概要

1917年に設立された団体「タイの声」が元になり22年に設立。ラオス人民解放戦線とは相互協力しており、クメールからの独立のために武力闘争を行っている。
現在の支配領域はマレー半島の北西部。過去にはマレー半島全域を支配したときもあり、現在も時折、彼らの影響により国鉄が止まるなどクメール共和国の治安を悪化させている。
彼らはロシア製の兵器を保有しており、ロシアからの密輸が疑われている。

支配領域


マレー半島北西部やベイッ諸島を支配しており国鉄が保有するバンコク〜ナコーンシータマラートの路線に程近い。かつてはイギリス資本のプランテーション(天然ゴム)が存在していた。
現在、クメール政府はその領有を主張しているが事実上の独立国である。住民は仏教徒が大半でイギリス資本が残していったプランテーションでの農業が経済を支えている。

歴史

タイの声

1586年に滅亡したアユタヤ朝を最後にタイ人による国家は東南アジアで建国されることはなかった。長らくクメール人の支配に甘んじていたが、イギリスなどの欧州からやって来た民族自決の考えに触発されたタイ人のインテリゲンチャによって1917年に前身の「タイの声」という団体が発足した。彼らはタイの大衆に呼び掛けを行いタイ人としての民族覚醒を発生させ、中央政府からの譲歩を引き出そうとした。
しかしこの頃クメール国内で共産主義勢力が跋扈しており中央政府はこのタイの声を弾圧し指導者は逮捕、活動は一時停滞した。
逮捕された指導者たちは1922年の立憲革命時の混乱を利用して脱獄しタイの声は再建された。この時、穏健派と過激派が分離して過激派は新たに「タイ独立戦線」を構成した。

タイ独立戦線

独立戦線は中央政府が混乱している最中に国軍の基地を強襲、多数の装備品を強奪した。そして勢力は一時かつてのアユタヤ朝の旧領の7割までになったが、中央政府が麻痺状態から立ち直ると練度の差により各地で敗走を重ねて地下活動に移行した。
クメール人民共和国時代
1943年の社会主義革命の時には独立戦線はクメール人民党を支持し、王国軍と戦闘を行った。クメール人民党は民族自決を掲げていたためである。しかしクメール人民党との交渉が決裂すると人民党とも戦闘状態に入った。
クメール人民共和国の建国が宣言されると勢力は徐々に後退し、最終的には現在の支配領域まで後退した。
しかし、クメール国内の各地でテロ行為を行うなど常に中央政府の悩みの種であり続けた。
クメール国鉄爆破事件
現在
今もなお中央政府とは対立しているが昔と比べると比較的落ち着いている。
だが国鉄の警備隊と戦闘を行い遅延をもたらすなど、完全に穏健派になった訳ではない。

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