最終更新: alfonso1st 2012年08月20日(月) 22:28:34履歴
- 生年月日:1469/5/3〜1527/6/21
- 生まれ:フィレンツェ
- 家は古くから由緒ある貴族だが、マキアヴェッリが生まれたころには中流に落ちぶれていた。
- 13世紀以来幾度か共和国の要職に付いた人物を出した家系。
- 父は法律家。
- 早くにラテン語をものにしたが、ギリシア語までは手が回らなかった。
- 父の書斎にあった古典の書物に親しんだ。
- 他の人文主義者と交わらなかったためか、当時フィレンツェの人文主義を圧巻していたネオ・プラトニズムに浸ることなく、後に自身の経験に基づく独自の思想を抱くようになる。
- 1498〜1512の間、フィレンツェ共和国第二書記官長及び軍事十人委員会書記。東奔西走、休む暇ナシに働いた。
- 官僚として、ジョルジョ・ダンボワーズやチェーザレ・ボルジア、カテリーナ・スフォルツァなどと会見し、見識を深めていった。
- 政治思想家、劇作家。
- 権謀術数=マキアヴェリズムなる言葉までつけられちゃってる。
- 1513年に、反メディチ陰謀名簿に名前があったことから、投獄拷問され、1ヵ月後に大赦で釈放された。
- アリオストの『狂えるオルランド』を読んで、「イタリアの有名な詩人の中に、なんでオイラの名前がないんだ?」と、友達の手紙に書き記している。詩、書いてたの?
- 著作;君主論、戦術論、フィレンツェ史、マンドラゴラ(戯曲)、など。
- 君主論は、神聖ローマ帝国皇帝のカルロス5世も愛読したほどだが、彼の死後1532年に出版された。
- 晩年は、サンカシアーノ村の家で、歴史研究やら著作やらきこりの監督やらと、気ままに悶々と(?)過ごす。
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