エステ家に関するメモ

Ferrante Gonzaga

  • 生年月日:1507/1/28〜1557/11/15
  • 生まれ:マントヴァ?

  • フランチェスコ・ゴンザーガとイザベラ・デステの第三子。
  • 傭兵隊長。
  • 初代グァスタッラ伯爵。
  • 妻はイザベラ・ディ・カプア。
  • 浪費家でママンのお財布のおねだりが好きだった。
  • 無節操系。ただのお調子者か? 
  • 16歳のときにカール5世の近侍見習いとなるためにスペイン宮廷に送られる。
    • 生涯カール5世に忠実に仕えた。
  • ローマ略奪時に、ローマにいた母親を保護する。
    • このあたりから神聖ローマ帝国内でライジング☆スターとなったらしい。
  • 1529年のウィーン包囲も指揮官として参加。
  • 1530年、ボローニャでのカール5世の凱旋式典にも出席。
    • その後カールはアルフォンソ・デステとともにマントヴァに移動したので、行動を共にしたと思われる。マントヴァでは従弟(エルコレとイッポ)にも会ったことでしょう。
  • 1531年、金羊毛騎士団員に叙される。
  • 1534年、イザベラ・ディ・カプアと結婚。
    • イザベラと結婚することにより、モルフェッタとジョヴィナッツォを封土として手に入れる。おかげでマントヴァ宮廷の財政が楽になり、ますます芸術や文化のパトロンとして有名になったらしい。
    • イザベラとの間に息子が3人。長男チェーザレ(1533−75)は二代目グァスタッラ伯。次男フランチェスコ(1538−66)、三男ジョヴァンニ(1540−91)はともに枢機卿。
  • 1537年より、シャルル・ドゥ・ブルボンの死去に伴い、後任としてイタリアにおける神聖ローマ帝国軍総司令官をまかされる。
  • カール5世のシチリア代理人1535〜1546。
  • 1539年にグァスタッラの領土を、22.280スクードでルドヴィカ・トレッロ公爵夫人より買い取る。1541年より、カールに報土を認められ、グァスタッラ伯として知れ渡るようになる。
  • ミラノ公国知事1546〜1554。
  • チュニジアやアルジェリアまで遠征してトルコ軍と戦ったとか。
  • 1536年、ミラノ大司教イッポリート・デステのフランス行のときに、ミラノ近郊でイッポリートと面会(というか待ち伏せ)。フランスと神聖ローマ帝国間で戦争が始まるのでアルプス越えのルートのアドヴァイス&ミラノは危険すぎるので立ち寄るべきではないなどなど助言をした。
  • 1547年にピエルルイジ・ファルネーゼとその一党を返り討ちしている。
  • ミラノ郊外シモネッタ荘所有。催された祝祭は節度なしって・・・。お前もか、フェランテ(笑)。
  • ブルッセルにて、戦争疲れの上に落馬して落命。
  • ミラノ大聖堂に眠る(by Wikipedia)。→マントヴァ大聖堂内のゴンザーガチャペルにエルコレと隣り合って眠っているというのは、ガセなんでしょうか? それとも分骨?

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