの災厄は私たちから人としての尊厳さえも奪ったのだ。
あの災厄がクメールに表れたときに私達はただ捕食者から逃げ惑う憐れな存在のように地を這いつくばって逃げるしか無かった。その時に人としての尊厳は全く意味を成さず、だからこそ私達はそれを奪われたのだ。

ひどく理不尽だった。私達は決してあれらを忘れてはいけないし、忘れることもないだろう。
だが、きっと人はあの存在を悪夢として忘れようとしたがるだろう。私自身あれを忘れ去りたいし、既に記憶が不確かな部分が存在する。
でも私達はあれらを終了させることは出来ていないから、再びクメールが今回のような、もしかしたらもっと大規模な惨禍に巻き込まれるかも知れない。

だからこそ私はこれを記し後世に残そうと思う。この文書もまた、あれらがもたらした惨禍から復興する上で他のものに埋没するかも知れない。
しかしそれは、尤も避けるべきことで故にこれを見た人はこの文書を保存して残して欲しい。
クメールがラオスやタイの民族主義者に敗北した時とは違って、まだあれに対しては私達には時間が残されている。
だから、再びあれらが来襲するまでに考える事が許されるのならばこの文書を参考にして欲しい。

本当なら海面が沸騰し、謎の地響きが発生したり、異様なまでに放射線量が増加して全ての人々が何かがおかしいときずいた辺りから書き始めたいが、恐らくそれは時間が許してくれないだろう。
だからあれがクメールに上陸してその姿が白日の元に晒されたあの日から書こうと思う。

あの日は何時もと変わらない日々だった。本来、非常に稀な小規模な地震や、決して起こる事がない海面の沸騰こそあったが人々は1ヶ月ほど続くそれに慣れきっていた。
だがそれは今から考えると明らかに危険信号だった。
政府は慎重に事に当たっていた。調査船を派遣して震源を探したり、沸騰した場所に探査機を投下した。だがそれでもあれは見つけられなかった。上陸した時に既に100mは越えていたにも関わらず、発見することができなかった。
これに関してはつくづく不思議に思う。どうして私達はあれらを発見出来なかったのだろう。時間が足りなかったのかも知れないし、いつものように各省庁が足を引っ張りあっていたのかも知れない。
今となってはそれを知るよしもないし、既に過ぎ去ったことだからこの疑問は無駄だろうが。

そして勤労や勉学に人々が励み、日も高くなっていたときに災厄は突如として襲ってきた。本当に突然だった。
確か、最初にそれを見たのは漁船か何かだったと思う。突然海面が沸騰して、船の下に巨大な生き物がいると彼らは連絡してきた直後に彼らの行方が分からなくなった。
この出来事は海上救助隊に連絡されて、すぐさま2機のヘリコプターが飛んでいった。そして彼等もまた同じように巨大な生き物を見たと報告した。ただ、それは魚でもないし鯨でもないと言ったらしい。
もちろん、常識的に考えてそんな巨大生物がいるとは誰も思わなかったし、だから報告した本人達も困惑していた。そんな様子だったから政府もそれを見間違いだとして一蹴した。

2機のヘリコプターはその後も巨大生物、つまりクメールを混沌に陥れた災厄を追跡していたが災厄は徐々にクメールに近づいて行ったし、更に問題だったのは巨大生物はヘリコプターが追跡している一匹だけでなく他にもいるということだった。その多数の巨大生物は尻尾等が軍によって撮影され、政府も巨大生物の存在を否定することが出来なくなった時に政府は混乱した。それはそうだろう、誰も巨大なあんな生物がいるなんて想像すらしないだろうから。

この時点で私は独立したタイの情報を集めるために動いていたが、政府上層から呼び出されて巨大生物の写真を見せられた。それは海面から突き出した背びれと尻尾だったが、それだけでもアンコールの古き尖塔より高かった。そして彼はただ一言「調べろ」と言い放った。だが、たった一つの写真と軍のわずかな情報で一体何を調べれば良かったのだろうか。わからない。

その頃、人々には迫りくる災厄にきずかずに日々を暮らすものや、明確にその恐怖をしってしまった人々に分かれていたが、やがて人々の間には口コミによって恐怖が蔓延していった。
しかし、メディアは政府が完全に掌握していたから表面的には何もない穏やかな日常のままだった。でも確か沿岸部には避難指示が出ていたから、それがますます人々の不安を煽っていた。

そして、遂に災厄はクメールに上陸した。災厄は岩肌のような肌でその裂け目には血に見える赤い物質があった。二足歩行で、尻尾は体よりも長く頭はその巨大な胴体に比べると小さかった。
奇妙なことに、あれらはそれまでに取られた写真に写っていた姿とは異なっていた。本当なんだ。もし今ここにその写真があるなら良かったんだが、既に燃え尽きてしまった。

あれらは一斉に上陸してきた。29体だ、タイに上陸した31体を含めれば60体が襲ってきた。…あれらは何かの超常現象に護られていたんじゃないだろうか。突然表れて、何の困難もなく簡単に上陸してきた。
人々はパニックになった。彼らはようやく政府が出していた避難指示の理由を理解したが、避難していたのは半分ぐらいだったらしい。

29体の災厄は全ての物を破壊しながらクメールを蹂躙していった。本当の地獄が いや、地獄さえも越えた混沌がそこにあった。木々は燃え、大地は踏み荒らされた。
多くの人々が生き絶えて、その血はメコン川を赤く染め、あらゆる恐怖と苦痛が全て凝縮された世界がそこにはあった。
現実だとは思えなかった。ただの悪夢だと思いたかった。だが非情にも悪夢は現実であって、死がほんの間近に存在していた。

タイに居た特務隊の同僚から聞いたんだがクメールはこれでもまだマシな方だったらしい。タイの首都バンコクは海に程近く、災厄が上陸すると一時間も経たずに地図から消えてしまった。
それきり彼とは話していない。…彼も死んでしまった。

政府はこの時既に麻痺状態だったと思う。上陸を防ぐ為に陸軍と海軍が投入されたが作戦は失敗だった。彼らが持つ全ての兵器が効かなかった。
僅かに空軍が死蔵していた対地爆弾が効いたがそれも一度だけだった。あれらは進化したのだ。岩のような肌は更に硬化してあらゆる攻撃を受け付けなくなってしまった。誰もあれらを止められなくなってしまった。
避難は遅々として進まなかった。政府が麻痺していたのもあるし、ルーチンワークが得意な官僚達はこのような非常事態では全く何も出来ていなかった。
元々、巨大生物の襲撃時の避難計画なんてなかったし、あるはずもなかった。

災厄はプノンペンに向かってきた。政府の人々もみんな逃げたけどダメだった。首都を防衛するための軍は存在していたけども、あれに効く兵器なんか存在しなかった。あれらは子どもが積み上げたブロックを簡単に崩すように、街を破壊していった。
プノンペンが襲撃されて政府の人々が殆ど死んでからはもう、無政府状態だったような気もする。
でも州レベルでは行政は生きていたから、この頃から開始された配給は都市部では滞りなく行われた。

朝起きると美しい青い、青い空は天を焦がす火によって夕焼けよりも赤くなっていた。
私は国内を彷徨った。災厄について調べろと言われたが何も得られずに、政府が壊滅したから何をしたらよいのか全く分からなくなった。

首脳陣が壊滅した中央政府の残骸が、国民に向かって避難を呼び掛けていたが、情報は伝わらなかったし、そもそも避難先なんて存在しなかった。国内の全域に災厄があったから行く先々で悲劇に見舞われた。
人々は多くがラオスに逃げていった。でも、それを災厄が追いかけたからラオスも火の海に包まれて、ありとあらゆる場所が灰になった。

かろうじて残っていた行政機関は災厄が侵攻していくと、徐々に崩壊していった。それと同時に国土の汚染もひどくなっていった。
大地と水は汚されて、雨が降って更に汚染は拡大した。
食糧も汚染されたから配給制は崩壊し、社会は混沌に化した。災厄を崇め奉るカルトが出現し、人々を殺してく。汚染されていない僅かな食糧をめぐった暴力が各地で発生し、軍隊さえもがそれに参加した。
……私は盗みを犯すことで日々を乗りきった。詳しくは覚えていない。ただ、少し前なら決して見ることのなかった世界が辺りに存在したことだけは強く覚えている。

もし、神がいるのなら一体何を思ってあれを作り出してこんな惨劇を地上に生み出したのだろう。あれはこの世界に生きてはいけない存在だ。あれのせいで特務隊の同僚が多数死んだ。みんな私なんかより優秀で勇気があった。彼らよりも臆病な凡人の私が死ぬべきだった。

それでも何故か、アンコールだけは無事だった。汚染は少なく、先人が残した遺跡は殆ど被害を受けていなかった。それは神が最後に私たちに残した僅かな慈悲なのかも知れない。アンコールとその周辺のみが秩序のある社会を構成していた。

災厄は確かこの頃から少しずつ海に戻って行った。ただ、海に戻る最中に更に被害は発生した。災厄が上陸してからどれぐらい経過したかわからなかったが−それはほんの数日だったのかも知れないし、数ヶ月だったのかも知れない−私はようやく悪夢は終わると思った。
……でも、悪夢は終わらなかった。一度無政府状態になってしまったし、国土は完全に不毛の大地になってしまった。

アンコールに残存していた行政機関 は現状維持に精一杯だったし、人々が次々に倒れていったから、到底クメール全土を統治する事は難しかった。
状況は災厄がいなくなったにも関わらず好転せず、徐々に悪化していった。殆ど無事だったアンコールに人々が集中して、元々限界に近かった行政機関が機能不全に陥った。別の場所では何も食糧を得られずに死体を食べざるをえない状況になったところもあった。

夕焼けよりも赤い空は全てを飲み込むような黒い空に変化した。多くの放射能に汚染された粉塵が舞い上がって、日光を遮り何日も暗かったから焼けずに残っていた植物までもが枯れて行った。
緑と命溢れる豊かな祖国は灰や骨、悲しみと死が溢れる大地に変貌していた。黒い雨が空から降ってきて、それに当たった人が次々に倒れていった。後になって分かったことだが、その雨は放射能物質を含んでいて、だから人々が倒れていったらしい。

黒い雨が数日にわたって降り続けクメールは完全に破壊された。全ての人々が何かしらの被害を被っていたし、私も例外でもなかった。家族とはみんな連絡がとれなくなって、家もなくなった。

雨が降りやんでから数日ぐらい後だったと思う。近年稀に見る大型の台風がクメールに来襲してきた。それはクメールに上陸する前に熱帯低気圧になったけれども、勢力を保っていたから強風と大雨がクメールを嘗め尽くした。
あらゆる物が洗い流された。かつての街の残骸も、汚染された土地も、人々もとにかく全てが流された。まるで天地創造を見ているようだった。古きものは破壊されて地上から消え去り、新しい秩序が構築された。
事実、クメールから全てが流されて汚染がなくなった土地では新しい息吹が芽生えていた。同じように政府も復興を開始していった。
私達には何も残らなかった。でも、再び生活を送ることが許された。私達が今まで当然のように受け取ってきた社会保障なんかが全て、掛け替えのないものだと知った。
過去の遺産が全て一掃されたから私達は新しく社会を構築せねばならなかった。でも、きっと私達は再び理想に向かって歩み続けるだろう。それが私達全員が団結すれば実現出来るだろうし、実際過去にはそれを達成できた時期も存在した。人々は団結して過去の困難を乗り越え、希望輝く未来を建設するだろう。

私達が天を見上げると太陽は輝いていて、青い空が広がっていた。


大地は幸福に包まれて
笑顔溢れる母なる祖国
栄光あれ 祖国の旗に
栄光あれ 我らの故郷!

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