妹に買ってやった少女向け雑誌を読んで、アヤは驚いた。
 そこに書いてある内容は、明らかに少女向けなんかではなく。下手をすれば、アヤすら知らない知識が書いてあった。
「まったく」
 アヤはため息を吐くと。頬をほんのり染め、誰かへいいわけするように。
「これは没収ね」などと呟き、また読むのに没頭した。 
 当の妹は、部屋をでたままなかなか帰ってこない。


「キスをしよう」
 リュウセイ・ダテはすすっていた掛け蕎麦をそのままに、氷付けにされたように硬直した。
 意味が分からなかった。
 ここは、彼らが所属する連邦軍極東地区伊豆基地の士官用食堂。
 でる飯の旨さが違うと聞ききつけ。正面に座り、同じように硬直したままのライディース・F・ブランシュタインとともに。確かめに来て、世の不公平を嘆いていたところだった。
 しかし、どんなに思い出しても。なんでそんなことを言われるのか、リュウセイには覚えがなかった。
 少なくともリュウセイには。
「なぁ、リュウ。はやくはやく」
 たんぽぽのように笑いながら言うマイは、リュウセイの腕を引くが、リュウセイは動かない。
「キスをしよう」
 士官用食堂に入ってくるなり、唐突に言われた言葉。
 その衝撃から、リュウセイはなんとか逃れると。
「はっはっはっ」と笑いだした。
 ライは同僚の突然の笑いに、ガタガタッと椅子ごと逃げ出す。
「マイも冗談を言うようになったんだなぁ」
「冗談ではないぞ。私はキスをするんだ」マイはにっこり笑い。「リュウと」
 リュウセイはそう言ってのける、妹のようなマイの唇を見て、凝視して。言葉を失う。
 小振りな唇は、最近アヤに買い与えられたという、色つきリップが塗られ。魅力的に光っている。 リュウセイは震える手を、マイの肩に置いた。
 目は明かに常軌を逸した色を宿している。
「マイ、いいんだな」
「うんっ」マイは元気よく答える。
 リュウセイは微かに震えながら、顔を――
「やめろ」
 思い切りライの左腕が殴りつけた。
 リュウセイは殴られて真っ赤になった部分をおさえながら。
「冗談だよ、冗談」
「……そうは、みえなかったが?」
「ウッ、いや、そんなことはねぇよ」リュウセイは口の中でぶつぶつと言った。
「してくれないのか?」
 二人のやりとりを見て、マイはそう訊いた。
 リュウセイはライににらまれながら。「ああ」頷いた。
「そうか……」
 しょんぼりして立ち去ろうとするマイを、ライは引きとめていた。
「一体、どうしたんだ。なんでキスがしたいんだ?」
「それは」
 マイは上目づかいにライを見上げ、その腕を掴んだ。少女のほのかな香りが、ライの鼻孔をくすぐる。リンゴの臭いがした。
「本を読んだんだ」
「……本?」
「うん。アヤに買ってもらった本に、書いてあった」
 小さな唇が一生懸命に喋り、子犬のような瞳がライの瞳を覗き込む。
 ライは頭を振った。
「なにを読んだのかは知らないが。キスは好きな人とだけ、するべきものだ」
 さとすようにライが言うと。
「知っている。だから、リュウとすることにしたんだ」
「なっ――」傍観者に徹して、逃げようとしていたリュウセイは椅子から転げ落ちるほど驚いた。「なんだって!?」
「馬鹿なことを言うのはよせ」ライは思わず叫ぶ。
「こんな二次元ロボットオタクで、部屋がおもちゃに埋め尽くされ。あまつさえ、自分が乗ってる機体で抜けるような奴を、好きなんて言えば。どんな格好をさせられるかわかったものじゃない。考え直せ」
「……なぁ、ライ」
「なんだ?」
 叫び疲れたのか、肩を上下させるライが振り返ると、リュウセイが拳を握りしめていた。
「俺たち、ダチ、だよな?」
 こめかみを痙攣させながら言うリュウセイ。
 ライは涼しげな顔で髪をかきあげると。
「ああ」爽やかに笑った。どこかスッキリしたように。
「ということは」マイは舌足らずな声で言った。
「リュウは、だめなのか?」
「ああ、ダメだ。感染るからな、色々」ライが即答した。
「そうか……」マイは残念そうにしたが、直ぐに顔を上げ。
「なら、ライと――」
「ダメだぅあぁっ!!」
 全てを言わせず、リュウセイは獅子吼をあげて、身を乗り出す。
「こんな無愛想で無口で、その上義姉に欲情するような変態野郎。ダメに決まってる」
「誰が、変態だと?」
「兄さんの奥さん相手に、欲情するような。ってそういや、おまえ、あの娘どうする気だよ。王女様。ああそうか、ロリならなんでも――ゲフゥッ」
 鋼鉄の義手が、エンジンをフルドライブさせ、リュウセイを吹き飛ばす。
「黙れ。それ以上言う気なら、殴るぞ。それにお前も人のことは言えないはずだ」
「……くそ、もう……殴ってんじゃ……ねぇか……」
 二人が互いの理解を深めるのに、マイは立ち入ってはいけないと、食堂を出た。後、頼れるのは――


「マイ? いないわよ」
 リュウセイとライは、より仲良くなったところで、マイがいなくなったことに気づき。二人はマイの行く末が心配になり、アヤとマイの部屋へと赴いたが。
 本を読みながら、だらだらとしていたアヤは、いないと言い。
 二人から話を聞くと、顔色を変え。二人に謝ると。
「探しましょう」
 そういって二人の背中を叩いた。
「……ところで、あなたたち、なんで……血だらけなの?」
 ボロ雑巾のような二人は決して答えなかった。


 この基地内でマイが頼れるような人物など限られている。
 レビの呪縛から時はなってくれたリュウセイ。
 姉妹であるアヤ。
 それとライ。
 残るは、三人は迷わず、彼らの隊長の元へと走った。

「隊長っ」
 三人はヴィレッタの私室になだれこみ、自分たちが遅過ぎたことを知った。
 一つの影は、重なる二つの影。
 背伸びをする小さなマイ。
 膝を曲げるヴィレッタ。
 三人の顔が真っ赤になり、注視してしまうほどのディープキス。

 ヴィレッタが三人に気づいたのは、男二人が気持ち前かがみになったころ。
「どうした?」
 どんな事態でも慌てぬ氷の美貌は、息を切らす部下たちに緊急事態の気配を察し、引き締められた。つっとこぼれた涎を、なにごともなかったように手の甲で拭う。淡いピンク色が甲にこびりついた。
「いや、その……」
 三人が説明しあぐね、気まずげに視線を交わしあった。
「あっ」
 棒立ちになっていたマイは、ふらっと倒れた。


 三人から説明を受けると、ヴィレッタは爽やかに笑い。
「なんだそんなことか」と言った。
 ヴィレッタは、ベッドに寝かせているマイに向き合うと。
「マイ。私はしてやったが、本当ならキスというのは、相思相愛のものがすべきなんだ」
 ライが無言で頷く。
「ヴィレッタは、私のこと、きらい?」
 掠れるような声で呻くマイに、ヴィレッタは首を振った。
「なら、」マイの言葉を、ヴィレッタは指をあてて、言わせなかった。
 ヴィレッタはベッドの端に腰掛けると、マイの身体を持ち上げ、膝の上に座らせた。優しく頭をなでた。
「私もマイのことは好きだ」
 そういうヴィレッタを不思議そうにリュウセイはみていた。
 とろんとしたマイの瞳に見つめられながら、ヴィレッタは微笑む。
「だが、そういう好きと、キスをするような相手へ向ける好きは違うんだ」
「そうなのか?」
「ああ、私はお前たちを家族のように思っている」
 マイは嬉しそうに目を細める。
 三人は気恥ずかしい視線を交わす。
 ヴィレッタはマイの頭をなでてやりながら、言う。
「キスをするような好きというのはな」
「うん」
「簡単に言えば。○○○を▲▲たり、▼▼▼に■■■を※※※※※り、◆◆◆◆に☆☆☆☆☆☆☆り。♪♪♪な×××を@@@@@@することや。●●●を¥¥¥で〒〒あったりすることなんだ。分かるな」
 マイは少しの間ぽかんとしていたが、やがてにっこり微笑み。
「わかんない」
「そうか」ヴィレッタは笑みを崩さず、口に手をあてて熱に浮かれたような瞳をしたアヤへ視線を向け。
「アヤに聞くといい」
「わかった」マイは元気よく返事をした。
 なぜか明後日の方向を向くライ。
 椅子に腰掛け、靴ひもを結び直すリュウセイ。
 口に手をあてて、内股で立つアヤ。
 マイは膝の上で嬉しそうにしている。
 ヴィレッタは、ああいい家族を持ったなぁ、と一人ごちた。

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