SSの概要を説明します

・リリウム物 今回分は非エロです
・彼女の言葉少ない(勝手な)イメージから全体的に台詞が少な目
・登場人物にオリジナルの人物がいます
・地の分が多く、話の展開は遅いです

以上の点に御注意してお読み下さい。


雷雲に昏く閉ざされた廃墟の空の元、踊り続ける機影がふたつ。
 同じようにコジマ粒子を放ちながらも、二機のネクストが置かれた状況には天と地ほどの差があ
った。
 迷彩色のペイントを施し、ライフルでの火線を描きながら建造物の合間を縫って走るネクストに
は強かさと勢いこそあれ、既にその身に刻まれた傷跡は深い。
 それに対して、悠然と空を駆け抜ける白銀のネクスト――アンビエントには、被弾らしい被弾の
跡も無ければ、焦燥を感じさせるような攻めの動きもなかった。
『敵ネクストにダメージを確認。出力、制動、ともに予想されていたデータを下回るものですね。
やはり、貴女の手を煩わせるほどのミッションではなかったようです』
 BFF専属のオペレーターの声が、いつも通りの抑揚と口調で作戦の経過を伝えてきた。
「了解いたしました。これより、任務を遂行します」
 補佐としてのメッセージのみに答えを返し、彼女は自機の周囲を取り巻く状況へと気を傾倒させ
ていった。
 王小龍の期待に応える。
 彼女にとってそれ以上の戦果というものなどは存在してはいない。
 アンビエントの右背面に搭載されたミサイルコンテナから、白煙が上がる。
 ハイクトミサイルでの撹乱に、ターゲットは容易く反応をみせていた。
 ブーストを吹かして迷彩色のネクストが回避行動を行う。
 そこには隙というほどの無駄な動きは見受けられない。
 だが、彼女にはそれで十分であった。
 指先にわずかに込められた力が文字通りの引き金となり、灼熱の閃光が灯される。
 掠めた。
 そう見えたレーザーの一撃は、瓦礫に押し潰された大地を焦がすことはなかった。
 アンビエントが、ブーストを吹かしながら地上へと降り立つ。
 標的であるネクストの主力武器であり、前衛機と目されている彼女の乗機が不得手とするドッグ
ファイトでの脅威と成り得る、スラッグガンの駆動機関を撃ち抜いたのを確認したからだ。
 距離700。
 敵機に残された武装は、ローゼンタール製のライフルとレーザーブレードがひとつずつ。
 牽制に用いられていたライフルでの攻撃は、目に見えてその頻度を落していた。
 切り札であろう背中武装を沈黙させられた相手のパイロットが未だ無傷のアンビエントに抗する
には、無駄撃ちを控えて集中砲火の機会を窺う他より選択肢はない。
 それが彼女の予測であった。
 事実、相手ネクストの動きはその想定の内を逸脱していない。
 強引にでも距離を詰め、ブレードでの格闘戦を仕掛けてくるという選択肢も本来ならば有り得た
のであろうが、その為に必要なもうひとつの武器は既に封じられている。
 優秀なリンクスとしての資質は備えている。
 でも、向いていない。
 アンビエントの挙動を読み、着実にダメージを与えるべくして放たれた銃弾をあるものは避け、
あるものはPAで護られた装甲部に当てさせ、彼女は相手パイロットのことを心の中で評していた。


 ディスプレイに映る簡素な報告文が、目の前に崩れ落ちたネクストの駆動反応の消失を告げた。
 やはり、向いてはいなかったのだ。
 自身の評の正当性を確かめるように、リリウム・ウォルコットはダークグレイの瞳を閉じていた。
 敵ネクストのパイロットが、自機の置かれた状況と敵対する勢力の戦力を把握していれば、あの
 場を引くより他はなかったはずなのだ。
 引けないものが、人にはある。そういうものを言葉の上で知りはしていても、実感したことはま
だなかった。
『敵ネクストの撃墜を確認。見事なお手前です』
「ありがとうございます」
 規定事項を告げるように、オペレーターからの通信が入ってくる。
 だが、彼女は見過ごしてはいなかった。
 アンビエントの機動モードは、未だ戦闘システムの稼動を最優先に設定されている。
 既に与えられた任務を達成したネクストが所属勢力への帰投を行うのであれば、機体と燃料の無
駄な消耗を防ぐ為に索敵システムの稼動をメインに回すのが、当然のことであるはずなのにだ。
 その当然のことを実行しない理由は、ただひとつ。
 突如、ディスプレイ上に熱源反応を示す一文が表示された。
 続いて歪んだ鋼材同士がぶつかり軋む音と、地響きが起こる。
(やはり――)
 被弾に続く被弾から、いたる部分を焦げ付かせ欠損させた敵ネクストのアームに装着されたレー
ザーブレードよりも、彼女の乗機が放った一撃こそが最後の火となった。
『――見苦しい限りですな。しかし、お怪我が無くてなによりです』
 平静を取り繕ったオペレーターの声に、彼女の心は動きを見せない。
 失態は失態として受け止めるのも、任務の一部と考えてはいたが、それをここで口にしてみても
意味があるとも思えなかったからだ。
 彼女に与えられた任務は、新たに鉱物資源の存在が確認されたこの地域を制圧する為に、BFF
並びに王小龍にとって目障りであった、所属不明のネクストを撃退することであった。
 それが達成できたのであれば、過程をどうのと言うつもりも元よりない。
「アンビエント、これより帰還します」
『受け入れの態勢は整っております。お疲れ様です』
 前半の部分に殊更力を入れて発言するオペレーターの声にゆっくりと頷いて、今度こそ彼女はシ
ステムの切換えを実行する。
(おわかりだったはずでしょうに)
 擬態ではなく、本当の意味での撃墜を受けた眼前のネクストをモニター越しに眺め、彼女は心の
内でそっと問いかけた。


 彼女専用の回線への着信を告げる音が、シャワールームに鳴り響く。
 心地良い温もりを与えてくれるそれの蛇口を軽くひねって、リリウムは透明な滴りに濡れたブロ
ンドの髪を肩口に撫でつけた。
 王小龍。
 メッセージの送信者は、彼でしか有り得ない。
 回線の使用を許された人間はそれなりの数がいたが、このタイミングでメッセージを送ってくる
のはいつも彼一人のみであったからだ。
 メッセージの内容を想像することなどはないが、返事は早めに返さねばならないので、急ぐ。
 その為、通信映像に映るときには彼女の髪はまだ乾ききっておらず、着替えも少しばかり疎かに
なるのだが、王小龍その人が忙しい身であるにも関わらず通信を入れてくるのだから仕方のないこ
となのだ。
 戦場に出て、人を殺せと命じられたのであれば、迷いを見せずにそれを達成するしかない身で、
なにを、という気持ちがそうさせた。
 今日のミッションとて、彼女自身が廃墟と化した街に住む人々を手にはかけずとも、続くBFF
の対人・対地上制圧部隊がそれを成すからには大差はないのだ。
 とかくプロメシュースとの引き合いに出されつつも、賛美の言葉を受ける彼女の乗機アンビエン
トが戦場に出ること自体、企業側のパフォーマンスの色が強いのだが、それが誇りになるわけでも
なければ、増して免罪符代わりになるわけでもないのを彼女は自覚していた。
「お待たせして申し訳ありません、王大人」
 ホットラインを開き、送信用のカメラが取り付けられた端末の前に据えつけられた椅子へと腰掛
けたリリウムの姿は、まだシャワーを浴びている最中であった形跡を隠しきれてはいなかった。
『今日の働き、ご苦労だったな。リリウム』
 モニターの中で満足気な笑みを浮かべる老人の姿と口調は、いつも変わらない。
「いえ、王大人や皆様の前で拙い姿を晒してしまいました。申し訳ありません」
 豪奢に飾り立てられた白い椅子の上で、リリウムが恭しくそのこうべを垂れた。
『ふ。まあ、割合ましな相手のようではあったが、所詮奴らなどにはその差もわかりはせん』
「――」
『それに、その後の抵抗者どもの反応の方も受けが良くてな――ああ、いかんいかん。あまりお前
の好きではない話を聞かせてしまったな』
「いえ」
 続けて謝罪の言葉を口にする老人の顔には、悪びれたものもなく、ただ只管にありふれた日常の
出来事を語るような表情が映し出されるだけであった。
 部屋の中には、予め空調を効かせてあるので彼女が直ぐに風邪をひくようなことはない。
 それでも、なにか寒気とも怖気ともつかない感触が背筋や体中のいたる場所を這い回ってゆくよ
うな気分だけは、どうしようもなかった。
 次第に口数だけでなく、反応までも薄れさせてゆく彼女とは対照的に、モニターの中からそれを
覗き見る老人の笑みはその表層を覆う皺と重なり、一層と深さを増していく。
 時には言葉すら返さずにいる彼女を咎める言葉など、王小龍は決して口にはしない。
 女王の振る舞いを制する者など存在するはずもないのだとばかりに、その謁見は静かにゆっくり
と進行していった。



 通信が途切れ、モニターの電源が待機状態に移行したのを確認してから、リリウムはプライベー
トルームへと戻ったいた。
 部屋に入り、自動で閉まってゆくはずのドアーを手動で閉ざしたところで、彼女は安堵の溜息を
つく。
 通信室でそうしなかったことに、取り立てて意味などはない。
 それはわかってはいても、やはりこうして行動として現われてしまうのは、彼女が先刻の戦場で
の出来事に後ろめたさを感じていたからであった。
 控えめな飾りつけのなされた調度品の置かれた広すぎる室内を気持ち慎重な挙動で歩いて、リリ
ウムはクッション付きの小さな椅子に腰を下ろした。
 中途半端に乾いてしまった髪の手入れをする為に、ドライヤーを手にとり、櫛で梳かす。
 そういった道具も先刻まで使用していたシャワーも、最先端の技術による作りの物ではなく、ア
ンティークの感のある品が多かった。
 そういった物が、好きなのだ。囲まれているだけで、心が安らぐといっても過言ではなかった。
 ただ、その全てが見た目のように生まれるべく時代に生まれた物ではなく、現代の技術によって
模られた紛いものであることも、彼女は自覚していた。
 そして、だからこそ安らぐのかもしれないと思いもする。
 髪を梳かし、時計に目を向けてそこで初めて、結構な時間が経っているのに気付き、リリウムは
寝巻きに着替えることにした。
 帰還してから、まだ彼女は夕食を口にしてはいなかったが、ネクストへ搭乗した後はあまり食欲
らしい食欲も湧かないので、取り立てて気にかけはしない。
 気にするのは彼女の晩餐を担当するシェフくらいのものなので、そういう時は予め声をかけてお
くようにしているのだ。
 自分の身体の管理は、自分でしていると思うと少しは気が楽だったし、なによりも今日は食事ど
ころではないというのが彼女の本音でもあった。
(今日どころか明日も、もしかしたらその先もかもしれませんね)
 今更になって、自分はとんでもないことをしてしまったのかも、という思いが浮かび上がってき
て彼女は大きく息をついた。
 そして、その吐息がいつものような控えめな溜息ではないことに遅まきながら気付く。
「もう少し、起きていないと……」
 そう呟いて、それ自体がクローゼットルームとも呼べるほどに広い収納の扉へと向き直る。
 羽織るようにして身に着けていた衣服を脱ぎ、身に着けていたシンプルなデザインで纏められた
ビスチェのみの姿になると、それに合わせてやや長めのスカートを選んで脚を通す。
 寝巻きを身に着けるには少しばかり早い気もしたのだが、意外にも私的な考え事を行うときには
そういった物で過ごす方が彼女には不思議と纏まりが良かったのだ。
 着替えを終えると今度は空調の気温を下げて、短めにしているブロンドの髪をカチューシャでや
や後ろよりに留めた。
「名前は……そうですね、これで。次は……」
 樫の木を素材に造られた机の前に腰を下ろし、専用のパーソナルツールの電源を付けると、彼女
は自らの思い立ったことを次々とそこに書き留め始めていた。



「すみません、お尋ねしたいのですが――」
 くたびれた衣服と壊れた寝具、それにタイトルが読めないほどに表面の掠れた書物とが乱雑に放
り出された部屋の中で、男はごそごそと何事かに没頭している様子であった。
 こほこほと小さく咳き込みつつも彼女は幾度か声をかけてはみるが、男はなんの反応も示さずに
作業に熱中し続けている。
 声をかけたが、それに対して反応をしめされなかったこと自体に、彼女は戸惑う。
 呼びかける自分の声が小さかったのだ――
 そう思い、彼女は埃に咳き込みそうになるを堪えて息を整えた。
「すみません、こちらの方に一昨日の夕方、急患として運び込まれた男性の方がいらしておりませ
んでしたでしょうか」
「聞こえておるよ。そんなに窮屈な喋り方はせんでいいから、そこの受付簿に名前を書きなされ」 
 僅かに声量を増したその声にもやはり振り向きもしないままで、男は返事だけを返した。
「あ、は、はい。――お仕事中に、失礼をいたしました」
「失礼もなにも、別段迷惑なぞしておらんよ」
 妙な客が来た。それがこの病院の院長であり、唯一の医者でもある年老いた男の持った、彼女に
対する第一印象であった。
「す、すみません。ええ、と……あの、受付簿とは一体どこに置いてあるのでしょうか?」
「なんじゃ、そんな物もわかりゃせんのか。仕方がない。ちょっとそこで待っておれ」
 面倒な上に声も若い。こりゃあ少し可愛そうな子かもしれんな――
 そんなことを考えながら散乱するカルテや器具を追い払うようにして、老人がカウンターの奥か
ら這い出てきた。
「――ホ」
 婆さんの若い頃に似ておる。それが第二印象でもあった。
「こりゃあまた、えらいべっぴんさんのお客様じゃな。どうした? 腹が痛いのならすぐそこで上
着を脱いで横になるとええ」
「い、いえ。今日はそういった用件でお邪魔させて頂いたわけではないのですが……」
「そうか、そりゃあ残念でならん。お、あったあった。ほれ、これに名前だけ書いてくれ」
 老人の問いかけに、身を縮めるようにして首を横に振った少女の目の前に染みのついた一冊のノ
ートが放り出される。
 ぺこりと頭を下げてから少女がそれを開き、持参していたペンで名前を書き記していく。
「どれどれ……リーリエ・ダスライゼン、じゃな」
 緊張の為か、流麗ではあってもどこかぎこちない感じの書体で記されたその名を、向かい側から
眺めていた老人が読み上げた。
「リーリエの嬢ちゃんか。用件は……一昨日運び込まれてきた、あの死に損ないの見舞いか」
「死にぞこ……では、無事でいらっしゃったのですね」
 事あるごとに驚きの表情を見せる少女の顔にも、その訪問目的から興味が薄れたのか、老人は再
び彼女に背を向けて、元いた場所へと歩き出していた。
「ま、そうと言えばそうじゃな。病室はそこの階段を上がってすぐ右手じゃ。うるさくせんけりゃ
別になにをしても構わんから、ゆっくりしていくとええ」
「了解いたしました。なにからなにまで、ご親切にありがとうございます」
 丁寧に頭を下げて礼の言葉を述べる少女に、老人は顔は向けぬままで手だけをひらひらと振って
応えてみせた。
 老朽化に軋む階段を少女が慎重な足取りで昇っていき、やがてその姿が見えなくなると老人は首
の付け根に手を置いて、コキコキと音を立てて肩を回した。
「べっぴんさんじゃが、肩が凝るのが欠点じゃな。その点では、婆さんのが上じゃったか」
 男を見る目もそうじゃろうなと心の中で付け加えてから、老人は作業を再開していた。



 階段を上がって右。
 確かに、その説明は正しかった。
 正しくはあったのだが、そこにあったのは彼女の想像していた光景とはいささか掛け離れたもの
であった。
まず、彼女の連想する病室とはその外見からして異なっていたし、その物体がこの場所に存在す
るということ自体も、想像とは掛け離れていた。
「これは、非汚染物資用の輸送コンテナの一部……でしょうか」
 彼女の口から思わず、その物体の正体を推測する声が漏れていた。
 その声が不安げに揺れていたのも、自分の推測に自信がもてなかったからではなく、その物体が
この場所に存在すること自体への不信感から来るものであった。
 あまりと言えばあまりに非現実的に思える光景に、しかし彼女はなんとかその場に踏み留まった。
 動揺を押さえ込むことはできないが、こうして不慣れな場所へと訪れたのを無駄にするわけにも
いかなかったのだ。
 あの老人が病室と言ったからには、とりあえず出入り口は機能しているはずだろうと気を取り直
し、コンテナの側面部を見回してみると、やや奥側の建物本来の壁の近くに電子式の開閉口を見つ
けることができた。
 その直ぐ傍にあった開閉の為のスイッチへと少女が手を伸ばす。
 動くのだろうかという疑念が彼女の脳裏を掠めるが、それは意外すぎるほどにまともな反応を見
せ、圧縮空気の作動音を漏らしながら合金製の扉をスライドさせていった。
 おっかなびっくりといった体で少女がコンテナの外側からその内部を覗き込むが、室内に灯され
た照明は薄暗く、中の様子を正確に掴むことは不可能である。
 奮起させたはずの身体が、自然硬直していくのが彼女自身にもわかった。
 暗い場所は昔から苦手なのだ。
 特に理由などないはずなので、生理的に受け付けないとしか言えないのだが、それ故にその単純
な苦手意識を克服することも困難であった。
 元々、この病院内自体も彼女の居住まいであるBFFの特別住居施設に比べて、灯された照明の
量と明度ともに劣っており、どこかしら腰が引けていたところに、これは効いた。
(――戻ろう)
 それが彼女が下した結論であった。
 普通に考えてみれば、先ほどの老人に声をかけてコンテナ内の照明を強めてもらえばいいのだが
じわじわと心の中を塗りつぶしていくような圧迫感が、少女から正常な思考を奪い去っていた。
(直接が無理なのであれば、書面や記憶媒体からでも――)
 後ろ向きに傾倒していく自らの欲求に納得をしかけた彼女の肌に、突如として凄まじいまでの気
が浴びせられかけた。
 その圧力に、少女は思わずその場から半歩退く。
 彼女が直前まで感じていたような内側からくる類のものではなく、他者から発される無形有力の
それは、紛れもない殺意であった。
「其処にいるのは誰だ」
 闇の向こう側から響いてきた声からは、力強さもなければ苛立ちも感じられはしなかった。
 ただ、刺すような気の突出だけが別物のように少女の肌に責め苦を与え続けてきている。
「誰だ」
 短く、それだけが繰り返された。
 その圧力に、膝を折るかのようにして少女は名を告げようとした。
 リーリエ、と。
(ダレダ)
 誰かが、無機質な響きで問いかけてきた。
 膝が震える。名を発しようと喉は、まるで枯れ果ててしまったかのように、なんの言葉も響かせ
てはくれなかった。
 リリウム、リリウム・ウォルコット。
 真のはずのその名を叫ぼうとしてもそれは同じことであった。
 後ろを振り向いてその場から逃げ出したくなるが、無機質なその問いかけはそれを阻むようにし
て頭の中で反響し続ける。
「泣くな」
 恐怖と、重圧に呑まれかけた彼女の元に声が届く。
 それは気遣いや優しさといったものとは無縁の、命令の声であった。



 気がつけば彼女は眩しいほどに照明の灯された場所で、鉄パイツで作られた簡素な椅子の上に腰
かけていた。
「落ち着いたか」
 丸い大きな照明の吊り下げられたレールの奥から、男性の声がしてくる。
 その光の強さに思わず手をかざしながら、声のしてきた方を少女が覗き込む。
「悪いな。まともな電灯はこれしかなかった」
 謝罪の言葉を口の片端に乗せつつも、忌々しげに舌打ちでその後を引く男が寝台の上に横たわっ
ているのが見えた。
「よっ……と」
 急にその男が自分の方へと手を伸ばしてきたので、少女は反射的に後ろへ仰け反ってしまうが、
 彼がその手に掴んだのは点滴レールにぶら下げられた電球であった。
「あっちぃ――くそっ」
 シャアッ、という滑走音を鳴らしながら、電球が寝台の足元の方へと押しやられる。
 それで光が遠ざかり、霞んで見えていた男の姿が少女の瞳にはっきりと見えるようになった。
 がっしりとした、巨躯と言っても差し支えのないほどの大柄な身体が、鉄パイプで組まれた寝台
の上に窮屈そうに収まっている。
 だらしなくのびきった白い病院服から覗く肌の色は浅黒く、硬いくせ毛の髪は濃い赤茶けた色を
していた。
「――」
「なに、阿呆みたいな面していやがるんだ。半病人に手間かけさせやがっておいて」
 ヘーゼルブラウンの瞳が、惚けたように男の姿を見つめていた少女へと向けられる。
「え、あっ、その……」
 少女――リリウム・ウォルコットが、男の不機嫌な態度に戸惑いを見せながらもなんとか返事を
返そうとして辺りを見回した。
 そこは部屋の中に見えた。
 ただし、少女が住居としていた建物の部屋などと比べると狭く窮屈で、特に天井の高さなどは相
当な差があるように見えた。
 リリウムはともかくとして、目の前の男が立ち上がれば、それこそ頭をぶつけてしまうのではな
いかと思うほどである。
 内装らしい内装も見当たらず、金属質の壁面と床の上には申し訳程度といった感じに、ぼろとそ
う大差もないようなカーテンとカーペットが配されていた。
「あの、ここは一体どこなのでしょうか」
「……自分から来ておいて、なに言っていやがる。病室に決まっているだろうが」
「病室――あ」
 要領を得ない少女の反応に、巨漢の男は寝台の上の大きな枕に起していた上半身を沈めながら大
袈裟に溜息を吐いていた。
「そうでした。私、本日はお見舞いに窺おうと思って……」
「見舞い、ねぇ。見ず知らずのあんたがか」
「そうですね、そういうことになります」
 予め決めておいた「台本」の台詞を口にするうちに、彼女は次第に平静さを取り戻し始めていく
ことができた。 
「自己紹介が遅れていましたね。すみません」
 予定よりも、少しだけ背が高く口の悪い相手役に向けて、彼女はクッションの効いていない椅子
から立ち上がり、その場でたおやかな仕種でお辞儀をして見せた。


 カラードの主催するオーダーマッチランキングでNo.2という立ち位置を与えられている彼女
には、周囲の者が予想する以上にリンクスとしての「仕事」は回っては来なかった。
 無論、リンクスとしての戦力的な評価が低い為にそうなっているわけではない。
 王小龍が後押しするBFFでの旗印としての、政治的な役割でその権力と実力を発揮するのが、
彼女に求められている立ち位置であったからだ。
 結果的に彼女がリンクスとして振舞うのは、BFF――王小龍が己が勢力を拡大したと、周囲の
者たちに声高に宣言する場合と、「お茶会」と揶揄されるカラードお抱えの主力リンクスたちが集
う場においてのみというのが、主な機会となっていた。
 なので、予定の入っていない日には自分の時間を持つことがそれなりにできたのである。
 BFF陣営自体は、主力AFであったスピリット・オブ・マザーウィルをオーメル・サイエンス
の雇い入れた独立傭兵の手により轟沈させられたことから、やや浮き足立った気配を見せてはいた
が、王小龍の掌握する新鋭派が中心となってそれを外部にまでは伝播させてはいなかった。
 そしてそれは、彼女にとっても興味の外にある出来事だった。


「これで良し、ですね」
 そのフリーの日は、慣れないタイプのおめかしをすることから幕を開けていた。
 普段着用するような着飾ったドレスや襟の整えられたスーツではなく、一般の層の者たちが身に
着ける街着を選ぶことから、まずそれは始まる。
 親身になって自分の身の回りの世話をしてくれる者に、無理をいって用意してもらった物だった
が、それだけに服装はそれっぽく仕上げられたと自分では満足していた。
 次に、大事なのはリンクスとしての素性を隠す為のデコレーションである。
 一見して普通の人間ではないことを外に伝えるのは、やはり彼女の首の側面に施されたAMSと
の接続ジャックであった。
 これについては、散々に悩み首元と覆うような衣装を選んでもみたが、客観的に見ても街着とし
て選ぶには無理があると思えた。
 なので結局は、少々大きめの絆創膏を貼り付けることで隠してみることにした。
 カモフラージュのつもりで腕や、スカートで隠れて見えないふくらはぎにも小さな絆創膏をして
みると、段々それっぽく思えてきたのでそれで良しとする。
 化粧の方は最近では御付きの人間に任せており、リリウム自身それほど拘るわけでもなかったの
で、軽めに抑えておいた。
「思っていたよりも、簡単ですね」
 貴族の紋章が掲げられた縦長の鏡の前で、自身の手で完成させた「街娘」の姿に上機嫌になった
リリウムが、その場でくるりと一回転してにっこりと微笑む。
 上は青のタンクトップ、下は黒のバルーンスカートのツーピースに、グレーのハーフジャケット
に身をつつんだ姿は、可愛らしいと言えば可愛らしい。
 だが、慣れない服装に身を包んだリリウムの姿は、どこか浮いた感じがあった。
 悪く言えば、着替えというよりも変装と言ってもいい。
 暫くするうちに、お気に入りのバッグの中身の小物を点検していた少女の耳へと、ドアーを小さ
くノックする音が届いてきた。
「はい、いま開けますからお待ちになって下さい」
 彼女がそれに返事をしてから、入り口のロックを手動で解除する。
 できる限り、データの上に残る外出の形跡は控えておきたかったのだ。
 部屋の前には口裏を合わせてもらう為に呼んでおいた使用人の女性が、不安げな面持ちで食事を
運ぶ為のカーゴを持って待機していた。
「お嬢様、その姿は一体……」
「驚かせてしまいました? あ、いま準備をしていますから、中に入ってらして」
 使用人の女性が、彼女の変装に呆気に取られつつも手を引かれて室内に入ってくる。
「あの、本当にこのようなことをして、大丈夫なのでしょうか?」
「そうですね。見つかったらお叱りを受けるでしょうが、その時はリリウムが王大人にご説明をい
たします」
 落ち着かないようすの使用人を宥めながら、リリウムは最後のチェックを終えてカーゴの戸を開
き、身を屈めた。
 カーゴの中からは食器を置くための平板が取り外されており、彼女が身体を丸めてしまえば中に
隠れるだけのスペースは十分にありそうであった。
「では、手筈通りにお願いしますね」
 慣れないウィンクをして見せてから、リリウムがカーゴの中へと乗り込む。
 暫くの間、動き出す気配を見せなかったそれは、彼女が声をかけるようとした直後からカラカラ
と小さく車輪の回る音を立てて移動をし始めた。
 己の意志で、初めての経験に身を投じることから来る期待感に胸を膨らませて、彼女は一時の間
カーゴから伝わってくる僅かな振動に身体を預けていた。

「リーリエ・ダスライゼンと言います。以後、お見知りおきを」
 出立をしてから、ようやく自らが思い描いていた状況にまで漕ぎ着けられたのだ。
 そう思えばこそ、少女は自らの足で歩み続ける勇気も湧いてきた。
 無関心そうな態度で伸びを打つ男にも怯むまいと、しゃんと背筋を伸ばして彼女はにこやかに微
笑んでみせていた。

                                     
                                                            < 続く >

このページへのコメント

Tluef5 Thanks so much for the blog.Thanks Again. Keep writing.

0
Posted by watch for this 2013年12月21日(土) 01:48:50 返信

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