エステ家に関するメモ

Alfonso I

  • 生年月日:1476/7/21〜1534/10/31
  • 出身:フェラーラ

  • 幼年期
    • 生まれたときは未来の跡継ぎ誕生で大騒ぎだった。
  • 職人芸ダイスキ。
    • 子供の時から公爵家の作業場に出入りをしていた。宮廷人よりも職人と意気投合した。
    • マヨルカ焼も製作。
      • お手製の食器で食事をしていた。特に1513年あたり、金銀が不足していたから。

  • 大砲命。
    • ボローニャにあったミケランジェロ作のどでかいユリウス2世像を、どこからともなく手に入れ、溶かして大砲を作り、その大砲にジュリアという名前をつけた。
    • フランス王から結婚祝いに大砲の仕様書をもらって喜んだ。
    • <spazzacampagna>という大砲を持っていた。
      • 地平一掃するという意味
    • レジーナ
      • イタリア語で[Regina]は「女王」の意味。現在レプリカがフェラーラのエステンセ城広場に残されている。そこに書いてあるのは、−6.74m−7254kg−1556年 エルコレ2世時代(←アレ?)
    • グラン・ディアーボロ
      • アルフォンソ1世の作った大砲の名前。[Gran Diavolo]はイタリア語で「大(すごい?)悪魔」
      • ユリウス2世にフェラーラの鍵(Key)を渡せ(=街を明け渡せ)と言われてこの大砲をぶっぱなして「これが私が渡せる鍵だ」と返事をした逸話あり。この大砲は「Caza Diavoli(悪魔狩り)」
    • Terremoto=地震と呼ばれた大砲もあった。→これはあだ名っぽい


  • バイオリンの腕前はプロ級。
    • 自作ヴァイオリンも作っていたらしい。
    • よくパフォーマンスしていた。
    • ヴィオラ
  • 旅ガラス。
    • 気の合う数人の仲間と気ままにお出かけ。
    • 弟のイッポリートがハンガリーに移住するときに、エルコレ・ダ・ロベルティやコスメ・トゥーラとともに同行した、と思った。<同行者要チェック。
    • ヴェネツィア船に乗って海賊退治に出かけたこともある。←1506年の出来事だそうです。(実はこの間ジュリオとフェランテが暗殺計画を練っていた)
      • その船長らはアルフォンソの身分を知らずに船に乗せてしまい、ヴェネツィア政府から追及されひどい目にあった。
  • せっかち。短気。
    • ラファエロやティツィアーノに、注文した絵が期日通りに届かないと「さっさと描けぃ!! 早く描かないとこっちにも相応の用意がある」と脅した。
    • ミケランジェロにも「我が囚人よ、開放されたくば絵でも彫刻でもさっさと作品を作れ!!」と言っているし・・・。
  • 筆不精(笑)。
    • でもルクちゃんには結構頻繁に手紙を書いていた模様。
  • 若かりしころは、ストリーキングも経験。
  • 都合が悪くなれば、マントヴァの姉上の下へレッツゴー。
  • お気に入りのペットはレパード。
  • 馬狂いだったそうで・・・。(狩大好き)
  • フランスでジャコウネコをGETした。
    • マントヴァ産の馬がこの時代有名だったらしい。アルフォンソの兄弟も皆乗馬が上手い。
    • 姉の(バカ)夫のことを嫌っていた。
  • 1506年のカーニバルはトルコ風の衣装で登場。
  • 街娘を誘拐し、果てに母親に代金を払うと言うナゾなこともしていたようで・・・。しかし民衆からは『有徳の人』として絶賛されたって、どうよ?
  • 慈善事業に力を入れていた。
    • あちこちに寄付をしていた。
    • 公爵になる前から病院を建てたり。←出来上がったのは公爵になってから。

公爵になって

  • 秘書は、ボナヴェントゥーラ・ピストフィーロ、オビッツォ・レモをはじめとして、専任&パートタイムあわせて常時4〜6人くらいいた。それぞれ特使や一時大使として各国に派遣されたりしていた。あちこち派遣されたアリオストも、その中の一人だった、のだろう、なぁ。ヴィンチェンツォ・モストは特使としてクレメント7世の元に送られたこともある。
  • 父が晩年に課した重税と官職売買は即位後すぐにやめた。この時期フェラーラは飢饉だったのでヴェニスまで小麦を買いに行った。
  • 芸術オンチと思われている反面、美術史上稀に見るスンバラシイコレクションを擁した書斎を持っていた。
    • ラオコーン偏愛。
    • 鍛冶屋のヴァルカンもラブ。
    • 自身が人文主義の勉強をあきらめて軍務優先な少年〜青春時代を送ったがために、息子達には厳しく人文主義教育をつめこんだ。
  • ルクレツィアとの再婚話が出たときこの結婚話阻止のため、二人のお嫁さん候補が立てたれた。
  • 婚約が整うとアルフォンソの肖像画がルクレツィアに送られた。
  • ルクレツィアと手紙のやり取りをしていた。
    • なぜかルクレツィアの最初の結婚式に出席していた。
  • ルクレツィアとの初夜は3回(爆)。
    • その後も昼間はともかく(笑)夜はルクレツィアの元へせっせと通いつめたらしい。
    • ルクレツィアの最初の難産のときに隣の部屋につめて寝起きしていた。
    • 最後の出産のときも、かいがいしく付き添った。
      • ルクレツィアが難産ばかりだったのは、アルフォンソがフランス病経験者だかららしい。
  • アルフォンソがルクレツィアの死後、フェデリコ2世・ゴンザーガに送った手紙。
    • わが最愛の妻にして誉れ高い、公爵夫人の魂を御許に召されるのは、我らが主の御意思である。涙なしにこの文章を書くことはできない。かくもいとしく優しい伴侶と別れるのはそれほどに辛いのである。妻はわれらを結びつけた徳と優しさによっていとおしく尊い存在だったのだ。
  • 同日にもう一人、名無しの友人宛にも、ルクレツィアの死を悼む手紙を書いている。
  • 義理を含む息子&血縁たちとの関係。
    • エルコレに関しては、奥さんの相談に乗っていた。
    • イッポリートはイッポリートに丸投げ(笑)。
    • フランチェスコを溺愛。
    • 1508年にローマ王子を連れて、パリに赴いてる。
    • チェーザレ・ボルジアの息子、ジロラモはお気に入りだった。
      • チェーザレが捕虜(?)になってから、フェラーラに移動。
      • カルピのアルベルト・ピオの元で教育を受ける。その後、フェラーラ宮廷で騎士見習い。
  • アルフォンソの代理人たちが1501年ローマでの結婚式に赴いた時の行列は500人だった。
  • 1507年に皇帝マクシミリアンから妻の妹(アンナ・スフォルツァ)の持参金を全額返却するように迫られる。
    • この件に関してはカンブレー同盟後、教皇に仲裁に入ってもらう。
  • アニャネッロの戦い(1509年5月14日)前後の動き
    • アニャネッロの戦いには参加してないと思われる。
    • この時期法王に大砲を提供しているが自身の従軍は多分なし。
    • ヴェネツィア大敗(アニャネッロの戦い)の報を受け、アルフォンソがすぐさま、フェラーラからヴェネツィアより派遣されていたビスドミノを追放。
    • ヴェネツィアからポレジーノ・ロ・ヴィーゴを占領して、大砲を備え付けてアディーチェ川に停泊していたヴェネツィア艦隊を砲撃している。
    • その後、7月中旬にヴェネツィアがパドヴァ奪還後、ポレジーノ・ロ・ヴィーゴの再取得を目指すが、イッポリートが大砲と兵を送って死守。
    • なお、アルフォンソはフランス王の許可なしに教会総司令官に付いたことを後にフランス王から責められるが、その後和解し、3万デュカートをフランス王に支払い、彼の保護下においてもらう。
  • 1509年9月3日皇帝がパドヴァを攻撃の際の動き。
    • 未だ、アンナの持参金の問題が解決しないが、とりあえずイッポリートに200人の重装騎兵をつけて送っている。
    • その後、イッポリートの支払いで2000人のイタリア歩兵を皇帝軍に加えている。
  • 1520年代、アルフォンソは金持ちであるという認識で各国一致していた。
    • 事実、知らないけどw ←イッポリートの遺産もあるから?
    • 兵器がたくさんあるからじゃないでしょうか?戦争いつでもできる状態だったし。
    • ポー川のおかげで肥沃な土地だったから、農業でも稼いでいたとか? 実際、農作物はローマよりも格段に安かったようです。
    • コマッキオで塩を生産できること。あとポー川を通る船に課税できるおととかが原因なのではないかと→これでユリウス2世を怒らせてるから。
  • 容姿は背が高く、顔は長くΣ(゜Д゜;)、威厳があって紳士らしい、厳しくて、陽気で楽しい、体躯はよくて、肉付きがいいと彼の秘書ボナヴェントゥーラ・ピストフィーロは書き残している。田舎風の素朴な服装を好んだ。若い時はいかがわしい取り巻きが多く、年寄りたちからは「ちょっと頭がおかしい」と思われてた。
    • 普段でも、ダブレットの下に鎖帷子を着ていたらしい。→1506年あたりの記録なので、後年はどうなんだか・・・。着ていそうだけれど。
  • グイッチャルディーニは著書「リコルディ」の中でアルフォンソ1世を「ファラーラ公は商業に手を出しているが、これは恥じずべきことだけでなく、暴君のやることであると私は言いたい。なぜなら彼は本来、個々の市民のものであって彼のものではない商業という仕事を横領しているからである。それによって彼は一般市民に対して罪を犯しているのであるが、これは一般市民が君主の事柄に干渉することによって君主に対して罪を犯すのと同然のことなのである」と記している。要は、「君主は君主らしく振舞っておけ」という言葉なのだろう→グイッチャルディー二は、アルフォンソくんのこと大嫌いだから。モデナ総監やってたときに取られたかなんかしているし。
  • レオ10世の死に際して「ライオン(レオーネ)の口を逃れた」と言ったらしい。←山田君、座布団一枚(゜∀゜)b グッジョブ!! ←そういう記念メダルも作らせたし(笑)。
  • アンナとの結婚式の晩餐で使われ肉の量は1週間で20トンだった。
タグ

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

メンバーのみ編集できます