最終更新: alfonso1st 2013年02月19日(火) 22:53:22履歴
- 生年月日:1510/10/25〜1574/6/12
- 生まれ:ブロア
- 父:ルイ12世 (フランス王)
- 母:アンヌ・ド・ブルターニュ
- 姉:クロード
- 2才の時にカール5世の弟フェルディナンドとの結婚話が出る。その1年後カール5世との結婚話が進められる。
- 1515年3月24日のフランス、スペイン、ドイツの和平条約が結ばれるが、その中でルネとカールの結婚が約束される。
- ルネの婚資は6万スクーディとベリ(ペリー?)公国。
- 公国は永久にルネとその子供たちの相続分である。
- カールに引き渡されるのは9歳になってから。
- ルネは父方、母方の遺産に対する一切の権利を放棄する。(特にミラノとブルターニュの権利)
- この約束は1516年8月には立ち消えになっていて、フランソワの娘をカールのお嫁さんにすることになってます。→フランソワの娘が死んだり、他にお嫁さんがいなかったらやっぱりルネが嫁に行くことになっておりました。
- 1515年3月24日のフランス、スペイン、ドイツの和平条約が結ばれるが、その中でルネとカールの結婚が約束される。
- のちにヘンリー8世に嫁ぐアン・ブーリンが侍女だった。
- ヘンリー8世の離婚問題の際にアン・ブーリンと再婚するよりルネにした方がいいという話が持ち上がった。
- フランスのルイ12世の次女。ルフェーヴリ・デタプルの薫陶を受け、改革派の影響の元で育つ。1528年、エルコレ2世と結婚。文学好きが講じて宮廷に文学者、人文主義者、改革派を集め保護した。1535年、ミシェル・ド・ソビースとクレマン・マロ。翌年にはカルヴァンが保護を求める。
- 教皇の圧力を受けてエルレコ2世はこれら3人を追放。1540年、彼女はカルヴァン派への転向を正式に表明した。エルコレ2世は領内から全ての新教徒を追放する。彼女の保護者であるパウロ3世の死去に伴いエルレコは彼女の転向を図るが失敗し、フランスの韋端審判に申し立てを立て、その結果彼女は城内の牢獄(?)に幽閉される。息子アルフォンソ2世の即位の後、暗殺をおそれて1560年にフランス帰国。娘アンヌとは結構仲がよかったようだ。なお、友達はマルグリット・ナヴァールで、フランスに帰ってからは彼女とともに対カトリーヌ・デ・メディチ(旧教)と揉め事を何度も起こしている。
- フランスのルイ12世の次女。ルフェーヴリ・デタプルの薫陶を受け、改革派の影響の元で育つ。1528年、エルコレ2世と結婚。フェラーラに嫁いでくるにはあまりにも顔が可愛くないという理由で大して歓迎もうけなかったというかわいそうな人。(肖像画→http://www.provincia.fe.it/Serv_castello/castello/...文学好きが講じて宮廷に文学者、人文主義者、改革派を集め保護した。1535年、ミシェル・ド・ソビースとクレマン・マロ。翌年にはカルヴァンが保護を求める。
- 父母を亡くしてからは、フランス王フランチェスコ1世の母親ルイーザ・デ・サヴォイアの元で教育を受けている。エルコレ2世との結婚が決まったのは14歳ぐらいだと思われる。
- 1536年4月にはカルヴァン自身が偽名を使ってフェラーラに一時滞在している。
- 夫の死後(1559)にフランスに戻り、ロワレのモンタルジの居城をプロテスタントの拠点とした。1562年には、義理の息子ギーズ公(アンナの夫)に包囲され、宗教戦争中はカトリック勢力からしばしば苦戦を強いられた。
- ガストン・ド・フォア、カール5世、カールの弟のフェルディナンド、ポルトガル王、サヴォイア公爵にヘンリー8世と、エルコレ以外の婚約者候補がすごい顔ぶれなんですけれど…。
- ヴィットリア・コロンナとはかなり仲がよかった様子。
- イザベラ・デステとも仲がよかった。
- カール5世n戴冠式の様子をイザベラから手紙で詳細を送ってもらっている。
- 2歳の時にガストン・フォアと結婚の約束してたそうです。
- プロテスタントを擁護していたことから早い時期からエルコレ2世に宮廷から隔離されていた。最初は郊外に置かれたが、のちに妊娠したためイッポリート2世がすんでいたサン・フランチェスコ宮殿に移った。
- 醜くて、せむし(本当か?)だったけどフェラーラ宮廷ではその文学的な才能で愛された。
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