エステ家に関するメモ

Ercole I

  • 生年月日:1431/10/26〜1505/1/25
  • 生まれ:フェラーラ

  • ニックネームは「北風」もしくは「ダイヤモンド」。
  • 1445年10月〜1460年までナポリのアルフォンソ王の元で教育を受ける。(父親が死んでナポリに送られた)。
    • ここで病気のときにクルティウス・ルフスの本を読んで目覚めて古典の勉学に励んだ。プルタルコスとクセノポン、エウリピデス、セネカがお気に入りだった。
    • 1443年にレオネッロがフェラーラの領主になり継母だったリッカルダ・ダ・サルッチはフェラーラから追い出される。エルコレと一番末の弟シジスモンドなナポリ王アルフォンソの宮廷に送った。
    • Galeazzo Pandoneと決闘を行った。
  • 1460年7月Sarnoの戦いに参戦。
  • 1462年8月Troiaの戦いに参戦。9月にフェラーラに帰った。
  • 1463年1月よりモデナを治める。
  • 1463〜66年にかけて対ヴェネツィアで指揮官をしていた。
    • 1466年3月はミラノでフランチェスコ・スフォルツァの葬儀に出席していた。
    • 1467/7/23(25?)にボローニャのMolonellaでの戦いで左足に重傷を負う。http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Molinella
    • この傷の療養中に文学に目覚める!
    • 1471年にボルソの後を継ぎ、フェラーラ公爵となる(ヴェネツィアのバックアップを受けた)
  • 1473年7月3日に、ナポリのフェルディナンド王の娘であるエレオノーラ嬢のフェラーラ入場。1472年11月9日に婚約発表をしたそうな。
    • 1472/11/1ナポリで結婚式を挙げてる。→1483年7月4日フェラーラでセレモニー
  • 1476年、フェラーラ留守中に甥・ニッコロ(レオネッロの息子)のクーデターが発生。
    • レオネッロといとこのアッゾは処刑された。
  • 1478〜79年のパッツィ戦争に参加。(フィレンツェに雇われた)
    • フェデリーコ・モンテフェルトロに負けた。
  • 1482〜84年までヴェネツィアと戦う(フェラーラ塩戦争
    • 84年のバローニョの和議にて戦い終了
    • フェラーラは傭兵隊長にフェデリコ・モンテフェルトロを雇う。→1482/9/10にフェラーラの沼地でマラリアにかかって死去
  • 魔術狂いだった。
    • 国政を妻のエレオノーラにまかせっきりにして、戦争と都市計画に没頭。
    • 毎日魔術の儀式を行うがごとく、音楽を奏で歌を歌っていた。
    • 占星術師に相談は日常茶飯事。
    • 錬金術に関心を持っていた。金属鋳造の技術も持ち、火器製作もした。アルフォンソの親だよ、やっぱり・・・。
    • ヴィテルボ在住のルチア・プロカデッリ・ダ・ナルニが聖痕を受けたことを知り、彼女のためにさっそくフェラーラに修道院(サンタ・カテリーナ・ダ・シエナ修道院/1501年8月に完成)を建て、ヴィテルボ市とすったもんだの末に3000デュカートを支払ってフェラーラに移住させた(1499/5/7フェラーラ当v着)。しかし1503年に彼女は突然消えてしまったそうな。
  • 妻のエレオノーラを毒殺したのでは? という説もあるが、戦地から妻の病床に駆けつけて悲嘆にくれまくっていたようなので、単純に公妃は病死だとして毒殺説を否定する学者もいる。
  • 1476年にレオネッロの息子ニコロと従兄弟のアレッツォによるクーデターが起こるもこれを鎮圧。以後、国務はすべてレオノーラに委任した。
  • 吝嗇家
    • とにかく金がなかったのですべての役職を売買していた。先払いの任期は2年
    • 公現祭(1/6)に仮面を被って物乞いしながらフェラーラの街中を徘徊するのが常だった。←おとん、何やってるの?
      • 1473年の成果は去勢雄鳥1823羽、チーズの塊276個、子牛雄牛など54頭、鳥類、ぶとう酒、砂糖菓子、ろうそくetc
  • 1470年頃フラ・カルネヴァーレ(本名バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ・コッラディーニ)によって描かれた「横顔の肖像」は彼がモデルと言われている。しかし彼に夢を持っている人は見ないことをオススメする。
  • ルネサンス音楽の最高峰と言われるジョスカン・デ・プレによるミサ曲「Hercules Dux Ferrariae」は彼の名を音名唱法で定旋律として利用している。
  • 大砲をいきなり敵の側面にぶつけてみたりと当時の常識を覆す戦闘方法で買っていたらしい。この方法はアルフォンソがラヴェンナの戦いでも使用している。
    • レオナルドがイル・モーロのために作る予定だったブロンズ騎馬像のブロンズは全てエルコレの払い下げられて、大砲になった。
  • 弟シジスモンドと息子たちに看取られた。
  • 1470代初頭、ミラノ公から米一袋を貰い、稲作を始めた。
  • エレオノーラへ贈る見合い写真代わりの肖像画になぜか愛人との間に生まれた娘ルクレツィアが一緒に描かれていた。
  • グレイハウンドを夫婦でブリーディングしていたらしい。
  • フェラーラの街を拡張し、現在の形を作った。(エルコレ拡張契約)
  • 黒い服を好んで着た。
タグ

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

メンバーのみ編集できます