エステ家に関するメモ

Francesco II Gonzaga

  • 生年月日:1486/8/10〜1519/3/29
  • 生まれ:

  • イケメンじゃないけど男性的魅力はあったようでモテた。
  • スポーツは得意
  • 馬のブリーダーに燃えていた
    • 自分の育てた馬を試合に出し優勝させて、その馬を主催者にプレゼントしたりしていた。
  • 兄弟仲がよい。
    • とくに妹3人は兄が大好きだった。
  • テオドーラ・スアルディという愛人を1497年6月24日のサン・ジョバンニ祭に行われた馬上試合で皆にお披露目している。
    • テオドーラとの間に庶子3人をもうけている。
  • お稚児さんラブ☆ 
    • 男の子も女の子もラブラブ☆ 危ないヤツだ・・・。
  • ナポリでフランス病にかかった。ここからずっと体調不良になる。
  • 1509年にイゾラ・デラ・スカラの戦いでヴェネツィア軍の捕虜になる。
    • 1510年に法王の力によって釈放され、教会軍の総司令官になるが、この釈放に関してはトルコ皇帝による介入があったとグイチャルディーニは書いてある。
    • 元々、フランチェスコとトルコ皇帝は仲がよく、ヴェネツィア軍の捕虜になった時に、コンスタンチノープルのヴェネツィア商人に釈放を要求した。
    • これがヴェネツィア政府に届き、ヴェネツィアは釈放を決めたらしい。
  • 勉強は嫌いだった
    • 子ども時代に先生からちっともおとなしく椅子に座っていられないと父親に報告されている。
  • 1489年よりヴェネツィア軍の総司令官となる(以後9年間)
  • 1502年にミラノのフランス王の元でチェーザレと決闘騒ぎを起こした→フランス王の仲裁で仲直りさせられた。
    • その頃、一目をはばからずチェーザレの悪口を言っていて、イザベラに殺されるから止めなさいと手紙で注意された。
  • チェーザレが大嫌いだった。チェーザレの死の報を受けた時に病気だったが、それが治るぐらいの喜びだった(ひどいw)
  • 性格
    • 猪突猛進型?
    • 空気がよめない。

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